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竹田宮家 その1

東京本邸 芝区高輪南 (現:港区高輪)
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軽井沢別邸


◆竹田宮恒久王
1882-1919 明治15-大正08 36歳没 
もと北白川宮能久親王の子 竹田宮を創設

*大流行したスペイン風邪で死去
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■妻 明治天皇の娘 昌子内親王
1888-1940 明治21-昭和15 51歳没

*何かと口をはさみたがる、やかまし屋の宮妃の一人であった。

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●恒徳王  次代当主
●礼子女王 佐野常光伯爵夫人


左から 礼子女王 昌子妃 恒徳王
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<不成績な恒徳王>

枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年01月17日

学習院院長一戸兵衛の台詞

先例にてもこれまで〔皇族の〕落第の例なく、
竹田宮恒久王のごときはよほど不成績なりしも進級せしめあり。
陸海軍の学校にてもかつて落第の例なし。


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倉富日記 大正13年03月01日

倉富&宮内官僚西園寺八郎の会話

倉富◆竹田宮昌子妃は時々意地悪き事をなさるる事あり。
西園寺◆その通りなり。先日も皇太子妃〔香淳皇后〕に対し
「東伏見宮周子妃があまり度々参殿せらるるは御困りなるべきにつき、
皇太子妃より母久邇宮俔子妃に書状を送りその事を通知し、
俔子妃より周子妃に話してあまり度々参殿せらず様になされたらばよろしからん」と言われ、
皇太子妃はその言に従いすでに俔子妃に送る書状を作られたるが、
女官長がこれを聞き「それはよろしからず」と言うて止めたる趣なり。
周子妃が皇太子妃の輔導を為さる事は貞明皇后も御承知の事にて、
宮内大臣より周子妃に申し上げその事に為りおりたるに、
昌子妃がそばよりこれを妨げらるるは実に怪しからん事なり。


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倉富日記 大正13年04月22日

西園寺八郎の台詞

昌子妃は皇太子妃の御輔導の如き意味にて時々参殿せらるるが、その結果甚だ懸念なり。
昌子妃はかねて貞明皇后は臣籍より入りおらるるとの考えにて御感よろしからず。
また大奥にて東宮妃の事を御息所と称しおれり。
「御息所は臣籍より上りたる者の称にて、皇族より上りたる者はぜひ妃殿下と言わざるべからず」
と皇太子に御話ありたる趣にて、皇太子よりその後話ありたる。
先日も皇太子妃が私室にて縞の着物を召したしとの事なりしが、
せめて紋服を召す様申し上げたるに、
昌子妃より平常縞の着物を服するは少しも差支えなしとの御話ありたる由。
左の如き事にて甚だ困る。昌子妃は単独にては御参宮なさらざる様に致したき事に考えおれり。
妹北白川房子妃は温順なる方なるにつき、同妃と御一緒に御参宮せらるる様になりたしと思う。


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有馬頼寧伯爵

恒久王殿下の御生涯は決して御幸福ではなかった。
私からみれば、むしろ御不幸な御生涯というべきである。
それにもかかわらず特に不平をもらせらるる様な事もなく、
むしろ周囲の人が御同情申し上ぐるくらいであった。
何事にもよらず御遠慮がちで、御心に思はせられた事でも御口に出さるる事はなく、
一人御苦しみ遊ばされた事も少なくなかった様だ。
私はこのたび御重体の時より御臨終の時に亘って、
昌子妃殿下の取られた処置に対しては敬服に堪えなかった。
ただ惜しむらくは、あまりに剛毅にして女としての御柔みを欠かせられた事は、
御家庭をして幾分御不幸ならしめた原因である。


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◆竹田宮恒徳王
1909-1992 明治42-平成04 83歳没
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■妻 三条公輝公爵の娘 光子
1915-2013 大正04-平成25 98歳没
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●恒正王  次代当主
●素子女王 佐野博夫人 
●紀子女王 渡辺宣彦夫人
●恒治王
●恒和王


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正12年01月08日

宮内官僚小原駩吉の台詞

竹田宮家の自動車がついに人を負傷せしめたる
本月03日司法省の前にて侍女を乗せたる自動車が3人を負傷せしめ、
1人は足を敷き1人は撥ね飛ばされて頭部を打ち1人は擦過傷を負い、
2人は築地の林病院に入りおり、その自動車には竹田宮の御紋章を付けおり、
大阪の新聞にはちょっとこの事を書きたるも東京にては禁じおる由なり。

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◆竹田宮恒正王
1940- 昭和15-
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■妻 財閥根津嘉一郎の娘 恭子
1948- 昭和23-


●浩子
●恒貫
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by oMUGIo | 2001-04-05 00:00 | 皇族
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