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藤波子爵家 半家

◆藤波言忠
1852-1926 嘉永05-大正15 74歳没
もと公家広橋胤保の子 婿養子になる
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■最初の妻 先代教忠の娘 文子
 -1872 


■2番目の妻 先代教忠の娘 恭子 前妻の妹 離婚・大巌蟄竜と再婚


■3番目の妻 久能玉子


■4番目の妻 出雲大社千家尊澄の娘 奈保子
1864- 元治01-


●忠子


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

藤波言忠子爵はもと広橋家の嫡子であったが、生家を出て藤波家を継いだ。
彼の姉は鍋島栄子侯爵夫人で、鹿鳴館時代には社交界を跳ね回ることで有名であった。
弟の広橋賢光伯爵はまた一生を通じて素寒貧で有名であった。
しかも彼は貧に苦しむ舎弟が、日夜高利貸に責めさいなまれ
米塩薪炭の資にすら窮していたにも関わらずこれを捨ててさらに顧みなかったため、
世間では骨肉の情を知らぬ者として非難したが、これは彼の天性で
金銭のためには何物をも犠牲にしたればこそ、初めは貧乏華族の一人であった彼が
後には堂上華族中の金満家として知られるに至ったのである。

彼が初めて宮内省に入ったのは明治16,7年の頃で、
侍従として長く至尊に奉持し後主馬頭となって終生をともにした。
41年の秋突如として馬券禁止令が発せられたので、
全国の競馬会はもとより藤波一派の者もまた少なからず動揺した。
馬券が禁止されてはもやは私腹を肥やすことは望まれない。
そのため藤波伯爵はすねて馬政局次長の職を辞したが、
すでに競馬熱の勃興によって少なからず財嚢を満たした後であったから、
いわば儲け退きということになった。

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◆藤波茂時
1886- 明治19-
もと福井松平茂昭侯爵の子 婿養子になる


■前妻 先代言忠の娘 忠子
1896- 明治29-
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■後妻 生方繁三郎の娘 紅葉
1907- 明治40-


●道忠
●佳子


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※当時の総理大臣の年給は1万2000円

藤波言忠には男子がなかったため娘忠子に福井松平侯爵の子茂時を婿養子に迎えた。
大正15年に言忠が死亡して茂時が当主となる。
茂時は<満州興業>社長であったが、
関東大震災以来の不景気のため自宅を抵当にして50万円を借り入れる。
しかし昭和02年、複数の債権者から訴訟を起こされる。
『借金殿様藤波子爵に破産申請』
『今春来係争中のところへ、またまたあるいは爵位返上の運命か』
などと新聞に書かれる。
50万円の債務の他に、満州銀行から32万円、勧業銀行に5万円、X氏に10万円の借金があった。
これらの大口債権者からも返済を求めれれば藤波家は家屋敷を失い、
子爵としての面目を保てないとして爵位を返上しなければならない。

藤波子爵家では親族会議を行い、茂時の実家福井松平侯爵家が尻拭いをすることになったようだ。
福井松平家は1,000万円と言われた資産高を昭和3年に500万円と半減させているからだ。
ともかく藤波子爵家は存続した。
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by oMUGIo | 2002-03-05 00:00 | 公家華族
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