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近衛公爵家 摂家 その1

◆近衛忠熙
1808-1898 文化05-明治31 90歳没
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■妻 薩摩藩主島津斉宣の娘 興子
1807-1850 文化04-嘉永03 43歳没 


●総子 一条実良夫人
●忠房 次代当主
●堯熙 常磐井円禧の娘敬子の婿養子になり常磐井堯熙男爵となる
●忠起 水谷川忠起男爵となる 東本願寺大谷光勝伯爵の娘堯子と結婚 
●尹子 津軽承昭伯爵の後妻





◆近衛忠房
1838-1873 天保09-明治06 34歳没
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■妻 島津久長の娘 貞子/光子
1845-1920 弘化03-嘉永06 75歳没 

前列左端が光子 島津公爵家の女性たちと
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●実子   篤麿 次代当主
●実子   泰子 本家徳川家達公爵夫人
●庶子   英麿 津軽英麿伯爵となる 小笠原忠忱伯爵の娘照子と結婚
●生母不明 堯猷 常磐井堯猷男爵となる 結婚3回
大谷光尊伯爵の娘文子→藤堂高潔伯爵の娘鋀子→久世広業子爵の娘貞子





◆近衛篤麿
1863-1904 文久03-明治37 40歳没

*ドイツに留学

*落馬事故で死亡

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ドイツにて
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■前妻 加賀藩主前田慶寧の娘 衍子 有栖川宮威仁親王妃慰子の妹
1869-1891 明治02-明治24 22歳没
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■後妻 加賀藩主前田慶寧の娘 貞子 前妻の妹
1871-1945 明治04-昭和20 74歳没


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※当時の総理大臣の年給は1万2000円

衍子の嫁入り道具は、箪笥17棹分の着物だけで3万5000円。
東京の呉服店にないものは、京都の織元まで行って希望通りの品物を誂えさせた。
しかし嫁いでわずか1年後に亡くなったため、3棹の着物を着ただけだった。
残りの14棹の衣装は形見分けとして嫁ぎ先近衛家の女中に分配された。
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●前妻の子 文麿 次代当主
●後妻の子 武子 大山柏公爵夫人
●後妻の子 秀麿 指揮者 近衛秀麿子爵となる 毛利高範子爵の娘泰子と離婚・長井和子と再婚
●後妻の子 直麿 作曲家 女給川島ミネと結婚
●後妻の子 忠麿 水谷川忠麿男爵となる 士族兵藤正通の娘正子と結婚





◆近衛文麿 総理大臣
1891-1945 明治24-昭和20 54歳没

*青酸カリで自殺
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■妻 毛利高範子爵の娘 千代子
1896-1980 明治29-昭和55 84歳没

*夫妻は当時珍しい恋愛結婚であったが、ともに華族であったため問題にはならなかった。

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実父毛利高範子爵と
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●文隆 次代当主
●昭子 島津忠秀公爵と結婚・整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚
●温子 細川護貞夫人→子忠輝は近衛家31代当主
●通隆 加藤四郎の娘節子と結婚
●芸者山本ヌイと間に庶子 斐子


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

新人張りの文麿公爵にして迷信家であることは矛盾しているが、
あれで相当かつぐ方だから不思議である。
文麿公爵の身長は5尺9寸5分あるが、自身では5尺9寸だと言って5分だけ切り捨てる。
これは9寸5分という寸法が政治家には縁起の悪い短刀の寸法と同じだから、
それを嫌って端数だけ抹殺するのだそうだ。

また文麿公爵は常識を超越した衛生家で、
ちょっと風邪をひいても咳一つ出なくなるまでは外出は無論のこと来客にも一切面会しない。
それでいつでももう良くなると言ってから、2週間ぐらいは人に顔を見せない。
それほどだから苺ひとつ食べるにしても、水道の水を沸騰させ
それを0度以下に冷やしたもので充分洗ってからでなくては口にせぬということだ。


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近衛文麿の娘 野口昭子

若い時の母の写真を見ると、娘の私でもハッとするような美人である。
電車の中で父に見初められて18歳で結婚したというが、なんだかわかるような気がする。
それなのに、子供の頃の記憶の中に母の面影が浮かんで来ない。
おそらく私たち兄妹は<御方>と称する廊下づたいの離れに住んでいて、
タッチという老女格の人に育てられたからかもしれない。

戦前の母の華やかさは、ゴルフで三井夫人と女子選手権を争ったり
母がモデルになった<赤い日傘>が帝展に入選したりして話題をまいたが、
本来は家庭的なことが好きで、料理・刺繍・縫い物・編み物・染物など、
セーターなどは2,3日で編み上げてしまうし、自分の和服は全部自分で縫っていたし、
刺繍は衝立・クッションなど今も残っている。

母は豪放磊落な気性の兄を最も愛し、父よりも気が合うらしかった。
また家庭的で明朗な性格の妹をいつも褒めていたが、私のことは父兄会に行っても
「本ばかり読んでいて女らしいことは何もできない困った子でございます」と言っていたという。
手先が器用で何でもできる母にとって、私はまったく価値のない駄目女であった。
私が劣等感に陥らなかったのは、何を言われても馬耳東風、
学校から帰ると広い芝生に寝転んで青い空を眺めたり、
兄の遊び相手としてチャンバラなどしていたからかもしれない。
それに別邸の祖母が私を特に可愛がってくれて、
いつも「この子はいい子やね」と褒めてくれた。

首相夫人になって荻窪に移っても、でしゃばらず気さくで気取らない母の評判は良かった。
『庶民的で三等車に乗る公爵夫人』などと雑誌に書かれたりした。

母は父の死は覚悟していたが最愛の兄の死だけはどうにも信じられないらしく、
兄のことを話すといつも涙ぐんだ。
そして湯河原に移るとだんだん私を頼るようになった。
クラス会や旅行に何を着て行ったらいいかまで、私に相談するようになった。
湯河原での一人住まいの生活でも、四季の野菜作りや花作りをしながら、
人にあげたり御馳走して喜ばれることを何よりの楽しみにしていた。


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近衛文麿の娘 野口昭子

昭和20年12月14日雪深い新潟の善性寺で、
A級戦犯の中に父の名が確かにラジオで放送されていたと村の人から聞かされた時、
私はまさかと思った。あれほど戦争に反対した父がなぜ、と。
切符を取るさえ困難なのをやっと手に入れ、ともかく荻外荘に着いた時は夕方近かった。
荻外荘はもろもろの訪問客でごった返していた。
客と客との切れ目にドアの陰から顔を出すと、父の視線とバッタリ合った。
その思いつめたような眼を見た瞬間、私は父は巣鴨に行かないと直感した。

荻外荘はもう慌ただしさもなく、ごく親しい身内の者だけになっていた。
父の寝室に行くと、父はいつものように布団に横たわっていた。
父は昔から何か重大なことを考える時、頭を休める時、いつも昼寝と称して寝る癖があった。
母と弟がいて、「新潟からよく出て来られらね」と言った。
その時 父の凝視するような視線を感じて、父の傍らに行きいつものように寝転んだ。
「昭子、お前は長生きするだろうな」
「そんなノンキに見える?」
切迫している何かを感じながら、それには触れまいとしてみんな何気ない雑談を交わしていた。
私は父といつまでもこうしていたかった。しかし、父は言った。
「もうお休み。明日は早いんだ」
「おやすみなさい」
素直に立って隣の部屋の真っ暗な布団の中にもぐり込むと、明日の朝はもういないと思った。
涙が冷たく枕を濡らした。

翌朝、父は死んでいた。枕元に、いつか見た小瓶が空になっていた。
その安らかな死に顔は、生前のままの気品さえ漂っていた。

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◆近衛文隆
1915-1956 大正4-昭和13 41歳没

*米のハイスクールからプリンストン大学に留学

*陸軍軍人となりソ連軍に拘束され、シベリアの収容所で病死した

アメリカにて ハイスクールの卒業式で文麿と
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■妻 西本願寺大谷光明の娘 正子
1924- 昭和13-
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嫁と姑
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シベリアの夫の墓前で
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●芸者東千代子との間に庶子 東隆明





◆近衛忠輝
1939- 昭和14-
もと細川護貞&文麿の娘温子の子 護煇


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近衛忠輝

上流人が下流人と同じテレビ番組を観たり、
農民の子と競って東大に入るなどの現状では、上流階級が育つ素地はありません。
だから、昔の上流階級がよい意味での指導性を発揮せざるを得ないのです。
私はね、社会が安定するためには、恵まれた人が高い見識を持ち、
しっかりとした階級を構成することが絶対に必要だと思うのです。


*しかし一人息子の忠大はNHKに入りディレクターとなった。
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■妻 三笠宮崇仁親王の娘 庸子女王
1944- 昭和19-
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●忠大
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by oMUGIo | 2002-01-03 00:00 | 公家華族
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