直球感想文 和館

2017年 更新中
by oMUGIo
カテゴリ
以前の記事

島津公爵家 薩摩藩主 その1

東京本邸 芝区袖ヶ崎 (現:品川区東五反田) 敷地3万坪 建坪2,500坪
a0287992_3315282.jpg



◆島津斉彬
1809-1858 文化06-安政05 49歳没
a0287992_21463768.jpg



■妻 一橋徳川斉敦の娘 恒子
1805-1858 文化02-安政05 53歳没


★側室 伊集院須磨
1821-1870 文政04-明治03 49歳没
a0287992_1911819.jpg



斉彬には複数の側室がいたが、育ったのは須磨の子供だけである。


●須磨の子 暐子 次代当主の前妻
●須磨の子 典子 島津珍彦男爵夫人
●須磨の子 寧子 次代当主の後妻


大きい順に 暐子 典子 寧子
a0287992_21465814.jpg






■島津忠義
1840-1897 天保11-明治30 57歳没
先代斉彬の甥/もと島津久光公爵の子 婿養子になる
a0287992_214724100.jpg
a0287992_21472888.jpg
a0287992_21473280.jpg



■最初の妻 先代斉彬の娘 暐子 死別
1851-1869 嘉永05-明治02 18歳没


■2番目の妻 先代斉彬の娘 寧子 前妻の妹 死別
1853-1879 嘉永06-明治12 26歳没


■3番目の妻 板倉勝達子爵の娘 棲子
 -1886


★側室 山崎寿満子
1850-1927 嘉永03-昭和02 77歳没


★側室 菱刈久
1872-1960 明治05-昭和35 88歳没


●山崎寿満子の子 清子 黒田長成侯爵夫人
●山崎寿満子の子 充子 池田詮政侯爵と離婚・松平直亮伯爵と再婚
●山崎寿満子の子 常子 山階宮菊麿王妃
●山崎寿満子の子 知子 田安徳川達孝伯爵の後妻
●山崎寿満子の子 貞子 久松定謨伯爵夫人
●山崎寿満子の子 俔子 久邇宮邦彦王妃
●山崎寿満子の子 正子 本家徳川家正公爵夫人
●山崎寿満子の子 忠重 次代当主
●菱刈久の子    忠備 島津忠備男爵となる 戸田忠雄子爵の娘愛子と結婚
●菱刈久の子    忠弘 島津忠弘男爵となる 岩倉具定公爵の娘季子と結婚
●菱刈久の子    島津久範伯爵となる 結婚3回  
島津忠麿伯爵の娘随子→島津忠麿伯爵の娘秀子→高倉永則子爵の娘久子
●菱刈久の子    康久 島津忠済公爵の娘肅子と結婚 
●菱刈久の子    為子 紀州徳川頼貞侯爵夫人





◆島津忠重
1886-1968 明治19-昭和43 82歳没
イギリスに駐在
a0287992_2148576.jpg
a0287992_2149859.jpg



■妻 徳大寺実則公爵の娘 伊楚子
1888-1971 明治21-昭和46 83歳没
a0287992_2149971.jpg
a0287992_21492112.jpg

a0287992_1449131.jpg

a0287992_21491848.jpg

a0287992_2481734.jpg

a0287992_2483132.jpg



●忠秀 次代当主
●経子 島津忠済公爵の子島津久大夫人
●晃久 鹿島晃久伯爵となる 福井松平慶民子爵の娘英子と結婚
●矩久 柳原博光伯爵の娘行子と結婚
●斉徳 柳沢保承伯爵の娘佐久子の婿養子になるが離婚


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『横から見た華族物語』  昭和07年出版

先年十五銀行がいけなくなった時、社長の松方巌公爵は爵位をも辞退し
その他身についた一切の公職を投げ出して一平民の松方巌となり
どこかの長屋へ今は日陰者の身を運び込んだ。
自分が主宰する銀行があんなことになって
世間様を騒がして何とも申し訳がないという意思を表明したものであるが、
実を言うとあれは表面だけのことで、
本当の心は旧藩主島津家に対する謝罪のためあのような態度に出たと言った者があった。

十五銀行の騒ぎでは旧大小名華族のほとんど全部が大なり小なり手傷を負うたが、
中でも最もひどくやられたのは島津公爵家であった。
当時島津家では十五銀行へ150万円の預金があった。
そのうえに2万近い新株を持っていてその払い込みがざっと145万円、
もし島津家がこの新株を払い込まないようだったら
十五銀行の整理案が成り立たぬというのっぴきならぬ辛い立場に置かれた。

何と言っても九州の島津だ、
動産不動産合わせて8000万円は下るまいと言われている金持華族だから
それぐらいの金は右から左へ出すだろうと思われたが、
有るようで無いのは金、無いようで有るのは借金というやつ、こればかりはどうにもならぬ。
そこで袖ヶ崎のあの屋敷、
明治大帝がしばしば行幸あらせられたという由緒の深い3万坪の屋敷のうち6千坪だけを残し、
後を全部売りに出してそこから浮かんだ240万円の金で銀行の方のカタをつけたものだ。

いくら島津が財産家でもこれはこたえたに違いない。
そこで松方公爵にすれば旧臣の情誼として
主家にそれほどの大穴を開けたからには何とかして申し訳をせねばならぬ道理、
昔ならさしずめ切腹ものだが、今ではそんな古手は流行らない。
それで身につくもの一切を投げ出してこれで御勘弁と出たという。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::





◆島津忠秀
1912-1996 大正01-平成08 84歳没


■妻 近衛文麿公爵の娘 昭子 離婚
1916-2004 大正05-平成16 88歳没

*昭子は戦後になって整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚、
『昭和のノラ事件』と呼ばれて話題になった。

昭子と父近衛文麿
a0287992_0185213.jpg



●忠敬
●修久
●滋子
[PR]
by oMUGIo | 2004-01-07 00:00 | 武家華族
<< 島津公爵家 薩摩藩主 その2 伊達侯爵家 宇和島藩主 その2 >>


フォロー中のブログ
検索
記事ランキング