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井上馨侯爵家 政治家

麻布区鳥居坂本邸 旧本邸

麻布内田山本邸 新本邸
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麻布区龍土町別邸

横浜野毛別邸

鎌倉稲村ヶ崎別邸

神奈川県富岡別荘

群馬県磯部別荘

静岡県興津別荘 磯部別荘と鳥居坂本邸の一部を移築

*井上宅はほとんど井上馨自身の設計による




◆井上光亨


■妻 フサコ


●光遠→子勝之助は井上馨侯爵家を相続する・子博邦は伊藤博文公爵家を相続する
●常子 小沢正路夫人→娘末子は次代当主勝之助の妻
●馨




◆井上馨
1836-1915 天保06-大正04 79歳没

*長年三井財閥と癒着したため<三井の番頭>と呼ばれた。
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■前妻 志道慎平の娘の婿養子になるが離婚


■後妻 士族新田満次郎の娘 武子 中井弘夫人だった武子を井上馨が略奪して結婚
1850-1920 嘉永03-大正09 70歳没


*井上は、武子の実家を新田義貞の後裔と称して男爵を与え顰蹙を買う。
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●庶子 千代子 婿養子を迎え次々代当主とする


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大隈重信侯爵

中井弘の珍談奇談の中でこの梁山泊中に起こった奇談で
また美談とも珍談とも言うべきものが一つある。
中井はああいう男だから風流韻事も盛んにやった。女房も方々へ持っていた。
その頃なんの気まぐれか新田義貞か誰かの子孫だという
新田満次郎という旗本の娘さんを妻に貰ってあまり間のない時であった。
名門のお嬢さんというのでちょっと奇癖を出して物好きに貰ってみたんであろうが、
当人は相変わらずの飄々乎たりである。中井は薩摩出身で国に呼び戻された。
この時ばかりはさすがの桜洲山人も観念したと見える。
細君にはきれいに離縁状を渡して我輩の妻に頼んで、
「良いところがあったら縁づけてくれ。今度は生きて帰れぬから」と預けて行った。
その頃井上馨が変な女と同棲していたが、
それが豪傑連中にひどく不人望でとうとうみんなで追い出すかどうかしてしまった。
井上という男はなかなか素早い男でいつの間にか我輩の預かり物と相思の仲という始末だ
さあ梁山泊内鼎の沸くがごとき騒ぎである。「井上は実にけしからぬ、不埒な男だ」と憤慨する者と
「まあ、そんなことは放っておけ、どちらも人間だから」という者と硬軟両派に分れた訳である。
この時は我輩もその裁きに大いに閉口したんである。
井上に「みんながやかましく言うがそうか」と聞くと「うむ、そうだ」と言う。
妻からお嬢さんにも訊かせると「井上さんは大好き」と言う。実におめでたい始末である。
そんならと粋な裁きで「お嬢さんと井上を夫婦にしたら」ということになり、
我輩のところで両人正式の対面ということになった。ところがいよいよ対面というところで、
どうしたことかもうとっくに腹でも切って死んだはずの中井がヒョックリ生きて帰ってきた。
しかも偶然にこの席へ帰って来たんだから驚かざるをえない。
玄関で中井にぶつかって鉢合わせした山縣のこの時の慌て方ったらなかった。
中井を一室のうちに山縣が押し込めてしまって女を隠すやら何やらで大騒ぎ。
妻などもだいぶ色を失った。とうとう伊藤が情を明かして中井を説伏しようとしたが、
中井は恬淡な男で奇人である。
「ああそうか。どうかよろしく頼む」と言うた切りであった。あっさりしたものだ。
一方話は進んでいよいよ我輩の妻の妹分として井上と正式に結婚するという段取りになった。
井上がだいぶいたずら者であったからタダではいかぬというので、
修身偕老同穴の契りを結びますという証文を我輩の妻に取られて、
これに伊藤と山縣とが証人になったんである。
井上はだいぶ道楽もした男であるが、この細君はなかなかに重んじて大切にした。
つい昨年頃まで生きておられた井上夫人がこれである。


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萬朝報 明治31年07月12日

侯爵井上馨は麻布龍土町に小林ロク(40)という妾を畜う。
ロクは船頭小林重兵衛の娘にて明治10年頃新橋の芸妓となり【おとり】と名乗りたるが、
そのころ井上は非常の執心にて
ほとんど毎日のごとく【おとり】のもとに至りて酒を飲むを楽しみとせり。

しかるに公用にて地方に出張することとなりしばらく【おとり】の顔をみることあたわず、
都の空懐かしく思いいたる矢先まさに新橋に赴かんとして玄関立ち井でたるに、
異様の進物到来して侯爵を驚喜せしめたり。
その贈り手は大阪府知事沖守固にして、進物はすなわち【おとり】にてありしなり。

沖はかねてより侯爵が【おとり】に大執心なるを知るため、
侯爵の留守中に大金を投じて【おとり】を身請けし置き進物となして御機嫌を取りたる次第なるが、
その効き目はむなしからずして爾来 沖は侯爵の恩願を受けたること一通りにあらず。

また侯爵は近ごろ新橋南金六町中谷【小えつ】こと加藤ナミを愛し、
烏守【おいよ】の玉代にも鼻毛を読ませ、このほど玉代を連れて鎌倉に出かけたりという。


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

大阪富田屋に【お雄】という芸妓がいた。
これに目をつけたのが富田屋にとって一の客である岩崎弥太郎男爵であった。
まだ年の若いお雄として、金のために自由にされるということは好まなかった。
なかなかおいそれと色よい返事をしない。
金さえ積めばどんなことでも思うままになると思い込んでいる大尽は、
金は山ほど積むとか、言うことを聞けば何でも望む物は買ってやるとか、
そんな言葉が幾度となく繰り返された。
すると当人のお雄は相手の言葉をみなまで聞かず、
すいと立ち上がって気分が悪いからと言ってその場から出てしまった。
ちょうど冬のことで岩崎大尽はコタツに入って飲んでいた。
お雄の艶な姿が見えなくなると布団の上に顔を押し付け太い息を吐いていたが、
やがて布団をメリメリと引き裂き、綿をちぎって左右へ投げ始めた。
顔を見ると目には涙さえ浮かべているといった有様で、
天下の弥太郎も一婦人のために滅茶滅茶の姿となった。
この狂態を見せつけられては富田屋の夫婦も黙って見ていられなかった。
とうとう嫌がるお雄を口説き落として岩崎男爵の意に従わせることとなった。
それから後の岩崎男爵は足一歩も富田屋の敷居から出ずお雄を引きつけ切りであったが、
東京へ行かねばならぬ用件ができたのでしばらくお雄と遠ざかることになった。

岩崎男爵が上京の留守中に井上馨侯爵が富田屋に遊んで、
一目お雄の姿を見ると今まで馴染んでいた女を振り捨て
一本やりにお雄を目指して手に入れようと焦り出した。
お雄にはすでに岩崎大尽という日本一の旦那のあることは承知している。
だが井上侯爵とて富田屋にとっては岩崎男爵にもまして大切なお客様である。
井上侯爵を押し付けられてみると、井上侯爵の女道楽は相当の修養を積んでいるから
女の嬉しがりそうなことを言ってちょいちょい優しいところを見せる。
男慣れしていないお雄が日増しに井上侯爵に引きつけられて行くのは無理もないことで、
もし二人の仲が岩崎男爵に知れても決して見捨てて下さるなと
自分の方から真心を見せて頼むほどになった。

意外なところから井上という色敵が飛び出してこっそりお雄の手を握った秘密は
神ならぬ身の知る由もなかったが、場所が口さがなき遊郭のことではあり
関係する人々がいずれも当世第一の人物であったから、誰言うことなく噂は噂を生んで
井上侯爵とお雄とが描いた秘密がとうとう岩崎男爵の耳に入ってしまった
ある晩富田屋の大広間で長州人と土州人との懇親会が開かれた。
井上侯爵も岩崎男爵もむろんこの席に列なった。
集まった者はいずれも維新前後の危ない巷を出入りした粒よりの勇者で、
維新当時の立ち働きや自分達の功名談に花を咲かせ、
痛快を叫びつつ献酬に忙しく盃の巡りも存外に早かった。
岩崎男爵は急に席を立ちお雄の手を取って井上侯爵の前へやって来た。
立ったまま井上侯爵を見下ろしながら肴を遣わすと言うなりお雄を井上侯爵の前へ突き倒し、
「乞食武士には腐った肴が分相応だ、よく匂いを嗅いで賞玩しろ」と怒鳴りつけたから、
井上侯爵も黙ってはいられない行き掛りになった。
それでもその場は仲裁する者が出てどうにか無事に納まったが、
お雄には岩崎男爵から暇が出た。

こうなるとお雄としては意地からでも井上侯爵に捨てられてはならぬ。
そこで井上侯爵に念を押したところ、
「わしも長州の井上だ、お前の他には女を相手にしない」とキッパリした返事であった。
そんな約束がいつまで守れるはずがない。
月日が経つに従って浮気の心も起りお雄の顔も見飽いてきた。
その後天王寺家の房鶴という芸妓を相手にお雄に内密でちょいちょい会っていたが、
いつのまにかそれがお雄の耳に入ったからただで済むはずはなかった。
井上侯爵が房鶴を相手にふざけている現場へ乗り込んで行って、
「岩崎さんがお前さんを乞食武士だと言ったが、本当に乞食武士に違いない。
それに女の乞食もいて二人でさかっていやがる」と恐ろしい啖呵を切って、
井上侯爵の顔を痰を吐きかけてそれきり絶交してしまった。

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◆井上勝之助
1861-1929 文久01-昭和04
先代馨の甥/もと井上光遠の子
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■妻 小沢正路の娘 末子 先代馨の姪 イトコ結婚
1864- 元治01-

ドイツにて
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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

当時の外交官夫人中主人の名を成さしめる上に力のあった者は
内田康哉伯爵夫人・本野一郎子爵夫人・加藤高明伯爵夫人の三夫人で
いずれもその能力は主人を凌いでいたが、
井上夫人もまた十二分にその能力を発揮したため主人の勝之助氏は巾幗公使とさえ言われた。
そのうえ末子夫人は大のヒステリー患者で権力も強大であったから
若い頃の勝之助氏はこれを乗りこなすのに非常に骨が折れたということである。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正09年05月24日

倉富&宮内官僚酒巻芳男の会話

倉富◆井上勝之助の病状を問う。
酒巻◆肺炎は既に良く、肛門の方も大概よろしき由なり。
倉富◆肛門と感冒とは別事なるべし
酒巻◆肛門もやはり感冒より来りたるものにて、感冒よりその症を起こすこと多き由なり。


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◆井上三郎
1887-1959 明治20-昭和34
もと桂太郎公爵の子 婿養子になる


■妻 先々代馨の娘 千代子
1899- 明治32-


左から 千代子の夫三郎 勝之助の妻末子 千代子 勝之助
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●光貞 次代当主
●元勝
●元広
●武子





◆井上光貞
1918- 大正06-


■妻 二荒芳徳伯爵の娘 明子
1923-


●光順
●君子
●雅子
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by oMUGIo | 2005-04-16 00:00 | 勲功華族
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