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伊藤博文公爵家 政治家 その1

東京本邸 荏原郡大井町 (現:品川区大井)


◆伊藤博文 総理大臣
1841-1909 天保12-明治42 68歳没
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■前妻 士族入江嘉伝次の娘 スミコ 離婚


■後妻 下関の芸者小梅/梅子
1848-1924 嘉永01-大正13 76歳没
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梅子夫人と娘生子
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●後妻の子 生子 外交官西源四郎の前妻離婚・末松謙澄子爵と再婚
●愛人の子 朝子 外交官西源四郎の後妻
●愛人の子 文吉 伊藤文吉男爵となる 桂太郎侯爵の娘寿満子と結婚
●愛人の子 真一 
●愛人の子 沢子 官僚大竹虎雄夫人


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萬朝報 明治31年07月13日

公爵伊藤博文の猟色談はあえて珍しからず
世間に知られたる事実もまたはなはだ多しといえども、
ここに記する事実のごときはけだし珍中の珍 秘中の秘たるべし。

芝区伊皿子町に田村半助なる男あり。古くより土木請負のために公爵家に出入りする者なるが、
その縁故により同人の長女喜勢子はかつて公爵の妾となりて
非常の寵を受け麻布長坂町に壮麗なる邸宅を新築しもらいてそこに住みいたるが、
喜勢子はふと病気にかかりてさる26年にこの世を去りしかば公爵は非常に落胆したれども、
その次の妹なるツネコという美人を手に入れ喜勢子のことを打ち忘るるまでに喜びいたるが、
このツネコもまた昨年12月に19を一期として死去せしかば
公爵はまたまた非常に落胆したれども、なおその次の雪子とて本年16なる美人のあるに力を得、
前例によって雪子を手に入れんと欲しそのことを半助に語り出でたるに、
姉娘の二人まで早逝せしことのなんとなく気がかりなるより今回は容易にお請けせず、
本人の雪子もまた深く怖じ恐れて承諾する模様なきより、
公爵はいっそうにいらだちて是非ともその望みを達せんと欲し、
さる05月16日に執行したる姉二人の追福法会の際には莫大の金品を与えるなど
半助に種々恩を着せたるうえ出入りの者9までを使い手を替え人を替えて交渉中なれども、
先月あたりまではいまだ話のまとまらざる様子なりしが、
元来半助一家は公爵家のために今日の生活を成しいる次第なれば、
今頃は早や話のまとまりしやもしれず、これも分かり次第に報道することとせん。


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

山縣有朋公爵の第一夫人は友子、第二夫人は貞子であったが、
友子夫人を迎える前猛烈な恋の奴隷となったことがある。
相手は松陰門下の野村和作の妹で名をスミコと言った。
この娘に山縣公爵がぞっこん惚れ込んで、
刀にかけても宿の女房にもらい受けずにおくものかと大変な熱度でせっせと足を運ばせたが、
この道には案外臆病であった山縣公爵はどうしてもそれを打ち明けるだけの勇気がなく、
ぐずぐずしているうちに横合いから伊藤博文公爵が飛び出してまんまとスミコを寝取ってしまった
伊藤公爵は初めからスミコを恋したのではなく
山縣公爵に鼻を明かせてやろうという悪戯からやったのだから、
一旦はスミコと結婚したが間もなくこれを離縁した。罪なことをしたものである。


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『明治大臣の夫人』  明治36年出版

今でこそ公爵の令夫人として上流社会に知られておるが、素を洗えば河竹のの流れの身、
ようやくほころび初めた二八の春に根引きせられた雛妓上がり、
それがあのように出世したのかと思えば夫の牡丹公ばかりが異数の出世とも言われない。
以前勤めの身であった折には高杉晋作なぞが悪強いに
雛妓姿のあられもなく一升酒をあおったこともあったが
その後大酒だけは止めたかれど今なおポートワインを嗜んでおるそうである。
ある時夫の伊藤公爵は夫人に向かって
「あまり酒を飲むのは身体のためによろしくないゆえ少し止めたらよかろう」と忠告した。
すると夫人は笑いながら「あなたが煙草をお止めになったら、私も一緒に止めます」
と伊藤公爵が煙草好きのところへつけ込んで答えたので、
伊藤公爵も自分だけは煙草を喫むが夫人にはいけぬとも言いかね、
かえってヤブヘビの失策をなされたということである。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年02月23日

倉富&李垠王付事務官高義敬の台詞

高◆先年梅子未亡人より大磯の滄浪閣を李垠王に献上したしとの内意あり。
梅子未亡人は東京に移住する希望あり。
7,8万円もあればよろしく10万円ならば充分なりとの事なりしが、その後24,5万円との話もあり。
梅子未亡人の真意わかりかね、
李王家の御典医小山善をして大磯に行きたる時これを問わしめたるに、
梅子未亡人は10万円ならば充分なりと言い、末松未亡人〔娘の生子〕大磯に行きおり、
これも梅子未亡人と同様の考えなりし由なり。
倉富◆梅子未亡人は李垠王に縁故ある所なるゆえ無代にても献上したき素志にて、
家屋はもちろん器具等も一切そのままに献上したしと言いおる様に聞きおれり。


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倉富日記 大正10年03月25日

倉富&高義敬の台詞

高◆伊藤家所有の大磯別邸を李垠王に譲る事は10万円を出せば充分との事なりしが、
近日に至り10万円にては不足なりとの事にて12万円とか15万円とかいう話があり。
倉富◆10万円にて不足とは何人より言い出したる事なりや。
梅子未亡人が「大磯に居りては老人にて心細きゆえ東京に移住したし。
東京に住居を構える費用としてその入用の金を得たし。10万円ならば充分」との事なりしなり。
高◆初めはそのつもりの様に聞きおりたるも、
未亡人は末松の邸内に住居を作り末松未亡人が奉養する事とし、
その住居は末松の所有となるにつき建築費も末松より出す事となり、
李王家より出す金は未亡人の方には入用なき事となりたる由なり。妙な事になりたりと言う。


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倉富日記 大正10年09月22日

倉富&李垠王付典医小山善の会話

倉富◆梅子未亡人は既に東京に転居したりや。
小山◆大磯の滄浪閣は朽腐したる所多く雨漏り多きにつき、
梅子未亡人は速やかに東京に移住する事を望みおれども、
末松家邸内に建築しおる所はいまだ竣成せず。住する所なきゆえいまだ決定せず。
倉富◆差向き末松の家に住してよろしきにあらずや。
小山◆末松の方にても近日謙澄の一周祭を行うゆえ同居しがたしと言い困りおる所なり。
倉富◆只今の話の如く滄浪閣を引き受けらるれば
修繕費を要する事を少なからざるゆえ含みおきくれよ。


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倉富日記 大正12年10月24日

高義敬の台詞

〔関東大震災直後〕大磯の滄浪閣は到底修繕できず。
自分が行って見たる所にてはすぐに倒家を片づけざれば不体裁なり。
李垠王の東京本邸の修繕には9万円を要する物と6万円を要する物との2様の設計あり。
〔資金を滄浪閣に回す事は難しい〕


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◆伊藤博邦
1870-1931 明治03-昭和06 61歳没
井上馨の甥/もと井上光遠の子 
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■妻 易者高島嘉右衛門の娘 多満子
1881-1927 明治14-昭和02
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●博精  次代当主
●博春  清水博春男爵となる
●博通  瀧川儀作の娘美津と結婚
●琴子  早逝
●博約
●愛子  永富謙一夫人
●博臣
●博則  林博則となる
●博経
●十四子 鹽原祥三夫人
●博孝  横山昭子と結婚
●博英  岡根英子と結婚


立つ左から 博邦 博文
座る左から 多満子夫人 朝子 梅子夫人 生子  
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椅子左から 多満子夫人 山縣有朋 梅子夫人 博文 生子 
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立つ左から 文吉 博精 末松謙澄子爵 真一
座る左から 生子 梅子夫人 博文 たま子夫人
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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

伊藤博邦公爵は井上勝之助侯爵の実弟で、
勇吉〔伊藤家の養子になる前の名前〕時代には放蕩無類の不良少年であったそうだ。
花柳の巷に入り浸って芸妓を身請けして妾にしたこともあれば、
情夫となって女の家に入り浸り長火鉢の前に朝風呂丹前をきめ込んだこともある。
勇さんの名は花柳社会の流行語ごなり、また遊冶郎の代名詞ともなった。

高島嘉右衛門の娘を迎えて正妻に直し式部次長に進んでからは少しは素行も改まったが、
いわゆる秦淮の風・鄭衛の音は天性の好物であるから
時としては秘かに自然主義の実行者となり、博邦の名は依然として美人の間に名高かった。
博邦公爵が宮内省に初めて職を奉じた当時栗原広太・桂潜太郎の二人がいて、
これに博邦を加え宮内省の三道楽者と言った。

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◆伊藤博精
1899-1962 明治32-昭和37 63歳没


■妻 高橋是福の娘 福子 総理大臣高橋是清の孫
1904-1992 明治37-平成04 88歳没


●博雅
●邦子
●雪子
●文子
●典子
●久子





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伊藤博文の妾 祇園の芸妓 江良加代
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西園寺公望→木戸孝允→伊藤博文→最後は財閥三井高辰の妾として幸せな生涯を終えた
時の権力者に次々と愛された芸妓。

木戸孝允の妾であったが、木戸の急死により好色な伊藤博文が手を出した。
しかし伊藤は今までの旦那達のようにお加代に贅沢をさせなかったので、
お加代の方からフラれて去られてしまった。
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by oMUGIo | 2005-01-03 00:00 | 勲功華族
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