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大木喬任伯爵家 政治家

◆大木喬任
1832-1899 天保03-明治32 67歳没
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■妻 


●生母不明 豊子 資産家金谷金之助夫人
●生母不明 遠吉 次代当主
●生母不明 達子 実業家日下義雄夫人
●愛人の子 艶子 俳人


●豊子 資産家金谷金之助夫人
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●達子 実業家日下義雄夫人
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萬朝報 明治31年08月01日

伯爵大木喬任は有名の蓄財家にして、
日常の買物すら自ら台所に到りていちいち品物をあらため値段の談判までなして買入れ、
あまつさえ代価は先月の分を今月の末に支払うをもって例とし、
家風を知らぬ出入り商人はおうおう迷惑することあり。

伯爵はまた非常の好色家にして、
かほどの倹約家に似合わず女のためには思わざる金を失いて後悔することしばしばあり。
近所の細民中には金に困りたる時わざと女房や娘をお手伝いと称して屋敷に到らしめ、
上手く伯爵の機嫌を取らしめ一夜のお伽料若干を得て帰り、
これをもって一種の融通法となしおる者さえあり。

伯爵もまた少しも恥ずることなく平気に獣行をたくましくして金銭を与えつつあるが、
伯爵には自分の子に等しきキノ(26)という妾あり。
キノは麹町にて魚屋をなしいたる若山某の娘にて、
その母小金セキは芝区太左衛門に往し素人下宿を営めり。
その妹セキ(19)は常磐津の弟子にて若喜勢といい このほど御披露目をなししが、
セキもまた姉の縁にて伯爵邸へ出入りしいるうちついに伯爵の情を受け準妾となれり。
その妹のタミももはや16歳なれば、遠からず姉二人の例にならいて伯爵の準妾となるべし。

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◆大木遠吉
1871-1926 明治04-大正15 54歳没
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■妻 伊達宗敦男爵の娘 幸子
1880- 明治13-
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●伸子 婿養子を迎え次代当主とする
●二女
●三女
●四女
●五女


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『名士文士貴婦人すっぱぬき』  大正06年出版

伯爵の若様達の間に先年一紛争が起こったことがある。
問題は赤坂の美形林家おきんの奪い合い事件で、
最初伊達という華族様が三河屋でおきんに可愛がられているのを見た大木遠吉伯爵が
ムラムラと例の野心を起こし「おい、おきんちょっと来い」と別室の電燈を暗くしてからは、
おきんは大木の殿様の肩を怒らせて歩く姿が勇ましくて気に入ったと
一時はアツアツのおでんよろしくの仲となっていたところ、
好事魔多し大木伯爵はその後坐骨神経痛で足が立たず
しばらく御無沙汰しているこの機乗ずべしとかねておきんに思し召しのあった柳原義光伯爵は
待合春の家からおきんを呼んで心意気の調子を合わせてから他人ならぬ仲となった。
おきんはそれにしても大木伯爵に気が置けるので
「柳原様、大木の旦那はどうなすったのでしょう」と聞くと、
柳原伯爵は「大木か、あれは近頃青山に美しいのを囲っているのに男の子が生まれたので
有頂天にうれしがりそちらにばかり入り浸り、おまけに千家の借銭に判をしたので
7000円を失くしたから取り戻そうと相場に手を出し、
お前のことなどはとうに忘れてしまっているよ」と言うに、
おきんも合点しそれからは私の好きなは柳原様ばかりとしなだれかかるので
柳原伯爵もグンニャリとなり毎日毎日会っている。
それを聞いた大木伯爵は烈火のように怒り、
「友人の所有権を侵すとはもっての他。このままでは済ませぬ。
以後の戒めに懲らしめてくれよう」と鉄拳を振り上げようとすれば足が利かぬ。
こは残念と芝伊皿子の柳沢邸に電話をかけると
保恵伯爵すぐさま鼻眼鏡をかけ水雷艇式の自動車を飛ばして駆けつけ、
とくと事の次第を聞いてそれは容易ならぬ公卿華族と新華族の悶着、
将軍家の血統を加えねば仲裁役に役者が足らぬと
さっそく柳橋一藤井に電話をかけて徳川厚男爵を迎え、
しきりに融和妥協に尽くしたのでようやくなんとか妥協ができたとかできなかったとやら。

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◆大木喜福
1898- 明治31-
もと慶喜系徳川厚男爵の子 婿養子になる
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■前妻 先代遠吉の娘 伸子 駆け落ち事件を起こす・離婚
1902- 明治35-
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■後妻 美穂子
1910- 明治43-


●前妻の子 吉甫


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大木遠吉には5人の娘がいたが男子がなかったため、
娘伸子に慶喜系徳川厚男爵の子喜福を婿養子に迎えた。
二人の間には息子吉甫が生まれたが、
美貌であるが気が強いと評判の伸子は押し付けられた夫喜福に反発した。
遠吉が亡くなってからは母幸子夫人までもが
伸子と共に喜福に冷淡な態度を取ったため、孤立した喜福は別居した。
そして母子はなぜか遠吉の妾の子安藤秀樹を屋敷に受け入れる。
さらに伸子はこの5歳年下の腹違いの弟秀樹と不倫して妊娠してしまい二人は駆け落ちする。
事ここに至って大木家は伸子を離婚させたうえ除籍した。
大木家に残った喜福は当主となって、のちに再婚した。
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by oMUGIo | 2005-03-15 00:00 | 勲功華族
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