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陸奥宗光伯爵家 政治家

◆陸奥宗光
1844-1897 天保15-明治30 53歳没
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*ヨーロッパに留学


■前妻 大阪の芸者<お米> 蓮子 死別
-1872 -明治05


■後妻 東京の芸者<小鈴> 亮子
1856-1900 安政03-明治33 43歳没
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●前妻の子 広吉 次代当主
●前妻の子 潤吉 古河潤吉男爵となる 未婚
●後妻の子 清子 未婚
●愛人の子 冬子 未婚


左から 亮子夫人 宗光 広吉
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『明治大臣の夫人』  明治36年出版

昔を洗えば大阪新町の花柳界で少しは顔の売れた粋者の果て、
その色香に迷い込み日毎に通うお客の中から
手練の腕によりをかけ見事生け捕ったはカミソリ大臣、
ここにめでたく泥足を洗う身となり昨日に変わった丸髷姿、
果たせるかな腹を痛めた二人のせがれ、
いずれも立身出世し第二の陸奥ができるとの世評は四方八方。
ところが才子多病美人薄命の諺が的中して、
悲しいかな夫人には産後の病気でとうとう亡くなられてしまった。

昨日までは手活の花として寵愛して措かなかった恋女房も狂風に散ってしまった後は、
持って生まれた色情の炎なかなかに消ゆべくもなくここに召し出された再度の夫人、
しかしこれも同じく粋界の出身、
その頃板垣伯爵が愛妾であった小清とともに新橋の双美と謳われたほどの優物。
もっとも元来が道楽者の陸奥伯爵、
先夫人が芸妓で次もまた芸妓であるときたはこの間の消息あに真面目なるを得べけんや。

陸奥伯爵が有名なる女好きであったことは誰もまた知っていたことだが
不思議なのは惚れた弱みか、また夫人の腕前が優っていたのか、
外へ出てはずいぶん馬鹿もした代り家にいる時は鴛鴦も羨むほどの厚い伉儷、
こればかりは陸奥伯爵の性行中特筆大書すべき異例である。

陸奥伯爵は何を申すも人情にはごく冷淡酷薄で、
眼中には絶えて一滴の涙をも持たぬ性質であった。
この冷情な陸奥伯爵がある時都筑馨六男爵を評して、
「人も馨六のように軽薄では仕方がない。今少し人情を斟酌するようでなくては」
そばに沈黙していた夫人は陸奥伯爵の顔を見つめたかと思うと、
「そう仰せられるあなたはどうです。藪を突いて蛇を出すとはこんなことでございませぬか」
と言われた陸奥伯爵、再び何の言葉もなかったとか。

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◆陸奥広吉
1869- 明治02-

*英ケンブリッジ大学に留学
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■妻 イギリス人エセル/磯子
1868- 明治01-
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*エセルは広吉が留学していた時の下宿先の娘。
結婚の約束をするが父宗光に反対されたため、父の死後やっと結婚できた。
出会いから17年後、広吉は37歳、エセルは38歳になっていた。


●イアン陽之助





◆イアン陽之助
1907-2002 明治40-平成14 95歳没

*イギリスに留学

*インタナシヨナル映画株式会社を創立
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■前妻 本田須賀


■後妻 祥子
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by oMUGIo | 2005-05-02 00:00 | 勲功華族
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