直球感想文 和館

2017年 更新中
by oMUGIo
カテゴリ
皇族
公家華族
武家華族
勲功華族
御家族
御一同
以前の記事

土方久元伯爵家 政治家

東京本邸 小石川区小石川林町 (現:文京区千石)
a0287992_9231095.jpg



◆土方久用
1809-1890 文化06-明治23 81歳没


■妻 神山信子 
1834-1890 天保05-明治35 56歳没


●久元 次代当主 
●玉子 東久世通敏伯爵と結婚離婚


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
玉子は二男一女をもうけたが、住込みの書生森田潔と不倫関係になり離婚。
森田と遊び回るために多額の借金を作っていたこともわかり、
元夫から刑事告訴された。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::





◆土方久元
1833-1918 天保04-大正07 84歳没
a0287992_3451959.jpg

a0287992_9231598.jpg

a0287992_1593017.jpg



■妻 田村永正の娘 亀子
1838-1899 天保09-明治32 61歳没
a0287992_9232232.jpg



●久明 次代当主


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
孫 土方与志

<久元&亀子夫妻の不和について>

祖父が80歳、私が18くらいの時だったと思う。
「わしはたった一度の見合いというものもせずにお前のお祖母さんと結婚したのだよ。
お祖母さんは綿帽子をかぶって嫁入りに来たものだった。
大変な大女なんだよ。(祖父は5尺足らずの小男だった)
帽子を取ったのを見ると、真っ黒な顔に白粉をまだらに塗り付けている」

成り上り者となった祖父は大邸宅を構え夜は花街に享楽の時を過ごすという生活を始めたのだが、
その表面的な豪華さに比べ家庭的な生活は決して幸福なものとは言えなかったようだ。
それは祖父の結婚生活の始まりからすでにきざしていたものなのだろう。
夫婦・親子の間には様々な愛情的なもつれがあったらしい。その生活は派手なものであり、
祖母は祖母で持ち前の飲酒癖が募って居間の戸棚にはいつも一升徳利が置いてあったという。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::





◆土方久明
1862-1898 文久02-明治31 36歳没

*ドイツに留学

*ピストル自殺
a0287992_9232378.jpg



■前妻 死別


■後妻 加藤泰秋子爵の娘 愛子
1877- 明治10-
a0287992_5362967.jpg



●前妻の子 綾子 実業家田中銀之助と結婚離婚
●後妻の子 久敬 次代当主 演出家土方与志


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
息子 土方与志

帰国後4年ほどして父は二度目の結婚をした。
父は36歳で母は20歳、その頃としてはすでに晩婚の方であった。
母の家は外様大名であり、祖父はいかにも旧大名らしい人物であった。
祖母は嫁入りした当時はまだ貧乏公卿であった西園寺公望の妹にあたる。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
土方与志の妻 土方梅子

土方与志の母愛子は美しい未亡人でした。三島の母が
「あんなにおきれいなのに、お一人でいらっしゃるなんて惜しいわな」とよく申していましたが、
若くて美しい姑の再婚を阻んだのは夫の自殺でした。
与志の父久明は36歳で姑の愛子と結婚しましたが、
すでに18歳の時最初の結婚によって一人娘の綾子をもうけておりました。
最初の妻は土方家へ行儀見習をかねて小間使いに来ていた酒問屋の娘でしたが、
綾子を生むと間もなく死んでしまいました。
その悲しみの中で久明はドイツへ遊学しましたが、日本を離れた原因の一つにには
祖父母の不和からくる家庭の暗さもあったものと思われます。

姑は自分が二度目の妻である事をまったく知らずに結婚したところ
自分とわずかしか年の違わない娘までがいることがわかったので大変ショックを受けたのです。
加藤家ではそのような事情を承知していたのでしょうが、
結婚する当人には知らされておりませんでした。
そんな事は当時としては珍しい事ではありませんが、
大名のお姫様として気位高く育った姑は大変プライドが傷つけられました。
もともと美しいけれどどこか冷たい印象を与える
姑は当時としては婚期を過ぎた20歳で嫁いでおりますが、
土方家へ来てから夫の過去を知りますます冷たい感じの人になって行きました。

久明は「久敬を頼む」との一言を残して、ピストルを自分のこめかみに打ち込みました。
姑はとっさに自分の袂をつかみ傷口を押えましたが、
血は吹き上げてかたわらに寝ていた生後3ヶ月の与志の上に飛び散りました。
久明の自殺は嫁の仕打ちも一つの原因だと土方家の祖母や親戚の人達が姑を責めたそうです。
自由思想の考えを持っていた伯父西園寺公望の勧めで見合いを再三いたしましたが、
自殺者の妻で会った事が大きな障害になって再婚の道は閉ざされてしまいました。
愛子の冷たい印象がさらにマイナスの要素を付け加えたと思われます。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
土方与志の妻 土方梅子

土方家に住み始めて日ならずして突き当たったのは、嫁と姑の問題でした
姑は結婚して間もなく夫に自殺されたという運命の人だったからでしょうが、
それは気難しい人でした。
気に入った人にはとてもよくしましたが気に入らないと見向きもしない人で、
私が「おはようございます」と御挨拶してもツンと横を向いておしまいになるし、
食事なども私がお運びした物は召し上がらない事があるといった調子でした。

大名のお姫様に生まれた姑から見ますと、
私の母は公卿の出ですが三島家は薩摩の下級藩士に過ぎませんから、
家風が違うという意識もあったと思います。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
土方与志の妻 土方梅子

綾子は16歳で【天下の糸平】ち呼ばれた大問屋の田中糸平の息子銀之助に嫁ぎましたが、
当時の女性には珍しい奔放な生き方をした人でした。
嫁入りしてみると愛妾がいて大きな子供まであったために、
夫がそうなら私もと役者遊びを始め先代幸四郎との遊び的な恋愛が評判となって、
子供が3人もいたのですが25歳の時に離縁になり土方家に帰されました。
その後また久元のもとへ出入りしていた人と恋愛して、久元から勘当されておりました

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::





◆土方久敬/演出家土方与志
1898-1959 明治31-昭和34 61歳没

*ヨーロッパに遊学

*与志は演出家として妻梅子は衣装デザイナーとして演劇活動に没頭、
プロレタリア演劇に傾倒して夫妻は逮捕される。
その後妻子とともにソ連に亡命、爵位を剥奪される。


■妻 三島弥太郎子爵の娘 梅子
1902-1973 明治35-昭和48 71歳没 

a0287992_9265622.jpg

与志&梅子夫妻 与志の母愛子と
a0287992_9234120.jpg

フランスにて 与志&梅子夫妻 与志の母愛子と 
a0287992_92342100.jpg
a0287992_9235131.jpg
a0287992_9235268.jpg



●敬太
●与平


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
妻 土方梅子

私達の結婚に対して親戚中で大反対でした。
「土方家の人々は素行が収まらない。たとえ今は恋愛結婚でも、泣いて帰るに違いない」
というのが反対理由でした。
祖父や父の素行などもみんなわかっておりましたので、
与志もその血を引いているに違いないと親戚中が心配して反対しました。
後で考えてみますと、やはり血を引いておりました

私達がフィアンセになれたのは、私の病気のお陰でした。
医者が私の身体は結婚したら2年ぐらいしかもたないだろうと言われたそうです。
2年しかない命ならば、あんなに「好きだ、好きだ」と言ってるんだから、
結婚させてやったらよいだろうと父が許してくれましたわけです。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
妻 土方梅子

病気療養のために外国行きが勧められている与志に、
この条件を逆手に取ってモスクワの国際革命演劇同盟の世界大会と演劇オリンピアードに
出席してほしいという話が日本プロレタリア演劇同盟から持ち込まれました。
与志はこれを承諾して
「病気療養とヨーロッパ演劇界の視察」を目的とした外国旅行の申請をしました。
華族社会では厄介者の与志が外国へ行ってくれるのは大歓迎で、
親戚達がパスポート許可の運動をしました。
外務省は早くから許可の方針でしたが、警察関係は与志を国内で逮捕したい、
またモスクワへ行くであろう事も察知して旅券の発行を妨害しました。
二人の子供達を連れて行く事、各人の自由行動は許さない、
家族全員で一通のパスポートを使用するという条件で、
ようやくパスポートを手にした時には
3日後に出航する船に乗らなければ世界大会に間に合わない状態でした。

国際オリンピアードとそれに続く会議が終了すると
各国代表はそれぞれの国へ帰って行きましたが、
私達は日本政府から禁止されたモスクワへ来てしまったのですから帰国できませんし、
ヨーロッパの国々に遊ぶ金もありません。
モスクワへ留まる事を決意した私達は、職を求めモスクワ市民として生きる手立てを講じました。
日本からは宮内省の【伯爵剥奪】の通達が届きました。
私の兄三島章道が代理として宮内省から呼び出しを受け、
その旨を書いた書類を渡されたそうです。
兄から電報で知らせた届いてその後書類が届きましたが、
私どもは来るものが来たという感じでその書類も焼き捨ててしまいました。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
[PR]
by oMUGIo | 2005-03-14 00:00 | 勲功華族
<< 大木喬任伯爵家 政治家 大山巌公爵家 政治家 >>


フォロー中のブログ
検索
記事ランキング