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有馬頼多男爵家 久留米藩系

◆有馬頼多
1876-1913
もと久留米藩主有馬頼咸の子


■最初の妻 米子
1882-


■2番目の妻 今園国映子爵の娘 智子 本人不倫で離婚・黒田直綱と再婚
1877-


■3番目の妻 菊亭脩季侯爵の娘 英子 高松実村子爵の子高松公重と結婚・有馬頼多と再婚
1881-1976 
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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正11年11月15日

有馬男爵家職員河窪敬直の台詞

継母英子と継子誉子と仲悪しく、近来に至り英子は有馬家を去りたしと言う。
英子が何事にも邪険なる事を言う。
誉子の居間には足も踏み入れず、
その居間の隣室に行くにもわざわざ屋外に出て回り道を経て行く。
英子があまり自分に皮肉なる事を言うにつき、
暇を乞うと言いたるところ誉子が行きてこれを留めたる。


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倉富日記 大正11年11月26日

河窪敬直の台詞

英子未亡人は京都に行きたいと言いたるも、
英子未亡人が転地するについては費用を要するゆえ、
有馬伯爵家職員有馬秀雄は「京都は遠きに過ぐ、沼津以東にすべし」と言いたる由。


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●生母不明 為子 熊谷千代丸夫人
●智子の子 睦子/千賀子 松岡一衛夫人
●生母不明 誉子 財閥三井高弘男爵の子新井高善夫人
●英子の子 正頼 次代当主
●生母不明 フミコ 山下繁高夫人


左 正頼   右 誉子
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倉富日記 大正09年11月21日

倉富&垂井貞の会話

垂井◆父重明存命中、有馬頼多に今園国映子爵の娘智子を媒酌す。娘千賀子を生む。
その後その操を破るためこれを去られたり。その時有馬伯爵家の韶子夫人〔頼多の母〕より
「不品行の母に生じたる娘ならばその胤明らかならず。今園家へ遣わす方よろしかるべし」
と言い、今園家にても異議なくこれを引き取りたり。
智子の母はその娘を引き取り自己の養女となしたるが、
もはやその娘は15歳となり学習院に通学しおり。頼多の娘誉子とも同学にて互いに知りおる由。
養母は近来病気にかかり長命の見込みもなく、死後に至ればその娘は今園家の厄介となり、
他に嫁するにしても肩身狭きゆえ有馬家に引き取りもらいたい。
倉富◆頼多の死後寡婦英子と当主と妹と3人あるが、いずれも親密ならず。
さらに1人を引き受ける事はよほど困難なるべし。
垂井◆智子は神経病にて大学病院に入院中医学士と私したる事ある様の話なり。
倉富◆それならば予も話を聞きおるに相違なし。


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倉富日記 大正10年02月18日 

有馬男爵家職員河窪敬直の台詞

今園国貞男爵の依頼なりとて垂井貞より交渉したるゆえ、
頼多の娘千賀子を有馬男爵家に引き取ることは、
02月09日に顧問や職員と相談の上これを引き取らざる事に決し
垂井が来りたらば顧問からその旨を答える事となるおる。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正09年11月27日

倉富&有馬男爵家職員河窪敬直の会話

河窪◆男爵三井高弘の子にて子爵家を継ぎおる牧野高善あり。
その妹学習院に通学しおり。有馬男爵家の誉子と懇意なるより、
その妹をもって牧野の嫁に誉子を貰いたき旨直接誉子に申込み
誉子は左様なる事は自分には分からざる旨を答えおるも、その実は希望ある模様なり。
人事興信所に命じて取り調べをなさしめたるところ、
この調書の通りにて格別悪しき様にも思われず。
倉富◆今日まで先方の意を通したる者は本人の妹なりとの事なるが、
左様の事にて興信所までも取り調べを託したるは非常の早計なりと思う。
もし当方より娘を売りに行くつもりならそれにてもよろしきも、
結婚は夫家より申し込みたるうえ女の方はその上にて先方の様子を取り調べ
諾否を決するが普通の事にて、申し込みがありたりとて即答すべき事にあらず。
君がこの事につき左様急ぐは予には解しがたし。
河窪◆高善の養母にあたる者は岡部長職の家より出たる者にて、
只今の当主に対しては岡部が後見の様になりおる。


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有馬日記 大正10年09月12日

倉富&有馬伯爵家の職員有馬秀雄 (有馬秀雄は有馬家の家族ではなく単なる職員)

有馬◆牧野高善は三井高弘男爵の子にて牧野の養子になりたる者なるが、
牧野の方は離縁となれり
しかるに河窪はなお誉子を高善に嫁さしめんとし自分に相談したるも、
「自分は高善が子爵なるため誉子を嫁さしむるもよろしからんと思いたるが、
離縁せられ平民となりたる上は結婚せしむる必要なし。
資産家の子なりという一事ならば他にいくらでもあり」と言い、
河窪は「誉子はすでに高善と書状の往復ぐらいは為しおる」と言いおりたり。
倉富◆予は離縁前にても先方より正式に結婚の申込を為さざるに
此方より結婚を求るが不可なりとの意見なり。
今日にても先方より何とも申し来らざるに河窪がなお誉子を嫁さしめんとするは不都合なり。


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倉富日記 大正11年11月12日

本家有馬伯爵家の顧問の一人仁田原重行子爵の台詞

三井家子弟の教育監督を掌りおる杉谷なる者あり。杉谷の妻より自分の妻に対し、
「三井高徳男爵の弟にて牧野康強子爵の養子となりおりたる高善より
誉子を貰いたい旨の交渉を為したるが、その時は拒絶せられたるも
当人は互いに知り合いの間柄もある趣にて希望もありとの事なるゆえ、
なるべくはまとまる様にありたし」との話をなし、その後杉谷が自分方に来り、
「高善が離縁となりたるは高善に不都合ありたる訳にあらず。
牧野家の負債多額にてとうてい整理の見込立たざる為なり」と言えり。杉谷の談には
「誉子の学習院にて同学したる高善の妹にて京都の白木屋に嫁しおる大村茂子あり。
誉子より茂子に書状を送り『自分は高善と同棲の時の来るのを待ちおる』旨を申し遣し、
その書状を受けたる妹より高善の兄高徳に送り来り、
高徳もその気になり高善はまとまる事ならばいつまでも待つと言いおる」由。

高善は牧野家にいる時カフェーの婦人に関係し妊娠せしめたる事ありとの事なるゆえ、
その事情を杉谷に問いたるところ、「それは事実なるが、
子供の生じたる時1000円の金を出し手を切り、
子供は間もなく死亡し婦人はどこにおるやもわからず。
この方はまったく関係ない事となりおる」と言えり。

河窪より継母英子に話したるところ自分には別段の意見なしと言い、
誉子は意見なきが「関係婦人のことがなお残りおる様にては困る」と言いたる趣なり。
誉子はこのごとき事を言いながら、書状を白木屋の妻に送りおる訳なり。
継母英子と誉子は非常に仲悪しくなり、この節は双方より悪口する様になり、
有馬秀雄も何とかして早く誉子を他に遣らざれば気の毒なりと言いおりたり。


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倉富日記 大正11年12月21日

倉富&河窪敬直の会話

河窪◆誉子が三井の新井高善に嫁する事となりたるにつき、嫁装の用意を為さざるべからず。
先年有馬伯爵家の久米子の嫁装は3900円を要したる由。
よりて誉子の分はこれを超過する事は穏やかならず。
正頼の家には余金は無きゆえ公債4000円を売却してこれに充てんとす。
倉富◆誉子を伯爵の娘と同等と為し、これを標準と取るは不同意なり。
久米子の嫁装を云々せず、これだけの金は必要なりとの計算を為す方可ならん。
正頼の家計は困難なり。その分に応ずるだけの計画を為す必要ありと思う。
河窪◆誉子は平素少しも衣類等の用意なきゆえ、この際入費多し。



倉富&仁田原重行子爵の会話

仁田原◆誉子は平素何の用意もなきゆえ金を要する事少なからず。
有馬秀雄と相談したる所にては、5000円ぐらいを限度とする必要ある様なり。
もっとも5000円は公債の額面にて、これを売却して得る所は4000円余なり。
倉富◆5000円は正頼の家の1年の収入金額に近し。
誉子の嫁装の為に1年の収入金額に近きものを費すは穏やかならざるべし。
仁田原◆この際は急を要する物のみを調製し、
差向きの費用は3500円を限度とする事にてよろしからん。


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◆有馬正頼
1903-1947


■妻 水野忠亮子爵の娘 明子
1909-1946 


●邦頼
●永頼
●久頼


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倉富日記 大正08年01月06日

有馬男爵家職員河窪敬直の台詞

有馬正頼の学業不勉強のことは昨年12月の相談会の時話しおきたる通りなるが、
その時の決定により元田作之進〔立教大学校長〕より正頼に懇に説諭したる末、
正頼も今後勉強する旨を誓いたり。
しかれども今年の卒業は出来がたかるべき旨、元田より話したり。


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倉富日記 大正08年09月29日

立教大学校長元田作之進の台詞

有馬正頼が乱暴にて、他の学生を殴打する様の事あり。
学校に置きがたきゆえ、転学せしむるつもりなり。


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倉富日記 大正11年03月21日

河窪敬直の台詞

正頼は「倉富より何か談するとの事なるが、自分が言い伏せてやる」と言いおる。

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倉富日記 大正13年06月12日

有馬伯爵家職員有馬秀雄の台詞

正頼は塀を越えて帰りたる事もある趣なり。洋行中の軍人の妻に通じたる話もあり。

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by oMUGIo | 2004-12-11 00:00 | 武家華族
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