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芳川顕正伯爵家 政治家

◆芳川顕正
1842-1920 天保12-大正09 77歳没
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■妻 士族川井久中の娘 サダコ
1856-1923 安政03-大正12 67歳没
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●実子 シン 出戻り
●実子 セイ 出戻り
●実子 トミ 財閥藤田平太郎男爵夫人
●庶子 鎌子 婿養子を迎え次代当主とする 心中事件を起こす


●トミ 財閥藤田平太郎男爵夫人
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萬朝報 明治31年09月04日

伯爵芳川顕正は自邸に芸妓上がりの伊藤初子(27)という美妾を畜え、
頃日相携えて塩原の松風楼に遊べり。

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◆芳川寛治
1882- 明治15-
もと曾根荒助子爵の子 婿養子になる
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■妻 先代寛治の娘 鎌子 心中事件を起こす
1891-1922 明治24-大正10 31歳没
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●明子 三室戸敬光子爵の子 三光を婿養子に迎える


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芳川顕正には4人の娘があったが、3人が本妻の子、四女鎌子だけが妾の子であった。
顕正は鎌子を溺愛しており、鎌子に婿養子寛治を迎えた。
二人の間には長女明子が生まれたが、もともと寛治は名だたる放蕩児で、
茶屋遊びはひどくなるばかりで妾も囲い始めた。
さらに嫁いだ三人の姉のうち、長女と二女が離婚して実家に戻ってきた。
鎌子夫妻が跡継ぎになっていることがおもしろくない姉たちと母親が結託して確執が始まる。

鎌子は楚々とした大和撫子タイプではなく、自信に満ちた美人タイプだった。
鬱陶しい家や夫の放置から鎌子も買物や観劇など外に遊びに出るようになる。
そのたびに同行していたのが運転手の倉持陸助である。
倉持は勉強家で実直な好男子であった。
鎌子は無理矢理倉持に服や靴を買ってやり、お茶や食事に誘うようになった。
精養軒で食事をしていたのを見て夫婦だと思っていた人もいた。

そのうち二人は深い仲になる。
二人の関係は芳川家の知るところとなり、倉持は解雇、鎌子は監禁された。
身分違いは承知している。
二人はこの世で結ばれないならば、あの世で結ばれようと思い詰めるようになった。
どうにか屋敷を抜け出した鎌子は倉持と落ちあい、死に場所を求めて千葉に向かった。

二人は線路から列車に飛び込んだ。
鎌子は頭を打ち重体、倉持は軽傷だった。
倉持は「奥さん、あなた一人を殺しはしません。私も必ず死にます」
と叫んで短刀でのどをついて絶命した。

生き残ってしまった鎌子は夫と離婚して実家からも除籍され、鎌倉にある芳川家の別荘に送られた。
この別荘の運転手を担当したのが出澤佐太郎であった。
罪人のような生活を強いられて孤独に耐え切れなくなった鎌子は出澤と再度駆け落ちする。
世間は二度も運転手と駆け落ちした鎌子に呆れ果てた。
ただし、今回鎌子はもう平民である。結局二人は世間から隠れるように一緒になった。
父顕正が亡くなった際も、連絡もなければ葬儀に参列することも許されなかった。
鎌子はだんだんと生きる希望を失っていった。
心中未遂事件から5年後、鎌子は佐太郎母子のもとで息をひきとった。
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by oMUGIo | 2005-04-01 00:00 | 勲功華族
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