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後藤象二郎伯爵家 政治家

◆後藤象二郎
1938-1897 天保09-明治30 59歳没
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■前妻 士族寺田左右馬の娘 磯子


■後妻 雪子 芸者<小仲>
1847-1918 弘化04-大正07 71歳没
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●前妻の子 猛太郎 次代当主
●前妻の子 早苗  財閥岩崎弥之助男爵夫人
●前妻の子 小苗  政治家大江卓夫人
●後妻の子 五十子 士族成富公三郎夫人
●後妻の子 延子  長与称吉男爵夫人
●後妻の子 六弥
●後妻の子 木末  技師若山鉉吉夫人


●早苗  財閥岩崎弥之助男爵夫人
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『明治大臣の夫人』  明治36年出版

後藤伯爵の未亡人がその昔を洗ってみれば、三本木某楼の芸妓で
容姿端麗・才気侠慧・艶名久しく教坊に冠たりとでも評したいぐらいなかなかの美人であった。
当時芸名は小仲と言って後藤伯爵が久しき間のおなじみ、
後藤伯爵のために身請けされ改めて正室となった今の伯爵夫人すなわちこれである。

後藤伯爵は豪放大胆な男であったにも似合わず地震を恐れること一通りでなく
通常人が覚られないごく些少の微震でも後藤伯爵は顔色を変えて屋外に飛び出すという始末、
いつも家人の笑いを受けるのである。
右の訳で後藤伯爵の寝室は平屋に造り建て、決して二階建ての家には休まなかった。
ある時天にわかに曇り雷鳴しきりに今にも洪雨をもよおしたので、
夫人は一室に閉じこもり線香を立てて例のクワバラクラバラをやっていると、
後藤伯爵はその部屋に入って
「何だ雷が怖って、意気地のない奴だ。そんなことで俺の妻になれるかい」と叱り飛ばした。
やがて4,5日経つとほんの小さい地震が申し訳みたように動くと、
後藤伯爵とたちまち寝巻のまま床を出て裸足で庭に逃げ出したが、
その狼狽加減さと言ったらお話しようもなかった。
後藤伯爵は足を洗い元の部屋へ帰ってきた時、
夫人はかねての仇ここぞと思って「あなた、これしきな地震は下女たりとも驚きません。
まして当代の偉人とも言われる御身が裸足で駆け出すとは何のことでしょう。
そんな弱虫で私の夫になれますか」と一本打ち込んだので、
さすがの後藤伯爵も苦笑いしながら
「俺もきっとそう来るだろうと思っていた」とは、この幕なかなかの大出来であった。


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大隈重信侯爵

後藤象二郎も自分一個の財政上から甚だしく困難した。
借金で外国人からも内国人からも訴えられるという始末で
後藤に不似合いな大規模な石炭鉱なんかに手をだしたからますます傷を大きくした。
窮迫もはや免るるに道なく放っておけば借金のために切腹でもしなければならぬ仕誼となった。
福沢諭吉は後藤と友人であったから「このまま放っておけば後藤は死ぬる。
三菱の弥之助は後藤の娘の婿である。これを救うには三菱に奮発してもらわんといかぬ」と言う。
そこでたびたび岩崎弥太郎に談判したが、三菱は後藤とも板垣とも大衝突をしていたし、
それまでの後藤らがだいぶ運動費やら何やらでせびっていたとみえて、
弥太郎一向に受け付けぬのみか大いに怒って親類づきあいもせぬと言う。
弥之助も義父の窮迫を見るにしのびずたびたび兄を説得したが弥太郎それでも承知せぬ。
そこで我輩が仲介に立つと弥太郎しぶしぶ少し出すから、
もっとうんと出せと我輩大いに力んで見せた。それでも弥太郎かれこれ言うから、
後藤の持っていた高島の鉱山を100万円で買ってやれという訳で、
これで後藤の負債を消却して整理をつけ2,30万の生活費としての余裕をも残した。
この福沢の熱心な救済策によって、
一敗地に塗れていた後藤はようやく救われて蘇生したんである。


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◆後藤猛太郎
1863-1913 文久03-大正02 50歳没

*日活の前身である『日本活動フィルム会社』を創立
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■妻 大湊惣太郎の娘 ヨイコ
1870- 明治03-


●生母不明 ナオコ 雨宮良孝夫人
●愛人の子 保弥太 次代当主
●生母不明 良輔
●生母不明 三郎
●生母不明 孝子  伊勢重夫人
●生母不明 紫郎  川添紫郎となる





◆後藤保弥太
1896- 明治29-


■前妻 花岡出来輔の娘 貞子 離婚
1902- 明治35-


■後妻 京都の名家出身でバツイチの幸子 離婚


●前妻の子 省三 次代当主





◆後藤省三
1923- 大正12-

*先代保弥太の頃から経済的に困窮し、爵位を返上する





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※当時の総理大臣の年給は1万2000円

後藤象二郎は放蕩を重ねる嫡男猛太郎を勘当した。
象二郎志望の前年に勘当を解かれた猛太郎は日本活動フィルム会社を経営したりするが、
放蕩は止まず、亡くなった時には4人の愛人と28万円の借金を遺した。

次代当主保弥太はアメリカの大学を卒業後帰国、
新橋の花柳界で<後藤の若様>と呼ばれ父親に負けぬ放蕩をした。
象二郎の娘早苗が財閥岩崎弥之助男爵に嫁いでいた関係から
岩崎財閥は保弥太に25万円を援助したが、保弥太はこれを半年で使い切ってしまう。

前妻貞子は保弥太に愛想をつかして、書生と一緒になって家を出て行く。
保弥太は財産目当てで京都の名家のバツイチの幸子と再婚するが、
保弥太の浪費のために幸子はピアノを処分するなど嫁入り道具がどんどん金に消えていった。
そこで幸子もジャズバンドの外国人男性と一緒になって家を出て行く。

保弥太は一攫千金を求めてフィリピン・満州などを流転、昭和12年に死亡する。
次代当主省三は爵位を返上した。
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by oMUGIo | 2005-03-08 00:00 | 勲功華族
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