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by oMUGIo
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四条侯爵家 羽林家

◆四条隆生
1792-1857 寛政04-安政04 65歳没
もと公家醍醐輝久の子


●隆美 次代当主
●隆謌 次々代当主
●隆平 四条隆平男爵となる 広幡基豊の娘繁子と結婚





◆四条隆美
1815-1834 文化12-天保05 19歳没





◆四条隆謌
1828-1898 文政11-明治31 70歳没
先代隆美の弟
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■前妻 福岡藩主黒田長溥の娘 銈子 別居・死別


■後妻 中井春子 正妻の死亡後、妾であった芸者春子を後妻にする
1858-1906 安政05-明治39 48歳没 
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●弟隆平の庶子 実輝  一条実輝公爵となる
●春子の子    加根子 三島弥太郎子爵夫人
●愛人の子    十郎  ピストル自殺
●春子の子    隆愛  次代当主


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加根子の娘 阪谷寿子 三島弥太郎子爵令嬢/阪谷希一子爵夫人

私の母方の祖母上は春子といい京都の士族で中井好馬という方の娘ですが、
何かの事情で半玉として勤めに出されたばかりの時に
祖父上が落籍せて妾として囲われたということです。
大阪時代に幼い母上が女の人に抱かれている写真があるのですが、
私が母上にこの女の人は誰かと伺ったら「それは私のお母さんだ」と言われるので、
「でも四条の祖母上とは違う方ではありませんか」と反問したところ、
祖父上の本妻の方だとの答えでした。
この本妻は黒田侯爵の息女で祖父上のもとにお輿入れされたのですが、
あまりに嫉妬心が激しく今で言うヒステリーになられたため
祖父上が辟易してしまわれたのだそうです。
それで大阪鎮守台長官から名古屋鎮守台長官に転補された時に
この本妻の方はそのまま大阪に置いていかれ、
お気の毒なことに大阪で亡くなられたのだそうです。


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加根子の娘 阪谷寿子 三島弥太郎子爵令嬢/阪谷希一子爵夫人

一条の伯父様〔一条実輝〕は本当は祖父上〔四条隆謌〕のお子さんではなく、
弟の隆平さんが部屋住み時代にある女の人に産ませたお子さんなのですが、
祖父上が自分の子とされ成人してから一条家へ養子にやられたのです。

祖父上のお子さんが全部で何人あったのか私はよく知りませんが、
母上のお話では一番上の女の方が飛鳥井家に嫁がれた他、
スエコ・ミツコというお方もおられたようです。
春子祖母上は本妻になられた後、十郎さんの母である【さえ】という人や、
その他祖父上のお手付の女中などが何人かいたようですが、
その人たちをしっかり抑えておられたといいます。
この十郎というお方は
祖父上から学校が出来ないと言って叱られたのを苦にして自殺されたのですが、
世間では祖母上が実子の隆愛叔父様を跡取りにしたいため
庶子の十郎叔父様をいじめ殺したのだと噂したようです。


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四条隆愛の妻 糸子/徳川慶喜の娘

隆謌様が京都をお落ちになって〔七卿落ち〕
九州の黒田様に御身をお寄せになっていらした時、
黒田様のお姫様の銈子様にお見初められになったのです。
女のように美しいお公卿さんに心をお魅かれになったのね。
銈子様は奥平様に御縁付きになったのですが、
御不縁になってお里にお帰りになっていらしたのです。
そう申してはなんですが、お色が黒く御器量のお悪いお姫様で、
お年もちょっとお上でいらしたそうです。
しかしお世話様になっていらした黒田様から是非もらってくれとおっしゃられれば
嫌とは言えず御祝言をあそばし、京都へ連れてお帰りになったのです。
御維新になってからも、よほど銈子様をお嫌いになったらしく
別の邸に表の人と奥女中をつけて大切にはお住まわせにはなったけれど、
御自分はちっともお訪ねにならず、京都や大阪での御道楽は大変だったそうです。
お気の毒様に毎日おむずかっていらしたそうですが、とうとうお患いになってお隠れたの。
お隠れても隆謌様はお出でなく、黒田様のお手で御葬送をお済ませ申し上げ、
御墓所も黒田様の方へ御埋葬申し上げました。


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四条隆愛の娘 富士子/大河内輝信子爵夫人

祖母〔春子〕はこんなにしっかりしていても時にははしたないことがあるらしく、
母〔将軍徳川慶喜の娘糸子〕が徳川から嫁に来ているのに当てこすって、
「京都の家にはたくさんの蔵書がありましたが、みんな徳川はんに焼かれましたんえ
と言ったので母は切ない思いをしたそうだ。

私はこの祖母が正妻になった時の宮内省の許可の書付を見て笑った。
立派な字で「妾春子を正妻にする事を許す」と書いてある。
公文書にこんな言葉を書いたものかと驚いた。


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四条隆愛の娘 富士子/大河内輝信子爵夫人

ある時女中が風呂場で転んだと聞き祖父が飛んで行った。
女中が転んだぐらいでなんであんなに慌てるのかと祖父が不思議に思ったらば、
その女中が身ごもっていた。
祖母はちっとも気がつかなかったと悔しがって母に話したそうだ。
その女中が産んだのが十郎伯父だから憎しみがあったのも当然であろう。
十郎伯父は母親からは疎まれたが、私の父隆愛とは仲の良い兄弟であった。
十郎伯父は弟の隆愛に四条家を継がせた方が円満に行くと思い、
学習院の高等科に在学中寮の自室で演習用の銃で自らの命を絶ってしまった

私が大河内に嫁いでから大河内の父〔大河内輝耕子爵〕が
十郎伯父と大変に親しかったそうで、
「寮に入っている人はみな地方に家庭のある人でした。
十郎さんの御家は東京でしかも学習院と目と鼻の先の麹町に御両親がいらしたのだから
何か訳があるのだろうと思っていました。
十郎さんは身体が大きくて運動が万能で高等科の人気者でした。
寮の部屋で自殺なさった時は大変な騒ぎでした」


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◆四条隆愛
1880-1938 明治13-昭和13 58歳没
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■妻 将軍徳川慶喜の娘 糸子
1883- 明治16-
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●隆徳  次代当主
●富士子 大河内輝信子爵夫人 イトコ結婚





◆四条隆徳
1907-1977 明治40-昭和52 70歳没


■妻 実業家河井新耳の娘
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by oMUGIo | 2002-04-02 00:00 | 公家華族
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