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渋沢子爵家 財閥 その2

渋沢栄一は妾・庶子多数で、公表されている実子・庶子だけで10人にのぼる。
そこで渋沢家では実子だけに限る「同族会」なる家族会議を月1回開いていた。


●前妻の子 歌子  穂積陳重男爵夫人
●前妻の子 琴子  阪谷芳郎子爵夫人
●愛人の子 フミコ 実業家尾高次郎夫人
●前妻の子 篤二  嫡男であったが廃嫡される 
●愛人の子 テルコ 実業家大川平三郎夫人
●後妻の子 武之助 福原有信の娘美枝と結婚
●後妻の子 正雄  妻は池田勝吉男爵の娘鄰子
●後妻の子 愛子  銀行家明石照男夫人
●後妻の子 秀雄  竹田政智の娘タケコと結婚
●愛人の子 重三郎 銀行家長谷川重三郎となる


左から 琴子 歌子の夫穂積陳重男爵 歌子
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左から 秀雄 正雄 武之助
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●歌子 穂積陳重男爵夫人
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●琴子 阪谷芳郎子爵夫人
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渋沢栄一の孫/渋沢秀雄の娘 渋沢華子の手記

先妻の娘二人〔歌子と琴子〕はインテリで格式高い。おまけにその夫たちは華族である。
いつも彼女たちは仇討ち寸前のような険しい表情をしていた。
無言のまま一瞬じろりと睨む四つの眼が子供の私には恐ろしかった。
栄一を父に持つ彼女たちの過剰なプライドは
鉄の裃のように肩にのしかかっているように見えた。

それに比して篤二はいつも笑顔で子供たちに接してくれた。
理由もなくその温かさが伝わってくるような伯父だった。
篤二は本来蒲柳の質で過保護に育ったうえ10歳の時に母に死なれたあと、
厳格な姉の管理下で嫡男のプライドを持たされて育った。
リベラルな彼にとって、父栄一の大きな存在はプレッシャーとなっていた。
篤二はますます家族の重圧から逃れようとするようになった。

篤二の妻敦子は夫の道楽で苦労を背負いすぎて背が縮んでしまったのかと思うほど、
小さな華奢な女性だった。私たち子供にも控え目な優しい伯母だった。
しかし篤二は芸者に惚れてその賢夫人を離婚すると言い出した
二人の姉たちはお家の一大事と同族会の席上で号泣した。
栄一もこの強い娘たちの手前、芸者を正妻にするのは人倫にもとると篤二の廃嫡を決めた。

そのころ高校生だった私の父秀雄は次兄武之助と異母兄篤二の隠れ家を訪ねた。
当の本人は大きな邸に猟犬を飼い、愛人と何不自由なく趣味人として暮らしている。
秀雄は「廃嫡とは良いもの」と羨ましく思ったと言う。

このあと篤二は写真・狩猟・猟犬など多趣味人となり、狂歌などにも興味を持って行った。
後に彼の義太夫の語りはプロ級にまでなった。


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渋沢栄一の孫/渋沢正雄の娘 鮫島純子/鮫島員重男爵夫人

〔前妻〕千代は惜しくも明治15年病没、栄一は翌年後妻の兼子と結婚しました。
長女歌子はすでに穂積陳重と結婚していましたが、
長男の篤二はまだ母恋しさの残る10歳でした。
姉夫婦が養育を引き受け穂積家で育てられた篤二は
栄一の嫡男として大きすぎる期待を背負い、
父親の社会的威光を避けようとする気持ちがあったのかもしれません。
跡継ぎとして不適格だと廃嫡の宣告を受けても、かえって気楽でなによりといった風情で
抵抗なく栄一の意思に従ったと聞いております。
まだ若い息子の敬三に家督を譲った篤二は、写真・狩猟を好み、
義太夫・常磐津・新内は玄人はだし、川柳などもたしなむ文化人であったそうです。

飛鳥山で開かれる園遊会の時など当時珍しい舶来のカメラを首から下げて、
チョロチョロ動き回る私たちをニコニコしながら撮影して
「ヨシッ」と満足げにOKサインを出したりする
人の好い穏やかな伯父様という印象がございます。

「長幼序あり」で、先妻組の娘たちには「穂積のおあねえさん」「阪谷のおあねえさん」
と呼んで一目置く風で打ち解けるといった雰囲気ではありませんでしたが、
後妻組のきょうだいは武兄ちゃん・正ちゃん・秀ちゃん・愛ちゃんと、
いつまでも幼い時の呼び名で呼び合い楽しそうでした。


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渋沢栄一の孫/渋沢篤二の子 渋沢敬三

私が中学2,3年の時分、
私の母はそういうふうになった状態〔夫篤二の廃嫡〕を大変申し訳なく思い、
かつ大きな家に住むのを済まぬとして東京都内の諸所方々を転々と移りながら、
一意私たち兄弟三人の成長を見守っておりました。


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●渋沢栄一の孫/渋沢秀雄の娘
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by oMUGIo | 2005-12-04 00:00 | 勲功華族
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