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松方正義公爵家 政治家 その1

東京本邸 芝区三田 (現:港区三田) 1万坪
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神奈川県富岡別荘 400坪

鎌倉鶴岡八万別荘 【鶴陽荘】 4,000坪・建物400坪

兵庫県御影別荘 【松影荘】 700坪

熱海別荘 【水月荘】 140坪

西那須野別荘 【万歳閣】

那須千本松農場 1650町歩 


◆松方正義 総理大臣
1835-1924 天保06-大正13 89歳没
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■妻 士族川上助八郎の娘 満左子
1845-1920 弘化02-大正09 75歳没
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子供は8男3女 庶子も合わせると15男7女の22人。
晩年には子ではなく孫として届け出していた。
明治天皇から子供は何人か聞かれたが思い出せず、
「後日調査の上、御報告申し上げます」と答えたほどである。
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●巌   次代当主
●正作  財閥岩崎弥之助男爵の娘繁子と結婚
●幸次郎 九鬼隆義子爵の娘好子と結婚
●正雄  軍人河原要一の娘マスコと結婚
●千代子 武笠清太郎夫人
●五郎  平民渋川忠二郎の娘カメコと結婚
●広子  士族川上直之助夫人
●虎雄  早逝
●津留子 士族谷村愛之助夫人
●乙彦  山本権兵衛伯爵の娘トミコと結婚
●光子  実業家松本松蔵夫人
●正熊  実業家新井領一郎の娘美代と結婚→娘ハルはアメリカ大使ライシャワー夫人
●義輔  井上勝子爵の娘辰子と結婚
●金次郎 早逝
●虎吉  実業家松本虎吉となる
●梅子  実業家堀越角次郎夫人
●義行  財閥森村義行となる
●義三郎 次々代当主
●文子  野坂三枝夫人


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巌邸 芝区南佐久間町 (現:港区西新橋)
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◆松方巌
1862-1942 文久02-昭和17 80歳没

*ドイツに留学

*十五銀行倒産の責任を取って爵位を返上する

ドイツにて
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■妻 長与称吉男爵の娘 保子
明治05-
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●竹子 黒木三次伯爵夫人
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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

先年十五銀行がいけなくなった時、社長の松方巌公爵は爵位をも辞退し
その他身についた一切の公職を投げ出して一平民の松方巌となり
どこかの長屋へ今は日陰者の身を運び込んだ。
自分が主宰する銀行があんなことになって
世間様を騒がして何とも申し訳がないという意思を表明したものであるが、
実を言うとあれは表面だけのことで、
本当の心は旧藩主島津家に対する謝罪のためあのような態度に出たと言った者があった。

十五銀行の騒ぎでは旧大小名華族のほとんど全部が大なり小なり手傷を負うたが、
中でも最もひどくやられたのは島津公爵家であった。
当時島津家では十五銀行へ150万円の預金があった。
そのうえに2万近い新株を持っていてその払い込みがざっと145万円、
もし島津家がこの新株を払い込まないようだったら
十五銀行の整理案が成り立たぬというのっぴきならぬ辛い立場に置かれた。

何と言っても九州の島津だ、
動産不動産合わせて8000万円は下るまいと言われている金持華族だから
それぐらいの金は右から左へ出すだろうと思われたが、
有るようで無いのは金、無いようで有るのは借金というやつ、こればかりはどうにもならぬ。
そこで袖ヶ崎のあの屋敷、
明治大帝がしばしば行幸あらせられたという由緒の深い3万坪の屋敷のうち6千坪だけを残し、
後を全部売りに出してそこから浮かんだ240万円の金で銀行の方のカタをつけたものだ。

いくら島津が財産家でもこれはこたえたに違いない。
そこで松方公爵にすれば旧臣の情誼として
主家にそれほどの大穴を開けたからには何とかして申し訳をせねばならぬ道理、
昔ならさしずめ切腹ものだが、今ではそんな古手は流行らない。
それで身につくもの一切を投げ出してこれで御勘弁と出たという。


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養子勝彦の妻 岩田幸子 松方勝彦と死別・作家獅子文六(本名:岩田豊雄)と再婚

松方巌氏は一女は黒田伯爵に嫁し、正義公の二男正作氏の所も長男が早逝し、
次の幸次郎氏に4人の男子があり勝彦はその四男であった。
先方の黒木氏と私の義兄原田熊雄とは懇意の仲なので、
本家の跡をこの二人に継がせたらという事になったらしい。

結婚前の荷物送りの日の事が思い出される。
新居にタンスの鍵を持って行くために一人で出かけた。
電車を降りるとそこに勝彦が立っていて
「叔母様方はみんな紋付で来ておられるが、あなたはそれで良いのか」と聞かれた。
私は紫色のお召だった。普段着という程度なので、
そういう事に気のつく勝彦は私に恥をかかせまいと気遣ってくれたらしい。
「ええ、これしかないの」とすまして同行してしまった。
すべて何事かあれば紋付、まだまだ格式を重んじる家であった
私もまだ若かったし、すべてに格式高い松方家としてはとんだ嫁が飛び込んだものだったらしい。

初めて御両親に会った時万年のお菓子を渡すと、
舅から「私の大嫌いな物を持ってきたね~」と言われシュンとしてしまった。
姑は取り成すように「本当はお父様の大好物なのよ」と言って下さったが、
事実舅はお酒はほとんど飲まず代の甘党であった事がわかり安心した。
あれほど善人そのものであった父が、
時の巡り合せというか親が一代で名声を博した家のすべてを返して一介の野人となった時は、
どんなにつらい思いであった事か。

姑は舅の母がが女子学習院の卒業式に行ってを見出された才女で、
舅のドイツ留学中に結婚話が勧められた。
松方家の大世帯を切り盛りしてきた手腕は並大抵の女にはできる事ではない。
今思えばさぞ気に入らぬ事の多い嫁だったろうが、馬鹿のおかげで本当に可愛がって下さり、
嫁と姑という嫌な感じを一度も持った事がなかった。
跡継ぎの嫁として、美術・建築・料理・社交。その他姑に教わった事はどれだけあったかしれない。


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◆松方勝彦
明治37-
先代巌の甥/松方幸次郎の子


■妻 吉川重吉男爵の娘 幸子 相手死別・作家獅子文六の3/3番目の妻となる
明治44-


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幸子夫人

その日私は風邪で床にいた。
午後3時頃会社から電話で「御主人が倒れたから来て下さい」と知らせがあった。
事務所の車庫でハシゴに登っていた時脳貧血を起したらしく、
後ろに倒れ反対側の棚で後頭部を打ったという事だった。
医務室のベッドに横たわった勝彦はその時はまだ普通に見え、
「風邪なのにわざわざ来なくても良かったのに」と相変わらず私を気遣ってくれる夫だった。
しかし次第に耳からも鼻からも出血がひどくなってきた。駿河台病院へ運ぶ事になった。
「御臨終ですよ」と言われても、あまりの事に私は涙も出なかった。
結婚3年2ヶ月にして勝彦は帰らぬ人となってしまった

ある日黒木の義兄に呼ばれて、「松方家も跡継ぎを決めなければならない。
候補者はあるが、あなたの籍があっては困ると言うので里へ帰ってくれないか」と言われた。
候補者の名前は教えて下さらなかったが、
「どなたでも結構です。しかし私は勝彦と結婚した以上、松方の姓を変えるのは嫌です」
と言って大泣きに泣いてしまった。ワラにでもすがりたい気持ちの時、
義姉は私の横を何度も通ったが、ただ冷やかな眼差しで見るだけだった。
こういう次第で離縁ではないのだから、何をもらうわけでもなく本家の籍から離れた。
姑は気の毒がって、
「後を継ぐ方にあなたの事は特別の人なのだからとよく頼んであるから」と言って下さった。

しばらくして舅も亡くなり次々と使用人もいなくなり、
ついに姑一人になってしまったために私が一緒に住む事になった。
乳母日傘で育った私はそこで初めて家事をした。
何もできない私を姑は「それが当然だ」と許して下さった。
昭和16年太平洋戦争が始まり、3年後の冬にはいよいよ東京も空襲にさらされるようになった。
姑は那須から荷馬車を呼び寄せ、黒木の義姉一家と那須へ疎開して行った。

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◆松方義三郎/登山家松方三郎
先々代巌の弟

*イギリスに留学


■妻 実業家佐藤市十郎の娘 星野


●峰雄
●富士男
●登
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by oMUGIo | 2005-02-03 00:00 | 勲功華族
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