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大谷伯爵家 西本願寺 その2

●松原藤子の子 光瑞 次代当主
●松原藤子の子 文子 常磐井堯猷男爵の1/3番目の妻・本人死別
●松原藤子の子 孝慈 木辺孝慈男爵となる 醍醐忠敬侯爵の娘静子と結婚
●松原藤子の子 光明 九条道孝公爵の娘紝子と結婚
●松原藤子の子 尊由 小出英尚子爵の娘泰子と結婚
●松原藤子の子 武子 九条良致男爵夫人→歌人九条武子
●本妻の子   義子 壬生泰弘男爵夫人・広瀬千秋夫人


●光明 九条道孝公爵の娘紝子と結婚
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●尊由 小出英尚子爵の娘泰子と結婚

夫妻と子供たち
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★尊由の娘 益子 朝香宮正彦王/音羽正彦侯爵と結婚
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九条武子●子供ナシ
1887-1928 明治20-昭和03 41歳没
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兄たちに囲まれて育った武子はお転婆で、
人形遊びよりも兄たちとチャンバラ遊びをすることを好んだ。
乗馬や木登りも得意で、
手が長くスルスルと木に登る武子に兄たちは「手長猿」というあだ名をつけた。
また物真似が得意で、冗談が上手く、家族兄弟はいつも笑い転げていたという。

兄光瑞は武子の結婚相手に東本願寺の二男大谷瑩誠を考えていた。
この二人が結婚すれば、三百年も対立してきた東西本願寺の関係が好転するとの考えである。
ところが妻寿子が弟良致を推薦する。
九条公爵家は禅宗で良致は男爵、
宗旨が浄土真宗で子爵以上の相手を探していた幹部陣は難色を示したが、
次期法主夫人の寿子の意見は無視できず、良致が武子の夫に決まる。
良致は一条公爵家に婿養子の予定で養子に入ったが、
結婚相手の経子から嫌われ実家に戻されていた。
寿子はさらに光瑞の弟光明と自分の妹紝子を結婚させており、
大谷家と九条家との間に3組の夫婦を作り上げた。

東京麹町三番町の男爵邸で新婚生活を始めたが、
黙って酒ばかり飲んでいる何を考えているかわからない夫との仲はしっくり行かなかった。
良致はイギリスのケンブリッジ大学に3年間の予定で留学することになっていた。
良致の渡航費用・留学費用・生活費はすべて大谷家の負担である。
09月にまず兄夫婦が出発、追って12月に武子夫妻が神戸を出発。
香港・シンガポール・コロンボを経てマルセイユに到着し、01月兄夫婦と合流する。
武子は船客たちと親しく交わったが、良致は船室に閉じこもって甲板に出ることもなかった。

光瑞は「仕事がたまっているので自分はすぐにロンドンに行かなければならない。
地中海旅行は君たち3人で楽しむといい、良致君二人の面倒を頼みます」と言ったが、
良致は地中海旅行には参加せず、光瑞と一緒にロンドンに行くと言い出す。
結局男性陣はロンドン直行、女性陣は地中海旅行に回ることになる。
03月にロンドンで男性陣と女性陣が合流するが、また良致は自分だけが出て行くと言う。
それまで光瑞とロンドンに住んでいた良致は、一人郊外の下宿に移ってしまう。
良致とともにロンドンで暮らす予定であった武子は、結局08月兄夫婦とともに帰国することになった。

良致は留学予定の3年が過ぎても帰国せず、イギリス滞在は10年に及んだ。
すでに外国人女性との間に一男一女ももうけていた。
しかし、武子も悲嘆にくれて暮らしたわけではなかった。
何よりも武子は一生涯西本願寺の娘であった。
ヨーロッパから帰国して3ヶ月後、兄嫁寿子が子宮炎で急死した。
兄光瑞は再婚しなかったので、武子は光瑞の片腕のような存在であった。
光瑞が「口八丁、手八丁」と称したように、武子は機転がきき独創性があり手早い。
西本願寺の広告塔として、巡教のため日本全国を飛び回った。

良致が帰国する気になった理由は不明だが、
10年に至って大谷家が良致への生活費の仕送りを打ち切ったのかもしれない。
ともかく大正09年12月06日午前06時、良致を乗せた船が神戸港に着いた。
12月12日、住まいとなる東京の西本願寺築地別院へ引っ越した。
帰国した良致はまた深酒を続けた。
銀行の勤めには一応出かけていくが、帰宅時間は一定しない。
酔っ払ってフラフラで帰ってくる日もあるが、帰ってこない日もあった。
ある夜、良致は泥酔して玄関で伸びていた。
武子は足を持ち上げて靴を脱がせようとした。
良致は武子に気づくと、武子を振り払い、靴のまま武子のアゴを蹴り上げた。
大正11年には良致は不渡り手形による詐欺事件で起訴されている。

大正12年の関東大震災以降、武子は巡教の他に慈善活動も始める。
昭和02年、例年通り医師らとともに貧民窟の歳末巡回診察をした際に風邪を引く。
正月02日の深夜、酔っぱらった良致が風呂に入りたいと言い始めた。
このとき井戸ポンプが故障していた。
そこで使用人が隣の家から水をもらってくる、
晴れ着にタスキをかけた武子がそれを風呂場の窓から受け取り風呂桶に移すという作業をした。
これが原因で武子は風邪をこじらせて敗血症となり、02月07日死亡。
良致は晩年ホテル住まいをしていた。
昭和15年08月、良致はホテルで倒れ脳出血で死亡、56歳だった。
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イギリスにて
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by oMUGIo | 2002-01-20 00:00 | 公家華族
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