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柳原伯爵家 名家 その2

●実子 義光  次代当主
●実子 信子  入江為守子爵夫人
●庶子 燁子  歌人柳原白蓮 結婚3回
北小路資武子爵→炭鉱王伊藤伝右衛門→大学生宮崎龍介


●信子 入江為守子爵夫人
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●燁子 歌人柳原白蓮 結婚3回
北小路資武子爵→炭鉱王伊藤伝右衛門→大学生宮崎龍介




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柳原白蓮/柳原燁子
1885-1967 明治18-昭和42 82歳没

父は柳原前光伯爵。前光の妹は柳原愛子、大正天皇の生母である。
ゆえに燁子は大正天皇のイトコにあたる。

前光には妻妾同居させている側室の梅子と近くの家に囲っている芸者おりょうがいた。
梅子は宮中の妹愛子の侍女。前光が見初めて愛子からもらい受け本邸に住まわせた。
おりょうは没落した幕臣の娘で芸者になり、伊藤博文と前光が取り合ったが、
おりょうは前光を選び身請けされた。
このおりようが生んだ娘が燁子である。おりょうは燁子を生んだ3年後に亡くなっている。
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■最初の夫 北小路資武子爵 夫22歳&妻15歳で結婚・夫27歳&妻20歳で離婚
1878-1942 明治11-昭和17 64歳没

●北小路との間に息子功光


■2番目の夫 伊藤伝右衛門 炭鉱王 夫50歳&妻26歳で再婚・夫60歳&妻36歳で離婚
1861-1947 万延01-昭和22 86歳没

●伊藤との間に子供ナシ
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■3番目の夫 宮崎龍介 弁護士・社会運動家 夫31歳&妻38歳で再々婚
1892-1971 明治25-昭和46 79歳没

●宮崎との間に息子 香織
●宮崎との間に娘  蕗苳
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白蓮&北小路資武子爵の息子 北小路功光

柳原の家は初子〔白蓮の父柳原前光の正妻〕でもっていたようなものだ。
初子の実家は宇和島の伊達家で、大変な金持ちだ。
公卿が貧乏だから伊藤伝右衛門と燁子の結婚があったように言うけど、ありゃ嘘だね。
柳原は豊かだったよ。金に困るようなことは何もなかった。

まだ子供みたいな母親だから育てられるわけがないさ。
燁子は文学少女で、わがままで、亭主が気に入らないときている。
5歳の私を婚家に置いてサッサと実家へ戻ってしまった。

中学に行くようになって、私は柳原の家から学習院に通った。
別れっぱなしに母子を会わせようと義光夫妻〔白蓮の兄夫婦〕が心を砕いてくれて。
あの頃はもう燁子は伊藤家の人になっていたからやっとお膳立てができて、
親子対面の感動の場面があったかと言うと、まるでなかった。
冷めてた。実に冷たかった。

出奔の頃、燁子の小遣いが少ないとかいうミミッチイ話が噂されただろ。
伝右衛門と一緒の暮らしでは、現金なんか一文も要らないやね。
全部ツケでいいのさ。車で乗りつけて、物を買って、ツケてくりゃいいんだよ。

あの女、始終ボーイフレンドがいたなあ。
文士の出入りが華やかで、取り巻きも大勢いたし。
龍介さんとの間の恋文運びを、息子の私にやらせたこともある。
天衣無縫というか、誰でも簡単に好きになり惚れ込んでしまう女だ。
妊娠しちまったから決心もついたんじゃないか。
とにかく逃げたかった、脱け出したかった、誰でもよかった。
あれで子供が出来てなかったら、また浮気で済んだかもしれないさ。
それが済まなくなったから居直った、と私は解釈している。

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筑紫の女王と呼ばれた白蓮は、取り巻きと恋愛遊戯を繰り広げた。
医学博士の久保猪之吉、白蓮は彼に恋文を送り続けるが、
妻のいる久保は結局白蓮と駆け落ちはしなかった。
陸軍中尉の藤井民助、白蓮は彼に恋文を送り続けるが、
婚約者がいる上に姦通罪を恐れた藤井は結局白蓮と駆け落ちはしなかった。

そして現れたのが、東京帝大法学生の宮崎龍介28歳。
父は孫文の辛亥革命を支援した宮崎滔天である。
白蓮は東京帝大法科の学生が主宰する雑誌『解放』に戯曲を連載していた。
これを担当したのが編集部にいた龍介だった。
この戯曲を単行本にするため龍介は別府の白蓮を訪ねて打合せをした。
自分をこの境遇から救い出してくれるのは彼しかいないと思った白蓮は、
毎日毎日編集部宛てに手紙を書き、次々と電報で情熱的な和歌を送った。

伝右衛門夫妻は毎年2回上京する習慣があった。
白蓮は上京するたびに龍介と逢瀬を重ねた。
2年が過ぎた頃に白蓮は妊娠してしまう。

龍介と仲間たちは策を練る。
いつもの通り上京した白蓮は伝右衛門と一緒に帰らず、
東京駅で夫を見送った後 龍介のもとへ走った。
龍介たちは大阪朝日新聞にリークして、白蓮から夫への絶縁状を渡した。

絶縁状は大正10年(1921)10月22日の夕刊に掲載され、一大事件と化す。
事件から10日後の11月01日、柳原・伊藤両家で話し合いが行われ離婚が決まる。
伝右衛門が男気を見せ姦通罪で二人を訴えなかったので、
刑務所送りになることもなく無事二人は結婚できた。

宮崎家は父滔天の時代から、中国からの留学生や食客が大勢いた。
白蓮は社会派弁護士となった龍介と懐の大きい姑鎚子と
大勢の社会運動家たちに囲まれて暮らす。
息子香織が戦死したのをきっかけに熱心な平和運動家にもなった。
一方、美智子皇后が皇太子妃に決まった時には強硬に反対し、
右翼団体まで動かして反対運動をした。


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樺山愛輔伯爵の娘/白洲次郎の妻 白洲正子

*白洲正子の母と、白蓮の兄嫁が姉妹である。

柳原白蓮が家出をしたのは大正10年のことだが、
駆け落ちの相手は共産主義者の宮崎龍介で、
柳原家と私の実家とは姻戚関係にあったため、
裁判沙汰が終わるまで白蓮さんを家で預かったりして
調停に立った父は大分苦労したようであった。

そのまま何十年も音沙汰なくすぎるうち、ある夜勢い込んで電話がかかってきた。
「あなた、今度のことどう思う?」
「今度のことってナァーニ?」
「美智子さんですよ。あんた、このままほっとくつもり?」
美智子さんとは現在の皇后陛下のことである。私はしばらく言葉に詰まってしまった。
「どう思うって、全然見たことも会ったこともない方のこと何も言えないわ」
電話の向こう側では怒り心頭に発したらしく、ガチャンと切ってしまった。
ナンダ、白蓮さんは共産党員と意気投合して何十年も経った今日では
骨の髄までマッカッカに染まっていると思ったのに、あれはみんな嘘だったのか。
それが人間というものなのか。

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by oMUGIo | 2002-02-12 00:00 | 公家華族
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