直球感想文 和館

2017年 更新中
by oMUGIo
カテゴリ
皇族
公家華族
武家華族
勲功華族
御家族
御一同
以前の記事

谷干城子爵家 軍人

◆谷干城
1837-1911 天保08-明治44
a0287992_392163.jpg

a0287992_11355787.jpg

a0287992_393064.jpg



■妻 国澤七郎右衛門通辰の娘 玖満子
a0287992_393836.jpg



●庶子 芳子 社会学者建部遯吾夫人


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『明治大臣の夫人』  明治36年出版

夫人の名は玖満子、谷干城子爵の所に嫁したのは19歳という花盛りで、
当時谷子爵は江戸に遊学のことゆえ双方の親同士が相談の上に連れ合せる訳になって、
いよいよ江戸にある谷に一度国へ帰るようとの話であったから、
谷子爵もどんな婦人か顔を見ないではなんとなく気が済まぬので急いで実家へと帰った。
母はこの時谷子爵に向かってはや宅に引き取って奥座敷で針仕事をやっている、
何にせよ対面がとすぐに玖満子を谷子爵の間に呼びつけた。
これを見た谷子爵はかねてよりどのくらいな別嬪かと心の内で想像していたのは案外
あまりに美しくないために一方ならず失望したとか、若い時にはよくあることだ。

あてがはずれし谷子爵は「こんなことならわざわざ江戸を去るには及ばなかった。
本当に馬鹿馬鹿しい」と独り言を漏らしたが、
さりとて両親が意に背いてみだりに縁を切るわけにもいかず、
この上は何なりと嫁の落度を見出しこれを条件に離縁の相談を持ち出そうと
秘かに毎日嫁御が挙動に注目した。
ところがもとより利発の夫人何ひとつ落度のあろうはずもなければ、
これまで追い出そうとした谷子爵も
なるほど両親の眼鏡も違わぬものであると深く首肯したのである。
ときたま昔話の出るごとに右の物語をするので、そばに聞いておる谷子爵も夫人に向かい
「また昔話を始めか、聞きたくもない」なぞと言うてたちまち間を去られるとはもっともな訳。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::





◆谷乙猪
1858-1889 安政05-明治22 31歳没
もと谷重昌の子


■妻 村田経芳男爵の娘 愛子


●儀一  次代当主
●守人  水谷由章の娘千代と結婚
●満津子 士族福井策三夫人





◆谷儀一
1881-1948 明治14-昭和23 67歳没
a0287992_18295312.jpg



■前妻 士族原忠順の娘 サトコ
1888-1914 明治21-大正03 26歳没


■後妻 曽我祐保子爵の娘 文子
1894- 明治27-


●妙子
●武夫
●正臣
●直臣
●梅子
●元臣
●斌臣
[PR]
by oMUGIo | 2005-05-04 00:00 | 勲功華族
<< 金子堅太郎伯爵家 政治家 加藤弘之男爵家 官僚 >>


フォロー中のブログ
検索
記事ランキング