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松平斉男爵家 津山藩系

◆松平斉
津山藩主松平斉民の子
1874- 明治07- 

*失踪のまま生死不明


■妻 将軍徳川慶喜の娘 浪子
1880-1954 74歳没
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●斉光 次代当主


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<松平斉男爵失踪事件>

松平斉の父松平斉民/確堂は将軍徳川家斉の子で、
家達が徳川宗家の後継者に決まると、後見人として確堂が選ばれた。
息子斉は父確堂とともに徳川宗家に出入りしており、
ここに預けられていた慶喜の娘たちとは顔見知りであった。
しかし風采の上がらぬ斉は、慶喜の娘たちにはあまり人気がなかった。
その後、斉との縁談が持ち上がった浪子は乗り気ではなかった。
しかし静岡の慶喜から呼びつけられ、世話になっている確堂の子と結婚するように説得された。

二人は結婚するが、結婚後は夫婦仲はうまく行った。
東京帝大で植物学を学んでいた斉は、結婚後も屋敷と大学を往復する生活を送っていた。
ところが7ヶ月後、斉は失踪する。
当時浪子は妊娠中、斉も子の誕生を楽しみにしていたという。
妻も家族も一切心当たりがなかった。慶喜もかなり心配した。
松平家はこれを警察には届けなかったため、当時新聞などで騒がれることもなかった。
翌年浪子は斉光を生んだため当主として家を存続させる。

蜂須賀正韶侯爵に嫁いだ浪子の姉筆子が子供を遺して亡くなっていたため、
慶喜は浪子に蜂須賀家の後妻となるように勧めたが、浪子はこれを断り松平家にとどまった。
現在に至るまで斉の行方は不明のままである。
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◆松平斉光
1897-1979 82歳没
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■妻 水戸徳川昭武公爵の娘 直子
1900-1989 89歳没
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●光子 豊田禎夫夫人
●英子 岩瀬義郎夫人
●華子 鎌田勇夫人
●斉義





◆松平斉義
1941-


■妻 相馬澄胤の娘 順子
1946-


●斉康
●斉忠
●陽子
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by oMUGIo | 2003-08-19 00:00 | 武家華族
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