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鍋島子爵家 鹿島藩主

◆鍋島直彬
1844-1915 71歳没
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■妻 蓮池藩主鍋島直与の娘 藹子
1843-1930 87歳没


●神代子 諫早家崇男爵夫人


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鍋島直彬の孫 鍋島直紹子爵

私の祖母は昭和のはじめに88歳で亡くなった。
今思えば大名の娘最後の人という感じでならない。
祖母の一日は隠居部屋に端座し、
編み物か佐賀錦の手芸品を作っているか歌を案じているかであった。
どんなお客が親父の所にあっても、自分のお客でない限り部屋から出てこなかった。
夕方になるとちょっと女中さんをお供に散歩し、ただ黙々と歩きまわって帰ってきた。
夜は電気の下で虫眼鏡で静かに新聞か雑誌を読んでいる事が多かった。
このような日課が決して崩れることなく、毎日続けられていたように思う。
紋付を着ている日は御先祖様の御命日か、
重陽の節句とか雛祭りとか女に関係のある日なのであった。

祖母は私達に甘かった。お菓子などくれて「誰にも言わんどき」とよく言った。
父も母も東京に住んで郷里には祖母一人が例のような日課を繰り返していた頃、
私一人夏休みで帰省した。大きな台風が通過した時で、私の家は大変な荒れようだった。
川の水嵩は急激に増して、
堤防を越えてあふれ出たのは滝のようになって家の床下に流れ込んできた。
祖母はいつものように端然と座して、障子の破れ穴から外の竹藪を眺めていた。
「私は17歳でこの家にお嫁に来て、
その間いろいろの事があったけど今日までお陰様で何不自由なく生きてきた。
私にはこの隠居所がただ一つの死に場所なんだよ」というような事を言って私の膝に手をかけて、
「危なくなったら、お逃げ」と言ったのを台風が来ると私は必ず思い出すのである。
祖母はその年の暮れ、眠るように亡くなった。

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◆鍋島直縄
1892-1939 47歳没
もと鍋島直大侯爵の子

*ヨーロッパに留学


■妻 毛利元功子爵の娘 政子
1895-1988 93歳没

直縄&政子夫妻 直紹&則子夫妻
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●直紹 次代当主
●直定 鍋島直正男爵となる
●直美
●直玄
●松子 太田資業子爵の子太田資博夫人
●直立





◆鍋島直紹
1912-1981 69歳没
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■妻 佐竹義春侯爵の娘 則子
1916-
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●直建
●広子
●和茂
 
 
 
 
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by oMUGIo | 2004-06-16 00:00 | 武家華族
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