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榊原子爵家 高田藩主

◆榊原政敬
1843-1927 84歳没
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■前妻 丸岡藩主有馬温純の娘 久仁子 離婚


■後妻 金沢藩主前田慶寧の娘 礼子
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★側室 長瀬庸
-昭和31 78歳没
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●生母不明 延子
●生母不明 重子 伊藤忠寿夫人
●後妻の子 彜子 次代当主の前妻
●庸の子  鑒子 次代当主の後妻


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孫政春の妻 榊原喜佐子 徳川慶久公爵令嬢

長瀬庸は正室礼子に付いて前田家から来た侍女だったが、
礼子が大変身体が弱かったため祖父の御手が付いて政和の後妻鑑子を産んだのだ。
当時側室はあくまでも御女中と見なされたが、
後に御子達の世話をすることになって【おばあ様】と呼ばれるようになったのだという。

長瀬は派手好きで目端のきく人だった。だから祖父に気に入られたのであろう。
弟達も、ことに幼かった末の弟二人は母親同然に慕っていた。そして私はと言えば、
そういう家族の間で長い間家を守りながら兄弟が仲良く暮らしていくにはどうすれば良いか、
絶えず神経をすり減らしてきたように思う。
嫁いで2年目、夫が出征中の事だった。
私は家の相談役で日本金属工業社長だった田沼義三郎氏を会社に訪ねた。
すると氏はいきなり立ち上がり、改まった口調でこう切り出した。
「奥様にお詫び申し上げねばならない事があります。5人の御子達のお世話をしてもらうのだから、
長瀬を【おばあ様】と呼んではどうかと勧めたのは自分です。いや、大失敗でした
と深々と頭を下げたのだ。

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◆榊原政和
1868-1927 59歳没
もと榊原職政の子 婿養子になる
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■前妻 先代の娘 彜子
1875-1906 31歳没


■後妻 先代の娘 鑒子 前妻の妹
1892-1926 34歳没
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●前妻の子 政職 早逝
●後妻の子 政春 次代当主
●後妻の子 政徳
●後妻の子 政道
●後妻の子 政行
●後妻の子 政美
●後妻の子 政明


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政春の妻 榊原喜佐子 徳川慶久公爵令嬢

榊原家は本来7人兄弟だった。そのうち兄政職は23歳で末の弟政明は3歳で亡くなり、
私が嫁いだ時には夫の下に政徳・政道・政行・政美と4人の弟達がいた。
私と夫は10歳の歳の差があったから、いずれも私より年長だった。

政徳は九州帝大を卒業、勤めていた満州重工から召集。
学習院時代には野球部に在籍し、東急の五島昇氏とともに投手捕手のコンビを組んでいたという。
夫はこの弟の事を【徳さん、徳さん】と呼んでいた。
他の弟は【ちゃん】付けだったから、彼には一目置いていたのであろう。
ただしその【徳さん】は早くから榊原家の事から逃げて、
とかく自己本位に楽しんで生きる調子のいい人だった。
酒好きがこうじて3回も脳出血を起し、妻に先立たれてボケがひどくなった。
今は老人ホームで『ヤンシューかもめ』を歌うのが楽しみだという。

政道は学習院から九州帝大を卒業、日本鋼管に入社した。
どこかひ弱な感じがあった。兄弟中で一番優しかったように思う。
長瀬の対応にとまどっている私に、
「そう大事にしなくていいんだよ」と声をかけてくれたのも彼だった。
昭和19年に召集が来て、戦後になってフィリピン諸島で戦死との報があった。26歳だった。

政行は学習院から九州帝大を卒業、三井造船に就職したがほどなく召集、
復員後は私達とともに暮らしながら再び三井造船に勤めた。
ところがその後労働争議がきっかけで会社を辞め、以後まったく働かなくなった。
それからおよそ13年、競馬に打ち込むなどすさんだ暮しを続ける。
彼は性格が強く、どこか夫と似ていたと思う。だから逆に反発もあったのだろうか。
長く暗いトンネルを抜け出て妻とともに始めた会社を軌道に乗せていたが、食道ガンに襲われた。
13年の遅れを取り戻そうとしたのだろうか、
医者にも行かずひたすら仕事に熱中し手遅れとなり69歳で亡くなった。

政美は身体が弱く学習院を出た後園芸学校に入学したというが、
私が来た頃は獣医学校に通っていた。
卒業後どうしても人間の医師になりたいと熊本医科大学を受験、みごと合格して医者となった。
アリナミンを開発し世に出した。しかし新築したばかりに二階の階段から落ちて脊椎を損傷、
頑張り屋の彼はリハビリに励んだ結果両手だけは動かせるようになり、
81歳の現在もなお内科医師として診察を続けている。

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◆榊原政春
1911-
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■妻 徳川慶久公爵の娘 喜佐子 高松宮喜久子妃の妹
1921-2013 92歳没
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●光子
●政信
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by oMUGIo | 2004-05-12 00:00 | 武家華族
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