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土御門子爵家 半家

◆土御門晴栄
1859-1915
もと公家錦織久隆の子 婿養子になる
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■前妻 先代晴雄の娘 益子 離婚
1868-


■後妻 冷泉為柔子爵の娘 秀子
1867-1932
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●後妻の子 幸子  婿養子を迎え次代当主とする
●後妻の子 賀寿子 平民木村英吉と結婚
●後妻の子 千代子
●後妻の子 鑑子





◆土御門晴行●子供ナシ
1883-1924
もと亀山藩主松平信正の子 松平信復 婿養子になる


■妻 先代晴栄の娘 幸子 のち堀川重治と再婚
1892-
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◆土御門晴善 
1884-1934
もと三室戸和光子爵の子 三室戸善光


■妻 武田千代三郎の子 登美子
1896-1947


●熙光
●範忠
●美栄子





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土御門晴栄の娘賀寿子は明治28年生まれ。
学習院を卒業後女官となり【八重菊の内侍】という名前で宮中に仕えた。
30歳の時に25歳の宮中の大膳部の料理人木村英吉と恋愛関係となった。
職場恋愛が許される場所ではなかったので、二人は宮中を辞職して結婚した。
華族で女官であった賀寿子の結婚は新聞等で騒がれた。

明治・大正・昭和の天皇に仕えた 小川金男の手記

大正になってからのことであるが、
ある日 私は千草権典侍のお供をして沼津の御別邸に出張を命ぜられたことがあった。
そのとき御別邸にいた八重菊内侍も一緒に東京へ帰ることがわかった。
三人が汽車に乗って座席に座ることになったが、普段なら女官は向かい合って腰かけて
いろいろ話し合いながら東京に着くということになるのだが、
その時には八重菊内侍は千草権典侍と離れるようにして座って、
黙り込んで陰鬱そうにうつむいていた。
それから私も初めて自分が沼津に出張を命ぜられた理由を知ったのであった。
つまり千草権典侍は八重菊内侍を東京に連れて帰るために出張したのであり、
私はその御供を命ぜられたのであった。

八重菊内侍はその美しい源氏名に反して、女官としてはまれにみる不器量な女であった
自然誰も八重菊内侍を問題にする者はなかった。
だからその女が沼津御別邸で大膳食の膳手と、
しかも宮内省で美男の中の美男と言われていた青年と関係があろうなぞとは
全く思いもよらないことであった。
このことは当時の新聞の三面記事をにぎわしたもので、
記憶の良い人なら今でも覚えているに違いない。

八重菊内侍は局部屋を下がったが、二人は強い愛情で結ばれていたとみえて、
その後まもなく結婚し、やがて二人の子供が産まれた。
恐らく今でもどこかに幸福に暮らしているに違いない。

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by oMUGIo | 2002-04-09 00:00 | 公家華族
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