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伊藤博文公爵家 政治家 その2

●後妻の子 生子 外交官西源四郎の前妻離婚・末松謙澄子爵と再婚
●愛人の子 朝子 外交官西源四郎の後妻
●愛人の子 文吉 伊藤文吉男爵となる 桂太郎侯爵の娘寿満子と結婚
●愛人の子 真一
●愛人の子 沢子 官僚大竹虎雄夫人


立つ左から 生子 生子の夫末松謙澄子爵 朝子の夫西源四郎 朝子
座る左から 博文 梅子夫人
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●生子 外交官西源四郎の前妻離婚・末松謙澄子爵と再婚
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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

伊藤博文公爵を中心とする閨閥の筆頭は末松謙澄子爵であろう。
伊藤公爵の第二女婿に西源四郎という男がある。
彼ははじめ生子と結婚し間もなくベルギーに留学したが、
その不在中に末松子爵はイギリスから帰朝しケンブリッジ大学出の秀才ともてはやされた。
当時政府では条約改正の一方便として極端な欧化政策を行い、
怪しげなダンスなどをしきりにやって妙齢の淑女と独身の官吏とが公然とふざけることを奨励した。
当時の生子女史は本野・牧野夫人等とともに欧化婦人の急先鋒と称されていただけに
いつの間にか本夫の源四郎氏を捨てて末松子爵と自由結婚を行ったものである。


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『明治閨秀美譚』 明治25年出版

末松謙澄氏の夫人は名を生子という。伊藤公爵の娘なり。
つとに西洋的の教育を受け華族女学校を卒業して氏に嫁ぎ、
よく英仏の語に通じ舞踏巧みにしてもっとも交際社会に重んぜらる。
西洋風の華美を喜ぶ。かつて氏の県治局長として内務に奉職するや、
その帰邸 例に遅るること1時間に及べば、夫人自ら馬車に駕して内務省に行き
氏の用務終わるを待ち相携えて同乗し帰途につく。当世の一才媛なり。


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萬朝報 明治31年08月23日

子爵末松謙澄の夫人生子は公爵伊藤博文の娘なるがため
万事についてワガママの振る舞い多く
たまたま謙澄が夜更けて帰ることあれば恐ろしき剣幕にて叱りつくるをもって
さすがの謙澄も大いに閉口し小糠三合の俗戒を思い出して秘かに歎声を発することあり
とは我輩の聞くところなるが、好きの道はまた格別なりとみえ、
いつの頃いかにして手に入れしかは知らざれども
夫人生子の厳重なる監視の目を潜り
日本橋区箔屋町の絵草紙屋錦華堂浅井一忠の娘ケイ(23)を妾とし、
桧物町の春の屋をもって会合の場所とせり。

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●朝子 外交官西源四郎の後妻

夫 西源四郎
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●文吉 伊藤文吉男爵となる 桂太郎侯爵の娘寿満子と結婚
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●沢子 官僚大竹虎雄夫人
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●博精  次代当主
●博春  清水博春男爵となる
●博通  瀧川儀作の娘美津と結婚
●琴子  早逝
●博約
●愛子  永富謙一夫人
●博臣
●博則  林博則となる
●博経
●十四子 鹽原祥三夫人
●博孝  横山昭子と結婚
●博英  岡根英子と結婚


左 愛子 永富謙一夫人
右 琴子 早逝
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●女子
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by oMUGIo | 2005-01-04 00:00 | 勲功華族
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