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有馬伯爵家 久留米藩主 その3

●前妻の子 禎子  奥平昌恭伯爵夫人・昌恭の酒乱により別居
●前妻の子 頼寧  次代当主
●後妻の子 頼篤  安藤信昭子爵となる 閑院宮載仁親王の娘恭子女王と結婚
●後妻の子 定之介 松田正之男爵となる 蜂須賀正韶侯爵の娘笛子と結婚 
●後妻の子 久米子 稲田昌植男爵夫人
●後妻の子 敏四郎


●禎子  奥平昌恭伯爵夫人・昌恭の酒乱により別居
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●頼篤 安藤信昭子爵となる 閑院宮載仁親王の娘恭子女王と結婚
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●定之介 松田正之男爵となる 蜂須賀正韶侯爵の娘笛子と結婚
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●久米子  稲田昌植男爵夫人
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<頼寧の困ったきょうだい 禎子編>


有馬頼寧伯爵の息子 有馬頼義

父の姉禎子は豊後中津の藩主奥平昌恭伯爵に嫁したが、この結婚は失敗であった。
破局の原因は昌恭の酒乱で、禎子は殴る蹴るの乱暴をされて
二度と奥平家に戻るまいと決心したが、女一人で生きていく方法がない。
禎子は月にわずかな手当てを私の父からもらって転々と借家住まいをしていたが、
昭和5,6年頃から我家へ寄食した事がある。
ところが我家に居つくようになって間もなく、禎子は父の妾と仲良くなってしまった
禎子が父の妾と遊び歩くようになって、困ったのは父で被害を受けたのは母なのであった。
つまり母に対して妾の事を細大もらさず話すようになったのである。
父が禎子にそれだけは止めてくれと言っても、
禎子はわかったのかわからないのか少しも態度を変えようとしなかった。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正11年01月19日

禎子の台詞

頼寧の行動不穏当なる。敏四郎・久米子などは兄弟姉妹の感を有せざりし。
兄弟はみな不平を唱ゆるも、自分だけは不平を言いたる事なし。
「年々有馬家より送り来る小遣いを10年分まとめてもらいたい」と言いたるも、
職員が引き受けざるゆえそのままになしたり。
久米子は嫁ぎたる時、持ち行きたる金だけにて済みおるか、その他に遣しあるや。


倉富の記述

禎子、松山にて製したる羊羹1箱を持ち来れり。あるいは他よりの到来物なるべきか

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<頼寧の困ったきょうだい 久米子編>

有馬頼寧伯爵の日記 大正08年03月13日

久米様と先日お支度の事で言い合ふてから何となく面白くない。
しかも私が安藤さん〔頼寧の弟〕にのみ厚くして
松田さん〔頼寧のもう一人の弟〕に薄いという事を皆が言うているとの話、
また自分達も同等に取扱われるべきであるなど、いろいろ御話があった。
私は兄弟にはかなり尽くしているつもりだのに、
そんな事を言われると癪に障ってもう御世話する気にならぬ。
なんぼ私に対して遠慮がないと言うてもあまりひどすぎると思うから。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正08年03月26日

有馬伯爵家職員橋爪慎吾の台詞

久米子の嫁入費用が予算1万円にては不足なる模様にて困りおる。
兄頼寧が久米子に対して必要の物だけ品書を出せと言うゆえ、
久米子は多数の物を持ち出して4000円も超過する模様にて
久米子は父伯爵に申し出て予算増額を求めんとすと言いおる。
橋爪はほとんど毎日2,30分久米子に対し自ら節約をなさしめんと思い、
その趣意を久米子に説きおる。


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倉富日記 大正08年04月13日

有馬頼寧の台詞

自分も自分らを離間する疑いのある人の話ならばその辺の斟酌はなせども、
自分の妹久米子が告げる故〔妹が自分にチクってくるから聞き流せない〕
久米子は常々両親に不平あり。
何事も久米子の耳に入り、久米子またこれを吹聴する傾ある


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倉富日記 大正08年05月19日

有馬伯爵家職員有馬秀雄の台詞 (有馬秀雄は有馬家の家族ではなく単なる職員)

昨夜頼寧が父頼万邸に行き、まず久米子と話ししかる後頼万に会いたる趣なるが、
頼寧の態度が変わりよほど怒りおりたるは、久米子が告げ口をなしたる結果ならんと思う


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倉富日記 大正08年05月27日

倉富&橋爪慎吾の会話

橋爪◆岩波稲子〔貞子夫人の生母〕の所に到り話をなし、
岩波は「頼寧と父頼万とを離間する人あり。これを告げん」と言いおる時に、
頼寧が自分を召いに来るためそのままにて止みたり。
倉富◆岩波を告げんと欲する人は久米子のことなるべし
橋爪◆左様なるべし。


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倉富日記 大正08年08月05日

橋爪慎吾の台詞

久米子の持参金は公債証書3万円にて証書は有馬家に預り置き
利子を受け取りたる都度これを渡すつもりなりしところ、
月々の経費不足なるゆえ毎月渡してくれたき旨久米子より申し来り。
稲田家の相談人堀江が来り「稲田の家計はわずかに当主夫婦の生計費に充つるだけにて、
新夫婦の方には少しの補助もできず。昌植の収入1ヶ月70円あり。
只今の住家は借賃1ヶ月60円にて、夫だけは昌植の実父佐藤昌介が補助することとなりおり。
1ヶ月の費用は家賃を含みて200円となし、昌植の収入70円と佐藤家の補助60円にて130円、
これに有馬の利子70円加え、残り20円を久米子の小遣いとなす旨話したり」

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<頼寧の困ったきょうだい 敏四郎編>


有馬頼寧伯爵の日記 大正08年02月01日

敏四郎殿、今年正月熱海滞在中横尾長子〔栃木県資産家横尾宣弘の娘〕なる人と知られ
帰途自動車の中にて不快となられしを介抱せられしが始まりにて、
その後文通され未来における結婚の約束をも結ばれしとの事につき自分の意見を尋ねられる。
自分の考えにては恋をせられし事はむろんなんら咎むべき理なく、
ただみだりに文通せらる事はあまりよろしき様にも考えられず、
よりて両方に真面目な考えがあり両親が許され、
また相当の配偶者たること明らかとなれば自分は反対せずと述べおけり。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正08年02月22日

*倉富は有馬伯爵家の相談役も務めていた。

有馬伯爵家職員橋爪慎吾の台詞

敏四郎が横尾長子と熱海にて会いその後文通等をなしおるにつき、
婚約だけを成し置きたい旨敏四郎より申し出て、
なおこれを取り調べたる上よろしければ婚約を致しおきてもよろしからん。


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倉富日記 大正08年05月03日

橋爪慎吾の台詞

敏四郎関係の婦人は一度敏四郎の所に来り書状の往復もなしおり、
良家の娘なるや否なも疑わしきにつき、その身元を探りおる。


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倉富日記 大正08年06月28日

橋爪慎吾の台詞

敏四郎の事は実に困りたるものなり
先日より有馬泰秋の子泰明を雇い入れ敏四郎に付けおきたるところ、
泰明が頼万邸に来り「敏四郎は熱海に行きたし」と言いおるとの話をなしたるにつき、
すぐに泰明を敏四郎の寓に返し「ほしいままに熱海に行くべからず。
行くならばその用事を告げ、頼寧の許可を受けざるべからず」と言わしめたるも、
敏四郎は学校より帰りたる後すぐに熱海に出かけその日は帰らず。
その翌日も電信にて滞留する旨を通知し三夜宿泊することとなりたる故、
泰明を熱海に遣わしこれを連れ帰らしめたり。
敏四郎かねて結婚を希望しおる横尾長子の兄なる者も立教中学にあり。
その母と娘と兄と熱海に行きおり。
敏四郎の結婚につき柴四朗〔政治家〕夫婦に媒酌を頼みたしとの話あるにつき、
その事を相談するため熱海に行きたりとのことなり。
泰明が熱海に行きたるうえ一見したる模様にては、横尾の母と娘が一間におり
敏四郎と娘の兄が別間におりたるようなりと言うもこの事はもとより確かならず。


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倉富日記 大正08年06月29日

有馬頼寧の台詞

敏四郎の結婚問題は
今年01月敏四郎が熱海に行き同地にて友人の石川・横尾・その母娘等に出会い、
石川と横尾の兄妹と敏四郎と同道して帰る時、
横尾の娘が車に酔いたる時敏四郎が介抱したる事が交際の初めにて、
その後書状の往復を始め横尾にては母も本人も結婚を諾しおるとの事なり。
敏四郎より婚約を迫るゆえ、
「横尾の親に会いて話を聞きたる上にあらざれば何事もわからず」と言いたるところ、
敏四郎はそれだけの事を先方に通ずるには書状にてよろしきことなるに、
自身熱海に出かけて数日滞留したるようのことなり。
横尾の母は華族の某家〔鯖江藩主間部詮道の娘定子〕より来り、
娘の父の姉か妹かも華族の某家に嫁しおり。
横尾は栃木県の資産家にて多額納税者ともなりたることある趣なり。
父は乱費者にて別居しおり、娘のことは一切母が処置することとなりおる趣なり。


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倉富日記 大正08年07月03日

予は横尾の方にて何を目途として結婚を望むや了解しがたし
本人が技量あるにあらず有爵者にあらず格別望ましき所なし。


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倉富日記 大正08年09月13日

橋爪慎吾の台詞

敏四郎の結婚問題につき先方の人と懇意なる柴四朗の妻と面会したるところ、
同人よりも結婚を勧め先方の親族も同意なりとのことにつき婚約だけはいたすことに決し、
ただし結婚は3,4年後になるべく、婦人もなお在学中なるゆえすぐに結婚することは出来ざるなり。


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倉富日記 大正10年06月20日

倉富&橋爪慎吾の会話

橋爪◆敏四郎が結婚を内約しおる横尾の家計窮迫し、
「娘長子を家に置くはよろしからざるゆえ速に有馬家に引き取りくれたし」旨を申し込む。
頼寧はこれを引き取る事は差し支えなき旨の挨拶をなしたる趣にて、自分に相談あり。
自分は「それはよろしからず。今日の所にては内定というだけにてまだ結婚の期に達せず。
引取りたらば自然接近する事となるべく、当方に引き取る事は不都合なり」と言えり。
柴四朗の妻が主として周旋しおるが、この人はなかなかやり手なり。
しかるに頼寧が引き取りてもよろしと言いたる事を理由とし、
先方より本人の学資・生計費ぐらいは有馬家より支弁せしめんとする模様なり。
倉富◆予の聞く所にては先方の家計はとうてい整理できる見込なき由なり。
しかして敏四郎はもはや婚約の娘に熱心ならず
よほど倦気を生じおりたる模様なるゆえ、縁談を止めたらよろしからんと言いおる人ある様なり。


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倉富日記 大正10年08月28日

有馬伯爵家職員有馬泰明の台詞 (有馬泰明は家族ではなく単なる職員)

敏四郎の婚約解除の事は頼寧より敏四郎の真意を確かむるべき旨命ぜられたるゆえ、
ずいぶん突っ込みて問いたる事あるが、敏四郎は結婚を欲せざる様の口気あるが、
その理由を問えば「婦人の操に疑ある」様に言われる事あるゆえ、
「それならば早くこれを拒む方になされたらよろしからん」と言いたる事ありたり。


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倉富日記 大正10年09月03日

倉富&橋爪慎吾の会話

橋爪◆敏四郎と横尾長子との婚約は、
敏四郎も長子を嫌う様になり長子も始めのごとく熱心ならざる模様になりおる
倉富◆単に相識というだけの関係に止まりおるや。
橋爪◆それ以上の事なし。
柴四朗の妻も「この問題は娘の方から書状を送り敏四郎を誘いたるものなり。
娘は16歳ぐらいなるに左のごとき性質の者なり」と言いたるぐらいにて、
敏四郎も今日にてはこれを悔いおる模様なり。


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倉富日記 大正10年11月08日

倉富&有馬伯爵家相談役の一人仁田原重行子爵の会話

倉富◆敏四郎と長子の婚約を破棄する事を得たるは好都合なり。
長子の母が謝罪すべしと言いおる趣なるが、謝罪すべき事由ありや。
仁田原◆長子は早稲田大学生某と関係ある趣なり。


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倉富日記 大正12年10月01日

有馬頼寧の台詞

敏四郎が先頃北海道に行きたるとき船中にて神戸の鉄商一家と道連れになり、
その娘宣子と相識り結婚したいと言い、いずれその談あるべきにつき含みおりくれよ。


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倉富日記 大正12年11月17日

有馬敏四郎来り、宣子の身元調書を持ち来る。
宣子は敏四郎が今年夏北海道に行きたるとき途中にて出会い
敏四郎と結婚する事を約したるものなる趣にて、調書によれば別に欠点なき様なり。
敏四郎は「君より父頼万の許諾を得てくれよ」と言う。
仁田原より聞きたる所にては、
頼万より「結婚は国学院大学卒業後にあらざれば承諾せられざる」旨申し聞けられおる趣なり。
予は「頼万の趣意は決して無理とは思われず。予より頼万の承諾を求る事は為し難し」と言う。
敏四郎「結婚は卒業後になりてもよろし。
婚約だけ為し置きたきにつきその承諾を得てくれよ」と言う。


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倉富日記 大正13年02月22日

倉富&有馬伯爵家職員有馬泰明の会話

倉富◆婚約問題は如何なりたるや。
有馬◆先方の父よりの書状には「結婚は卒業後にてもよろしきも、
諸方よりの結婚申込を拒絶するため婚約だけは早く結び置きたし」との趣意なり。


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倉富日記 大正13年11月02日

有馬泰明◆敏四郎が先年来私約しおる宣子とこ結婚に対する君の意見を問う。
倉富◆もちろん適当ならず。かの如き婦人と結婚する事は
果たして宮内省にて承認するや否やも分かり難し。
しかれどもその結婚を拒みたらば、必ず敏四郎は自暴する様の事になる恐れあり。
ゆえに敏四郎が分家して華族籍を脱するまでの決心あり、
また宣子の方にてもこれを承知するならば、予は強いて反対せず。
有馬◆敏四郎は宣子を娶る事を許さるるならば、養子となりてもよろしと言いおれり。
また先方も初め適当なる養子を為す考えなりし由なり。

有馬興信所の調査報告数通を示す。
その報告によれば両親本人の性行等別段の不都合なきも、
父の出生地および来歴詳ならず、只今は兵庫県に本籍を有しおれども
その以前は度々転籍したる模様にてどこが出生地なるや詳ならず。
有馬また宣子より敏四郎に送りたる書状数通を示す。
また宣子の母より敏四郎に送りたる書状を見る。
これは結婚は遅れてもよろしきも婚約だけは早く結ぶ事を望む趣意なり。

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by oMUGIo | 2004-03-13 00:00 | 武家華族
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