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岩崎男爵家 財閥 弟 弥之助系

*三菱財閥の総帥の座は親から子へ移るのではなく、
兄の弥太郎・弟の弥之助の2つの家から交互に継いでゆく。




◆岩崎弥之助 2代総帥/初代弥太郎の弟
1851-1908 嘉永04-明治41 57歳没
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■妻 後藤象二郎伯爵の娘 早苗
1857- 安政04-
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『明治豪商の夫人』  明治36年出版

岩崎弥之助氏の夫人の名は早苗、後藤伯爵の長女である。
夫人は幼少の折よりごく活発な質で、世間からはむしろ男とまでも言われたぐらい
まず外観より申し上げたならば、
色は白く目元はキリリと締った方で花の唇も固く結ばれ
吹く風にもいかで綻びまじき風情は自然と雄々しく見上げられたものだ。
体格も肥え太り丈も並より高いので、洋服であろうが和服に袴であろうが
何を召されても似合うのはこれも夫人が自然の徳を備えているのである。

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●繁子  松方正義公爵の子松方正作夫人
●小弥太 4代総帥
●俊弥  盧高朗の娘八穂と結婚
●輝弥  櫻井房記の娘須美と結婚


●繁子  松方正義公爵の子松方正作夫人
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●俊弥  盧高朗の娘八穂と結婚
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俊弥邸
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国民新聞 明治41年02月15日  ※当時の総理大臣の年給は1万2000円

高価なる恋患い 当世写真の奇縁
『岩崎男爵の二男俊弥氏と盧高朗氏の娘八穂の婚儀 この費用20余万円』


俊弥はイギリスのロンドン大学で応用化学を学び、帰国後は旭硝子社長となる。
明治40年に上野公園で開催された東京勧業博覧会に美人写真が展示されたブースがあった。
俊弥はそこに飾られた美人写真のうち八穂の写真に一目惚れし
恋の病に取りつかれ寝込んでしまった。
当時父の弥之助もまた死の床にあり、続く俊弥の病気に家族の不安は最高潮に達した。
結局俊弥が病気の理由を打ち明けたため、岩崎家は盧家に縁談を申し込んだ。
ところが盧家は不釣合いを理由に再三辞退したため、
岩崎家は娘婿である加藤高明大臣を説得に向かわせて成婚にこぎつけた。
俊弥は28歳、八穂子は19歳だった。

なにぶん二男一生の恋女房とて、支度の品々高貴の物ばかり。
衣装は三越に申し付け、同家お好みの簿雲斎模様の60余組。
帯と帯留はみな一組別々の注文で、この金数万円。
また玉宝堂および美術工芸会社よりダイヤ入りブローチ指輪数十個など
一品100円以下の物なく、この代少なくも2,3万にのぼりたり。
また俊弥氏が精神込めての贈物はパリから取り寄せたる3万円のブローチにて、
宝石200余個入りの珍品なりとか。これに宴会の費用その他を合わすと、
少なくとも20万ないし30万はかかる勘定にて、ちょっとおめでた連を驚かす訳合なり。

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●輝弥  櫻井房記の娘須美と結婚
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★輝弥の娘たち
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◆岩崎小弥太●子供ナシ 4代総帥
1879-1945 明治12-昭和20 66歳没
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シルクハットの2人   左 小弥太   右 グラバー
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■妻 島津珍彦男爵の娘 孝子
1888-1975 明治21-昭和50 87歳没
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小弥太が造らせた屋敷は7軒。

・鳥居坂本邸 父の造ったバカでかい洋館が嫌になって造った和館。
内外を工芸品のように造り込んだ。
・元箱根別邸 夏用の別邸。
ケンブリッジ大学留学中に覚えた狩猟とゴルフを楽しむため20万坪の山と土地を買った。
ゴルフ場は9ホールあり、夫人と執事と回り、他人とはプレイしなかった。
・京都別邸 春秋用の別邸。
京都が好きな夫人のために造った。春はタケノコ狩り、秋はマツタケ狩りをする。
・熱海別邸 冬を中心にオールシーズン用の別邸。
・箱根湯本別邸。母のために造った別邸で、コンドルに設計させる。
・吉祥寺別邸。井の頭の池の近くにあり、ちょっと気分を変えたいとき用の別邸。
・静嘉堂文庫。蔵書のために世田谷に丘を一つ買い、洋館を建てて収めさせた。

小弥太は熱海別邸を一番利用した。
小弥太が東京の本邸から熱海の別邸に向かう際には、5人の執事がお供をした。

・深瀬勇  小弥太の幼馴染で、執事のトップ。
・北村大作 同じく小弥太の幼馴染で、渉外担当。
・金上盛三 美術学校出身で、買い付けや飾り付けなどの美術担当。
・高橋活一 執事深瀬の執事。
・柳原敬吉 熱海別邸の執事。

他に連れて行く使用人は
ボーイ3名。主人担当と夫人担当は別々。
料理人4名。京料理担当2名、フランス料理担当1名、手伝い1名。
運転手3名。リンカーン・パッカードなど3台連ねて移動する。
女中3名ほど。東京本邸の女中のうち3名程度がお供する。

もともと熱海別邸に勤めている使用人は
執事柳原敬吉の指揮の下に、
電気技師1名・ボイラーマン1名・掃除係3名・庭師1名、通いの植木屋が1日最少で10名。
小弥太は人糞の肥を嫌悪していたため、
邸内で清潔な野菜・果物を、温室では西洋野菜やトロピカルフルーツを作らせていた。

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岩崎小弥太に仕えた執事の証言

執事の毎日は朝7時頃から男爵のおひけ(就寝)まで詰めっきりのうえ、
日曜はむろん盆も正月もありませんでした。
家の中の言葉や立ち居振る舞いは京都の公家風を基本にしてましたから、
それを覚えることから始め、次第に男爵の気持ちを先回りして事を処理できるようになり、
愚痴の聞き役や叱られ役までこなせるようになれば一人前ですが、
それで一生ですから、マァ普通の人間のやる仕事じゃありませんね。

女中さんは行儀見習いの良家の子女を含めて常時7、8人いまして、
和服に桃割れの髪型で小間使いやら裁縫やら給仕なんかをやってました。
岩崎家で女中を務めると結婚の時にひとつの格式になったようです。
しかし女中頭のフジがやかましくて、入りたての娘はよく泣いていましたね。
今でもテレビの時代劇で大奥の女中たちの意地悪を見ると、昔を思い出します。

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by oMUGIo | 2005-12-02 00:00 | 勲功華族
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