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柳原伯爵家 名家 その3

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白蓮が書いた伊藤伝右衛門への絶縁状の元となった原稿 ※抜粋

私は今、貴方の妻として最後の手紙を差し上げるのです。
私がこの手紙を上げるということは突然であるかもしれませんが、
私としてはむしろ当然の結果にほかならないのです。
あるいは驚かれるでしょうが、
静かに私のこれから申し上げることを一通りお聞き下さいましたなら、
私が貴方からして導かれ
遂に今日に至ったものだと言うこともよくお解りになるだろうと存じます。

そもそも私と貴方との結婚当時からを顧み、
なぜ私がこの道を取るより他に致し方がなかったかということを
よくお考えになっていただきたいと思います。
御承知の通り私が貴方のところへ嫁したのは、
私にとっては不幸な最初の縁から離れてようよう普通の女としての道をも学び、
今度こそは平和な家庭に本当の愛を受けて生きたいと願っていました。
たまたま縁あって貴方の所へ嫁すことに定まりました時、
私としては年こそは余りに隔てあるものの、
それもかえってこの身を大切にして下さるに相違なく、
学問のないことも聞いたれど、自分の愛と誠をもって足りない所は補って
貴方を少しでも大きくしてあげたいと思っておりました。
言うまでもなく、
貴方はまず誰よりも強く自分を第一に愛していただけるものと信じていたればこそです。

あなたがどのように待遇して下されたかという事を思い出す時、
私はいつでも涙ぐむばかりです。
家庭というものに対しても、
足らぬながらも主婦としての立場を思い相当考えも持って来ました。
しかるにその期待は全く裏切られて、
そこにはすでに私の入るより以前からいる女サキがほとんど主婦としての実権を握り、
あまつさえ貴方とは普通の主従の関係とはどうしても思えぬ点がありました。
貴方が建設された富を背景としての社会奉仕の理想どころか、
私はまずこの意外な家庭の空気に驚かされてしまいました。
それは貴方が私よりも彼女を愛しておられたからです。
ことあるごとに常に貴方はサキの味方でした。
私という貴方の妻の価値は一人の下女にすら及ばぬのでした。

お別れにのぞんで一言申し上げます。
十年の間、欠点の多いこの私を養ってくだされた御恩を謝します。
この手紙は今更貴方を責めようとして長々しく書いたのではありませんが、
長く胸に畳んでいたる事を一通り申し述べて貴方の最後の御理解を願うのです。
私の無き後の御家庭は、かえって平和であろうと存じます。
貴方としても御心配が少なくなり、
何事も私の愛する者は憎く私の嫌いな者は可愛いという不思議、
貴方のその一番私に辛かった御心持ちも、
私さえ居なければ家族の者のどんなにか幸福となることでしょう。

女心というものは、
真に愛しておやりなさりさえすれば心からお慕い申すようになる事は必定。
なにとぞこれからはもう少し女というものを価値つけて御覧なさるよう、
息子の為にもまた貴方の御為にもお願い申しておきます。

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大阪朝日新聞大正10年(1921)10月22日夕刊に掲載された絶縁状 ※抜粋

*白蓮の原稿を元に、宮崎龍介と仲間たちが書き直したもの

私は今、貴方の妻として最後の手紙を差し上げます。
私がこの手紙を差し上げるということは貴方にとって突然であるかもしれませんが、
私としては当然の結果にほかならないのでございます。

御承知の通り結婚当初から貴方と私との間には全く愛と理解とを欠いていました。
しかし私は愚かにもこの結婚を有意義ならしめ、
でき得る限り愛と力とをこの内に見出していきたいと期待し、かつ努力しようと決心しました。
私がはかない期待を抱いて東京から九州へ参りましてから今はもう十年になりますが、
その間の私の生活はただやるせない涙をもっておおわれ、
私の期待はすべて裏切られ、私の努力はすべて水泡に帰しました。

貴方の家庭は私の全く予期しない複雑なものでありました。
私はここにくどくどしくは申しませんが、貴方に仕えている多くの女性の中には、
貴方との間に単なる主従関係のみが存在するとは思えないものもありました。
貴方の家庭で主婦の実権を全く他の女性に奪われていたこともありました。
それも貴方の御意志であったことは勿論です。
私はこの意外な家庭の空気に驚いたものです。
こういう状態において貴方も私との間に真の愛や理解のありようはずがありません。
私がこれらのことにつきしばしば漏らした不平や反抗に対して、
貴方はあるいは離別するとか里方に預けるとか申されました。
実に冷酷な態度をとられたことをお忘れにはなりますまい。
また、かなり複雑な家庭が生むさまざまな出来事に対しても常に貴方の愛はなく、
したがって妻としての価値をを認められない、
私がどんなに頼り少なく寂しい日を送ったかはよもや御存知ないはずはないと存じます。

私は折々我が身の不幸をはかなんで死を考えたこともありました。
しかし私はでき得る限り苦悩と憂愁とを抑えて今日まで参りました。
その不遇なる運命を慰めるものはただ歌と詩とのみでありました。
愛なき結婚が生んだ不遇とこの不遇から受けた痛手のために、
私の生涯はしょせん暗い暮らしのうちに終わるものとあきらめたこともありました。
しかし幸いにして私には一人の愛する人が与えられ、
そして私はその愛によって今復活しようとしておるのであります。
このままにしておいては貴方に対して罪ならぬ罪を犯すことになることを怖れます。
もはや今日は、
私の良心の命じるままに不自然なる既往の生活を根本的に改造すべき時機に臨みました。
すなわち、虚偽を去り真実につく時が参りました。
よって、
この手紙により私は金力をもって女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の決別を告げます。
私は私の個性の自由と尊貴を守り、かつ、つちかうために貴方の許を離れます。
長い間私を養育下さった御配慮に対しては厚く御礼を申し上げます。

追伸
私の宝石類を書留郵便で返送いたします。
私の実印はお送りいたしませんが、
もし私の名義となっているものがありましたら、
その名義変更の為にはいつでも捺印いたします。

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大阪毎日新聞大正10年(1921)10月25日~28日、
4回に渡って掲載された伊藤伝右衛門の反論文 ※抜粋

※当時の総理大臣の月給は1,000円

燁子!お前が俺に送った絶縁状というものはまだ手にしていないが、
もし新聞に出た通りのものであったら、ずいぶん思い切って侮辱したものだ。
妻から夫へ離縁状を叩きつけたということも初めてなら、
それが本人の手に渡らない先に堂々と新聞紙に現れたというのも不思議なことだ。
俺はこの記事を新聞で見て一時はかなり興奮した。しかし今は少し落ち着いて、
静かに考えるとお前という一異分子を除き去った伊藤一家が
いかに今後円満に一家団欒の実を挙げ得るかということを思って、
かえって俺自身としては将来に非常な心安さを感じている。

お前から送ったと伝えられる絶縁状を見ると、
私としても言い分を何かの機会に言ってしまいたくなってくる。
そもそも、お前との結婚問題からが不自然なものであった。
当時妻を亡くした俺には、
お前より前に京都の某家との結婚問題が起きてそちらがほとんどまとまりかけていた。
そこへふとお前の話が持ち上がり、
京都のあまり裕福でない華族に嫁いでいて、
貧しい生活から逃げるように柳原家へ帰った出戻りの娘であるが、
貧しさには馴れている妾腹の子で母は芸妓だから、
という申し込みで上野の精養軒で見合いをした。
そこで初めてお前というものに会った。
お前はこの日、見合いということを気づかなかったらしい。
それからその晩有楽座へ来てくれということで、
その劇場では柳原伯爵夫妻に初めて会った。
追って話を進めることにして九州に帰ってくると、
幸袋の家へ帰りつかぬ前に最初の橋渡しであった得能さんから電報が来ていて、
話がまとまったからすぐ式を挙げたいとあったので、
まったく狐を馬に乗せたような気がした。

そして結納の取り交わせを済ませたが、
この結婚は最初からあまりいい都合に運ばなかった。
若松にいた某が今度の黄金結婚を東京の新聞が書くと言っていると言って、
その口止め料として相当の金高を要求した。
俺は一も二もなくはねつけたが、
その結果この男がいい加減の材料を東京の某新聞社に売って、
そこで燁子の身代金として何万円かを柳原家へ送っただの、
それは義光伯爵の貴族院議員選挙の運動費に使うだの、
伊藤は金子によって権門を買うのだなどと書かれた。
俺はいい気はしなかったので急に嫌気が差しすぐに破談を申し込んだが、
間に入る人々になだめられてとうとう結婚式を挙げた。
今考えるとあの時俺が言い張ったら、十年という長い間の苦しい夢も現れなかったであろう。
柳原家へは俺としてはお前のためにビタ一文送ったことはない。
この風説は柳原さんにお気の毒なことと思っている。

結婚の第一日、一平民の、お前から言うと一賎民の私の頭に
不思議に感じたことがあった。
式が終わって自動車で一緒にに旅館へ引きあげてきた時、
お前はどうしたのか部屋の片隅でしくしくと泣いた。
俺は実家を離れる小さい娘心の涙かと思ったが、この涙は自動車に乗る時、
一平民たる俺が華族出の妻を後にして先に乗ったという事がわかって、
実際これは大変な妻をもらったと思った。
家庭というものをまるで知らず、
当然自分は貴族の娘として尊敬されるものとのみ考えていたお前の単純さは、
一平民から血の汗を絞ってやっと今日の地位を得た人間、
世間というものを知り過ぎている俺にとっては、叱ったり諭したりしなければならなかった。
それを叱れば、お前はそれを虐待だと言って泣いた。

俺の家庭の複雑なことは、はじめからお前がよく知っているはずだ。
妹の子供があること、その他家族の模様は、
結婚に先立って逐一柳原家に書札を入れて明らかにしてある。
かえってお前が北小路家で産み落としたという子供のことは
俺には何も告げられてなかった。
俺に隠されていた北小路家の子供についても毎月学費を送ってある。
勉強中の当人の意志も尊重したいということで、
俺は申し出の30円の仕送りを別に与えていた。
当時小さかった八郎は生れた時から亡くなった妹が始終連れてきては、
よく我が子のように抱いたものだったから俺には一番可愛かった。
家へ引き取って育てることになってからはことに自分の子供のような気がした。
夜なぞその子を一緒に抱いて寝たらと言うと、
お前は平民の子を抱いて寝るということを死ぬよりつらい屈辱だといって声をあげて泣いた。
俺の家はすっかり暗くなった。

お前が俺の家に来てから、第一に起こった大きな出来事は例のおさきの問題だった。
おさきのことも、おさきだけの仕事が立ち働きがお前にできれば少しも差し支えがないのだ。
しかし家庭の主婦として伊藤家のすべてを切り回してやっていくということは、
とてもお前にはできない相談だった。
お前はただ一途に自分を侮辱するものとしてわめいた。
金銭の計算さえ知らず、
伊藤家の財産があり余るものと見ているのか時々子供のようなことを言い出す。
いつか早良郡の箱島に遊びに行ったとて、
その箱島が気に入ったからあの島を買ってくれと頼まれた時には全く二の句が告げなかった。
世間知らず、骨董のように買われた身だ、と言ってお前は歌や文に書くけれど、
飾り物にしておかなければどうにも危険ではないか。
本当に伊藤家のために働き、本当に伊藤家の中心となり家を治めていこうという心持ちが
お前にあるかどうかを、俺は危ぶまずにはおられないではないか。

女中はいくら沢山にいてもいつかは他家へ縁付いてしまうものだから、
一人くらいは生涯家にいて家を死場所とするような忠実な女中が欲しい、
おさきは古くからいて実体な性格もよくわかっているから、
家庭一切のことはなるべくおさきに任していたのだったが、
そのうち妻にぽっくりと死なれて、
それ以来は夜具一枚皿一枚の出し入れもおさきがいなければわからなくなり、
おさきにも一生涯家にいるよう親許へも話して承諾させ、
家の出納係をさせていた原田と娶わせた。
そういう家庭へ乗り込んだお前は、まず第一におさきのすることが気に入らなかった。
良いものにはどこまでも良い、悪いとするとどこまでも悪い、
そういう極端から極端の頑固な性質を持っているお前は、
お姫様育ちで主婦としての何の経験も能力もない自分のことは棚に上げてしまい、
おさきがまめまめしく立ち働き他の女中までがあれを立てるのを見て、
お前はむらむらと例のヒステリーを起こした。
おさきのすること、おさきの顔を見れば腹がたつといって泣いた。
おさきに対する嫉妬的な狂人じみた振舞いはますますさかんになってとめどがなく、
毎日病気と言っては寝てしまい、食事もせずにお前は泣き通していた。
「女中風情が主婦としての私の権力を犯す」
そういうことを一途に考えたお前には何を言っても受け付けられなかった。
それがだんだんと嵩じてとうとう俺も正式に離別問題を持ち上げて、
その結果お前はしばらく柳原家に帰った。
しかし柳原家からの懇々とした頼みもあり、それではこちらも何とかしようというので、
おさき夫婦は別に原田を大正鉱業の社員として家から出すこととし、改めてお前を迎えた。
お前の立場を明らかにしてやった。

一ヶ月に500円、年に5000円までは小遣いとして使ってよいということに許してあった。
家内中みな月給制度で、
現に俺の入用もお前と同様月500円までと定めてあることも知っているはずだ。
その他にあの本が欲しい、短冊が買いたい、誰とかに丸帯、誰とかに指輪、
そんなことでいつもこの金高を越した。
東京・京都・大阪を旅行する度ごとにも、お前は決して質素とは言えなかった。
このことにも虐待はしなかったはずだ。
毎日幾十本とお前のところへ来る手紙の中には、
ずいぶん寄付強請のはなはだしいものもあった。
学校教育に幾千円を寄付してくれの、今500円あれば女一人の一生を救うことができるの、
奥さまの力で生きたいのと、それは限りがなかった。
お前は少し感傷的に持ち込まれるとすぐ同情し、
これらのあらゆる無心にことごとく応じたいという心持ちを持った。
そんなことをいちいち取り上げていたら、伊藤家の財産が幾億万円あっても足りるものではない。
出してはやらぬと言うと、無情だの冷酷だのと言って泣いた。
少し叱ると、お前はすぐ頭痛がしためまいがした、そしてしくしくと泣いては二日でも三日でも寝た。

金次の嫁〔艶子〕のことも、ただお前は理由なしに艶子の顔さえ見れば憎いと言う。
俺の目から見てあのくらい温順なやさしい嫁はないと思っている。
別家をして、年に一度か二度しか顔を見せない嫁が、どうしてあれほど憎いのか俺には解らぬ。
お前はこうなるとまるで子供のように手もつけられず、すべてのものを焼き尽くそうとした。
正月と盆、毎年伊藤家では一家親族が寄り集まって楽しい顔合わせをする例となっているのが、
お前ゆえにこの一門の集合はなんだか一年の厄日のごとくなってしまった。
遠い九州へ来て誰も味方がなくてはいつまでも寂しかろう、
どうすればお前の心持ちを自分の家にしっくり合うようにすることができるかと、
これにはかなり心を砕いた。
そしてお前には、妹や娘達の養子を探させた。
お前の眼鏡にかなってお前の味方となるような養子を入れたら良いと思ったからだ。
その結果、初枝には鉄五郎を、静子には秀三郎を、いずれもお前が探してきて、
俺はそれに一も二もなく賛成して家に入れることになったのではないか。

お前のヒステリーは、
お前の趣味性を満足させられるだけの話相手のない幸袋の家で最も多く起った。
その点博多にはお友達も多いしいくらか気が紛れてよかろうと思って、
あの天神町の家を建築してそれに移そうと考えたのだ。
お前が浄めの間が欲しいと言うから、立派な祭壇もこしらえてやった。
そしてこの建物もお前の気の済むよう、
お前の好きなお前の眼鏡にかなって家へ来た静子の養子秀三郎の名義にしてやった。
それからなおお前は京都にも一軒家が欲しいと言うから、
今お里のやっている伊里の建物をお前の名義にしてやったではないか。

お前が寂しがるから、お前の入れてくれという女中はたいがい家に入れた。
それもみなお前のヒステリーを起こさないために、
努めて俺はそういうことには極めて温順であった。
死んだゆうのことも、元を言えばお前の勧めから家へ入れることになったのだ。
亡くなったおゆうのことも、はじめはお前が寂しいと言うからお前の侍女として家へ入れた。
おゆうが来てからは少しはお前のヒステリーも治ったようだった。
歳は若いけれどおゆうは怜悧な女で、よくお前と俺との間の調和を取ってくれた。
お前に代ってよく俺にかしづく一方、お前のためにもよい女房であったに違いない。
おゆうのためにどのぐらい家庭が円滑に行ったことかしれない。
お前の極端な好悪の激しい性格、そして物を信じやすい情に弱い危険な性分、
おゆうはそこをよく飲み込んでいた。

俺は決して品行方正であるとは言わない。
しかし何等の愛情が無く自分を自分から人形だという看板を上げている病的な妻のみを擁して、
家庭の満足ということは得られるものではない。
そしてお前はまた俺にそういう所業を当然のことのようにして絶えず勧めたではないか。
今の舟子のことなども、もう止したらと言うのを、
おゆうもいないしどうか私の話相手にしてと頼むから、
お前の良いようにさせたのだ。
お前はそれを金力を持って女を虐げるものだと言っている。
俺自身の考えではない、お前こそ一人の女を犠牲にして虐げ泣かせ、
心にもない跪きをさせているのではないか。

俺はお前が来てこの年まで、お前のわがままやヒステリーには困りながら、
世間に向かってお前のことを爪の先ほども悪く吹聴したことはない。
それだのにお前は、世間のどの人よりも俺を罵り、
どの人よりも悪い仇敵として呪っていたではないか。
お前の雅号にしている白蓮!
お前はある人に、伊藤のような石炭掘りの妻にこそなれ、伊藤の家のような泥田の中におれ、
我こそは濁りに染まぬ白蓮という意味でつけたのだといったという、その自尊心。
そういう結婚式の第一日に見せられた自尊心ないし持病のヒステリーは
この十年間どのくらい俺を苦しめたことと思う!

お前は自分の歌集を出したいと言って俺に頼んだ。その時すぐ俺は出版費として600円やった。
夫に泣きついてやっと出してもらった書籍の内容を、俺は今ここに言いたくない。
夫として罵られながら呪われながらなお、お前の好きなことだお前が偉くなることだ、
そう思ってじっと堪えた事も一度や二度ではない。
俺はお前の好きな文学についての仕事にはまるで無干渉であった。
どれだけ時間を費やそうとどんなことをしようと、少しもかまわず放任主義を取っていた。
もとより趣味が違うのだから、干渉したところで解ろうはずがないとも思ったからだ。
俺が自分の今までの不品行であったことを自覚すればこそ、
お前が絶えず若い男と交際し、時には世間を憚るような所業までも黙って傍らから眺めていた。

お前は虚偽の生活を去って真実に就く時が来たというが、
十年!十年!と一口にいうけれど十年間の夫婦生活が虚偽のみで送られるものでもあるまい。
長い年月は虚偽もまた真実と同様になるものだ。
嫌なものなら、一月にしても去ることができる。
何のために十年という長い忍従が必要だったか。
お前は立派そうに「罪ならぬ罪を犯すことを怖れる」というが、
そういう罪を俺に対して怖れるほどの真純な心がお前にあったかどうか。
俺はどうかして何とかして、お前のひねくれた心を真実の心持ちに目覚めさせたい、
お前の持っていた無邪気さを生き生きとさせてやりたいと今日まで努力したが、
それもみな水泡に帰した。

十年間は夢であった。この十年間は俺にとって一生涯の一番辛いものだった。
お前は八郎に柳原家の妾腹の娘を入れて家の相続をさせようと建議したが、
俺がこれを聞かなかったことにもかなりな不平を持っている。
しかしその時俺の腹には、
もうどんなことがあっても平民の子に華族の嫁はもらわないという決心がついていたのだ。

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by oMUGIo | 2002-02-13 00:00 | 公家華族
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