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北白川宮家 その3

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<能久王の婚約騒動>

明治天皇紀 明治10年04月21日

ドイツ留学の北白川宮能久王に帰朝を命じたまう。
能久王は明治03年ドイツ留学を命ぜられ4年来ベルリンに在りて、
学費年額7000円にては支え難く1年2万円を要せんとす。
他の各親王家1年の用度もなお能久王の学資に及ばざるが如き状態なるをもって、
能久王の請求に応ぜらるべくもあらず、
明治09年04月に至り既に学業も進歩せる趣なれば本年中に帰朝すべしと命じたまう。
しかるに能久王は私費をもってなお滞留せんとの志あり、
さらに留学の延期を懇請す、聴したまわず、今年の01月さらに帰朝すべしと命じたまう。
能久王はドイツ貴族ブリタアの娘と結婚の内約あり。
これが勅許を得んと欲して徳大寺実則に内願の書を発し、また書を岩倉具視に寄せて曰く
「帰朝の命ありといえども学業半途にして帰朝せば数年間の勉学水泡に帰せんとす。
ゆえになお2,3年の留学を切望す。また文明の源流は婦人に発すという欧州の通論により
ドイツ貴族の娘を娶りて皇家を助け国家に尽くさんと欲す。よりてこれが勅許を得んことを願う」と。
さらに家令をして委曲の内情を岩倉具視に告げしむ。
三条実美・岩倉具視・徳大寺実則ら、能久王の書を見て意外なるに驚く。
徳大寺これを木戸孝允に商る。木戸また愕然として
「こと皇室の尊厳に関し、その影響甚大なり」と決して聴許せらるべからざるを説く。
三条もとより同意なるをもってすぐに天裁を仰ぎ、
徳大寺をして能久王に電報を発せしめて曰く「皇族の外国人と婚嫁するを得るの規定なし。
かつこと重大に属す。突然申請せらるるは軽率の至りなり。決して聴許あらせられず。
かつ既に帰朝の勅命あり。すぐに発程せるべし」と。
岩倉また寺島宗則をしてドイツ公使青木周蔵に電命し、
速やかに帰朝せらるべき旨を能久王に伝達せしむ。
この日、天皇さらに徳大寺をして本年中に帰朝すべき旨を能久王に伝えしめたまう。


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<能久王の婚約騒動>

明治天皇紀 明治10年07月03日

北白川宮能久王留学延期を請願せしが許されざるをもって、
04月12日ベルリンを発して帰朝の途に就く。
能久王留学中にドイツ貴族の娘と私に婚約を結び帰朝せんとするに臨み、
これを同地の新聞に広告せり。
その解決の方法および能久王の処分につきて内議する所あり。
これを岩倉具視に一任することに決す。岩倉、外務卿輔らと協議し能久王に説く所あり。
能久王その婦人に破約を通告し、また謹慎の意を表せんとす。
ただし東京の邸に在りては外人の訪問する者多くして籠居に適せず京都に赴かんとす。
天皇これを聴したまう。能久王この月26日をもって京都に入り、
爾来京都に在りしがこと漸く解け11月06日京都を発して帰邸す。


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フランスにて カラー写真 左から 房子妃 フランス人御用掛エリザベート・ソビー 成久王
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by oMUGIo | 2001-02-18 00:00 | 皇族
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