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吉田清成子爵家 官僚

◆吉田清成
1845-1891 弘化02-明治24

*イギリス・アメリカに留学


■妻 士族志村智常の娘 貞子
安政03-
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●文子 三井武之助夫人
●清風 次代当主
●清純 井上清純男爵となる
●清介


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萬朝報 明治31年07月22日

男爵三宮義胤の女房がドイツ人なることは誰も知るところなるが、
西洋人にして本邦の事情に暗きを幸いとし、
これまで我が妹なりなどと称して婦人を屋敷へ引き入るることもしばしばなりしが、
ことに驚くべきは彼が故子爵吉田清成の未亡人貞子と密通の一条なりとす。
この密通の成り立ちはこれをつまびらかにせずといえども、
吉田家がいまだ白金志田町におりたる頃よりのことなるは確かにて、
その後三宮は貞子に勧めて志田町の屋敷をば1ヶ月100円にてロシア公使に貸与せしめ、
芝区三田華族稲葉の控邸を1ヶ月50円にて借りこれに移らしめたるが、
この新借家はかなり手広く数室あるうちに2階に1個の秘密室あり。

三宮は月に6,7回は必ずこの秘密室にて未亡人貞子と会合し、
会合中は子供はもちろん何人も2階に上がるを許さず、たいてい4,5時間にて辞し去るを例とす。
また月に2回以上は互いに手を携えて明神の開花楼あるいは池上の明保野に到る。
ことに目立つは三宮が大磯の別荘に到れる時にして、
その間は信書の往復激しく吉田家への郵便電信の配達夫が出入することも引きも切らずという。
これらは密約的畜妾と言うべきなり。


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萬朝報 明治31年08月30日

男爵三宮義胤が故子爵吉田清成の未亡人貞子と密通しつつあることを掲げたるに、
吉田家よりは取り消しを申し来たりしのみならず、
事実無根にあらずやと疑いを差し挟みたる人さえありしかば、
我輩もいささか不安心に思い種々の方面について再探を試みたるに、
全くの事実なることを確かめ得たり。
よってそのうち最も精確なる部分のみを記載し、前日所報の誤りなきことを証せんとす。

貞子は旧幕臣志村知常の長女にして絶世の美人なるが上に
ダンスにおいては日本第一等をもって称せらる。
ゆえに本年すでに42歳なれども何人も目にもようやく28,9にしか見えず、
これぞ三宮がその夫人重野(ドイツ人)の厳重なる監察の目を潜りて密通したるゆえんにして、
貞子も生来多情の婦人なるをもって深く三宮に迷いつつあり。

両者が今日のごとく不義の奴隷となりたる起こりを尋ぬるに、
三宮はかつて貞子を北白川宮の御用掛に推薦したることあり。
この役目は1週1回の勤務にして妃殿下のお付きなるが、
たいてい公使を務めたる人の妻女にして交際のことに通ずる者に限られたり。
貞子のごときはけだし最好の適任者なるべし。
そはともかく両者の交際はこの時より始まりしにて、その実際はいつしか一種の醜交と変じたり。

我輩が再探を試みある確かな手筋より聞き得たるところによれば、
01.三宮は宮内省に出勤する前にも立ち寄り、帰りがけにも立ち寄り、
たいてい日暮れ頃までいることほとんど毎日のごとくなり。
02.来る時は案内なしに上がり込み、
玄関より右へ回り中庭を隔てたる茶座敷様の8畳の離れ室に打ち通り、
貞子と密会し家人には茶を運ぶ時のほか一切その室に入るを許さず。
03.帰る時は貞子は玄関まで送り来たり、互いに無言無挨拶にて別る。
04.夕方歩行し来る時は、たいてい12時頃までおる。
05.去年07月ごろ三宮は宮内省に出勤する時
ちょっと吉田家に立ち寄りて貞子と何事をか打ち合せをなしおき、
退庁の途中上野の八百善に到りて黒田と偽名し貞子を待ちたるが、
貞子は午後の4時頃に三田の家を出て大いに苛立ちて車夫を急がせ八百善に赴き、
三宮と会して夜の12時すぎまで同所にありしが、三田の家に帰り着きしは夜の02時頃なりき。
06.同08月01日貞子は由比ヶ浜の別荘に到る。
この時葉山の別荘にありたる三宮よりしばしば手紙来る。
07.同08月23日両殿下西京より御還幸の当日、
葉山にありたる三宮は鎌倉に来たりて貞子を訪い、
相携えて大船に到り同所にて奉迎帰京したるが、貞子はその翌日鎌倉に帰る。
しかるに東京の自宅に一泊したる形跡なくはすこぶる怪しむべきなり。
08.三宮もまた葉山に引き返し相変わらずしばしば手紙を寄せ、一両度自ら貞子を訪い来たれり。
09.同09月07日貞子は東京に帰り同15日までに2度上野の八百善に到りて三宮と会合し、
例によって夜の02時頃家に帰る。
10.同09月20日頃志田町なる吉田家の親戚方に婚礼ありて
貞子はこれに招かれ12時頃帰宅せしに、途中寺町の寂しき横町に差しかかりたる時
三宮は歩行しながら来合わせしかば、貞子ただちに俥より降りて三宮に手を引かれ
睦まじく何事かを語らいつつ三田の家に帰り、同夜三宮は珍しく一泊し翌朝08時頃帰り去る。

貞子の妹キヨ(35)のごときは、13の時三田の南海学校に入り教員某と通じ、
14の時孕みて子を産み、清成の甥清孝と通じ、書生と通じ、
三州紡績会社の岡田令高に嫁し姦通のために追い出されしほどなれば、
その姉貞子が今日のごとき不始末あるはあえて不思議とするに足らざるなり。

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◆吉田清風
明治12-
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■妻 山崎直胤の娘 八重
明治24-
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●清重
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by oMUGIo | 2005-07-06 00:00 | 勲功華族
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