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by oMUGIo
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有馬伯爵家 久留米藩主 その6

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有馬日記 大正08年03月01日  ※当時の総理大臣の月給は1,000円

父さん会社の重役になるので金が入用との事。
他ならぬ人の頼みゆえ、自分の出来るだけはしてやりたいと思う。
1000円くらいなら都合できると答えておいた。


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有馬日記 大正08年03月05日

二人にて歩むと往来の人がしきりに注目するのは何のゆえにや。
別に二人ともさして人目を引くほど美しきにもあらず。
さらばおかしく見ゆるにやと思えど、まさかそうとも思えずどうしてもわからず。
しかし相変わらずスウィートな人なり。


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有馬日記 大正08年03月11日

結局2500円の半分ばかりを都合してもらいたいとの話であった。
可愛い人の父さんと思えばどんなにしても尽くさねばならず、
またそれが可愛い人の心を少しでも喜ばす事ができると思うと限りない満足を覚える。


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有馬日記 大正08年03月14日

富子〔別の妾/芸者小鈴〕がいろいろやかましく言うから一度あってくれとの
おかみさんの頼みにやむなく会う事にした。
私が千葉県へしばしば行くのは千葉にいい人がいあるためだ、
それはキリスト教の学校の生徒だ、
少しは違うけれど出鱈目にしてはあまりに当り過ぎている。
そして自分は別れるのは嫌、洋行までは今まで通り会って洋行から帰ったらまた元通り、
洋行中は待っているとの事。私はそれは出来ぬと言った。
しかしなかなか承知せぬ。もう会わぬつもりだ。


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有馬日記 大正08年03月21日

一緒に電車に乗ったり一緒に歩いたり活動に入ったり料理屋へ行ったり、
ずいぶん勝手な事をするのに少しも見つからぬとは実に不思議だ。
ミドリさんの言うようにやはり祝福されているのかしら。


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倉富日記 大正08年03月26日

有馬伯爵家職員有馬秀雄の台詞 (有馬秀雄は有馬家の家族ではなく単なる職員)

先日新橋の待合【増田屋】に到り小鈴を召い頼寧と関係を絶ちたるやを問いたるところ、
小鈴「そんなことなし。洋行中は5年でも何年でも待ちおると言いたり。
頼寧より小鈴に送りたる書状は小箪笥に一杯あり。
いかなる事ありても小鈴を見捨てずという趣意は幾度も書きおりて
今さら頼寧より関係を絶つと言い出す訳にはいかず。
頼寧のためには芸妓としてなす事の出来ぬ事までなしたり。
頼寧の依頼により若奥様の時計の鎖・櫛・頼寧の時計鎖などを70円ばかりに売却し
その金を頼寧に渡したり。その後また古洋服・外套などを持ち来たり売却を頼まれたるも、
これは芸妓として売り払いがたきにつき自分のイトコに頼み売却せんとしたるも売れず」


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倉富日記 大正08年03月26日

橋爪慎吾の台詞

頼寧近日またまた行先不明の旅行をなしおる。
先日頼寧が行先不明なりし時、急用ある時に困るにつき
今後は左様な事なき様せられたし旨橋爪より夫人に話し置き、
夫人よりこの節の旅行についても行先を問われたるも、
頼寧は「3日ぐらいの旅行につき、強いて行先を告げおかざるもよろしくはなきや」と言い、
夫人も「それぐらいの日数ならばよろしからん」と言われたる趣なる。


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倉富日記 大正08年03月30日

橋爪慎吾の台詞

夫人が頼寧が先の雇人ミドリと私しミドリとともに横浜その他に宿泊し、
1000円をミドリの父に渡したる事実を探知しおられる


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有馬日記 大正08年04月18日

3年か5年ほど外国へ行きその間ミドリも絵を習い、
また日本へ帰りミドリは絵をもって独立する。
ミドリとしても隠れた人となる事は好まぬし私としても好まぬ。
しかし終生外国にいる事は無謀であるから、
表面は独立という事にして私が陰からそれを助け、
終生私の愛人として暮らすという事を承諾してくれた。
ミドリにとっては気の毒であるけれども
ミドリが承諾してくれれば四方無事に納まるというものだ。


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有馬日記 大正08年05月13日

今日になっては
ミドリはもやは一生を私の愛人として陰の人として送る事を少しも意に介さぬらしい。


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倉富日記 大正08年05月21日

倉富&有馬頼寧の上司東京帝大農学部教授原煕の会話

倉富◆先頃頼寧洋行に関する君の意見は聞きたるも頼寧にはその事を話しおらず。
頼寧は君に面会して賛成せざる理由を問う事を予に嘱したり。
いかなる趣旨にて頼寧に報告いたしおきてよろしきや。
原◆如何様なる理由でも差し支えなし。
倉富◆他日君が面会したる時話が行き違いては面白からざるゆえ、
大略君の趣意を定めおきたし。
原◆内地にて研究できるゆえ外遊の必要なし、との趣意を伝えん。


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倉富日記 大正08年05月27日

倉富&橋爪慎吾の会話

橋爪◆頼寧より「荻窪に家屋を新築したし。
只今の住居は1万7000円にて買入れ増築もなしおるゆえ、
これを売りたらば2万4,5000円ぐらいにはなるべし。
その金にて荻窪に建築する事を得るならんかと考える」旨の話ありたり。
倉富◆頼寧の話は常に変更するゆえ困る。先日までしきりに洋行の希望を述べ、
その事については原煕が賛成せざる理由を問い質す事までも予に依頼せられたるぐらいなり。
最初予は洋行の事を相談せられたる時夫人の承諾を必要とする旨を話し、
頼寧より夫人に話されたるところ夫人は無期限にては承諾しがたしと言い、
頼寧が4,5年の期限にて相談せられ、夫人はこれを承諾せられおるやに伝聞しおれり。
もし頼寧が洋行でもせられる様ならば、夫人をして荻窪に留守せしむる事は到底できざる事なり。
予は洋行を止むるつもりならば、むしろ家屋建築の方を賛成すべし。


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有馬日記 大正08年05月30日

本郷に家が見当たって6月には引移れるとのこと。はやくできればよい。

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有馬日記 大正08年07月18日

*ミドリの両親は東京へ引越し入谷に住んでいた。
アメリカ行が不可能となったミドリは横浜のYWCAを出て両親と暮すことになった。

上野で自動車を降り、山内を抜け入谷町の家に着く。
両親もいたので二階へあがり、9時半頃まで話した。
付近は長屋に取り囲まれ騒々しいやら不潔やら、またうるさいやら決して長く住む所ではない。
しかし私の行くにはかえって気楽ででもあり、またこのような社会を見る便ともなる。


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有馬日記 大正08年07月21日

入谷へ行ったのは5時過ぎであった。
父さん母さんがミドリがおらぬので愛想に出て来られて
きまりが悪い様な気の毒な様な怖い様なまったく変なものだ。
四谷あたりに早く来てくれるとよい。いかにも遠いので閉口だ。
またいつまでも両親の所にいられては困るけれど、
さりとて他に方法も見当たらず困ったものだ。


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有馬日記 大正08年07月22日

貞子の美しいのは決して私の贔屓目ばかりではない。
しかし私にとっては貞子が普通以上に美しいという事は楽しみと苦しみとが半々である。
財産のある人がそれによって生活の安定を得る事と、
それを失わざらんがために心配する事と同じ事である。


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倉富日記 大正08年08月05日

橋爪慎吾の台詞

岩波稲子が有馬家を去りたいと言いて種々不平を鳴らす。
頼寧が稲子を疎外し夫人に対し「北白川家に関する事は稲子に相談してよろしきも、
有馬家に関する事は決して稲子に相談すべからず
」と言いおり。
台所の事にてもいかなる些細な事も稲子だけにて処置する事を許さず。


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有馬日記 大正08年08月16日

取手に着いて停車場で服部のおばさんに会い、連れだって宿屋に入り種々話した。
おばさんの意見は、洋行という事はどちらの家にも不幸だから止めた方がよい、
もし両人の決心が変らねば自分がミドリの両親に話して
こちらで身を固める事にしたいとの意見。
よって万事任せることにした。


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倉富日記 大正08年08月16日

橋爪慎吾の台詞

頼寧がミドリとともに土浦に行き2,3泊し、今日帰京してすぐに千住へ行き、今夜も帰らざるべき

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有馬日記 大正08年09月06日

ミドリのところへ行った。
両親に相談するよりも、貞子と橋場〔有馬本家〕の方の話をさきにしてほしいとのこと。
ずいぶん話し難いけれど、いずれ一度は話さねばならぬと思う。
しかしミドリとの関係は初めから少しも故障なく進んでいるから多分うまく行くことと信ずる。


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有馬日記 大正08年09月09日

今日はミドリの所へ行くはずなりしも、貞子の機嫌悪しきゆえ様子を見ていて、
午後書斎でミドリの事について話したところ、
燃えている所に油を注いだ様に燃え広がっていかんともする事ができなくなり、
「ミドリを単に肉体的に愛するのならよい」と言う。


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倉富日記 大正08年09月13日

倉富&橋爪慎吾の会話

橋爪◆頼寧は近頃貧民夜学校の事に熱心にて、ミドリとの関係も大分疎遠になりおれり。
夜学校の費用は予算の農事研究費より大分支出せられおる模様なり。
倉富◆それは全体はよろしからざる事なり。しかれども予は農事研究費は言わば
一種の道楽費と考えおるゆえ
夜学校の費用に充てられとてあれこれ言う考えもなし。
夜学校に費用されるまではよろしきも、ミドリの父の住居を設くるにつき費用を要したる趣なるが
その方にも幾ばくかの支出しおれるにはあらずや。
橋爪◆その事は分からざるも、幾分か支出しあるやも計りがたし。
ミドリは妾にては本人が承知せず。本妻となす事もできず、
よりてミドリを外国に連れて行き外国にて本妻となす約束をなしおられたる事は事実なる由。
しかるに洋行も止めとなりたるゆえ、ミドリの父より頼寧に
「いままでの通りにては出入りもできず困るにつき何とか処置さられたし」
と頼寧に迫りたる由にて、他に相談もできず一人にて煩悶しおられる模様なり。
倉富◆実に馬鹿げたることなり。いかなる約束ありても無駄なる事ゆえ、
結局金銭を取られる事は覚悟せざるべからず。いずれ数万円を取られずしては済まざるべし。
ともかくこの事については誰も関係せず当分一人にて煩悶せしめおく方よろしかるべし。


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有馬日記 大正08年09月26日

貞子との会見も近々その機会を作ろうと思う。
会って話せば女同士でまた理解もあろうと思う。

今となってはただミドリの将来について貞子が親切に考えてくれる事だけを望むに過ぎぬ。
私は今一生の絶頂にあるようだ。


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有馬日記 大正08年11月21日

*ミドリにしきりに結婚話が持ち込まれるのは頼寧と手を切らせるためと、
ミドリの両親がどう出るかを確かめるためであるが、頼寧はまったく気づいていなかった。

池尻からまた嫁の世話を言って来たとの事。
私の事を知らぬので相変らず世話焼きな事だ。


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有馬日記 大正08年12月01日

ミドリと私との関係はもはや行き詰ってしまった。
何とかしなければならぬ時が来た。
せんだってから考えてはみるけれど、いくら考えたとて良い案もない。
今日はミドリと一日泣いて語った。
私達はあくまでも神に恵まれ神に救われているのだと思う。
私は神の御心に従い美しき生活に入り、
ミドリに捧げた愛を広く大きく世の中の気の毒な人々の上に注ぐ様にしようと思う。
肉体の汚れた愛から霊の美しき愛に入る。私達は幸福である。
顧みれば満1年儚い思いであったけれど、また極めて美しい幸福なものであった。
私はミドリの満足ある結婚と
今後におけるミドリの両親との親交とを条件としてこの話を決したいと思う。


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有馬日記 大正08年12月08日

ミドリを訪ねた。今までと別に変った事はないが、
別離という事が間もなく来るのだという事を考えると寂しいような気がする。
私に対する愛の心を抱きながら他人に嫁いで行く人の不幸を思うと、
むしろ自分を忘れてくれたらばと思う。


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有馬日記 大正08年12月26日

とうとう最後の日が来た。夕方ミドリの所へ行った。父さんと食事を共にした。
父さんは、私がせっかく社会のために力を尽くしているのに、
もしもミドリとの事が世間に知れるような事があっては
別れてしまう事が私のためであると言われた。
私としては私のためにミドリと別れるという事は嬉しくないが、
仕事のためと言われると多少考えないでもない。
私のためと言うより、ミドリのため両親のために別れる事としたのだ。


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有馬日記 大正08年12月27日

顧みればちょうど満1年、私達は祝福された生活をしてきた。
東京の中を自動車で歩いたり処々を旅行したり横浜の街を歩いたり、
その他よく考えれば今日までよく世間に知られずにきたと思う。
幸いに子供もできず知っている人は極少数の内輪の人に過ぎず、
しかも無事別れる事ができるなんて、私達はよほど神に守られてきたと思う。
今度別れる事になったのもまた神の心だと思う。
私達の事が世間に知れずに済んだという事は、
神が私の仕事を嘉されたからだとも考えられぬではない。


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倉富日記 大正09月01月01日

倉富&橋爪慎吾の会話

橋爪◆近似頼寧行状を改めミドリとは関係を絶ち、ミドリはすでに他家に嫁し
夫人もこれにて安心と言いおる。
倉富◆それは喜ぶべき事なり。頼寧に不品行ありては
安藤信昭・松田正之等の取締り出来ざるゆえ、予は頼寧の品行につき非常に苦心しおりたる。


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有馬日記 大正09年01月11日

昨日倉富に会った時それとは言わぬけれど、ミドリの件の片付いた事を喜んでいた。
どうして知ったのか。将来は再びこのごとき事はせぬと誓っておいた。


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ミドリの遠縁 松信田鶴子

*ミドリは鬼塚氏と結婚して東京の玉川に住んでいたが、
死別か離別か最初の結婚は不縁に終わった。

昭和の初め頃だったと思います。ミドリさんはお母さんと一緒に佐原に帰ってきていました。
気品のあるきれいな方でとても評判でして、
学校の先生からもあなたは親族なのかと聞かれたりしました。
しばらくして潮来にあった呉服屋へ嫁いで行かれました。
再婚されたのです。でも間もなく亡くなられたと聞いています。
お子さんもいなかったようで、家の方もつぶれてしまったそうです。


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頼寧はその後も多くの妾を作り、特に身請けした博多の芸者舟子/福田次恵は
自宅の目と鼻の先に囲って、頼寧が亡くなるまで30年以上関係を続けた。







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by oMUGIo | 2004-03-16 00:00 | 武家華族
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