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有馬伯爵家 久留米藩主 その8

≪有馬頼寧の愛人 福田次恵編≫

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<有馬頼寧伯爵の息子 有馬頼義によるまとめ>

父の母に対する感情は、大正12、3年あたりからガラリと変っている。
福田次恵という一人の女が父の身辺に寄り添うようになった。
これは私が後年博多で聞いた話である。
父はかなり長い期間久留米で足止めをくっていた。その間に博多で雛妓をしていた女と出会った。
父が身請けする事になり1万円の値がついた。1万円と言えば、金利で一生食えた時代であった。
雛妓は2年間祇園へ芸道の修業に預けられ、
昭和になってから荻窪に家を建ててもらって妾の生活に入った。
私は父が死んだ時、福田の所へ金を持って行って、
30年の糟糠を謝しきれいに引き取ってもらった。

大正13年の夏私達一家は逗子に家を借りていた。突然母が倒れた。
病名は腎盂炎であった。それ以降、母の病は死ぬまで治らなかった。
腎盂炎と言われたが実は腎盂腎炎という病気で、
父から淋菌を感染されたのがその原因であった。
しかし、恐らく事実は母には語られてはいなかっただろうと思う。

福田次恵は荻窪の私達の家から50mも離れていない所に
家を建ててもらって住むようになった。
福田の家は私の家から歩いて1分もかからない所にあり、
父は車で帰宅する時そこで降り、車だけを家に帰し深夜玄関の鍵を開けて戻って来た。
最初のうち母は毎夜父が帰るまで起きており
両手をついて「お帰りあそばせ」と言っていたが、
昭和10年頃からそれをしなくなった。それだけが母の抵抗なのであった。

その昔長男頼秋・長男静子・二女澄子が幼い頃、父は若く母も元気で一家は幸福であった。
そういう時代を知っている静子は、後年の父と母についてどっちの味方とも言わなかった。
澄子は今でも言う。「お父様がお可哀想だったわ」
澄子に指摘されるまでもなく、母にももちろん欠点はあった。
その一番大きなものは、性格の冷たさであった。
だから澄子には、美しいが冷たく誇り高い母を妻に持って、
父が福田に走った事がなんとなくわかるような気がしたのに違いない。

父の姉禎子は豊後中津の藩主、伯爵奥平昌恭に嫁したが、この結婚は失敗であった。
破局の原因は昌恭の酒乱で、禎子は殴る蹴るの乱暴をされて
二度と奥平家に戻るまいと決心したが、女一人で生きていく方法がない。
禎子は月にわずかな手当てを私の父からもらって転々と借家住まいをしていたが、
昭和5,6年頃から我家へ寄食した事がある。
ところが我家に居つくようになって間もなく、禎子は福田と仲良くなってしまった。
芸事とか芝居見物がそのきっかけになっていたのだと思うが、
禎子が福田と遊び歩くようになって、困ったのは父で被害を受けたのは母なのであった。
禎子という人は性格的に有馬家の、
と言うよりも父の作り出した秘密主義の家風には合わなかった。
つまり母に対して福田の事を細大もらさず話すようになったのである。
父が禎子にそれだけは止めてくれと言っても、
禎子はわかったのかわからないのか少しも態度を変えようとしなかった。

母が私に、父が母に疎開を勧めているが、
福田のことがあるから疎開したくないと漏らすようになった。
父の死後父の日記を読むと、母と福田は同じことを言っていたのだ。
相手を疎開させてしまいたいというのが二人の女の本当の気持であった。
父は福田を戦争から安全なところへやりたかった。
そしてできれば自分もそこへ行きたかったのだ。
それにはまず母を疎開させる必要があった。

母が疎開を決心する前に、福田の方が先に疎開した。
しかしそれでも母は疎開するとは言わなかった。
自分がどこかへ疎開をしたら、
父が福田を呼び戻すのではないかという事を恐れているようであった。
この疎開を機に父が福田と別れる方が良いと私達きょうだいとその夫達は考えた。
しかし父が子供達の進言を入れようとは思われず、この話は実現しなかった。
新しい年に入ってから東京の空襲は本格的になったが、母はどこへも行かないと言った。
「疎開して下さい。空襲のたびに気になって仕方がない」と私は母に言った。
「でも私が疎開をすると、お父様は福田をお呼びになるでしょう」と母は答えた。
そんな押し問答をしているうち、東京のあらかたは灰になってしまった。

父の神経痛はひどかった。
薬を打つまで1時間も2時間も部屋中を転げ回り、爪で畳を掻きむしるような状態であった。
病気が起るというよりモヒが切れると暴れ出すという感じの方が強くなった。
そんな時、私と母は父を押さえつけ、説得し我慢させた。
父は3日ばかりで発作がおさまると、ケロリとして福田のところへ行った。
そして福田の家で発作の前兆が始まったり、薬が欲しくなると母のところへ戻ってきた。
静子と澄子と私と相談して、一度発作の時に福田を呼んで介抱させてみようと言った。
静子はそれもいいだろうと言ったが、澄子は福田を父の家に入れることに反対した。
母に相談すると、母は発作を福田に一度見せたいと言った。
それで次に発作が起こった時、私は福田を呼びに行った。
私たちの真意を父や福田が理解したかどうかわからない。
同じような繰り返しが10年近く続いたのであった。

父は意識を失う前に「福田を呼んでほしい」と静子に言った。
その事についてまた子供達の間で相談がなされた。
父自身が母でなく福田に看取られたいと言ったからであった。
私達には相当な抵抗があった。相談はなかなかまとまらなかった。
結局母に聞いて母がいいと言うならば福田を呼ぼうという事に一決した。
母は「お父様のおっしゃるようにしてください」と答えた。
皮肉な事に福田が来た時、父は意識を失っていた。
父の唇から母の名前はついに一度も呼ばれなかった。
医者が御臨終ですと言った時、母ははじめて自分の部屋を出て父のそばへ行った。
母の姿を見てから福田は黙って静かにさった。
母は父の死に際して一度も泣かなかった。福田も泣いていなかった。


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*昭和02年03月21日 有馬頼万死亡。
*昭和02年04月01日 有馬頼寧襲爵。

<福田次恵と木村初江は同時進行>

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有馬頼寧伯爵の日記 昭和02年04月28日

午後9時過ぎ帰宅。自分の家に帰ってなぜこんな気まずい思いをしなければならないのか。
旅行をすると言うて家を空け女の所にいたのだから、気おくれのするはずだ。
妻の他に女があるということは本当に悪いことなのだろうか。
一夫一婦制という習慣に基づく約束、それを道徳と言う。
そうしたものに縛られているべきなのだろうか。

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有馬日記 昭和02年07月08日

※芸者【種千代】=木村初江

長田屋に立ち寄り、【年菊】と【種千代】を呼んで6時まで遊ぶ。
種千代という子、可愛らしい。
種千代という女は近頃になく私の心を捕えた。
身丈は5尺にも足らぬ小作りで肉もあり顔が良い。
日本人の多く持つ欠点の、鼻と口に難がない。
目つきも良い、髪も長い。そして利口である。私はこういう女が好きでたまらぬ。
もう浮気な心は起こすまいと思うけれど、こうしたのにぶつかるとまた心が若んでくる。

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有馬日記 昭和02年07月09日

初恵、九州に発つ。停車場に送り銀座に行く。長田屋に行き種千代を呼ぶ。
まだ寝ていたのを起きてくる。土曜だから多分旦那さんでも来たのであろう。
羨ましいと思う。衣服といい持物といい、ずいぶん良い物をしているから
よほど良い人が付いているのであろう。

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有馬日記 昭和02年07月11日

午前10時より祥雲において愛子の命日につき御経をあげる。
それから長田屋に行き種千代に会い、6時半神田の青年会館に行く。
9時近く青年会館を出て9時過ぎ【蜂龍】に行き種千代に会う。
女将の話で旦那のある事を聞き落胆する。
何だかたまらなく寂しくなり、いろいろ言ったので本人も泣いていた。

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有馬日記 昭和02年07月12日

長田屋に行く。ほとんど日参だ。
種千代の顔を見ていると何だか胸が塞がってくるような気がする。
私もまだ恋をする若さがあるかと思うと嬉しい。

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有馬日記 昭和02年07月13日

産みの父を知らず母は他に嫁いで、その家にいる事を苦にして商売に出た、
今まで力強い人を求めていて得られなかった、それが得られたので嬉しいと言っていた。
女難の相があると言われた私の一生は、ついに女難をもって終始している。
これが私の運命なのか。

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有馬日記 昭和02年07月14日

初江と私の間はこれからどうなって行くのか。毎日一度は顔を見ねば納まらぬ。
【龍土町】〔別の妾宅・庶子もいる〕など全然足は向かぬ。
済まぬと思いながら、【仲ノ町】は留守で幸せだ。
【新潟】など全然忘れてしまうことができる。
ただCとの関係が初江との関係とこんがらがって、
将来何らかの面倒を引き起こすのではあるまいか。

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有馬日記 昭和02年07月15日

今朝初江から可愛い手紙をもらい、ネクタイをもらう。可愛い。
彼女の志は本当に嬉しい。こうした社会に本当の嬉しい意気がある。

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有馬日記 昭和02年07月16日

Cが待ち遠しがって電話など掛けてくる。
【肥沼】に気の毒だ。それに初江に知れたら、さぞ残念に思うだろう。
可哀想だ。今日は初江から二度も手紙が来る。

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有馬日記 昭和02年07月18日

Cと初江から電話が掛かってくる。少々困る。
が、一生懸命になっていると思えば気の毒にも思う。
どうしたら女というものから遠ざかれるようになるのか。

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有馬日記 昭和02年07月19日

11時半蜻蛉に行きCと食事をする。3時より長田屋に行き初江に会う。

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有馬日記 昭和02年07月21日

明日もまた初江に会う約束をする。Cには断って。

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有馬日記 昭和02年07月22日

午後2時長田屋に行き初江に会う。5時までいる。
初江が私に傾注しているため蜂竜の方では非常に心配しているらしい。
ただし本人はこの心をどうすることもできぬと言うている。
Cが電話をかけてきたが断る。

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有馬日記 昭和02年08月06日

初江と今のうちに別れた方がよいと思って話したが、とてもそんな気にはなれぬらしい。
可哀想だからこのままにしておこう。先の事を考えると多少心配だけれど仕方がない。
その時はその時の事にする。

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有馬日記 昭和02年08月16日

なんだか次恵に会いたくて仕方がない。早く帰ればよいと思う。
【民子】の所へ行かねばならぬとは思うが、泰〔庶子〕の事を思うと足が向かぬ。

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有馬日記 昭和02年08月20日

次恵は何日帰るともいまだに言うてこぬ。どうしたのだろうか。
もう四十日にもなるのにノンキな奴だ。
安心してしまうとこれだから困る。でもまた可愛い。

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有馬日記 昭和02年10月05日

午後は仲ノ町に寄る。次恵は怒っていた。博多に帰ろうかと思ったと言う。
可哀想だとは思うが、私の心はだんだん遠ざかって行く。

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有馬日記 昭和02年10月16日

午後3時半、長田屋に行く。初江が清元をさらっていた。
紫の絞りの着物を着ていたのがなんとも言えぬ可愛らしさ。
今日という今日は、もうとても捨てられぬ気持ちがした。

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有馬日記 昭和10年05月11日

夜、福田のところへ行く。今日は11年目の記念日なり。
大正13年5月11日のことを思うと遠い昔のように思われる。
それから月日は流れて今年で11年である。
選挙に当選したあの頃が一番華やかな時代であった。

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有馬日記 昭和10年05月30日

福田の気持ちはわかっているけれど、実に困ってしまう。
尼さんになるとか、独りきりでいるとか、実行できぬことばかり言う。
いっそ嫌ってくれれば始末がよいと思う。

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有馬日記 昭和11年02月08日

3時福田のところに行く。
今夜は帰るつもりのところ、泊まりたくなってとうとう泊まる。
福田は喜ぶが、貞子の機嫌がまた悪くて嫌な思いをすることであろう。
この三角関係は将来どういう風に展開することか。
何事も成り行きに任すほかなし。

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有馬日記 昭和11年09月05日

夕食後福田のところに行って帰ると裏門のところに貞子待っていて、
それから約1時間下庭の森の中で話す。
福田と清算しろと言う。自分はできぬと断る。家庭に対しては尽くしているつもり。
これで悪ければ何とでもするがよし。自分としてはこれ以外できぬ。

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有馬日記 昭和11年11月02日

今日姉上様に手紙をあげ、福田との御交際をお断りする。
さだめし御立腹のことと思うが、困るから仕方ない。

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有馬日記 昭和11年12月12日

世田谷常泉寺の木村初江の七年忌の御墓詣をする。もう7年も経った。

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有馬日記 昭和12年01月20日

姉上様はどういう考えでおられるのか、時々福田に余計なことを言われる。
あまり迷惑するようなことを言われるなら御世話はやめる。

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有馬日記 昭和12年05月01日

貞子がまた変なことを言い、私が不親切だとか、病気が治ったら別居するとか言う。
神経が高くなっているから仕方ないと思う。

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有馬日記 昭和12年05月11日

今日は満13年の記念日である。
福田との間はもはやどうすることもできぬものとなってしまった。
あるいは自分の余生を誤るかもしれぬが、自分としてはそれで満足なのだ。

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有馬日記 昭和12年11月15日

Kとの危ない橋を渡るのが、いつまで知れずに続くか。

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有馬日記 昭和12年11月20日

近頃の私の行動について、福田がなんとなく不安を感じているように思われる。
どうしてこう無思慮なことをして後悔を重ねるのだろう。
赤坂も柳橋もなんとかせねばならぬと思いながら、だんだん深みに落ちて行くような気がする。

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有馬日記 昭和12年11月28日

貞子とまた少しゴタゴタする。
貞子の希望としては、自分の死ぬ時には福田と別れたということを聞いて死にたいとの話。
さもなくば、その前に自分だけ別になるとの話。

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by oMUGIo | 2004-03-18 00:00 | 武家華族
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