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良子女王 その5

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倉富日記 大正10年06月03日

倉富◆波多野敬直は貞明皇后に信ぜられおるも、良子女王の事については皇后の思召と波多野の考えとは異なりおるならん。波多野は御内定の通り遂行する事を望むべく、皇后はしからざるべし。
南部◆大奥にてはなお確定との考えにあらざる模様なり。邦彦王は良子女王を伴いて参内する事を望みおられ催促に類する事ありたる模様なるも、御内儀よりは沙汰あるまで御待ちなさるる様との事にて、今にその沙汰なき趣なり。

仙石◆宮内大臣より「木村の事については自分も何とかする必要ありと思いおりたるところ、杉浦重剛の門人が来り、木村を誹謗し、「彼の如き人を久邇宮家に付けおきてはよろしからざるゆえ、罷免すべし」との趣意を述べたり。これは久邇宮家よりの運動にて来りたるものなるべし。この如き運動ある際に木村を転任せしめては、運動の為に転任せしめたる様になるゆえ、木村は苦しかるべきも今しばらく辛抱せしむる様に致したし」との事を話され、至極もっともなる事ゆえこれに同意せり。

仙石◆宮内大臣は良子女王の事は楽観しおる模様なるも、田内三吉の話にては大奥にてはなお確定したるものとなりおらざる様なり。よりて自分は「田内は毎々大奥に行く機会あるゆえ、かく感じおるとて大臣に話しおいたらば参考になるべし」と言い、田内も「自分の考えを話しおくべし」と言いおりたり。

木村◆田内三吉が良子女王の事につき非常に懸念しおり、このままにては済み難かるべしと考えおる趣を聞きたる。田内は「大奥にてはこのままにて確定しおるものとはなりおらざる様なり。ゆえに邦彦王より御辞退なされ天皇よりそれには及ばずとの御沙汰でもある様にならざれば済み難しと思う」と言う。
倉富◆邦彦王より辞退せられ、天皇よりそれに及ばずとの御沙汰ある事ならば、邦彦王は喜んで辞退せらるべし。昨年この問題の起りたる頃にも久邇宮家の為に運動する人はこの意見を抱き勧めたる人もありたり。
しかれどもそれには及ばずとの御沙汰ある事を予期する事できる場合にあらざれば邦彦王も辞退せられざるゆえなかなか難事なり。
木村◆昨年もその話ありたるも、邦彦王にて承知せられざりしとの事なり。それは杉浦重剛が御止め申し上げたるため辞退せられざる事となりたりとの事なり。
倉富◆その頃は久邇宮は天皇の思召如何に関わらず辞退せらるる都合になりおりたるところ、杉浦が「元来この事は天皇より御沙汰ありたるものにつき、邦彦王より進んで辞退せらるべきものにあらず」とて止めたりとの事なり。その後に至りても邦彦王にては御上より辞退に及ばずとの御沙汰ある事が予期せらるるならばもちろん辞退せらるるべし。

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倉富日記 大正10年06月21日

倉富◆ある方面にては牧野は今年中に皇太子の御結婚を済ますつもりに致しおると言いおれり。
あまり急なる様なり。
小原◆今年中にはできざるべし。先頃自分より牧野に対し「御結婚はいつ頃に為すつもりなりや。前々大臣波多野は何となく来年春頃に為す様に思わるる語気を漏らしたる事あり。前大臣中村は初めより解約の詮議ありし時なりしゆえ一度も御結婚の時期につき話したる事なし。浜尾新は非常なる晩婚の主張者なり。
自分の考えにてはなるべく来年春頃には遂行せらるる方人心を安んずるため利益なるべく、もしそのつもりならば今より委員でも設けて準備に取り掛るにあらざれば間に合ざるべし。もし来年春に遂行する事できざるならば、婚期を定めて公にする必要あるべし」と言いたるに、牧野は「只今すぐに着手する運びに到らず」と言い、関屋は「一応浜尾の考えを聞き見るべし」と言い、その後浜尾に会いたるところ、「浜尾は全然反対の意見にて取り付く術もなく。言質を取らるる恐れあるゆえ浜尾の話のみを聞き来りたり」と言いおりたり。
また大森の考えを問いたるところ「到底来年春などに遂行せらるる事とは思われず」と言いたり。

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倉富日記 大正10年09月14日

小原◆久邇宮家は財政支えべからざる模様なるが、職員などは良子女王の御結婚をもって唯一の救済策と考え何事を置きても達成せしめんと考えおる様なり。
倉富◆邦彦王はなるべく良子女王と皇太子を接近せしめんとなされおる様なるが、貞明皇后の思召は如何あるべきや。一方が迫ればますます面白く思召されざるは普通なり。久邇宮家の事を処置するには先決問題として大奥の方を確かむる必要あるべし。
小原◆しかり。この事はなるべく急にする必要あるが、その運びに至らず。今日にても既に遅れおると思う。
倉富◆邦彦王も財政の乏しき事などは頓着するに及ばずとの意を明言せらるる由。牧野某より武田が5000円を借りて来原に渡し落着したる由なるが、この5000円も牧野某が負担するものにはあらざるべく、久邇宮家より支出せられたるか今後支出せらるるものならん。

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倉富日記 大正10年10月11日

金井四郎
金井◆先日良子女王の事につき反対運動が始まりおらざるやと言いたるは、中山孝麿の未亡人美千代が元侍医鈴木愛之助を訪い良子女王の近状を問いたるところ、鈴木は「女王の参内は延ばされたるままにて今日までも参内なきゆえ、山縣有朋などがさらに反対運動を為しおるにはあらざるべきや」と言いたりとの事なり。
倉富◆今日山縣さらに反対運動を為すとは思われず。

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倉富日記 大正10年11月24日

午前関屋貞三郎より「〔皇太子を大正天皇の摂政とする事について〕皇族会議を開かるる時臣下の中より天皇陛下の御平癒を祈り奉る旨陳述する必要あるべき趣平沼騏一郎より申し出たるにつき、内大臣松方正義がこれを述ぶべしとの事なり。よりて松方の演述すべき案文を作りくれよ」と言う。予、これを諾し、すぐにその案文を作りこれを関屋に交し、関屋より松方に交し、松方も異存なきゆえ、松方がその案文の通り演述する事の一項を加え、皇族会議の議事次第書を改作し、かつ松方の演述すべき案文を浄写して、これを松方に交さしむ。
午後09時頃酒巻芳男よりの電話にて「伏見宮博恭王・久邇宮邦彦王・朝香宮鳩彦王ら異議を唱え、『松方が意見を述ぶるならば、会議の初めに述ぶるならばともかく、会議の終らんとする時述ぶれば松方の意見にて事件が決定する様のきらいあり。この如き事にては松方を皇族に準じて待遇するものなりとの説も出てたる趣にて、その旨を宮内大臣に伝うべし』と言われたる」由にて、予、実に意外の事なる旨を告ぐ。

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倉富日記 大正10年11月25日

牧野は今朝松方正義を訪い、松方が意見を述ぶる事は皇族に反対あるにつき、これを止むる事を相談し、松方もこれを諾したる由なり。牧野は「皇族の心理は常識にては判断し難し」と言えり。

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倉富日記 大正11年02月10日

関屋貞三郎
木村は実際邦彦王に信用なく、栗田直八郎も同様信用なく、
殿下は良子女王の事につき非常に焦慮せられおる。
倉富◆栗田の事は意外なり。

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倉富日記 大正11年02月13日

松平慶民
邦彦王は栗田直八郎を信ぜられざる趣。
倉富◆初め宮内大臣が承知せざるに関わらず邦彦王より強いて栗田を宮務監督とせられたる関係より考うれば、今急に不信用となりたりとは考え難し。しかれば栗田に代りて宮務監督になる人が良子女王の事につき反対意見を有すれば初めより信用せられず。たとえ賛成意見を有しおりてもこれを遂行する技量なければ栗田と同様の事となるべし。いずれにしても非常に困難なる事なり。
良子女王の事に関しては西園寺公望は初めよりよほど強硬なる反対意見を有し、山縣有朋亡き今日にては西園寺が全責任を負う事となり、いっそう意見を変え難かるべし。遂行しても差支なき事実の証明せられざる以上は賛成し難しと言いおるとの事ならん。
松平◆西園寺の意見を変えしむるには他の医者をして新たなる意見書でも作らしむるよりほか方法なかるべし。
倉富◆それは出来がたかるべし。

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倉富日記 大正11年02月26日

邦彦王の台詞
木村は口ばかりにて技量に称わず、まったく無能なり。
栗田も耄碌して様に達せず。しかれども一時に二人を替えては良子女王の結婚問題に関する事ならんとの疑を招くべきにつき、この際は木村のみを替え、栗田は時機を見て替うる事にいたしたし。

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倉富日記 大正11年03月31日

倉富◆久邇宮家にては武田は免職せられたるも、今日にてもやはり宮家に出入りし、先頃朝融王御病気の時も栗田直八郎と同伴して佐世保に行きたりとの事なり。
関屋◆その通りなるべし。武田は多年久邇宮家に奉仕したる者なるゆえ情誼上しからざるを得ざるべし。
邦彦王は「栗田は先年は相当に用立ちたるも、この節は耄碌して用に立たず」と言われたり。
また「昨年の事は言語道断にて、宮内大臣よりは何事も言わずして、自分が九州より帰る時わざわざ木村英俊を国府津まで遣して婚約辞退の事を説かしめたり。辻に不都合なる事なり。もし宮内大臣が誠意を披歴して直接に懇談したるならば、自分の考えも如何になりおりたるやもわからず」と言われおりたり。
倉富◆宮内大臣より直接談を為さざりしは、御婚約の事は既に御内定には相成りおり、天皇皇后両陛下の思召については別に伺い定る事を得る場合にあらず。思召を伺わずして宮内大臣より邦彦王にその事を説く訳にはいかず。
関屋◆邦彦王の只今の唯一の希望は御結婚なるについ、何事においても宮内省の意に従い決して反対せらるる如き事なかるべし

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倉富日記 大正11年09月06日

国分三亥
良子女王の御洋行問題あり。邦彦王はともかく事が決定したる後に申し上ぐる事が御嫌いにて圧迫する様に考えらるる模様なるにつき、全く内談にて宮内省議に上りおりたる訳にはあらざるも、少数者の間に御洋行の内談ある旨を申し上げたるところ殿下は「それはよろしき事ならん。洋行する事に決すれば自分が連れ行く事にすべし。御結婚はしかとは定まらざるべきも当局者は大概いつ頃のつもりに致す考えなるや、これを問いくれよ」との御話ありたり。今日宮内大臣に良子女王御洋行の事を話したるところ、大臣は「自分はその事に賛成しおらず。君より邦彦王に申し上げたるは時機を誤りたり」との事なりし。

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倉富日記 大正11年09月17日

国分三亥
邦彦王は「宮内省の者はこれまで良子女王がたびたび貞明皇后に拝謁しおる事実を知らずして左様の事を言いおるにはあらざるべきや」と言われたるゆえ「宮内大臣・宮内次官はまさかこれを知らざる訳にはあらざるべく、重大問題起りたる以来拝謁も中絶の有様になりおるゆえこれを復活せんとの希望ならんと思う」と言いたるに、殿下は「宮内省にても大臣・次官とも更迭し以前の事実をしらずして左様の事を言いおるやも計られざるゆえ一応これを確かめみるげき」旨を申されたるにつき、今朝関屋を訪いその話を為したるところ、関屋は「もとより以前拝謁ありたる事実はこれを知りおれり。中絶以降の復活を希望しおる所なり」と言えり。

良子女王は邦彦王または俔子妃と共に貞明皇后に謁せられたる事もあり、一人にて謁せられたる事もありたるが、一人にて謁せられたる時は最も皇后陛下の御機嫌よろしく、三笠宮がそばにあらせらたるに対し、
「これはあなたの姉さんなり」と言われ、腕輪を取り出し、「これは昭憲皇太后より賜りたる物なるが、これを贈る」と言いて賜りたるほどなりし由。
倉富◆その時はもちろん問題の起らざりし時なるゆえ、事情が異なるべし。
国分◆今日にてもなお多少わだかまりがあるにはあらざるべきや。
倉富◆邦彦王の御態度についても幾分の御考えはあることなrんと思う。
国分◆直接に書面を差し上げられたる事などはよろしからざりしならん。

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倉富日記 大正11年10月07日

国分三亥
昨日俔子妃および良子女王、天皇皇后に拝謁せられ、皇后陛下は1時間も御話あり。
俔子妃は極めて無口にて平常何とも言われず、宮内大臣はわざわざ一昨日久邇宮家に来り妃殿下に注意せられたる模様なり。昨日は多少話されたることならんと思う。

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倉富日記 大正11年11月07日

小原駩吉
邦彦王にては何事も控え目になさるべき必要あるに関わらず、実際左様に行かざるは困りたるものなり。
倉富◆その事については宮内大臣も常に懸念しおるにつき、殿下にも注意しおるならん。
小原◆先日武田健三が来訪したるにつき「今後は何事も一切宮内大臣を信頼し、自身には手を出されざる様になされざるべからず。しかるに実際その通りになりおらざるは遺憾なり」との話を為したる。

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by oMUGIo | 2001-12-15 00:00 | 皇族
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