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by oMUGIo
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有馬伯爵家 久留米藩主 その7

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倉富日記 大正10年06月20日

倉富&橋爪慎吾の会話

橋爪◆頼寧の住居を荻窪に建築する事につき同意を求む。
倉富◆頼寧は何事も飽きやすき性質なるゆえ、
建築したる後不便なりとてまた市内の住居を希望する懸念あり。
橋爪◆頼寧は「先年は不品行の事ありたるも、今日はこれを悔い
教育に尽力して名誉を回復せんと熱心に勉強しおるも、相談人は自分を信用せず。
このごとき事にてはとうてい面白からざるゆえ外国に行かんと思う」と言えり。
倉富◆予は実にこれを信用しおらず。頼寧の仕事は一つとして永続する事なし。
先年アメリカ行きを主張したるはミドリとの関係より出たる事にて真に発奮心ありたる訳にはあらず。
同情園の事は一時非常に熱心の様なりしも、今日にてはすでに倦みおる模様なり。
このごとき事にて人の信用を求るも、それは無理なり。


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倉富日記 大正10年07月18日

倉富&有馬伯爵家相談役の一人 境豊吉の会話

境◆先頃頼寧より家屋建築の相談を受け、建築すべき場所は度々変更したるが、
結局只今の所にては荻窪の所有地に建築する事となれり。
頼寧の考えにては非常に節約の方針にて、
2万5000円ぐらいの費用にて済ますつもりなる様にて、それにては済まざるべしと思う。
青山の現住宅を売り払いたらば6,7万円ぐらいにはなるならん。
これを建築費に充て、その上に2万5000円ばかりを加うる事となしてよろしかるべきや。
倉富◆予もこれまであまり度々考えが変わるゆえ、
せっかく荻窪に建築してもいよいよ不便となりという風になりては困るゆえ、
先日頼寧に面会してこれを確かめたるところ、
その事は大丈夫とのことにつき大体同意しおきたり。
頼寧はごく小規模でよろしと言いおるも、
本邸と言う以上は吉凶等の時は100人ぐらいは集まる事も考えおくべからざるべし。
境◆それは大変なり。今の所にては建坪160,170坪ぐらいにて、
1坪の建築費200円ぐらいのつもりなり。
家を建つるだけの費用は多額を要せざれども家具その他に要する金額少なからざるゆえ、
青山の家屋売却代の他に2万5000円ぐらいを補助する事を得るものと考え置きよろしかるべきや。
倉富◆荻窪にするならば周囲の外構だけにても多額の費用を要すべし。


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倉富日記 大正12年07月27日

倉富&有馬頼寧の上司東京帝大農学部教授原熙の会話

原◆頼寧が農科大学助教授の辞表を出したり。
これはよほど前に出したる趣なるも自分が支那に行きおりたるため
大学総長が自分の帰るまえ預かり置きたりとの事なり。
倉富◆本人は先年来大学の方は辞したしと言いおる事なるに、
無理に引き留めおきても実際勉強もせず、
予はやむを得ず大学の方を辞する事は致し方なからんとの答えを為しおきたる訳なり。
原◆頼寧は農政研究所を設けたしと言いおり、
その費用は5万円の建築費と設備費1万5000円を要すと言いおり、
「有馬家にては如何なる事ありても自分の希望する費用を支出する気遣いなし」と言いおりたり。
倉富◆農政研究費の談は聞きたるに相違なし。
農事研究費として3000円を要すと言うにつき、4,5年前より年に3000円支出しおれども、
すべて他の事に支出し研究には少しも使用せず。
原◆これまで3000円の研究費を支出しおる事などはすこしも話を聞きたる事なし。
「有馬家にては到底自分の希望を容れくるる事は無きにつき、
自分は自由行動を取り他より金を借り入れて勝手に事を為す」旨を申し来りたり。
倉富◆しかるか。実は予も今朝書状を受け取り、
その書状には差向きは勝手に金を借り入るる事等の事を申し来りおるが、
戸主と成りたる時の理想としては所有地は無償にて小作人に遣す事、
屋敷を解放する事、社会事業に金を出す事等を列記し、
その言う所は社会主義の如く見ゆるが、一方には金の必要を説き前後矛盾の事多し。
極端に言えば精神病的の様なる所もありと言う。
原◆しかり。よほど注意せざれば有馬家の運命にも関する事になるならん。
頼寧はしばしば意思の変る事ある人なるにつき、
今少し時日が経ちたらば幾分考えの変わる事もあらん。
倉富◆その通りなり。家屋の事にしても荻窪に建築すと言うにつき、
予は必ず後悔するならんと言い、これを差し詰めたるも決して変更せずと言うにつき、
その方に決したるところ、まだ建築に着手せざる内に変更して青山に建築する事となれり。
ただし芸妓道楽と同愛会の事は飽き方が遅くて困る。


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倉富日記 大正12年07月29日

有馬家別邸に行く。予が原熙に会い頼寧の事を談し、
また頼寧が地位も資産も必要なしと言いながら
一方にはその娘を秩父宮に納れんとする望みを有しおる事を談す。
原の話にては頼寧は7000円ほどの負債ある趣なる事を談し、
頼寧がこの如き書状を送りたる近因は負債の始末に困りおる事なるべしとの事に相違なし。
この際若干の金を供ずれば一時は折り合うべきも、事を仰山にする為、
この節は久留米の相談人も呼びて協議する方よろしからんという事に一致す。


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倉富日記 大正12年08月10日

倉富&有馬秀雄の会話

倉富◆自分はこの際相当の多額の金を頼寧に分与せられ、頼寧の希望を満たすと同時に、
金銭の価値を知り自覚の心を喚起せしむるがよろしからん。困難なるには相違なし。
頼寧に対する交渉は予が担当すべし。
伯爵に出金を説く事は有馬秀雄君を煩わしたし。
有馬◆その事は自分が担当すべし。


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倉富日記 大正12年08月13日

倉富&有馬秀雄の会話

倉富◆この際頼寧に100万円を分与し、本邸との関係を絶ち、
100万円は頼寧の随意処分に任す事なり。
これは全体無謀の事なれど、100万円を無益に費消したる事となりたらば、
頼寧自身にも幾分か省察して覚る所あるべく
世間にて頼寧を誤解しおる人も多少事情を覚知する様になるべし。
倉富◆この事は意外の事にはあらず。しかし父頼万の承諾を得がたからんと思いおりたる事なり。
有馬◆頼万には頼寧は不検束にて危険なるゆえ
頼万の財産を保護するためこの処分を為す必要ありと言いたらば承諾せらるるならん。


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倉富日記 大正12年08月21日

「頼寧の事につきては父頼万も始終苦心せられ相談人らもたいそう困りおり、
よりて頼寧の累を絶つためこの際適当の処置を為さる方がよろしからんと思う」と言いたるところ、
頼万より「如何なる方法ありや」と言わるるにつき、
「頼寧に金を与えくるるより他に致し方なし」と言いたるに、
頼万は「頼寧には金をは与えず。一文にても与うる事はできず」と言わるるゆえ、
自分「左様の事を言われても原熙の談によれば頼寧は既に負債もありとの事にて、
これを償わざる訳にはいかず。頼寧は相続人なるゆえ結局伯爵家の全財産を相続すべき人なれば、
この際若干の金を与えらるるは致し方なし」と言いたるに、
頼万「いかほど与うるや」と言われ、自分より「多額なるが100万円与えられたし」と言いたるに、
頼万はその多きに驚き承諾せられざりしも、夫人そばよりこれを慫慂し、
自分は「結局頼寧の有となるものにて、
かくすればこれまでの如く面倒なる事もなくして済むゆえ御気楽になるべく、
しかして100万円分与せられても残額はなお2/3以上あり。
ともかく処分を為すならば只今が最好時期なり」と述べ、
頼万は「よろしく」言われ、承諾の事項を記したる頼万の書面を取り来れり。
『公正証書額面100万円・青山南町・北町・荻窪の3邸を頼寧に与うる事、
その管理処分には頼万は干渉せざる事、頼万家の家政には頼寧は関係せざる事など、
頼万の署名捺印あり』


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倉富日記 大正12年08月26日

倉富&有馬頼寧の会話

倉富◆有馬家にとりては重大なる事をもって久留米にある相談人らを上京せしめ、
数回協議会を開き、処置方を議定せり。
頼寧◆例えば頼秋が結婚する時、静子が嫁する時なども、分与財産にて支弁する趣意なりや。
倉富◆しかり。皇族より臣籍に降下し侯爵を授けられる方も、資産として賜るは100万円なり。
100万円にて侯爵家を立てらるる訳につき
貴君も伯爵家を相続するまでは100万円にて万事を弁せらるる事を得るならんとの考えなり。


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倉富日記 大正13年02月07日

有馬秀雄の台詞

頼寧は100万円の分与につき非常に不平を言い、
誰に対しても「100万円ばかりで自分を追い出したり」と言いおらるる。
頼寧は久留米にては非常に評判悪し。水平社の某は白山にて演説を為し
「有馬頼寧は何者ぞ。自分らを食い物にして売名の手段と為し言語道断の者なり」
と述べたる趣なり。
篠山神社の神官某は頼寧に非常に憤慨し
「彼の如き不都合なる者は久留米に足踏みせしめざるがよろし」とまで言いたる趣なり。


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有馬頼寧伯爵の日記 大正15年01月04日

「もう恋などと言う年でもないじゃありませんか、子供に対する愛に生きたらどうです」と
賀川君に言われた時、そうでなければならないとは思った。
しかし私の偽らぬ告白はいまだ若い若い恋をする心があるのだ。
次恵に対する私の愛は決して汚らしい性欲ではない。かなり純な愛を捧げている。
私はどこまでも自分の思うがままに強く生きていく。最後がどんなであろうとそんなことなんだ。

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有馬日記 大正15年01月10日

午前8時過ぎ京都へ着く。
今朝7時の汽車から停車場へ来て、次恵は待っていたとのこと。
寒いのに気の毒と思って時間を知らせなくてかえって可哀想なことをした。
それでも迎えに来てくれたことは嬉しい。何度来ても京都は良い。
今までどの女とも一緒に外出などしたこともないのに、次恵とはしきりに出たい気がする。
どうも可愛くて仕方がない。とても別れるきなどにはなれない。
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by oMUGIo | 2004-03-17 00:00 | 武家華族
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