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東久邇宮家 その4

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倉富日記 大正12年01月26日

牧野◆自分も磊落な方と思いいたるも、フランスより帰りたる陸軍将官某の談によれば、稔彦王は研究心もなく薄っぺらに軽率な議論を為され甚だよろしからず。日本の新聞の請け売りを為さる様にて、やれ軍閥がどうとか老人が固陋とか民主主義がどうとか言う様なる論なるゆえ、長時間に渡りて忌憚なく極論し、殿下の地位にありて軽率に左の如き事を口外なさるは言語道断なりと忠告したるに、確かに神経衰弱に罹れおりと言いおりたり。陸軍将官某は陸軍学校にて稔彦王に教授したる事ありとの事なり。
殿下が妃殿下の洋行の事を決せざるは困りたる事なり。御親族の方はしきりに御心配遊ばされおれり。
妃殿下は非常におとなしき方なり。
倉富◆しかり。妃殿下の御洋行が遅るる事につきても、妃殿下自身は少しも頓着せらるる風なし。
妃殿下があまりに温順なるため御用取扱有馬英子は「殿下が妃殿下を内親王として待遇せられず」と言いて事務官有馬純文と軋轢し、結局二人とも罷むる事となれり。
殿下は結婚当初は幾分高圧的に妃殿下に対せられたる模様もありたりとの事なり。
稔彦王が時々極端なる事を言わるる事あり。殿下がイギリスに行くことを拒む理由として、イギリス皇室ももやは時日の問題にてこれを研究するも格別効能なし。むしろロシア・ドイツの皇室は何故に滅びたるかその原因でも探究する方利益ならんなどと言われたる事もあり。
牧野◆左の如き考えを有しおられては大変なる事なり。

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倉富日記 大正12年03月06日

金井四郎
稔彦王の滞仏期限は3年とすれば04月某日までなるゆえ延期願書を出さざるべからざるところ殿下の意向わからざるゆえ願書出し難く、このままにする事も出来がたし。
倉富◆さりとて殿下の意向を問いたるうえ2年とか3年とか言われても困るにつき、松平慶民に電信を発し殿下の意向は如何なるや様子を報知すべき旨を照会したらば如何と思う。これとても松平より殿下に交渉したるうえ、殿下が御帰朝を決められざればやはり困るにつき、予より宮内大臣へ相談いたしみる方よろしからんと思う。

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倉富日記 大正12年03月16日

鳩彦王が邦彦王に送った手紙を牧野から見せられる

鳩彦王より邦彦王に送られたる書状には、
稔彦王は最初2年の期限にて洋行したるが、当時の宮内大臣は2年過ぐればまた2年を延期しいつまで滞在なされてもよろしと言いたる趣、稔彦王より鳩彦王に話されたる趣を記載しあり。
稔彦王はパリにては日本人に接せられるる事少なく、日本人も殿下の事を知りおる者少なき事、
稔彦王の行動については陸軍大臣・宮内大臣は非常に心配しおる事、稔彦王は勅命にて帰朝を命ぜらるるもこれに従わず皇族を辞むる旨を語りおらるる事、邦彦王より稔彦王に速やかに帰朝せらるる様申し遣わされたき事、松平慶民も稔彦王の帰朝を勧むる為に来りたるも御承知なきため心配しおる事等を記載しあり。

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倉富日記 大正12年03月18日

松平慶民の電信
滞在期限の事は、稔彦王は来年までと主張せられ、自分は今年中を主張し、意見一致しおらざりしところ、
鳩彦王着仏後懇々帰朝の事を勧告しられ、また貞明皇后の思召を伝えられたるよりかえって反対の事となり。先月07日自分が謁見を請いたるも拒まれ、強いて謁見を請いたるうえ「殿下の滞在期限は今月までにて尽きるにつきさらに勅許を願われざるべからず勅許を願うには余り期限の切迫せざる内に願わるるは礼儀なる」旨を説きたるに、「昨年の1年の延期願いの時も金井より勅許の事は何とも申し来らざりしゆえ今節も特に勅許を願うには及ばず」と言われ、「自分は適当なりと思う時に至らざれば帰朝せず」と言わるるゆえ、この上争うも無益なりと思いそのままに退出せり。

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倉富日記 大正12年03月19日

関屋・徳川・酒巻と共に陸軍省の小磯国昭大佐の談を聞く。
稔彦王は鳩彦王より一日遅れて生まれられたるも、稔彦王の生母が鳩彦王の生母より賤しく、特に一日違いの誕生を世間体を繕う必要もありたるべきも、1ヶ月ばかり遅れたる事と為し、稔彦王に対する待遇も鳩彦王に比すれば差別あり。父朝彦親王は維新の頃は朝譴までも受けられたることあり、後年に至りても不平を漏らされたる事もあり。稔彦王もその不平談を聞かれたる様の事よりして殿下の性質は自然猜疑心を生ずる様になられたる事と思わるとの談を聞きたる事あり。
稔彦王は宮内省または陸軍省等の人が殿下の為に心配する事をかえって悪意に御取りなされおる事少なからず。これはその御性質より来る事なるべし。自分は殿下に対し「本国の人が殿下の事につきかれこれ致すは殿下の御為を思う為なるゆえ、これを悪意に解釈せらるるはよろしからず。感謝せらるべきはずなり」との進言を為したる事もありたり。松平君なども「もはやどうしても駄目なり。この上は勅命をもって呼び返さるるよりほか致し方なし」と言いたることもありたるが、自分はこれを賛成せざりし。殿下はどうもすれば人に反抗なさるる癖あり。殿下は絵の研究を為されおり、よほど上達せられ自作の絵を掲げおらるれども、もとより絵をもって名を成さるるほどにはあらざること、殿下は語学も上達し土地にも慣れられたる為この節にてはパリ滞在が非常に愉快に為られおれり。ゆえに少しにても長く滞在したしとの御希望なるべき事、殿下は人に強いられて帰朝を決する事が御嫌いなる様なり。
自分の察する所にては、今年の秋頃までに妃殿下の洋行期を決し、来年の6,7月頃までに帰朝せらるる様になる事にはあるまじきや。もっとも殿下は少しも口外せられざるゆえ、自分の憶測だけの事の談を為したり。

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倉富日記 大正12年04月14日

町尻量基
稔彦王は思想悪化しおれり婦人に溺れおらる等の風評ある趣なるも、これは事実にあらず。
殿下が陸軍省・宮内省等に不平を抱きおらるるは事実なり。
殿下は非常に勉強しおられ、決して本国にて想像しおる如き事実にあらず。
殿下は陸軍の課業を卒われたる後は、経済・文芸等の事を研究しおらる所にて、妃殿下の渡欧期を定められざるは妃殿下が渡欧せられても社交界に出てらるる如き事はできず。妃殿下が渡欧せられたら殿下と共に各国を巡遊して帰朝せらるる様に為されたき考えなるため、殿下の帰朝期を定めらるるまでは妃殿下の渡欧を望まれざる様なりとの趣意の談を為せり。

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倉富日記 大正12年04月18日

フランスの朝香宮付武官藤岡万蔵からの電信
『鳩彦王は允子妃の御渡仏を望ませられず。ただし妃殿下の熱心なる御希望ならば強いて御差止は為されざる様伺い奉る』
フランスの松平慶民からの電信
『允子妃の御渡欧は鳩彦王の御希望にあらざるのみならず、鳩彦王と故成久王との間にも懸念すべき事情あり。その次第は鳩彦王が自動車遠乗は好まざりしも成久王の勧に因り遠乗を為したるため遭難せりとの不平を御漏らし為さるる事ある為なり。ゆえに妃殿下の御渡欧は御止め相成りたし』

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倉富日記 大正12年04月22日

関屋貞三郎
今朝竹田宮昌子妃は允子妃の渡仏を熱心に主張せられ、10時頃より12時まで渡仏の必要を説かれ、
允子妃も竹田宮家に来られ、共に渡仏を主張せられ、昌子妃は「鳩彦王は稔彦王と異なり洋行前に『自分が外国にて屋病に罹りたる時は妃はすぐに来りくれよ』と言いて行かれたり。
鳩彦王夫妻の間柄は、初めは円満を欠きたる事なきにもあらざりしも、近年は非常に円満になり妃殿下が洋行せられても感情を害する事は絶対になき」旨を主張せられ、允子妃も「自分が洋行して鳩彦王の感情を害する事は絶対になく、万一感情面白からざる事ありてもこれを和くる事は必ずできる」と言われおり。

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倉富日記 大正12年04月28日

金井四郎
明後日允子妃出発し来月02日門司より乗せらるるにつき、聡子妃送りて門司に行かるるが相当なるも、
允子妃より昌子妃が門司まで行かるる事を望まれたる旨を話しおきたるところ、朝香宮家宮務監督栗田直八郎は「允子妃より昌子妃が門司まで送らるる事を望まれたる事は決してなく、允子妃はむしろ聡子妃の方が心置きなく話すこともできるにつき聡子妃が送らるる事を望みおられたるも、昌子妃が是非とも自分が送り行くと言わるるにつきその事に決したる次第なり」と言う。

東久邇宮家にては朝香宮洋行の時も北白川宮洋行の時も送別宴を開き、この節もそのつもりに致しおりたるところ、昌子妃より聡子妃に対し「允子妃の出発前には日数も少なく格別に送別宴を開く時日なきにつき、両宮共同にて送別会を催すべし」との事なりしにつき、共同のつもりなりしところ、竹田宮家のみにて催し、聡子妃は客として招かるる事となりたり。
この事情を栗田に話したるところ栗田も驚き「鳩彦王御出発の時も、東久邇宮家にては他と異なり御丁寧なる送別宴ありたるにつき、此節も必ず御催しある事ならんと思い、日程を定むる都合もあるゆえ東久邇宮家よりの御案内は無きやと問いいたるくらいなりし」と言えり。

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倉富日記 大正12年04月30日

フランスの松平慶民からの電信
允子妃渡仏決したる事を稔彦王に告げたるところ、殿下は鳩彦王が意識不明の如き場合ならともかく、鳩彦王が談話しうる今日鳩彦王の意見を問わずして允子妃の渡仏を決したるは不可なり。たとえ鳩彦王の兄なる邦彦王、妃の姉なる昌子妃たりとも、いわんや允子妃が熱心に渡仏を主張せられたりとも、鳩彦王の意見を問わずして決したるは甚だ遺憾なり。此節の事は宮内職員の意にあらず、皇族の主張に因り余儀なく此の如き事と為りたるはこれまでの電信により明瞭なるにつき、殿下の意見は皇族に通知せられたらばよろしからんと言いたるも、宮内大臣へは自分の意見を通知しおくべき旨を命ぜられたり。

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倉富日記 大正12年05月15日

金井四郎
昌子妃より聡子妃に対し、夫などは当てにせず自分だけにて何事も処置する考えを持ちおらざるべからざる旨御話ありたり。
倉富◆昌子妃は只今は〔未亡人なので〕妃殿下にて万事を処理せられてよろしく、また処置せられざるべからざる時なるゆえ、昌子妃と聡子妃と同様にする事は出来がたし。

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倉富日記 大正12年06月02日

金井四郎
聡子妃はなるべく〔留守中の〕朝香宮家に行かれ御子様方に御注意なさるる事よろしからんと思い、
その旨を申し上げ妃殿下もその御考えなるも、昌子妃がその事を御好みなされざる様にてとかく御止めなさる様なり。
倉富◆昌子妃は何故に聡子妃が允子妃の所へ行かるる事を嫌わるる訳なるべきや。
金井◆両宮の接近を喜ばれざる訳ならん。朝香宮両殿下の御不在中聡子妃が朝香宮の御子様方の御世話をなされたらば朝香宮両殿下の御感情もよろしくなる事ならん。

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by oMUGIo | 2001-03-04 00:00 | 皇族
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