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東久邇宮家 その5

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倉富日記 大正12年11月08日

松平慶民
山辺知春より電信で「稔彦王が帰朝の事に種々面倒の事を言わるる原因の主たるものは、随員の選択よろしきを得ざりしによるものならんと思う」旨を通知し来りおりたり。
倉富◆随員と言うは池田の事ならん。
松平◆自分も池田の事と思う。池田は独身にて長々フランスにおる方が利益なるゆえ、稔彦王の帰朝を延ばす傾あり。鳩彦王がフランスに来らるるまでは稔彦王は妃殿下を来年召い来々年までには帰朝する旨約せられおりたるも、鳩彦王が兄貴風を吹かせ余りすねてはよろしからずとか、此節の宮内省は前の宮内省と違うとか、東京では稔彦王の事を悪く言いおるとか言われたるため、非常に感情を害し来々年に帰朝するとの約束を取消されたり。
倉富◆稔彦王の婦人関係を問う。
松平◆なかなか巧みにせられおり、誰も正確なる事を知りおる者なし。
ある事は相違なし。また朝香宮妃渡仏の時は稔彦王は迎えにもいかず名代も出さずと言わるるにつき、
自分より礼儀に違う旨を説きたるに、稔彦王は朝香宮妃はお互いに嫌いなるゆえ迎えに行かずと言われたる。
また朝香宮妃がフランスに来られたるも、妃殿下が強くて鳩彦王が弱きゆえ、別に争いは起らざりしが、
王殿下お気に入りの看護婦ある事は妃殿下も承知せられおり。晩方よりその看護婦が交代に来る様になりおり、その時刻に病室に行かんとする者あれば、妃殿下は「邪魔になるよ」と言わるるぐらいなり。
やはり妃殿下はすぐには帰朝せられざるならん。

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倉富日記 大正12年11月10日

金井四郎
妃殿下「この事は既に稔彦王にも貞明皇后にも皇太子にも告げたり。自分がフランス行きを止めたらば、稔彦王の帰朝が幾分早くならんと思う。殿下の渡欧期限には自分と共に諸国を巡遊する期間も含みおるをもってなり。震災のため皇室にも非常なる影響ある際に自分が洋行する事は謂れなき事と思う」と言われたり。

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倉富日記 大正13年02月13日

金井四郎
聡子妃は風邪にて此節は神戸へは行かれざりしが、自分より「御風邪にあらざれば神戸まで御出を願うべきも云々」と申し上げたるに、妃殿下は「自分が神戸に行きても邪魔になる」と言われたり。
これは昌子妃と房子妃との間に種々の御談あるべく、その邪魔になるとの御趣意なり。
倉富◆聡子妃は房子妃とは御仲よろしきにあらずや。
金井◆昌子妃と房子妃とのほどにはいかず。
故北白川成久王御在世中は、稔彦王と鳩彦王との御間を種々御斡旋なされおりたる由なり。
宮内官僚海江田幸吉子爵の談には「鳩彦王の御言葉にはとかく針を含まれおり、かの模様にては円満には行かざるならん」と言う。
倉富◆御遭難については稔彦王はよほど親切を尽くしなされたる模様なり。
金井◆その模様なるが、朝香宮妃はとかく避けらるる模様ありとの事なり。

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倉富日記 大正13年03月29日

牧野◆稔彦王滞仏期間非常に長くなりなお帰朝期を定められず、皇族内にも心配さられおる方もあり。
またこのままに経過しては皇族一般に対する天皇陛下の御監督にも関する事につき、何とか処置せざるべからず。近き所ならば宮内大臣より意見を言上するが当然なるも、遠隔の所にてその事も出来ず。
さりとて突然勅命にて帰朝を命ぜらるるも不穏当なるべし。よりて誰かフランスに派遣し、充分に殿下に帰朝を勧説しなお承知せられざるならばその次には勅命を奏請する事もやむを得ずならんと思うが如何考える。
倉富◆先頃1年の延期を勅許せられたる時も、1年の期限を定めたる事が殿下の意に反する様の事を申し来りおれり。無期限に勅許を願う様の事の出来ざることは明白なる事なるに、なお左様の事を申し来るは勅許の性質も知らざる様に思わる。予は第一着手としては属官池田亀雄の行動が甚だ不都合につき、これを除く工夫なかるべきやと種々考えもし、山辺知春の意見も問いみたれども、同人も工夫なしとの事にてその事もできず、池田を免職する事は容易なる事なるも、免職しても殿下が池田を近づけらるれば一層始末悪しき事となるなり。池田は始終殿下の所におり、今日にては大分蓄財も出来おる模様にて、免職しても帰朝する様の事はなかるべく、しからば池田の処分も結局できざる訳なり。
しからば相当の人を派して殿下の帰朝を勧説する事は順序上やむを得ざる事と思う。ただしその人選は非常に困難なるべし。相当威望ある人にあらざれば不可なるべし。
牧野◆その通りなり。しかし古手軍人でも派遣したれば、殿下はすぐに自分を威圧するとて不平を言わるべし。池田の家族は如何様なる人があるべきや。家族より急に帰朝する様申し遣す事は出来ざるべきや。

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倉富日記 大正13年05月30日

金井四郎
自分は昨年震災以来稔彦王には愛想を尽かしたるも、聡子妃は実に御気の毒なり。
妃殿下の事を思えば東久邇宮家を去る気にもなれず、もし宮務監督も事務官も新たなる人にては尚更妃殿下が御困りなさるべきにつき、自分は東久邇宮家に留まりて差支えなし。

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倉富日記 大正13年06月03日

仙石◆稔彦王を説くには倉富君を措いて他に適当なる人なし。是非発奮しくれよ。
倉富◆予は不適任なり。宮内大臣も決して予を遣わさざるならん。
仙石◆自分は君に限ると思う。皇族一人を有用の人と為すか無用の人と為すか極めて重要なる事件なり。
徳川◆稔彦王のことだけを考うれば倉富君は適当なるに相違なし。しかし他に重要なる問題多し。
仙石◆他に洋行せられ難き事あるならばやむを得ざれども、長年月を要する事にあらざるゆえ差支えなかるべし。
倉富◆宮内大臣は必ず予を遣わさざるならん。
仙石◆徳川君も熟考しくれよ。自分より宮内大臣にも話す事にすべし。

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倉富日記 大正13年06月04日

倉富◆仙石の談は予をしてフランスに行き稔彦王を迎えしめんとする事なり。予と徳川とに対してこれを土岐たるが、予はもちろん反対せり。
金井◆徳川は何と言いたりや。
倉富◆徳川も賛成はせざりし。
金井◆仙石はこの事につき宮内次官に話すつもりなりしが、関屋は賛成せざりしならんと思わる。

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倉富日記 大正13年06月21日

フランス大使館付武官渋谷伊之彦の台詞

自分が帰朝する前稔彦王から「予は皇族なり。決してその本分を忘るる様の事なし」との言を聞きおれり。
王殿下は軍人として熱心に軍事を研究しおらるるとは言い難し。フランスの知名の人と交際せらるる様の事は少し。フランス在留の日本人とも接せらるる事は極めて少なし。
しかし昨年04月の北白川宮の御遭難の時の稔彦王の御処置は実に見事にて、何人も感心せり。
またローマに御出なされたる時の御態度も極めて立派なりしなり。
王殿下が近く御帰朝なされざる様ならば、池田亀雄の他に誰ぞ適当なる人を付くる方がよろしからん。
王殿下は余程池田を信用しおらるる模様にて、蒲などはほとんど何事にも与からず。先年溝口が辞めたる時も、王殿下は御付武官は必要なしと言われたるも、強いてこれを付けたるぐらいなり。

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倉富日記 大正13年08月02日

在ベルギー大使館職員武者小路公共子爵

稔彦王はこれまで宮内省に対し種々ワガママなる事を言われおるが、内心にては非常に苦悶しおられ、
何かこのワガママの罪を消す機会はなきやと思いおられおりたる所に皇太子よりローマ御差遣の御命ありたる事は非常に感激せられ、ローマに御出前よりその使命に関する準備は残る所なくこれを為され、ローマにおける御態度・御動作実に立派なるものにて一点の遺憾もなし。ローマ御出発後国境を出たる後、自分に対し「予の成績は如何」との御問ありしにつき、自分は「100点以上を差し上ぐる」と申し上げたるくらいなり。
倉富◆ただ困る事は稔彦王の御滞仏に関する名義の立たざる事なり。妃殿下の御渡仏は王殿下御帰朝の前提なる事は申すまでもなきが、王殿下の御承諾なくしては妃殿下が御渡仏なさるる訳にはいかず。王殿下よりの通知を待てば際限なきゆえ、結局手の着け様なき訳なり。

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倉富日記 大正13年09月22日

牧野◆聡子妃の性質温順にて、鳩彦王妃とは性質相違する。
倉富◆先年東久邇宮家の事務官と御用取扱との間に確執を生じ、結局双方とも官を退く事となりたり。
その原因は御用取扱の方にては「妃とはなられたるも内親王なるゆえ稔彦王もそれだけの斟酌はかなるべからず」との考えを有し、事務官の方では「内親王たりとも妃となられたる上は普通の妃と区別すべき訳なし」との考えを有し、稔彦王も鳩彦王妃が鳩彦王に反抗的な態度を取られたる事あるため左様の事なからしむるため幾分圧迫的な行動もありたる模様にて左様の争いを生じたる訳なり。

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倉富日記 大正13年11月07日

金井四郎
昨日園祥子東久邇宮家に来り、その次第は竹田宮妃が貞明皇后に謁せられたる時、皇后より「稔彦王の滞欧あまり長くなり、聡子妃にも気の毒な事なり。しかし自分より口を出す訳にもいかず、聡子妃より御依頼でもあれば何とか考えもあらん」との旨の御話あり。昌子妃はその事を度々聡子妃に話されたるも、聡子妃より明瞭なる答なきにつき、昌子妃は更に園を召い、園よりその事を聡子妃に話さしめられたりとの事なり。しかるに今日昌子妃より聡子妃の参殿を求められ、今日は武者小路公共夫妻参邸の約あるにつき聡子妃は断られたるも、ぜひ参殿せられたしかつ午餐を共にすべしとの事なり。よって今日聡子妃より昌子妃に依頼せられ、昌子妃より貞明皇后に御願でも為さる様の事に為りては重大の関係を生ずる事なり。
園は「聡子妃は話が下手なるにつき、皇后に直接に口頭をもって御願いなさる事はでき難かるべく、自身に御願なさるならば覚書を作りて皇后の御覧を願うか、昌子妃に依頼して御願なさるがよろしからん」と言えり。
自分は聡子妃に対し「今日昌子妃より如何様なる御話あるも、決して御即答ありてはよろしからず」と申し上げ置きたり。万一皇后より親簡でも送りたまい、稔彦王がそれに関わらず帰朝せられざる様の事ありてはいよいよ面倒なる事となるにつき、如何致したらよろしからん。
倉富◆昌子妃より皇后に願われても、宮内大臣にも御話なくすぐに親簡でも送らるる様の事はなかるべしと思う。

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倉富日記 大正13年12月03日

北白川房子妃

帰朝前稔彦王に対し、何か聡子妃に伝言せらるる事はなきかと言いたるところ、
「現在の皇族は多きに過ぐ。閑院宮を始め従来の皇族はすべて臣籍に降下したる後にあらざれば自分は帰朝せず。また妃も迎えざる旨を告げくれよ」との事なりしも、「それはあまり極端なる事なるにつき伝言しがたし」と言い置きたり。

金井四郎
池田亀雄がパリにて内地人画家の妻と通じたる事ある趣にて、この事は稔彦王も承知せられおり、また北白川房子妃も承知の事なり。房子妃より稔彦王の婦人関係の話あり。自分は「まったくその関係なき事を信じおる」旨を申し上げたるところ、房子妃は「果たしてこれを信じおるや」と言われたり。
房子妃は何か確証を有しおらるるならんと思う。

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倉富日記 大正13年12月12日

金井四郎
賀陽宮好子妃に「稔彦王は閑院宮始め従来の皇族がすべて臣籍に降下せられるまでは帰朝せずとの御考えなる趣なるが、好子妃は御承知なるや」と申し上げたるところ、「それは稔彦王の理想にて、差し向き自分一人の降下を望みおらる」との事を言われたり。
「園祥子がその事につき聡子妃に皇后に御願いなさるや否やを伺い、その返答はいまだ為されおらず。
園は昌子妃の御意を承けて来りたるものにつき、何とか園に御返事をなさる必要あらんと申し上げたれども、
返答に及ばずと言われたるにつき、しからばその内園が来りたる時妃殿下の面前にてかの事は当分何事もなさらざる事になりおるにつき承知する旨金井より園に話す事に致すべきが、それにてよろしきや」と申し上げたるに、好子妃はそれにてよろしと言われたり。好子妃は「聡子妃はどこかしっかりした所があるならん」との事を話しおられたり。

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倉富日記 大正13年12月16日

大森◆全体稔彦王が帰朝せられざるは何の為なりや。
倉富◆種々の説あれども確かなる事は無き様なり。初めは婦人関係ならんとの説もありたれども、これも確かならず。
大森◆結局パリが面白くて帰る気が無しと言うだけの事にはあらざるや。
倉富◆内地にては束縛ありて思う様の行動は出来ず。パリならば出来る。しかして長くなりたるため談話も自由に出来る様になり面白くなりたる事が主なる原因ならん。

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倉富日記 大正13年12月20日

金井四郎
房子妃に対し「先日稔彦王にはパリにて婦人の関係ある事を御承知遊ばさるる様に承りたるが、
その関係は非常に面倒にて閑院宮載仁親王の如きものなりや、または金さえあれば訳なく解決できる様のものなりや、相手の画家の娘と言うは如何なる者なるべきや」と申し上げたるに、房子妃は「自分の帰朝する頃の関係は、金さえあれば訳なく解決できるものと思いおりたり」との御話あり。
自分より「稔彦王よりも池田亀雄の方がよほど熱度が高き様に聞きおる」旨を申し上げ置きたり。

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倉富日記 大正13年12月25日

倉富◆稔彦王が帰朝を肯んぜられざる原因がどこにあるや明らかならず。医師が病症を探り得ざると同様にて、治療の工夫つき難し。
牧野◆畢竟殿下方は親族の情義薄き様なり。
倉富◆この事は各殿下に共通なる様なり。稔彦王は洋行前には予らに対し「子供の為ならば何事にも犠牲にする事は辞せざる」旨を話されたる事あるが、昨年の震災にて師正王が薨去せられたるについては必ず稔彦王の考えもこれまでと変り帰朝の念も起るならんと思いたるも、やはりその事無きは普通の人情と異なる所ある様なり。

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by oMUGIo | 2001-03-05 00:00 | 皇族
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