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朝融王 その4

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倉富日記 大正13年10月03日

入江貫一
仙石政敬の依頼により大木遠吉が武井守正に仙石に面会する紹介を為し、武井は「仙石は如何なる資格にて面会を求るや」を問い、「仙石は久邇宮家の親族の総代の資格なり」と言い、武井も面会する事は承知しおる趣なり。

松平慶民
仙石政敬の依頼にて大木遠吉が酒井家にて、酒井家相談人武井守正・三上参次・古市公威に面会し、
大木は「此節の事は久邇宮家が重々悪し。しかしなにぶん皇室にも関係する事なるゆえ穏便に済む様尽力しくれよ。またこの事につき仙石が諸君に面会したしと言いおるにつき、面会しくれよ」と言い、大木は酒井家の方より辞退しくれよと言う様なる事は一言も言わずして去りたる由。その後酒井家の相談人は「仙石が久邇宮家の名代として来るならば談を進めるべきも、一個の仙石として来るならば談を拒絶すべし」という事に決し、
三上は「京都に旅行する事となりおれり。自分はたとえ久邇宮家の方より解約を申し込まれても約束を遂行すべしとの意見にて今日もこれを変ぜず。しかし自分の不在中決したる事には苦情を言わず。むしろ自分は旅行する方好都合ならん」と言いおりたる由なり。その次第は武井守成よりこれを話し、自分より関屋に告げたり。
関屋ももはや徳川の手にて効を奏ぜざる事は見極めおる模様なり。関屋は「これまでは幾分にても徳川を助くるつもりにて大木らにも話たれども、この上はもはや何事も手を出さず徳川が諦むるを待つ方がよろしからん」と言いおりたり。
牧野や徳川が久邇宮家の面目を損せざる様にと思い、強いて酒井家の方より解約せしめんとするも、もはや内情は一般に知りおるにつき、酒井家より辞退せしむれば、皇族の権力をもって酒井家を圧迫したりと思うだけにて、少しも久邇宮家の面目を保つことを得ざるのみならず、かえって罪を重ねるだけの事なり。
牧野が始めより自らその局に当り、酒井家に対して事情を打ち明け諒解を求め、菊子病気等の事由にて辞退しくれよと言いたらば、あるいは出来たる事ならんと思う。しかるに牧野は表面は婚約遂行の意見を述べ、裏面には徳川を使い、酒井家の方のみに責任を負わしめんとしたるはあまりに勝手なり。

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倉富日記 大正13年10月06日

関屋貞三郎
朝融王問題は徳川の力にては少しも発展せず。先日大木遠吉より「何事に関わらず援助すべし」と言うにつき、徳川に大木の事を話したれども、徳川は「水野に依頼しおるゆえこの上大木を加うるは面白からず」と言えり。
しかるに仙石は久邇宮家の親族なる故をもって大木に依頼し、大木は酒井家の相談人に面会し、大木の意見を述べたるに、相談人は「誰の依頼にて来りたるや」を問い、大木は仙石の依頼なる旨を答えたるところ、相談人らは「しからば直接仙石に面談すべし」と言う。
武井守成より酒井家にて相談会を開き酒井家の方より婚約を辞退する事はせざる旨の決議を為したる旨を聞き、その旨を徳川に告げたるも、徳川は「酒井家にて相談会を開くはずなし」と言い張りたり。先夜は徳川の家職より「いよいよ解決する事と為りたるゆえ安心しくれよ」との電話まで掛けたり。徳川は何によりて解決を信じおるや分からざる。

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倉富日記 大正13年10月07日

西園寺八郎
父西園寺公望は朝融王問題につき非常に強硬なる意見を有し、久邇宮にワガママを言わしむべからずと言いおる

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倉富日記 大正13年10月10日

新聞に『朝融王の婚約問題は、水野・徳川・酒井・仙石が某所に会合し円満に解決したるならんと思う』旨を記載しおれり。

入江貫一
今日の新聞に朝融王の婚約問題解決したるべき旨を掲載しおるとの事なるも、
武井守成の談にては解決しそうには思われず。
今朝宮内大臣が西園寺公望に面会せられたるゆえ、いよいよ宮内大臣が決心する時期となりたる事とならん。

松平慶民
新聞に仙石も会見したる様に書きおれども、仙石は手を引きたるはずにつき、これは事実にあらざるならん。
関屋に徳川より何か報知ありたるやを問いたるに、何も報知なしと言いおりたり。

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倉富日記 大正13年10月13日

松平◆昨日徳川が酒井を訪いたる時、酒井守正が行きたるところ、酒井は『宗秩寮総裁たる徳川より久邇宮の事情を聞き、菊子の婚約を辞退する』旨を書したる書面を出し、これを承認しくれよとの事なりしが、
武井は熟慮すべき旨を告げて帰宅し、今朝守成を酒井家に遣し、「意見を聞くとの事ならば言うべき事あるも、主人が既に決意してこれを承認せよとの事なれば、今さら何も言うべき所なき」旨を告げしめ、すぐに葉山に行きたる趣なり。相談人の内にては星野錫のみが徳川と同時に酒井の家に行きたりとの事なるが、星野は如何なる態度を取りたるやは分からず。酒井は風評の如く菊子と私たる事は絶対に無きも、ずいぶん遊びたる事はあるにつき、徳川は何か酒井の弱点を押えてこれを承諾せしめたる様の事なるべき旨守成は話おりたり。これにて段落は着く様なるも、徳川も牧野もすましておりてよろしきものなるべきや。
倉富◆宮内大臣は表面婚約遂行を主張しおるに、宗秩寮総裁が反対の事を周旋したるは不都合の様松平◆先日拝謁したる時、この事に関する御話ありたるにつき、大略申し上げたるところ、「嫌になりたるものを強いて遂行せしむるは無理なり。もし宮内大臣が側室を置く事を承認するならば婚約を遂行する方がよろしなるも、事実は大臣が依頼しおる事につきそれにてよろしからん。しかるにこの事を貞明皇后に言上したる時、皇后陛下より万一事情を御尋ねありたらば困る事はなかるべきや。
きも、さもなくして遂行するは無理なる事なり」との御話あり。これは案外に考えたる事なり。左の如き御話ありたるにつき、格別面倒なる事の御伺はなからんと思う。

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倉富日記 大正13年10月15日

倉富◆朝融王の事は酒井家より辞退する事になる様に聞きおりたるが、その通りなりたるべきや。
入江◆いまだ運ばざるべし。宮内大臣は「確定はせざれども、大概まとまるならん」と言いおれり。
徳川より両三日待ちくれよと言いたりとの事なり。
倉富◆宮内大臣は酒井より辞退する趣意を書きたる書面に宗秩寮総裁の名義を出す事は困ると言いたる事を聞きおるが、総裁の名義を用いざる事としてはこの話は進まざる事とならん。
入江◆しかり。

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倉富日記 大正13年10月18日

松平◆朝融王問題はその後少しも話を聞かず。徳川の方は今日となりてはもはや久邇宮家または宮内大臣に対する義理というより、自己の面目上何としても目的を達せざればならぬという様の考えにて、言わば徳川家の存亡問題とでも思いおるならん。

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倉富日記 大正13年10月24日

伊東巳代治
朝融王の事件は如何なる事なりや。
倉富◆朝融王が嫌になられたる様なり。
伊東◆しからば酒井家の方に弱点ある訳にはあらざるや。
倉富◆その風評は無きにあらざるも、確かなる事にあらず。久邇宮家にてもその事は言われざる様なり。
伊東◆それならば酒井家の方は気の毒の訳にあらずや。
倉富◆その通りなり。酒井家の方より辞退せしむる事はよほど無理なる事と思う。
伊東◆正式に勅許ありおる事にはあらざるならん。
倉富◆正式の勅許は経ておらず。内伺だけなる趣なり。
伊東◆内伺は済みおるや。いずれにしても物議を醸す事ならん。
良子女王の問題にては邦彦王もよほど苦心せられたるにつき、充分の同情あるべきはずにあらずや。
倉富◆そのはずなるも、しからざる様なり。
伊東◆朝融王は如何なる方なりや。
倉富◆下情には通じおらるる様なり。初めは評判よろしき方なりしが、その後は必ずしもしからざる様なり。
伊東◆しかるか。

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倉富日記 大正13年10月30日

宮内官僚山田益彦
徳川の談にては、酒井は牧野が久邇宮家に伺候して伺いたる近状『朝融王が菊子を嫌いおらるるも久邇宮家の方よりこれを断るる訳にもいかず、さりとて婚約を遂行して結果が悪しく、久邇宮家としてはその処置に困りおらるる事情』を徳川より聞き恐懼に堪えず。
辞退したる旨の書面を久邇宮家に出し、久邇宮家よりもこれに対する書面を出され、その上にて邦彦王より酒井を召され懇篤なる御言葉ある事となりおり、昨日午前中には酒井家の相談人も承諾する順序となりおるにつき、その事がまとまれば徳川は午後より宮内省に出勤する予定なり。

松平
昨日の徳川の談は酒井より本日の相談会にて全会一致にて辞退の事を可決したる旨を明日自分に通知するにつき、明日午後宮内省に出勤し宮内大臣の指揮を受くる事とすべしと言えり。しかるに本日正午を過ぎても音沙汰なきにつき徳川へ電話にて問いたるところ、今日は都合により出勤せざる旨を通知し来れり。
左の次第につき武井守成へ電話をかけ「酒井家の相談会ありたりや」と言いたるところ、「何事もなし」と言い、「相談会を開く通知もなし」と言いたり。
今朝来新聞記者が数人写真機を携帯して来りおり、徳川の出勤を待ちおれり。

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倉富日記 大正13年11月04日

国分三亥
朝融王問題いまだ解決せず、困る
倉富◆実に分からず。もはや疾く解決するはずなるにあらずや。先日徳川は予の宅にも来り、いよいよ解決する旨を告げて去りたり。
国分◆本月01日徳川より自分を召い「酒井家の相談人武井が反対意見を為しおりたるも、これもいよいよ同意したるにつき、この上は形式的な相談会を開き、その上にて酒井より辞退の旨を申し出て、自分より邦彦王にこれを言上する事となる順序なり」と言いたり。
倉富◆武井が承諾したりと言うはなお行き違いある様なること、この事については久邇宮家にて幾分の責任を取らるる方かえって物議を少なくするにはあらざるやと思うこと。
国分◆今後新聞にて菊子の節操問題を書く様の事ありはせざるかと心配しおる。

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倉富日記 大正13年11月08日

倉富&関屋&徳川&酒巻&松平&山田

徳川頼倫の家に行く。徳川より朝融王婚約解除の事につき、これまで徳川が周旋したる概略を説く。
婚約は酒井家より辞退する事と為りおるが、辞退の理由として、酒井は宗秩寮総裁徳川頼倫より久邇宮の近状を聞き、この結婚の将来を慮り、辞退する旨を新聞に公表することを望み、宮内大臣は「酒井家より久邇宮家に提出する覚書にはその旨を記載しても妨なけれども、新聞に公表する事は承知し難し」と言えり。
よって宮内大臣が帰京する前、如何なる形式にて発表するか、その文案を作り置きたしとの事にて、
酒巻、その主意にて酒井家より発表する物・久邇宮家より発表する物・宮内省より発表する物3通を作りこれを修正して成案と為したり。
関屋は宮内省より発表する文案には今少し事実を詳記する方よろしくはなきやと言う。
予、宮内大臣が宗秩寮総裁の周旋を認むるならばもちろんこれを詳記する必要あり。しかれども酒井家は久邇宮家の近状を聞きて婚約を辞退し、久邇宮家はその辞退を承諾して宮内大臣に内伺取消方申し出られたる形式となる以上は、宮内省はこれに関する事実を云々すべき理由なし。故に宮内省はその手続きを了したる旨を発表すればそれにて充分なりと言い、決定せり。

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倉富日記 大正13年12月04日

国分三亥
倉富◆皇太子御使として侍従長入江為守が久邇宮家に行きたる事につき、邦彦王より何か御話はなきや。
国分◆野村礼譲が「入江が来邸したるが」と申し上げたるところ、邦彦王はよほど不機嫌なりしとの事なり。

入江が御使として邦彦王に口上覚書を交わしたる趣意は『せっかく御内意まで伺いて取り結びたる婚約を解くに至りたるは遺憾の事なり。今後は万事一層慎重にする事を望む』とのことなりし由。

国分◆朝融王は皇太子に「牧野は菊子が結婚する前には自分も結婚すべからざる様の事を言いおりて困る」との事を言われ、皇太子は「牧野は何か面倒なる事を言いおりたるも感服できず。牧野の言う様なる訳にはいかず」とのことを御話ありたる趣にて、朝融王は非常に有力なる味方を得たりとの話を野村に話され、
野村より酒巻・松平らに話し、松平より関屋に告げ、関屋が牧野に告げたる趣にて、今日頃牧野が野村に面会する事になりおるはずなり。

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倉富日記 大正13年12月16日

国分三亥
菊子が前田利為侯爵に嫁する事となりたるは好都合なり。

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by oMUGIo | 2001-12-24 00:00 | 皇族
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