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原敬 政治家

◆原敬●子供ナシ
1856-1921 安政03-大正10

*暗殺




■前妻 中井弘の娘 貞子 離婚
1869-1919 明治02-大正08 50歳没 

*14歳で結婚・36歳で離婚

*不倫で妊娠し離婚。不倫相手は書生あるいは車夫と言われている。
その後印刷工と再婚。




■後妻 芸者 浅子
 -大正12 51歳没


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

原敬氏の夫人は中井桜洲の娘である。
中井氏はわずかに一地方長官で身を終わったが、
薩閥の先輩で伊藤公・山縣公・井上侯等とは友人の間柄であった。
原氏がまだ一秘書官として世に知られなかった頃、
一日大臣に扈従して華族女学校の参観に出かけたことがある。
その時容姿端麗な淑女を見て心を動かしたか、
秘かに探ってみると中井桜洲の娘であることがわかったから、
中井氏の将来とそれに付攀して進む自身の栄達を予想し、
媒介者を頼んで交渉を重ねた結果ようやく思いかなって夫婦の契りを結んだものである。

しかるにその後家風に合わずと称して婦人を離縁したから
世間では原氏の軽薄無情を非難したが、
ことの真相は夫人が極端なヒステリー患者で
政界の野武士どもを制御する原氏の手腕をもってしても
夫人のワガママをどうすることもできなかったことが破鏡の歎きを見る直接原因であった。

末松謙澄子爵が伊藤公の女婿となった頃何かのことで夫人の気色を損なうと
自ら背負うて庭園を一周しご機嫌取りに努めたということは
今でも談柄として残されているが、
原氏もまた毎朝出勤するに先立ち夫人を負うて室内を一周し
時とすると夫人のために打たれることさえあった。
夫人はまたヒゲを嫌うこと毛虫のごとく、
ヒゲのある客の前へは一切出て面会せぬというほどの変わり者であった。

そのため友人や親戚はあまりにも増長する夫人の横暴ぶりを見かねて
しばしば離縁を勧めたが、
原氏はひたすら外戚の意を損なわんことを恐れて受諾せず、
後年夫人の品行上許すことのできぬ訳が生ずるに至ってはじめて離婚を決行した。


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原敬日記 明治38年12月17日

貞子は明治29年より離別し、本人悔悟改心せりと聞かれ明治32年に呼び戻し、
去年09月余が東北巡業を終りて10月帰京するや否や
本人は他人の胤を懐妊し既に5ヶ月なる由を聞き、
余が知らざる体を為しおりたるをもって本人全く発覚せざるものと信じ、
その不行跡を蔽わんが為に三浦三崎に転地保養に赴きたるにより、
使いをして本人を説かしめ貞子より離婚を求る旨申し越しあり。
余その意に任せ離婚届に調印せしめて原籍地に届け出り。


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原敬日記 明治39年05月06日 

貞子離別後三浦三崎にあり同所にて女児分娩せし由なりしが、
情夫の胤にして余の子にあらず。


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◆原貢
1902-1983
先代敬の甥

*イギリスに留学


■妻
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by oMUGIo | 2006-01-13 00:00 | 御家族
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