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カテゴリ:公家華族( 69 )

入江子爵家 羽林家

◆入江為守
1868-1936 慶応04-昭和11 68歳没
もと公家冷泉為理の子
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■妻 柳原前光伯爵の娘信子
1876-1953 明治09-昭和28
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●為常 次代当主
●朔子 坊城俊良伯爵夫人
●邦子 高木正得子爵夫人→娘は三笠宮百合子妃
●相政 財閥岩崎豊弥の娘君子と結婚


左 朔子   右 邦子 
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左 相政   右 邦子
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●朔子 坊城俊良伯爵夫人
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●相政
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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年09月09月18日

宮内官僚小原駩吉の台詞

入江為守、ヨーロッパにてある宴会の時ズボン下がズボンの下に白く垂れおり、
あまり見苦しきゆえ同僚が注意したるところ、衆人の前にてズボンをまくりこれを直したる由。
恥しきこと多きゆえ儀式には大概これを除きて出席せしめざることと為したる由なり。

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◆入江為常
1894-1969
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■妻 京極高徳子爵の娘 豊子
1902-1989


●朝子 婿養子を迎え次代当主とする





◆入江俊久
1921-
先代為常の甥/朔子&坊城俊良伯爵の子 婿養子になる


■妻 先代為常の娘 朝子 イトコ結婚
1928-


●妍子
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by oMUGIo | 2002-04-03 00:00 | 公家華族

四条侯爵家 羽林家

◆四条隆生
1792-1857 寛政04-安政04 65歳没
もと公家醍醐輝久の子


●隆美 次代当主
●隆謌 次々代当主
●隆平 四条隆平男爵となる 広幡基豊の娘繁子と結婚





◆四条隆美
1815-1834 文化12-天保05 19歳没





◆四条隆謌
1828-1898 文政11-明治31 70歳没
先代隆美の弟
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■前妻 福岡藩主黒田長溥の娘 銈子 別居・死別


■後妻 中井春子 正妻の死亡後、妾であった芸者春子を後妻にする
1858-1906 安政05-明治39 48歳没 
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●弟隆平の庶子 実輝  一条実輝公爵となる
●春子の子    加根子 三島弥太郎子爵夫人
●愛人の子    十郎  ピストル自殺
●春子の子    隆愛  次代当主


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加根子の娘 阪谷寿子 三島弥太郎子爵令嬢/阪谷希一子爵夫人

私の母方の祖母上は春子といい京都の士族で中井好馬という方の娘ですが、
何かの事情で半玉として勤めに出されたばかりの時に
祖父上が落籍せて妾として囲われたということです。
大阪時代に幼い母上が女の人に抱かれている写真があるのですが、
私が母上にこの女の人は誰かと伺ったら「それは私のお母さんだ」と言われるので、
「でも四条の祖母上とは違う方ではありませんか」と反問したところ、
祖父上の本妻の方だとの答えでした。
この本妻は黒田侯爵の息女で祖父上のもとにお輿入れされたのですが、
あまりに嫉妬心が激しく今で言うヒステリーになられたため
祖父上が辟易してしまわれたのだそうです。
それで大阪鎮守台長官から名古屋鎮守台長官に転補された時に
この本妻の方はそのまま大阪に置いていかれ、
お気の毒なことに大阪で亡くなられたのだそうです。


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加根子の娘 阪谷寿子 三島弥太郎子爵令嬢/阪谷希一子爵夫人

一条の伯父様〔一条実輝〕は本当は祖父上〔四条隆謌〕のお子さんではなく、
弟の隆平さんが部屋住み時代にある女の人に産ませたお子さんなのですが、
祖父上が自分の子とされ成人してから一条家へ養子にやられたのです。

祖父上のお子さんが全部で何人あったのか私はよく知りませんが、
母上のお話では一番上の女の方が飛鳥井家に嫁がれた他、
スエコ・ミツコというお方もおられたようです。
春子祖母上は本妻になられた後、十郎さんの母である【さえ】という人や、
その他祖父上のお手付の女中などが何人かいたようですが、
その人たちをしっかり抑えておられたといいます。
この十郎というお方は
祖父上から学校が出来ないと言って叱られたのを苦にして自殺されたのですが、
世間では祖母上が実子の隆愛叔父様を跡取りにしたいため
庶子の十郎叔父様をいじめ殺したのだと噂したようです。


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四条隆愛の妻 糸子/徳川慶喜の娘

隆謌様が京都をお落ちになって〔七卿落ち〕
九州の黒田様に御身をお寄せになっていらした時、
黒田様のお姫様の銈子様にお見初められになったのです。
女のように美しいお公卿さんに心をお魅かれになったのね。
銈子様は奥平様に御縁付きになったのですが、
御不縁になってお里にお帰りになっていらしたのです。
そう申してはなんですが、お色が黒く御器量のお悪いお姫様で、
お年もちょっとお上でいらしたそうです。
しかしお世話様になっていらした黒田様から是非もらってくれとおっしゃられれば
嫌とは言えず御祝言をあそばし、京都へ連れてお帰りになったのです。
御維新になってからも、よほど銈子様をお嫌いになったらしく
別の邸に表の人と奥女中をつけて大切にはお住まわせにはなったけれど、
御自分はちっともお訪ねにならず、京都や大阪での御道楽は大変だったそうです。
お気の毒様に毎日おむずかっていらしたそうですが、とうとうお患いになってお隠れたの。
お隠れても隆謌様はお出でなく、黒田様のお手で御葬送をお済ませ申し上げ、
御墓所も黒田様の方へ御埋葬申し上げました。


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四条隆愛の娘 富士子/大河内輝信子爵夫人

祖母〔春子〕はこんなにしっかりしていても時にははしたないことがあるらしく、
母〔将軍徳川慶喜の娘糸子〕が徳川から嫁に来ているのに当てこすって、
「京都の家にはたくさんの蔵書がありましたが、みんな徳川はんに焼かれましたんえ
と言ったので母は切ない思いをしたそうだ。

私はこの祖母が正妻になった時の宮内省の許可の書付を見て笑った。
立派な字で「妾春子を正妻にする事を許す」と書いてある。
公文書にこんな言葉を書いたものかと驚いた。


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四条隆愛の娘 富士子/大河内輝信子爵夫人

ある時女中が風呂場で転んだと聞き祖父が飛んで行った。
女中が転んだぐらいでなんであんなに慌てるのかと祖父が不思議に思ったらば、
その女中が身ごもっていた。
祖母はちっとも気がつかなかったと悔しがって母に話したそうだ。
その女中が産んだのが十郎伯父だから憎しみがあったのも当然であろう。
十郎伯父は母親からは疎まれたが、私の父隆愛とは仲の良い兄弟であった。
十郎伯父は弟の隆愛に四条家を継がせた方が円満に行くと思い、
学習院の高等科に在学中寮の自室で演習用の銃で自らの命を絶ってしまった

私が大河内に嫁いでから大河内の父〔大河内輝耕子爵〕が
十郎伯父と大変に親しかったそうで、
「寮に入っている人はみな地方に家庭のある人でした。
十郎さんの御家は東京でしかも学習院と目と鼻の先の麹町に御両親がいらしたのだから
何か訳があるのだろうと思っていました。
十郎さんは身体が大きくて運動が万能で高等科の人気者でした。
寮の部屋で自殺なさった時は大変な騒ぎでした」


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◆四条隆愛
1880-1938 明治13-昭和13 58歳没
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■妻 将軍徳川慶喜の娘 糸子
1883- 明治16-
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●隆徳  次代当主
●富士子 大河内輝信子爵夫人 イトコ結婚





◆四条隆徳
1907-1977 明治40-昭和52 70歳没


■妻 実業家河井新耳の娘
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by oMUGIo | 2002-04-02 00:00 | 公家華族

坊城男爵家 坊城伯爵系

◆坊城俊延
1869-1910
もと公家坊城俊政の子


■妻 井田譲の娘 テツコ
1878-1944
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●延子 婿養子を迎え次代当主とする





◆坊城俊賢
1897-1984
もと坊城俊章伯爵の子 婿養子になる
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■妻 先代俊延の娘 延子
1900-1974 
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●俊厚 次代当主
●俊友





◆坊城俊厚
1922-


■妻 高浜年尾の娘 中子
1928-


●都子
●俊樹
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by oMUGIo | 2002-04-01 00:00 | 公家華族

千秋男爵家 熱田神宮

◆千秋季隆
明治08-
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■妻 阿野寛充の娘 成子
明治13-明治34


●多賀子 金原明夫人
●美喜子 高岡和季子爵夫人
●季正


●多賀子 金原明夫人
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●美喜子 高岡和季子爵夫人
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by oMUGIo | 2002-03-20 00:00 | 公家華族

三条西伯爵家 大臣家

◆三条西季知
1811-1890 文化08-明治23 79歳没
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■前妻 山内豊敬の娘


■後妻 出石藩主仙石久道の娘


●公允 次代当主
●幾子 白川資訓子爵夫人
●乗禅
●浜子 婿養子を迎え次々代当主とする





◆三条西公允
1841-1904 天保12-明治37 63歳没


■妻 公家広橋光成の娘 千鶴





◆三条西実義
1866-1949 慶応02-昭和24 83歳没
もと公家風早公紀の子 婿養子になる
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■妻 先々代季知の娘 浜子
1870-1922 明治03-大正11 52歳没


●公正 次代当主
●基子
●公武 風早公武子爵となる 高本承彦の娘翠と結婚・村上作治の娘久子と再婚





◆三条西公正
1901-1984 明治34-昭和59 83歳没


■前妻 久邇宮邦彦王の娘 信子女王 香淳皇后の妹
1904-1945 明治37-昭和20 41歳没
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■後妻 公家四条隆英の娘 治子


●淑子 四条隆貞男爵夫人
●咊子 木下利福子爵夫人
●実謙 次代当主
●実栄 久邇実栄侯爵となる 田口茂の娘操と結婚
●洋子 北島貴孝男爵の子北島英孝夫人
●澄子





◆三条西実謙/三条西尭雲
1929-1997 昭和04-平成09 68歳没
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■妻 斉藤覚造の娘 コト


●公彦
●公明
●公雅
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by oMUGIo | 2002-03-19 00:00 | 公家華族

二条公爵家 摂家

◆二条斉敬
1816-1878


■妻 伏見宮邦家親王の娘 恒子女王
1826-1916


●正麿 酒井忠義伯爵の娘鶴子と結婚
●利敬 宮橋利敬となる 東園基愛子爵の娘増子と結婚
●隆英 四条隆平男爵の娘駒子の婿養子になり四条隆英男爵となる 


●正麿 酒井忠義伯爵の娘鶴子と結婚
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◆二条基弘
1859-1928 安政06-昭和03 69歳没
もと公家九条尚忠の子
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■妻 金沢藩主前田斉泰の娘 洽子
1863-1925 文久03-大正14 62歳没


●実子 徳基
●実子 厚基 次代当主
●実子 邦基
●実子 敬子 鍋島直高男爵夫人
●庶子 澄子
●庶子 承子 平光寿夫人
●庶子 元基
●庶子 建基
●庶子 恭基
●庶子 敏基
●庶子 正基
●庶子 成基
●庶子 倫基


●敬子 鍋島直高男爵と結婚
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※当時の総理大臣の年給は1万2000円

二条基弘は大資産家の金沢藩主の娘と結婚しており、
また公爵は華族中の華族として最低資産10万円が保障されているため、
経済的基盤は揺るぎないものであったが、基弘の浪費によって二条家は傾く。

基弘は何事にも精力的な性格で妾にも多くの子を生ませているし、
英語・書・詩歌・弓・鉄砲・馬・彫刻・茶・花などに凝った。
30歳近くになってからイギリスのケンブリッジ大学に留学して、
帰国してから凝ったのが政治である。
政治活動に資産を使い果たし、大正3年には40万円の借金ができる。
さらに借金を重ねて翌大正4年には100万円にふくれあがる。

二条家は基弘を隠居させ、息子の厚基を当主として借金の整理に苦労する。
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◆二条厚基●子供ナシ
1883-1927 明治16-昭和02 44歳没


■妻 島津長丸男爵の娘 泰子
1899-1936 明治32-昭和11 37歳没 




◆二条弼基
1911-1985 明治44-昭和60 74歳没
もと二条正麿男爵の子


■妻 多嘉王の娘 恭仁子女王
1917- 大正06-
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●昌子 梅溪通明夫人
●和子 飯田叡夫人
●基敬
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by oMUGIo | 2002-03-18 00:00 | 公家華族

大谷伯爵家 東本願寺

◆大谷光瑩
1852-1923 嘉永05-大正12
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■妻 日出藩主木下俊愿の娘 恒子
1854- 安政01-
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●光演 次代当主
●恵子 九条道実公爵夫人
●瑩誠 広幡忠朝侯爵の娘朝子と結婚
●瑩亮 士族池田新子と結婚
●嶺子 梅上尊融夫人
●瑩韶 島津雄五郎男爵の娘文子と結婚
●綾子 正親町公和伯爵夫人
●瑩潤 小笠原寿長子爵の娘喬子と結婚
●久子 和田久左衛門夫人


●恵子 九条道実公爵夫人
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●綾子 正親町公和伯爵夫人
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◆大谷光演
1875-1943 明治08-昭和18

*満州・朝鮮・北海道などの鉱山に次々と手を出してすべて失敗、
さらに祇園で豪遊するなどの浪費を重ね、東本願寺幹部から隠居させられた。
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■妻 三条実美公爵の娘 章子
1876- 明治09-
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●政子 早逝
●素子 森平重雄夫人
●光暢 次代当主
●忠子 小田隆二夫人


左から 光演 章子夫人 光暢 智子夫人 忠子
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左 忠子   右 素子
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●政子 早逝
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●素子 森平重雄夫人
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◆大谷光暢
1903-1993 明治36-平成05 90歳没

*お東騒動を起こす


■妻 久邇宮邦彦王の娘 智子女王 香淳皇后の妹
1906-1989 明治39-平成01 83歳没
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●光紹
●美都子
●暢順
●暢顕
●須美子
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by oMUGIo | 2002-03-17 00:00 | 公家華族

壬生伯爵家 羽林家

◆壬生基修
1835-1906 天保06-明治39 71歳没
もと公家庭田重基の子
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■妻 公家四辻公績の娘 重子


●房子 公家庭田重文夫人
●基斉
●修子 清閑寺経房伯爵夫人
●基義 次代当主
●糸子 由利公通夫人
●麻子 南坊城良興夫人
●基綱 町尻量基となる 賀陽宮邦憲王の娘由紀子女王と結婚





◆壬生基義
1873-1936
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■前妻 岡沢精の娘 留子
1881-


■後妻 久邇宮朝彦親王の娘 篶子女王
1878-1947 


●綾子 池田政鋹子爵夫人
●種子 副島種義夫人
●基泰 次代当主


椅子 基義&篶子夫妻   立つ 基義の弟基綱/町尻量基 
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左 篶子夫人  右 種子
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立つ左から 基泰 基義
座る左から 篶子夫人 種子
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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正11年08月24日

宮内官僚小原駩吉男爵の台詞

壬生基義の性質は金銭に汚く品行不良にて、
妻篶子の姉妹の寡婦となりおる者と私したる事多く
先年死去したる池田詮政の寡婦安喜子のごときもその一人にて、
池田家の家職などはしきりに苦心したりし。

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◆壬生基泰●子供ナシ
1909-1979


■最初の妻 財閥渋沢正雄の娘 博子 渋沢栄一の孫
1919-1947


■2番目の妻 三好英之の娘 淑子
1921-


■3番目の妻 政治家の娘


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壬生基泰の最初の妻博子の妹 鮫島純子の手記 財閥渋沢正雄の娘/鮫島員重男爵夫人

姉はお茶の水女学校を18歳で卒業と同時に、
英語・フランス語・和裁・洋裁・編み物・茶道・華道・書道・ピアノ・ヴァイオリン・日本料理・
中華料理・フランス料理など十指に余るお稽古事を本人の意志のままに自分で申込み、
欲しい物はデパートの御帳場にサッサとつけて、
月末の請求書に母が驚きあわてて諌めるといったこともございました。

そのうちポツポツ縁談が持ち込まれ、
熱心に持ち込まれた話が公家の伯爵家からのものでございました。
姉本人の耳には入れず、
両親は「若すぎる」「公家の嫁向きに育てていない」を理由にすぐお断りしました。
ところが、あちらからこちらからのルートでさらに熱心に申し込まれました。
花婿候補の御母堂は某宮家の王女の由で、失礼があってはとやんごとなき筋を通し、
謹んでお断り言上の礼を尽くした次第でございましたが、なかなか御縁を切っていただけません。
やがて彼は、丸ビルにある父の事務所に通われるようになりました。

後になって知ったことでございますが、
先代基義伯爵が他人様にお頼まれになって借金の保証人の実印を押しておられたそうです。
伯爵家では先代が亡くなられた後、その事実がわかりました。
1000坪の土地屋敷が抵当に入っていたのですが、借り手が倒産してしまったのです。
すべては後日わかったことでしたが、
そのような理由でなかなか諦められずに何度も申し込んでこられた次第でした。

そんなこととは露知らず、
「博子は若いから人を見る目がまだ育っていないのだろう。あれはなかなかいい青年だよ」
と父の心はいつしか娘の結婚に傾いていきました。
1年半見守るなか着かず離れずデートなど始まり、
姉も「10歳年上の<おじい>なんて若さがなくて」と言っておりましたのに
そのうち年齢差も気にならなくなったのか、
とうとう「両親がいいと認める相手だから」と昭和13年11月、妻になりました。

あれだけ望まれて行ったのですからさぞかし大事にされているのだろうと思っていましたところ、
夫婦仲は良いのですが、お姑様・小姑様・先代基義の側室・先代の妹様(御離縁で出戻り)・
古くからいるお女中頭、人間関係の複雑さに、のんびり育った姉の試練は厳しいものでした。
良かれかしと思うがゆえに、
可愛がって育てた初めての娘を無理に近い格好で嫁がせた母としては、
蔭になり日なたになり、励ましかばい、経済的援助の手を差し伸べ、
それは母にとってもつらい試練のようでした。

そのうちやっと前述のようなお家の内情が打ち明けられ、
抵当になっている代々木の1000坪の土地建物を取り戻してほしいとの御依頼があり、
両親は驚きました。
お嬢さん育ちそのままの疑うことも知らない無邪気な姉でしたが、
揉まれていませんでしただけに
お姑様をはじめ複雑な人間関係の駆け引きに驚き戸惑いながら仕えました。
戦中もモンペ姿で食料調達に駆け回り、
三老人(お姑様・先代側室・痴呆症の義叔母様)をいたわりながら奮戦し、
やがて疎開先の鎌倉で二老人を見送りました。
取り戻した代々木の屋敷は焼けてしまい、
終戦後行くあてもないまま鎌倉を引き上げて実家にお姑様ともども転がり込みました。
まだまだ宮様気質のままのお姑様に一番良い南向きの10畳の座敷を提供し、
結局母ぐるみでお仕えする羽目になったのです。
娘を思えばこそ、母は愚痴ひとつこぼさず、最期のお看取りまでその家でまっとういたしました。

姉夫婦はやっと晴れて二人だけの新生活が始められることになりましたが、
昭和23年心臓病に苦しみながら姉は亡くなりました。わずか30年の生涯でした。
思うことがすべてかない、「博子様は何事も御運が良い」と使用人たちに言われていた娘時代と
結婚後の天と地のようなギャップを想う時、人生の意味を考えさせられました。
通夜の日、姉の遺体の前で
「博子がいなくなりまして不自由になります。後を探していただけませんか」
という義兄の正直すぎる言葉に私は耳を疑いました。
それに対して、ずっと病床で泊まり込みで看病しておりました母は、
「そうね、ご不自由におなりね」と約束通り良いお嫁様をお世話しました。

清水建設社長のお孫さんでしたから、
姉が苦心して取り戻した家はすぐに立派な家に建て替わりました。
5年後亡くなられたこの奥様のすぐ後には、
当時の国務大臣おお嬢様が私の家でお見合いされ嫁がれました。
帝国ホテルでの披露宴には、姉が嫁いだ時と同様、宮様がおおぜい御出席されました。
仲人岸信介氏が「新郎は今まで配偶者に恵まれませんでしたが、このたびは・・・」
と新婦の紹介をされた時、私はなんとも複雑な気持ちで姉が哀れに想われました。

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by oMUGIo | 2002-03-16 00:00 | 公家華族

町尻子爵家 羽林家

◆町尻量衡
1828-1907 文政11-明治40 79歳没


■妻 公家慈光寺実仲の娘 明子
1830-1903 天保01-明治36 73歳没


●量弘
●量雄 大岡忠量子爵となる





◆町尻量弘●子供ナシ
1866-1951 慶応02-昭和26
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■妻 平民大隅正徴の娘 鑑尾
1873-1945 明治06-昭和20
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◆町尻量基
1888-1945 明治21-昭和20 57歳没
もと壬生基修伯爵の子 基綱


■妻 賀陽宮邦憲王の娘 由紀子女王
1895- 明治28-
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●量利
●登喜子 講談社野間恒と死別・講談社野間省一と再婚
●量光
●量福
●量豊
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by oMUGIo | 2002-03-15 00:00 | 公家華族

東園子爵家 羽林家

◆東園基愛
1851-1920 嘉永04-大正09 69歳没


■妻 久邇宮朝彦親王の娘 栄子女王
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●基光 次代当主
●忠愛
●増子 宮橋利敬夫人





◆東園基光●子供ナシ
1875-1934


■妻 西条松平頼英子爵の娘 輝子
1881-1930





◆東園基文
1911-2007 明治44-平成19 96歳没
もと伊達邦宗伯爵の子


■妻 北白川宮成久王の娘 佐和子女王
1913-2001 大正02-平成13 88歳没
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●基政
●基宏
●基治
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by oMUGIo | 2002-03-14 00:00 | 公家華族


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