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カテゴリ:武家華族( 181 )

鍋島茂昌男爵家 佐賀藩家老

◆鍋島茂昌
1832-1910 天保03-明治43


■妻 諫早領主諫早茂洪の娘 郁子
1829-1892


●英若  次代当主鍋島英昌となる
●精次郎 押小路師成の娘甫子と結婚
●牧千代 小山善夫人
●真子  池上宣海夫人


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正08年06月21日

宮内官僚小原駩吉の台詞

主猟官鍋島精次郎については平素面白からざる風評あるが、
先日鷹匠一人を罷免し一人は自ら退職せり。そのうちの一人、
鍋島が昨年冬鴨場にて鴨500羽を私したること、その他種々なる非行を話したる。
鍋島は肥前武雄の男爵にてその父は立派な人なりし由。主猟官の鍋島はその二男にて、
私に家を出て大隈重信侯爵を頼り大隈の斡旋にて東宮侍従となり、
鍋島は常に同僚を離間するような事をなしたるため免官せられその後主猟官となりたるが、
とかく自身に都合良き者のみを用い少しく理屈を言う人はこれを退ける人なり。


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倉富日記 大正08年12月06日

宮内官僚小原駩吉の台詞

先日御猟場に行きたるところ主猟官鍋島精次郎に対し土地の人民反感を抱き、
御猟に関する人は一切宿泊を拒絶し
警察の周旋にてようやく御猟を始むる前夜に宿泊を承諾したることを聞きたり。
鍋島の非行については種々の話あり


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◆鍋島英昌
1864-1927


■妻 押小路師親の娘 依子
1865-1934


●綱麿 次代当主
●敏子 武雄俊一夫人
●清子 山本重之助夫人
●松子 堤啓次夫人
●基子 大島佐夫人
●保子 佐々木喬夫人
●恒子 西岡成樹夫人
●佐吉





◆鍋島綱麿
1884-1973


■妻 多久乾一郎男爵の娘 ミツコ
1886-1980


●初子
●愛子
●喜久麿
●美代子
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by oMUGIo | 2004-12-14 00:00 | 武家華族

長岡子爵家 熊本藩系

◆長岡護美
1842-1906
もと熊本藩主細川斉護の子
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■妻 大村藩主大村純熙の娘 知久子 秋月種繁子爵と離婚・護美と再婚
1860-1948 
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◆長岡護孝
1896-1975
もと細川利文子爵の子
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■妻 細川護成侯爵の娘 英子
1902-


●寿子 婿養子を迎え次代当主とする
●茂子 天羽浩平夫人






◆長岡祥三
1926-
もと薄井邦矛の子 婿養子になる


■妻 先代護孝の娘 寿子
1929-


●貴子
●智子
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by oMUGIo | 2004-12-13 00:00 | 武家華族

浅野養長男爵家 広島藩系

◆浅野長懋
もと広島藩主浅野重晟の子


■妻


●茂長 広島藩主浅野長訓となる
●懋績 次代当主
●懋昭 
●満子 丸亀藩主京極高朗の子京極高美夫人





◆浅野懋績


■妻


●長厚 広島新田藩主浅野長厚となる
●守夫 次代当主
●長之 浅野長之侯爵となる
●益子 松浦厚伯爵夫人
●久任 中川久任伯爵となる


●長之 浅野長之侯爵となる
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◆浅野守夫
1856-1938  
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■前妻 浅野懋昭の娘 亀子 イトコ結婚


■後妻 公家東園基敬の娘 ミツコ





◆浅野養長●子供ナシ
1872-1941
先代守夫のイトコ/浅野懋昭の子


■妻 酒井忠惇男爵の娘 登喜子
1885-1942 


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◆浅野懋昭


■妻


●長勲  浅野長勲侯爵となる
●女子  広島新田藩主浅野長厚夫人
●正桓  阿部正桓伯爵となる
●喜久子 南部利恭伯爵夫人
●亀子  浅野守夫男爵の前妻
●雪年
●長道
●芳子  戸田康泰子爵の2/3番目の妻
●養長  浅野養長男爵となる
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by oMUGIo | 2004-12-12 00:00 | 武家華族

有馬頼多男爵家 久留米藩系

◆有馬頼多
1876-1913
もと久留米藩主有馬頼咸の子


■最初の妻 米子
1882-


■2番目の妻 今園国映子爵の娘 智子 本人不倫で離婚・黒田直綱と再婚
1877-


■3番目の妻 菊亭脩季侯爵の娘 英子 高松実村子爵の子高松公重と結婚・有馬頼多と再婚
1881-1976 
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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正11年11月15日

有馬男爵家職員河窪敬直の台詞

継母英子と継子誉子と仲悪しく、近来に至り英子は有馬家を去りたしと言う。
英子が何事にも邪険なる事を言う。
誉子の居間には足も踏み入れず、
その居間の隣室に行くにもわざわざ屋外に出て回り道を経て行く。
英子があまり自分に皮肉なる事を言うにつき、
暇を乞うと言いたるところ誉子が行きてこれを留めたる。


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倉富日記 大正11年11月26日

河窪敬直の台詞

英子未亡人は京都に行きたいと言いたるも、
英子未亡人が転地するについては費用を要するゆえ、
有馬伯爵家職員有馬秀雄は「京都は遠きに過ぐ、沼津以東にすべし」と言いたる由。


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●生母不明 為子 熊谷千代丸夫人
●智子の子 睦子/千賀子 松岡一衛夫人
●生母不明 誉子 財閥三井高弘男爵の子新井高善夫人
●英子の子 正頼 次代当主
●生母不明 フミコ 山下繁高夫人


左 正頼   右 誉子
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倉富日記 大正09年11月21日

倉富&垂井貞の会話

垂井◆父重明存命中、有馬頼多に今園国映子爵の娘智子を媒酌す。娘千賀子を生む。
その後その操を破るためこれを去られたり。その時有馬伯爵家の韶子夫人〔頼多の母〕より
「不品行の母に生じたる娘ならばその胤明らかならず。今園家へ遣わす方よろしかるべし」
と言い、今園家にても異議なくこれを引き取りたり。
智子の母はその娘を引き取り自己の養女となしたるが、
もはやその娘は15歳となり学習院に通学しおり。頼多の娘誉子とも同学にて互いに知りおる由。
養母は近来病気にかかり長命の見込みもなく、死後に至ればその娘は今園家の厄介となり、
他に嫁するにしても肩身狭きゆえ有馬家に引き取りもらいたい。
倉富◆頼多の死後寡婦英子と当主と妹と3人あるが、いずれも親密ならず。
さらに1人を引き受ける事はよほど困難なるべし。
垂井◆智子は神経病にて大学病院に入院中医学士と私したる事ある様の話なり。
倉富◆それならば予も話を聞きおるに相違なし。


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倉富日記 大正10年02月18日 

有馬男爵家職員河窪敬直の台詞

今園国貞男爵の依頼なりとて垂井貞より交渉したるゆえ、
頼多の娘千賀子を有馬男爵家に引き取ることは、
02月09日に顧問や職員と相談の上これを引き取らざる事に決し
垂井が来りたらば顧問からその旨を答える事となるおる。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正09年11月27日

倉富&有馬男爵家職員河窪敬直の会話

河窪◆男爵三井高弘の子にて子爵家を継ぎおる牧野高善あり。
その妹学習院に通学しおり。有馬男爵家の誉子と懇意なるより、
その妹をもって牧野の嫁に誉子を貰いたき旨直接誉子に申込み
誉子は左様なる事は自分には分からざる旨を答えおるも、その実は希望ある模様なり。
人事興信所に命じて取り調べをなさしめたるところ、
この調書の通りにて格別悪しき様にも思われず。
倉富◆今日まで先方の意を通したる者は本人の妹なりとの事なるが、
左様の事にて興信所までも取り調べを託したるは非常の早計なりと思う。
もし当方より娘を売りに行くつもりならそれにてもよろしきも、
結婚は夫家より申し込みたるうえ女の方はその上にて先方の様子を取り調べ
諾否を決するが普通の事にて、申し込みがありたりとて即答すべき事にあらず。
君がこの事につき左様急ぐは予には解しがたし。
河窪◆高善の養母にあたる者は岡部長職の家より出たる者にて、
只今の当主に対しては岡部が後見の様になりおる。


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有馬日記 大正10年09月12日

倉富&有馬伯爵家の職員有馬秀雄 (有馬秀雄は有馬家の家族ではなく単なる職員)

有馬◆牧野高善は三井高弘男爵の子にて牧野の養子になりたる者なるが、
牧野の方は離縁となれり
しかるに河窪はなお誉子を高善に嫁さしめんとし自分に相談したるも、
「自分は高善が子爵なるため誉子を嫁さしむるもよろしからんと思いたるが、
離縁せられ平民となりたる上は結婚せしむる必要なし。
資産家の子なりという一事ならば他にいくらでもあり」と言い、
河窪は「誉子はすでに高善と書状の往復ぐらいは為しおる」と言いおりたり。
倉富◆予は離縁前にても先方より正式に結婚の申込を為さざるに
此方より結婚を求るが不可なりとの意見なり。
今日にても先方より何とも申し来らざるに河窪がなお誉子を嫁さしめんとするは不都合なり。


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倉富日記 大正11年11月12日

本家有馬伯爵家の顧問の一人仁田原重行子爵の台詞

三井家子弟の教育監督を掌りおる杉谷なる者あり。杉谷の妻より自分の妻に対し、
「三井高徳男爵の弟にて牧野康強子爵の養子となりおりたる高善より
誉子を貰いたい旨の交渉を為したるが、その時は拒絶せられたるも
当人は互いに知り合いの間柄もある趣にて希望もありとの事なるゆえ、
なるべくはまとまる様にありたし」との話をなし、その後杉谷が自分方に来り、
「高善が離縁となりたるは高善に不都合ありたる訳にあらず。
牧野家の負債多額にてとうてい整理の見込立たざる為なり」と言えり。杉谷の談には
「誉子の学習院にて同学したる高善の妹にて京都の白木屋に嫁しおる大村茂子あり。
誉子より茂子に書状を送り『自分は高善と同棲の時の来るのを待ちおる』旨を申し遣し、
その書状を受けたる妹より高善の兄高徳に送り来り、
高徳もその気になり高善はまとまる事ならばいつまでも待つと言いおる」由。

高善は牧野家にいる時カフェーの婦人に関係し妊娠せしめたる事ありとの事なるゆえ、
その事情を杉谷に問いたるところ、「それは事実なるが、
子供の生じたる時1000円の金を出し手を切り、
子供は間もなく死亡し婦人はどこにおるやもわからず。
この方はまったく関係ない事となりおる」と言えり。

河窪より継母英子に話したるところ自分には別段の意見なしと言い、
誉子は意見なきが「関係婦人のことがなお残りおる様にては困る」と言いたる趣なり。
誉子はこのごとき事を言いながら、書状を白木屋の妻に送りおる訳なり。
継母英子と誉子は非常に仲悪しくなり、この節は双方より悪口する様になり、
有馬秀雄も何とかして早く誉子を他に遣らざれば気の毒なりと言いおりたり。


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倉富日記 大正11年12月21日

倉富&河窪敬直の会話

河窪◆誉子が三井の新井高善に嫁する事となりたるにつき、嫁装の用意を為さざるべからず。
先年有馬伯爵家の久米子の嫁装は3900円を要したる由。
よりて誉子の分はこれを超過する事は穏やかならず。
正頼の家には余金は無きゆえ公債4000円を売却してこれに充てんとす。
倉富◆誉子を伯爵の娘と同等と為し、これを標準と取るは不同意なり。
久米子の嫁装を云々せず、これだけの金は必要なりとの計算を為す方可ならん。
正頼の家計は困難なり。その分に応ずるだけの計画を為す必要ありと思う。
河窪◆誉子は平素少しも衣類等の用意なきゆえ、この際入費多し。



倉富&仁田原重行子爵の会話

仁田原◆誉子は平素何の用意もなきゆえ金を要する事少なからず。
有馬秀雄と相談したる所にては、5000円ぐらいを限度とする必要ある様なり。
もっとも5000円は公債の額面にて、これを売却して得る所は4000円余なり。
倉富◆5000円は正頼の家の1年の収入金額に近し。
誉子の嫁装の為に1年の収入金額に近きものを費すは穏やかならざるべし。
仁田原◆この際は急を要する物のみを調製し、
差向きの費用は3500円を限度とする事にてよろしからん。


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◆有馬正頼
1903-1947


■妻 水野忠亮子爵の娘 明子
1909-1946 


●邦頼
●永頼
●久頼


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倉富日記 大正08年01月06日

有馬男爵家職員河窪敬直の台詞

有馬正頼の学業不勉強のことは昨年12月の相談会の時話しおきたる通りなるが、
その時の決定により元田作之進〔立教大学校長〕より正頼に懇に説諭したる末、
正頼も今後勉強する旨を誓いたり。
しかれども今年の卒業は出来がたかるべき旨、元田より話したり。


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倉富日記 大正08年09月29日

立教大学校長元田作之進の台詞

有馬正頼が乱暴にて、他の学生を殴打する様の事あり。
学校に置きがたきゆえ、転学せしむるつもりなり。


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倉富日記 大正11年03月21日

河窪敬直の台詞

正頼は「倉富より何か談するとの事なるが、自分が言い伏せてやる」と言いおる。

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倉富日記 大正13年06月12日

有馬伯爵家職員有馬秀雄の台詞

正頼は塀を越えて帰りたる事もある趣なり。洋行中の軍人の妻に通じたる話もあり。

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by oMUGIo | 2004-12-11 00:00 | 武家華族

多久乾一郎男爵家 佐賀藩家老

◆多久乾一郎
1852-1901


■前妻 伊丹重賢男爵の娘 少枝子
1857-1886


■後妻 伊丹重賢男爵の娘 千枝子 前妻の妹
1865-1924
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●前妻の子 寿子  中島錦五郎夫人
●前妻の子 高子  梅原逸太郎夫人
●後妻の子 秀子  織田佐太郎夫人
●後妻の子 龍三郎 次代当主
●後妻の子 満子  鍋島綱麿夫人


●秀子 織田佐太郎夫人
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●満子 鍋島綱麿夫人
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◆多久龍三郎
1901-1983
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■妻 小笠原長幹伯爵の娘 明子
1906-1991 


左 明子   右 妹鞠子/伊達興宗伯爵夫人
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●皓一朗
●美子
●喜美子
●幸子
●玲子
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by oMUGIo | 2004-12-10 00:00 | 武家華族

毛利五郎男爵家 長州藩系

◆毛利五郎
1871-1925
もと毛利元徳公爵の子
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■福井藩主松平春嶽の娘 正子
1879-1940 
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●元良  次代当主
●輝子  鶴殿家勝男爵と結婚・三川一一と再婚
●元親  足立元親となる
●猷三郎
●敬四郎
●幸子  岩垂好徳夫人
●熙子  増田義彦夫人


左から 猷三郎 元親 輝子 幸子
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左から 元良 敬四郎 毛利元昭公爵の子元道
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◆毛利元良
1897-1943


■妻 鍋島直虎子爵の娘 鏉子
1902-1980 
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●三恵子
●久子
●正俊
●元維
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by oMUGIo | 2004-12-09 00:00 | 武家華族

福原俊丸男爵家 長州藩家老

◆福原俊丸男爵


■妻 児玉少介の娘 ツルコ


●俊一郎
●博子
●香代


●娘 昭和戦前
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by oMUGIo | 2004-12-08 00:00 | 武家華族

島津珍彦男爵家 薩摩藩系

◆島津珍彦
1844-1910 弘化01-明治43 65歳没
もと島津久光公爵の子 忠鑑
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中央 シマシマの靴下
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■妻 薩摩藩主島津斉彬の娘 典子
1852-1903 嘉永05-明治36 51歳没
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●明子  島津久寛と死別・島津雄五郎と再婚
●壮之助 次代当主
●治子  島津長丸男爵夫人 女官長不敬事件を起こす
●純久  大村武純男爵の娘ツネコの婿養子になり大村純久男爵となる
●孝子  財閥岩崎小弥太男爵夫人


●純久  大村武純男爵の娘ツネコの婿養子になり大村純久男爵となる
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●孝子  財閥岩崎小弥太男爵夫人
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◆島津壮之助
1871-1925 明治04-大正15 54歳没 


■最初の妻 島津忠欽男爵の娘 鶴子 イトコ結婚
1880-1908 明治13-明治41 28歳没


■2番目の妻 南部信方子爵の娘 信子
1882-1913 明治15-大正02 31歳没


■3番目の妻 佐竹義脩男爵の娘 英子
1880-1952 明治13-昭和27 72歳没
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●忠彦  次代当主
●万喜子 竹内正男夫人
●久幹  加藤克明子爵の娘茂子の婿養子になり加藤久幹となる
●敬之介





◆島津忠彦●子供ナシ
1899-1980 明治32-昭和55 81歳没


■前妻 甘露寺受長伯爵の娘 績子 離婚・金融王近藤荒樹と再婚
1906-1955 明治39-昭和30 49歳没


■後妻 久保田潤一郎の娘 凛
1924- 大正13-
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by oMUGIo | 2004-12-07 00:00 | 武家華族

長岡護美子爵家 熊本藩系

◆長岡護美
1842-1906 天保13-明治39 64歳没 
もと熊本藩主細川斉護の子

*イギリスに留学
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■妻 大村藩主大村純熙の娘 知久子
1860-1948 万延01-昭和23 88歳没





◆長岡護孝
1896-1975 明治29-昭和50 79歳没
もと細川利文子爵の子


■妻 細川護成侯爵の娘 英子
1902- 明治35-


●寿子
●茂子
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by oMUGIo | 2004-12-06 00:00 | 武家華族

島津忠欽男爵家 薩摩藩系

◆島津忠欽
1845-1915 弘化02-大正04 70歳没
もと島津久光公爵の子

左から 不明 弟忠済 兄珍彦 忠欽 不明 不明
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左から 不明 兄珍彦 忠欽
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洋服男性   左 兄珍彦   右 忠欽
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■妻 島津忠冬の娘 厳子
1845-1901 弘化02-明治34 56歳没


●雄五郎 次代当主
●竹子
●倉子
●峯子
●隼彦  今和泉家島津隼彦男爵となる 北郷久政の娘家子と結婚・戸沢正実子爵の娘慶子と再婚
●鶴子  島津壮之助男爵夫人
●時子  牧野一成子爵夫人


●時子 牧野一成子爵夫人
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◆島津雄五郎
1867-1906 慶応03-明治39 39歳没


■妻 島津珍彦男爵の娘 明子 イトコ結婚
1869-1958 明治02-昭和33 89歳没 


●忠夫 次代当主
●市子 黒岡忠雄夫人
●久恕
●久篤
●文子 東本願寺大谷瑩韶夫人
●延子
●綾子 松井明之男爵夫人


●文子 東本願寺大谷瑩韶夫人
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◆島津忠夫
1890-1946 明治23-昭和21 56歳没


■妻 島津歳寛の娘 セツ


●忠正
●久隆
●菊子
●久常
●定子
●久敬
●末子
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by oMUGIo | 2004-12-05 00:00 | 武家華族


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