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カテゴリ:勲功華族( 137 )

藤田男爵家 財閥

大阪本邸 大阪市北区網島町 (現:大阪市都島区網島町)


正門
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通用門
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邸内
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東京別邸
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◆藤田伝三郎
1841-1912 天保12-明治45
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■前妻 阪井六郎右衛門の娘 通子


■後妻 平民木村平兵衛の娘 キタコ
安政02-
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●平太郎 次代当主
●徳次郎 軍人黒田帯刀の娘勝子と結婚・三井高堅の養妹治子と再婚
●彦三郎 鶴殿忠善男爵の娘実子と結婚


●徳次郎 軍人黒田帯刀の娘勝子と結婚・三井高堅の養妹治子と再婚
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前妻勝子
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●彦三郎 鶴殿忠善男爵の娘実子と結婚
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◆藤田平太郎●子供ナシ
明治02-
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■妻 芳川顕正伯爵の娘 トミコ
明治15-
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◆藤田光一
1910-1974
先代平太郎の甥/藤田徳次郎の子


■妻 勝精伯爵の娘 当子
大正05-


●直照
●周子
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by oMUGIo | 2005-12-14 00:00 | 勲功華族

鴻池男爵家 財閥

◆鴻池善右衛門 幸富
1841-1920 天保12-大正09
もと山中又七長の子


■妻 長田純一の娘 殖子
嘉永04-大正08


●幸方  次代当主
●愛子  和田久左衛門夫人
●内子  大村彦太郎夫人
●善九郎 三井高保男爵の娘福子と結婚





◆鴻池善右衛門 幸方
1865-1931 慶応01-昭和06
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■妻 三井高保男爵の娘 路子
明治02-
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●幸昌  次代当主
●善九郎 鴻池新十郎となる
●福雄
●幸武  川村鉄太郎の娘恵美子と結婚
●幸久
●幸清  堀藤十郎の温子の婿養子になり堀幸清となる





◆鴻池善右衛門 幸昌
明治16-


■妻 鹿島清左衛門 孝子
明治26-
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●芳枝  山中真吾夫人
●正通  次代当主
●千代子 東久世秀雄男爵の子東久世秀禧夫人
●正敏  藤枝大俊の娘喜代子





◆鴻池善右衛門 正通
大正03-


■妻 太田清蔵の娘 礼子
大正11-


●千鶴子
●百合子
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by oMUGIo | 2005-12-13 00:00 | 勲功華族

古河男爵家 財閥

◆古河市兵衛
1832-1903 天保03-明治36 71歳没
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■妻 長谷川セイコ
1863- 文久03-


●虎之助 次々代当主
●鶴    実業家吉村万治郎夫人
●美代  社員木村豊吉夫人
●照子  小田川達朗夫人


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萬朝報 明治31年07月12日

鉱毒大尽古河市兵衛は有名なる畜妾家なるが、我輩の探り得たる者を挙ぐれば左の如し。
その1 浅草区須賀町に柳橋芸者【小清】こと長谷川セイ(36)
その2 日本橋区元柳町に同所の芸妓若松屋【丸子】こと坂野クニ(25)
その3 日本橋区新柳町渡船宿桝田屋生稲キクの養女ヨシ(19)
その4 日本橋区村松町に柳橋芸妓【小のぶ】こと長嶋フク(31)
その5 日本橋区浜町に吉原仲ノ町林屋の【カメコ】こと塙カメ(23)
その6 吉原仲ノ町引手茶屋竹治の【とし子】こと町田トク(16)という少女。
これは近頃京一の引手茶屋川越屋の取り持ちにてできたる女。

この他にまだ2,3人ある由なれば、分かり次第に記すべし。

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◆古河潤吉●妻子ナシ
1870-1905 明治03-明治38 35歳没
もと陸奥宗光伯爵の子





◆古河虎之助
1887-1940 明治20-昭和15 53歳没
初代市兵衛の子

*米コロンビア大学に留学


■妻 西郷従道侯爵の娘 不二子
1891- 明治24-
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◆古河従純
1904-1967 明治37-昭和42 63歳没
もと西郷従徳侯爵の子

*米ハーバード大学に留学


■妻 元当主市兵衛の孫 幸子


●潤之助 次代当主
●久純
●正純
●建純
●直純





◆古河潤之助
1935- 昭和10-


■妻 久邇宮朝融王の娘 典子女王
1941- 昭和16-
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by oMUGIo | 2005-12-12 00:00 | 勲功華族

住友男爵家 財閥

*当主は代々住友吉左衛門を名乗る。


◆住友友親
1843-1890 天保14-明治23 47歳没
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■妻 登久子


●友忠  次代当主
●満寿子 婿養子を迎え次々代当主とする





◆住友友忠
1871-1890 明治04-明治23年 19歳没
父友親と同年に死亡





◆住友友純
1865-1926 元治01-大正15 61歳没
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もと公家徳大寺公純の子 徳大寺実則の弟・西園寺公望の弟 婿養子になる


■妻 先々代友親の娘 満寿子
1987- 明治07-
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●孝子  鳥居忠文子爵の子忠輝と結婚して住友忠輝を名乗らせる
●寛一
●厚  次代当主住友友成となる
●元夫 酒井忠克伯爵の娘寿枝子と結婚


●孝子  鳥居忠文子爵の子忠輝と結婚して住友忠輝を名乗らせる
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●寛一
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◆住友友成
1909-1993 明治42-平成05 84歳没


■妻 西園寺八郎公爵の娘 春子 西園寺公望の孫
1913- 大正02-
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●邦子 大学教授佐々木行美夫人 12歳の頃誘拐されたことがある
●博子 昭和電工安西直之夫人


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by oMUGIo | 2005-12-11 00:00 | 勲功華族

大倉男爵家 財閥

◆大倉喜八郎
1837-1928 天保08-昭和03 90歳没
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■妻 芸者 徳子
1855- 安政05-


妾多数・庶子多数のため代表的な子供のみ


●庶子 文吉
●実子 鶴子 士族高島小金治夫人
●実子 時子 社員野口粂馬と結婚し分家大倉粂馬家となる
●実子 喜七郎 次代当主
●庶子 幸二
●庶子 雄二


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『明治豪商の夫人』  明治36年出版

大倉喜八郎氏はそれまでに妻を迎えることは前後3回ばかりもあったけれども、
どうも凡物では気に入るはずもなく当時は3度目の妻を追い出しての一人暮らしに、
いつしか芸者買いの始まりがそもそも今の夫人と馴れ初むる発端であったとか。
徳子がその当時一方ならぬ御贔屓をしてくれた客というのは世間でよく噂する銅山王とやら。
銅山王も徳子が素敵な美人と性質の非凡なのを愛して、
受け出してシャバの人間にしてやろうと思っていると、
大倉の大将も徳子を寵愛せられ
たびたびならず近くの待合料理店などに招き互いに語り合うては楽しんでいると、
いつしか銅山王の身請け問題が大倉の耳に入るとたまったものではない。
すぐさま占領してしまおうと思ったものの、銅山王が御寵愛の先口とかで
一応は銅山王に打ち明けそのうえ占領せねば国際公法の違反ともなるだろうと
右の次第を王に相談すると、かえって徳子の卓見を嘉賞し仲人の労を取られ
ここにめでたく大倉夫婦ができあがったのである。

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◆大倉喜七郎
1882-1963 明治15-昭和38 80歳没

*英ケンブリッジ大学に留学
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■妻 溝口直正伯爵の娘 久美子
1889- 明治22-
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<大倉喜七郎&久美子の結婚披露宴の記事> 1907年(明治40年) 

大倉喜八郎氏令息喜七郎氏は
さきに伊藤公爵の媒酌にて溝口伯爵令嬢久美子と結婚せしが、
午後2時より披露のため赤坂葵町の本邸にて園遊会を開きたり。
来賓は名士千余名にして新夫人の知友たる諸家の令嬢令夫人これに加わり、
その盛んなることは近時まれに見るものというべく、
3時より余興場を開き、4時半 主人夫婦および新郎新婦の挨拶あり、
食堂にては末松子爵発声にて大倉家の万歳を唱えたり。

当日お嫁さんの衣装は黒の紋羽二重でしたが、地模様は花菱で上品なものでした。
裾模様は松に紅葉で雲を彩どったのはたいそうよろしく、
帯は唐織で柳に橋の模様でしたが、
地色が黄色でしたから黒との映りが非常によろしかったそうです。

午後4時半に食堂が開かれましたが、
その時にはお嫁さんは衣装をお着替えになって古代紫の振袖でした。
裾模様などはすべて能生の意匠で、すこぶる込み入ったものでした。
帯は綴織で、扇の模様が美しく目立ちましたそうです。

洋々たる奏楽とともに一同食堂にはいりましたが、
やがて末松謙澄男爵の発声でシャンパンの杯を挙げつつ新夫婦の万歳を唱えられました。
花嫁のお友達がたくさん見えたから、淑女令夫人がすこぶる多かったので、
いっそう目立って美しく見えました。

花嫁さんは極めて平民的で、来賓にビールなどをお酌なさいました。
始終愉快らしく笑顔をもって客にお会いなさいましたから、みな感心してほめていました。

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●喜六郎 次代当主 
●正子  目賀田綱美男爵の子目賀田重芳夫人
●てつこ 実業家浜口喜雄夫人


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●女子
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◆大倉喜六郎
1910-1989 明治43-平成01 79歳没


■妻 山本清二伯爵の娘千代子
1914- 大正03-


●喜彦
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by oMUGIo | 2005-12-10 00:00 | 勲功華族

渋沢子爵家 財閥 その2

渋沢栄一は妾・庶子多数で、公表されている実子・庶子だけで10人にのぼる。
そこで渋沢家では実子だけに限る「同族会」なる家族会議を月1回開いていた。


●前妻の子 歌子  穂積陳重男爵夫人
●前妻の子 琴子  阪谷芳郎子爵夫人
●愛人の子 フミコ 実業家尾高次郎夫人
●前妻の子 篤二  嫡男であったが廃嫡される 
●愛人の子 テルコ 実業家大川平三郎夫人
●後妻の子 武之助 福原有信の娘美枝と結婚
●後妻の子 正雄  妻は池田勝吉男爵の娘鄰子
●後妻の子 愛子  銀行家明石照男夫人
●後妻の子 秀雄  竹田政智の娘タケコと結婚
●愛人の子 重三郎 銀行家長谷川重三郎となる


左から 琴子 歌子の夫穂積陳重男爵 歌子
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左から 秀雄 正雄 武之助
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●歌子 穂積陳重男爵夫人
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●琴子 阪谷芳郎子爵夫人
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渋沢栄一の孫/渋沢秀雄の娘 渋沢華子の手記

先妻の娘二人〔歌子と琴子〕はインテリで格式高い。おまけにその夫たちは華族である。
いつも彼女たちは仇討ち寸前のような険しい表情をしていた。
無言のまま一瞬じろりと睨む四つの眼が子供の私には恐ろしかった。
栄一を父に持つ彼女たちの過剰なプライドは
鉄の裃のように肩にのしかかっているように見えた。

それに比して篤二はいつも笑顔で子供たちに接してくれた。
理由もなくその温かさが伝わってくるような伯父だった。
篤二は本来蒲柳の質で過保護に育ったうえ10歳の時に母に死なれたあと、
厳格な姉の管理下で嫡男のプライドを持たされて育った。
リベラルな彼にとって、父栄一の大きな存在はプレッシャーとなっていた。
篤二はますます家族の重圧から逃れようとするようになった。

篤二の妻敦子は夫の道楽で苦労を背負いすぎて背が縮んでしまったのかと思うほど、
小さな華奢な女性だった。私たち子供にも控え目な優しい伯母だった。
しかし篤二は芸者に惚れてその賢夫人を離婚すると言い出した
二人の姉たちはお家の一大事と同族会の席上で号泣した。
栄一もこの強い娘たちの手前、芸者を正妻にするのは人倫にもとると篤二の廃嫡を決めた。

そのころ高校生だった私の父秀雄は次兄武之助と異母兄篤二の隠れ家を訪ねた。
当の本人は大きな邸に猟犬を飼い、愛人と何不自由なく趣味人として暮らしている。
秀雄は「廃嫡とは良いもの」と羨ましく思ったと言う。

このあと篤二は写真・狩猟・猟犬など多趣味人となり、狂歌などにも興味を持って行った。
後に彼の義太夫の語りはプロ級にまでなった。


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渋沢栄一の孫/渋沢正雄の娘 鮫島純子/鮫島員重男爵夫人

〔前妻〕千代は惜しくも明治15年病没、栄一は翌年後妻の兼子と結婚しました。
長女歌子はすでに穂積陳重と結婚していましたが、
長男の篤二はまだ母恋しさの残る10歳でした。
姉夫婦が養育を引き受け穂積家で育てられた篤二は
栄一の嫡男として大きすぎる期待を背負い、
父親の社会的威光を避けようとする気持ちがあったのかもしれません。
跡継ぎとして不適格だと廃嫡の宣告を受けても、かえって気楽でなによりといった風情で
抵抗なく栄一の意思に従ったと聞いております。
まだ若い息子の敬三に家督を譲った篤二は、写真・狩猟を好み、
義太夫・常磐津・新内は玄人はだし、川柳などもたしなむ文化人であったそうです。

飛鳥山で開かれる園遊会の時など当時珍しい舶来のカメラを首から下げて、
チョロチョロ動き回る私たちをニコニコしながら撮影して
「ヨシッ」と満足げにOKサインを出したりする
人の好い穏やかな伯父様という印象がございます。

「長幼序あり」で、先妻組の娘たちには「穂積のおあねえさん」「阪谷のおあねえさん」
と呼んで一目置く風で打ち解けるといった雰囲気ではありませんでしたが、
後妻組のきょうだいは武兄ちゃん・正ちゃん・秀ちゃん・愛ちゃんと、
いつまでも幼い時の呼び名で呼び合い楽しそうでした。


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渋沢栄一の孫/渋沢篤二の子 渋沢敬三

私が中学2,3年の時分、
私の母はそういうふうになった状態〔夫篤二の廃嫡〕を大変申し訳なく思い、
かつ大きな家に住むのを済まぬとして東京都内の諸所方々を転々と移りながら、
一意私たち兄弟三人の成長を見守っておりました。


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●渋沢栄一の孫/渋沢秀雄の娘
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by oMUGIo | 2005-12-04 00:00 | 勲功華族

渋沢子爵家 財閥 その1

東京にある渋沢栄一の家は、4ヶ所にある。
深川の元本邸・王子の飛鳥山の別邸・兜町の新本邸・三田の綱町の息子篤二邸。
金にあかせて立て替えてみたり、改築してみたり、
あっちの家をこっちの家に移築したりしているが、基本の場所はこの4ヶ所である。
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◆渋沢栄一
1840-1931 天保11-昭和06 91歳没
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■前妻 尾高勝五郎の娘 千代 死別
1841-1882 天保12-明治15 41歳没


■後妻 伊藤八兵衛の娘 兼子
1855- 安政02-
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渋沢栄一は妾・庶子多数で、公表されている実子・庶子だけで10人にのぼる。
そこで渋沢家では実子だけに限る「同族会」なる家族会議を月1回開いていた。


●前妻の子 歌子  穂積陳重男爵夫人
●前妻の子 琴子  阪谷芳郎子爵夫人
●愛人の子 フミコ 実業家尾高次郎夫人
●前妻の子 篤二  嫡男であったが廃嫡される
●愛人の子 テルコ 実業家大川平三郎夫人
●後妻の子 武之助 福原有信の娘美枝と結婚
●後妻の子 正雄  妻池田勝吉男爵の娘鄰子
●後妻の子 愛子  銀行家明石照男夫人
●後妻の子 秀雄  竹田政智の娘タケコと結婚
●愛人の子 重三郎 銀行家長谷川重三郎となる


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萬朝報 明治31年07月15日

渋沢栄一は深川福住の自宅に大阪より連れ来たりし田中久尾(28)という古き妾あり。
日本橋浜町の別宅には吉原仲ノ町林家【小亀】こと鈴木カメ(24)なる妾を畜う。

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◆渋沢篤二
1872- 明治05-

*嫡男であったが、素行不良のため廃嫡される。


■妻 橋本実梁伯爵の娘 敦子
1880- 明治13-


●敬三 次代当主
●信雄
●智雄




◆渋沢敬三
1896- 明治29-


■妻 政治家木内重四郎の娘 登喜子
1902- 明治35-


●雅英
●紀子
●黎子
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by oMUGIo | 2005-12-03 00:00 | 勲功華族

岩崎男爵家 財閥 弟 弥之助系

*三菱財閥の総帥の座は親から子へ移るのではなく、
兄の弥太郎・弟の弥之助の2つの家から交互に継いでゆく。




◆岩崎弥之助 2代総帥/初代弥太郎の弟
1851-1908 嘉永04-明治41 57歳没
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■妻 後藤象二郎伯爵の娘 早苗
1857- 安政04-
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『明治豪商の夫人』  明治36年出版

岩崎弥之助氏の夫人の名は早苗、後藤伯爵の長女である。
夫人は幼少の折よりごく活発な質で、世間からはむしろ男とまでも言われたぐらい
まず外観より申し上げたならば、
色は白く目元はキリリと締った方で花の唇も固く結ばれ
吹く風にもいかで綻びまじき風情は自然と雄々しく見上げられたものだ。
体格も肥え太り丈も並より高いので、洋服であろうが和服に袴であろうが
何を召されても似合うのはこれも夫人が自然の徳を備えているのである。

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●繁子  松方正義公爵の子松方正作夫人
●小弥太 4代総帥
●俊弥  盧高朗の娘八穂と結婚
●輝弥  櫻井房記の娘須美と結婚


●繁子  松方正義公爵の子松方正作夫人
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●俊弥  盧高朗の娘八穂と結婚
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俊弥邸
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国民新聞 明治41年02月15日  ※当時の総理大臣の年給は1万2000円

高価なる恋患い 当世写真の奇縁
『岩崎男爵の二男俊弥氏と盧高朗氏の娘八穂の婚儀 この費用20余万円』


俊弥はイギリスのロンドン大学で応用化学を学び、帰国後は旭硝子社長となる。
明治40年に上野公園で開催された東京勧業博覧会に美人写真が展示されたブースがあった。
俊弥はそこに飾られた美人写真のうち八穂の写真に一目惚れし
恋の病に取りつかれ寝込んでしまった。
当時父の弥之助もまた死の床にあり、続く俊弥の病気に家族の不安は最高潮に達した。
結局俊弥が病気の理由を打ち明けたため、岩崎家は盧家に縁談を申し込んだ。
ところが盧家は不釣合いを理由に再三辞退したため、
岩崎家は娘婿である加藤高明大臣を説得に向かわせて成婚にこぎつけた。
俊弥は28歳、八穂子は19歳だった。

なにぶん二男一生の恋女房とて、支度の品々高貴の物ばかり。
衣装は三越に申し付け、同家お好みの簿雲斎模様の60余組。
帯と帯留はみな一組別々の注文で、この金数万円。
また玉宝堂および美術工芸会社よりダイヤ入りブローチ指輪数十個など
一品100円以下の物なく、この代少なくも2,3万にのぼりたり。
また俊弥氏が精神込めての贈物はパリから取り寄せたる3万円のブローチにて、
宝石200余個入りの珍品なりとか。これに宴会の費用その他を合わすと、
少なくとも20万ないし30万はかかる勘定にて、ちょっとおめでた連を驚かす訳合なり。

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●輝弥  櫻井房記の娘須美と結婚
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★輝弥の娘たち
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◆岩崎小弥太●子供ナシ 4代総帥
1879-1945 明治12-昭和20 66歳没
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シルクハットの2人   左 小弥太   右 グラバー
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■妻 島津珍彦男爵の娘 孝子
1888-1975 明治21-昭和50 87歳没
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小弥太が造らせた屋敷は7軒。

・鳥居坂本邸 父の造ったバカでかい洋館が嫌になって造った和館。
内外を工芸品のように造り込んだ。
・元箱根別邸 夏用の別邸。
ケンブリッジ大学留学中に覚えた狩猟とゴルフを楽しむため20万坪の山と土地を買った。
ゴルフ場は9ホールあり、夫人と執事と回り、他人とはプレイしなかった。
・京都別邸 春秋用の別邸。
京都が好きな夫人のために造った。春はタケノコ狩り、秋はマツタケ狩りをする。
・熱海別邸 冬を中心にオールシーズン用の別邸。
・箱根湯本別邸。母のために造った別邸で、コンドルに設計させる。
・吉祥寺別邸。井の頭の池の近くにあり、ちょっと気分を変えたいとき用の別邸。
・静嘉堂文庫。蔵書のために世田谷に丘を一つ買い、洋館を建てて収めさせた。

小弥太は熱海別邸を一番利用した。
小弥太が東京の本邸から熱海の別邸に向かう際には、5人の執事がお供をした。

・深瀬勇  小弥太の幼馴染で、執事のトップ。
・北村大作 同じく小弥太の幼馴染で、渉外担当。
・金上盛三 美術学校出身で、買い付けや飾り付けなどの美術担当。
・高橋活一 執事深瀬の執事。
・柳原敬吉 熱海別邸の執事。

他に連れて行く使用人は
ボーイ3名。主人担当と夫人担当は別々。
料理人4名。京料理担当2名、フランス料理担当1名、手伝い1名。
運転手3名。リンカーン・パッカードなど3台連ねて移動する。
女中3名ほど。東京本邸の女中のうち3名程度がお供する。

もともと熱海別邸に勤めている使用人は
執事柳原敬吉の指揮の下に、
電気技師1名・ボイラーマン1名・掃除係3名・庭師1名、通いの植木屋が1日最少で10名。
小弥太は人糞の肥を嫌悪していたため、
邸内で清潔な野菜・果物を、温室では西洋野菜やトロピカルフルーツを作らせていた。

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岩崎小弥太に仕えた執事の証言

執事の毎日は朝7時頃から男爵のおひけ(就寝)まで詰めっきりのうえ、
日曜はむろん盆も正月もありませんでした。
家の中の言葉や立ち居振る舞いは京都の公家風を基本にしてましたから、
それを覚えることから始め、次第に男爵の気持ちを先回りして事を処理できるようになり、
愚痴の聞き役や叱られ役までこなせるようになれば一人前ですが、
それで一生ですから、マァ普通の人間のやる仕事じゃありませんね。

女中さんは行儀見習いの良家の子女を含めて常時7、8人いまして、
和服に桃割れの髪型で小間使いやら裁縫やら給仕なんかをやってました。
岩崎家で女中を務めると結婚の時にひとつの格式になったようです。
しかし女中頭のフジがやかましくて、入りたての娘はよく泣いていましたね。
今でもテレビの時代劇で大奥の女中たちの意地悪を見ると、昔を思い出します。

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by oMUGIo | 2005-12-02 00:00 | 勲功華族

岩崎男爵家 財閥 兄 弥太郎系

*三菱財閥の総帥の座は親から子へ移るのではなく、
兄の弥太郎・弟の弥之助の2つの家から交互に継いでゆく。


本邸 1万4000坪 設計ジョサイア・コンドル 台東区池之端

清澄邸 3万坪    設計ジョサイア・コンドル 

駒込六義邸 12万坪 
 

◆岩崎弥太郎 初代総帥
1835-1885 天保05-明治18 50歳没
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■妻 高芝玄馬の娘 喜勢
1845-1923 弘化02-大正12 78歳没
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●実子 春路 加藤高明伯爵夫人
●実子 久弥 3代総帥
●実子 磯路 政治家木内重四郎夫人
●養子 豊弥 もと郷純造の子 柳沢保申伯爵の娘武子と結婚
●庶子 富子 早尾淳実夫人
●庶子 秀弥
●庶子 雅子 幣原喜重郎男爵夫人
●庶子 康弥 医師松山棟庵の娘登志子と結婚
●庶子 昌弥 平民能勢辰五郎の娘古満子と結婚


●春路 加藤高明伯爵夫人

左から 春路 夫加藤高明 娘悦子
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●豊弥 柳沢保申伯爵の娘武子と結婚
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●康弥 医師松山棟庵の娘登志子と結婚
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●昌弥 平民能勢辰五郎の娘古満子と結婚
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弥太郎は4人の娘たちに将来有望な婿を選んで結婚させた。
富子の夫早尾淳実も東大法科を2番で卒業した秀才だったが、
部下に当時の金額で16億円もの小切手を振り出すように命じたりするようになって
精神病院送りとなった。
出勤・帰宅の時間まで決められるような岩崎家の厳しい締め付けに
ノイローゼになった結果であった。

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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

大阪富田屋に【お雄】という芸妓がいた。
これに目をつけたのが富田屋にとって一の客である岩崎弥太郎男爵であった。
まだ年の若いお雄として、金のために自由にされるということは好まなかった。
なかなかおいそれと色よい返事をしない。
金さえ積めばどんなことでも思うままになると思い込んでいる大尽は、
金は山ほど積むとか、言うことを聞けば何でも望む物は買ってやるとか、
そんな言葉が幾度となく繰り返された。
すると当人のお雄は相手の言葉をみなまで聞かず、
すいと立ち上がって気分が悪いからと言ってその場から出てしまった。
ちょうど冬のことで岩崎大尽はコタツに入って飲んでいた。
お雄の艶な姿が見えなくなると布団の上に顔を押し付け太い息を吐いていたが、
やがて布団をメリメリと引き裂き、綿をちぎって左右へ投げ始めた。
顔を見ると目には涙さえ浮かべているといった有様で、
天下の弥太郎も一婦人のために滅茶滅茶の姿となった。
この狂態を見せつけられては富田屋の夫婦も黙って見ていられなかった。
とうとう嫌がるお雄を口説き落として岩崎男爵の意に従わせることとなった。
それから後の岩崎男爵は足一歩も富田屋の敷居から出ずお雄を引きつけ切りであったが、
東京へ行かねばならぬ用件ができたのでしばらくお雄と遠ざかることになった。

岩崎男爵が上京の留守中に井上馨侯爵が富田屋に遊んで、
一目お雄の姿を見ると今まで馴染んでいた女を振り捨て
一本やりにお雄を目指して手に入れようと焦り出した。
お雄にはすでに岩崎大尽という日本一の旦那のあることは承知している。
だが井上侯爵とて富田屋にとっては岩崎男爵にもまして大切なお客様である。
井上侯爵を押し付けられてみると、井上侯爵の女道楽は相当の修養を積んでいるから
女の嬉しがりそうなことを言ってちょいちょい優しいところを見せる。
男慣れしていないお雄が日増しに井上侯爵に引きつけられて行くのは無理もないことで、
もし二人の仲が岩崎男爵に知れても決して見捨てて下さるなと
自分の方から真心を見せて頼むほどになった。

意外なところから井上という色敵が飛び出してこっそりお雄の手を握った秘密は
神ならぬ身の知る由もなかったが、場所が口さがなき遊郭のことではあり
関係する人々がいずれも当世第一の人物であったから、誰言うことなく噂は噂を生んで
井上侯爵とお雄とが描いた秘密がとうとう岩崎男爵の耳に入ってしまった。
ある晩富田屋の大広間で長州人と土州人との懇親会が開かれた。
井上侯爵も岩崎男爵もむろんこの席に列なった。
集まった者はいずれも維新前後の危ない巷を出入りした粒よりの勇者で、
維新当時の立ち働きや自分達の功名談に花を咲かせ、
痛快を叫びつつ献酬に忙しく盃の巡りも存外に早かった。
岩崎男爵は急に席を立ちお雄の手を取って井上侯爵の前へやって来た。
立ったまま井上侯爵を見下ろしながら肴を遣わすと言うなりお雄を井上侯爵の前へ突き倒し、
「乞食武士には腐った肴が分相応だ、よく匂いを嗅いで賞玩しろ」と怒鳴りつけたから、
井上侯爵も黙ってはいられない行き掛りになった。
それでもその場は仲裁する者が出てどうにか無事に納まったが、
お雄には岩崎男爵から暇が出た。

こうなるとお雄としては意地からでも井上侯爵に捨てられてはならぬ。
そこで井上侯爵に念を押したところ、
「わしも長州の井上だ、お前の他には女を相手にしない」とキッパリした返事であった。
そんな約束がいつまで守れるはずがない。
月日が経つに従って浮気の心も起りお雄の顔も見飽いてきた。
その後天王寺家の房鶴という芸妓を相手にお雄に内密でちょいちょい会っていたが、
いつのまにかそれがお雄の耳に入ったからただで済むはずはなかった。
井上侯爵が房鶴を相手にふざけている現場へ乗り込んで行って、
「岩崎さんがお前さんを乞食武士だと言ったが、本当に乞食武士に違いない。
それに女の乞食もいて二人でさかっていやがる」と恐ろしい啖呵を切って、
井上侯爵の顔を痰を吐きかけてそれきり絶交してしまった。

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◆岩崎久弥 3代総帥
1865-1955 慶応01-昭和30 90歳没

*米ペンシルバニア大学に留学
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■妻 保科正益子爵の娘 寧子
1874- 明治07-
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●彦弥太 佐竹義準男爵の娘操子と結婚
●隆弥 政治家池田成彬の娘敏子と結婚
●恒弥 軍人清河純一の娘勝代と結婚
●美喜 外交官沢田廉三夫人 エリザベスサンダースホームを創立
→孫の筑波大学講師沢田脩は構内で車で学生を死亡させてひき逃げし山中で首を吊って自殺
●澄子 甘露寺受長伯爵の子甘露寺方房夫人
●綾子 福沢諭吉の孫 福沢堅次夫人


後列左から 久弥 彦弥太 隆弥
前列左から 美喜 綾子 寧子夫人 澄子 喜勢夫人 恒弥  
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立つ左から 綾子 恒弥 美喜 彦弥太 隆弥 澄子
座る左から 寧子夫人 喜勢夫人 久弥
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座る 3代総帥久弥   立つ 4代総帥小弥太
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●美喜 外交官沢田廉三夫人 エリザベスサンダースホームを創立
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幻の5代目総帥岩崎彦弥太の息子 岩崎寛弥の証言

彦弥太は学習院から東大に進み、卒業後はイギリスのオックスフォード大学へ留学。
帰国後は、三菱鉱業や富士紡績で経営者としての修業を積んだ後、
三菱合資に入り、4代総帥彦弥太の下で副社長になる。

順当に行けば5代目総帥となる予定であったが、敗戦とそれに続く財閥解体により幻に終わった。
岩崎家は三菱本体とは別に小岩井農場をはじめとする農場経営を行っており、
これは財閥解体の対象とならなかったので、その後の彦弥太は大農場のオーナーとして生きる。

国分寺別邸は1万坪の敷地に、プール・農地・鴨池・ケンネルなどがあった。
プールは子供たちのため、農地では自家用の野菜や果物を作らせ、
鴨池では自家用の鴨を飼育させた。
彦弥太は狩りが好きで獲物の鴨や雉を食べるのを楽しみにしていたが、
狩りのない時用に鴨を飼っておくのである。
ケンネルは犬の繁殖のためで、
イギリスやドイツから優秀なエアデールテリアを輸入し交配させていた。
使用人によると、彦弥太はすべての豚や鶏の顔を覚えていたそうである。

自分のところで育てた馬が走るわけですから、競馬に熱心でした。
馬は育てることも、レースに出すことも、自分で乗ることも好きで、
馬術についてはウィーンのスペイン馬術学校に入学しているほどです。
戦後の父は、馬と狩りといったアウトドアの趣味と、大好きなお酒の日々でした。

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by oMUGIo | 2005-12-01 00:00 | 勲功華族

三井家 一本松町家 財閥

※伊皿子家の分家


◆三井高信
明治04-大正11
もと伊皿子三井高生の子 守之助


■妻 松江藩主松平定安の娘 鉞子
1875-


●高光 次代当主
●高義 次々代当主
●康正 三上勝の娘菁子と結婚





◆三井高光●子供ナシ
明治31-

*アメリカに留学


■妻 五丁目三井高尚の娘 美尾子
明治33-




◆三井高義 彫刻家
明治36-
先代高光の弟


■妻 竹脇太の娘 アイコ


●美那子 西野昭夫夫人
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by oMUGIo | 2005-11-13 00:00 | 勲功華族


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