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カテゴリ:勲功華族( 137 )

後藤新平伯爵家 政治家

東京本邸 麻布区宮村町 (現:港区 六本木または麻布十番または元麻布)
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◆後藤新平
1857-1929 安政04-昭和04

*独ベルリン大学に留学
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■前妻 資産家の娘 太加子



■後妻 安場保和男爵の娘 カズコ
慶応02-
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●後妻の子 一蔵 次代当主
●後妻の子 愛子 政治家鶴見祐輔夫人
●後妻の子 平八 士族藤沢平八となる


立つ 左から 愛子 後藤新平 一蔵
座る 左から カツコ夫人 新平の母リエコ 新平の姉初勢子
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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

後藤新平伯爵が愛知病院長であった時代は、
若き院長として信望も厚く前途は洋々として輝いていた。
この後藤院長が患者の一人に付き添っている美人を一目見てから煩悩の犬となって
部下の医員や看護婦達を驚かせた。
美人の名は太加子といって淑やかな娘美しい女として彼は悩ましいほど深い印象を受けたが、
太加子もまた優しい親切な院長さんとして敬慕した。
患者が退院するのを待って、後藤院長は正当の道を踏んで結婚を申し込んだ。
媒酌人は時の愛知県会議長端山忠左衛門夫婦である。
太加子の父は土地の富豪であるが、後藤院長の才幹を認めているのみでなく
娘の心もよく知っていたから話は順調に進んで、太加子は間もなく愛知病院長夫人となった。

新婚の夢もまどかに人生第一の春は幸福に明け暮れてまだ二月も経たぬ間に、
板垣伯爵の遭難事件が突発し後藤院長は招かれて岐阜へ駆けつけた。
治療は手際よく行われて板垣伯爵の生命は見事救われた。
その手腕が出世の端緒となってやがて帝都に招かれ、
一躍して内務省衛生局長の栄職に登った。
かくて太加子は夫の後を追って上京したが、
幾ほどもなく突然「お前はしばらく実家に帰っていてもらいたい」と意外な宣告を受けた。
理由を聞けばただ一身上の都合と言うのみで何も語らなかった。
太加子にとっては寝耳に水の驚きであるが、
一旦言い出した上は頑として聞かぬ夫の気性を知っているだけに、
泣く泣く実家へ帰るより他はなかった。

しかしいつかはまた楽しい家庭へ戻れるものと
彼女は儚い望みに自らを慰めて東京を立ち退き、
家人の反対を押し切って横浜のフェリス女学校に入学した。彼女はまだ19歳であった。
彼女が女学校へ籍を置いたのは、衛生局長後藤新平の夫人として
恥ずかしからぬ修養をしておかねばならぬとの優しい心からである。
後藤から出されても太加子の心は後藤の妻であった。自分でそう決めて一心に勉強を続けた。
それにも関わらず後藤伯爵はもう他の女と結婚していた。

太加子は悲しみの中に女学校を卒業した。
望みを失った彼女はこれから先どうしようというあてもなかった。
彼女は女としての一切を諦めて絵筆に親しむようになった。
太加子は後藤伯爵の顔より他のものは何一つ描かなかった。
絵筆を持ち始めてから17年の長い間、夫の似顔のみを描き続けた。
後藤伯爵の身にはその後も幸運に幸運が重なって、
ついには男爵まで授けられ明治41年には桂内閣に入って逓信大臣になったが、
太加子の身の上にはいつまでも不幸が続いて後藤伯爵が大臣になった翌月、
この薄命の花は41を一期としてはかなくも散り失せた。

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◆後藤一蔵
明治26-

*米コロンビア大学に留学


■妻 工学者杉浦宗三郎の娘 春子
明治34-


●利恵子 実吉純郎子爵の子実吉安彦夫人
●美智子 三菱自動車鈴木正雄夫人
●貞子
●豊子  西村幸雄夫人
●新一
●健蔵


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枢密院議長 倉富勇三郎の日記 大正10年03月15日

倉富から部下への言葉
先日手続不十分なるも内実結婚する事を許し
その後に至り正当の願を出させてよろしきや否やにつき相談したる事ありしが、
その後後藤新平の長男一蔵は仰山に新聞に吹聴し、
既に結婚を終りたる後に至り願書を出しおりたり。
許可を与えらるる事は予期し得べしとするも、
かの如く公然規則違反をあえてする様にては不都合なり。

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by oMUGIo | 2005-06-13 00:00 | 勲功華族

中島信行男爵家 政治家

東京本邸 牛込区市ヶ谷薬王寺 (現:新宿区市谷薬王町)
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◆中島信行
1846-1899


●前妻 国学者伊達宗広の娘 初穂 陸奥宗光伯爵の妹 死別
 -1877 


●後妻 岸田茂兵衛の娘 俊子 ペンネーム中島湘煙
1863-1901

*岸田俊子は、女官から女権拡張運動家に転身した異色の経歴の持ち主。


●前妻の子 久万吉 次代当主
●前妻の子 多嘉吉 久家田鶴子と結婚
●前妻の子 邦彦  古屋元子と結婚





◆中島久万吉
1873-1960
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■妻 岩倉具経男爵の娘 八千子
1884-1969 
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●精一 次代当主
●真吾 山中真吾となる 鴻池芳枝と結婚
●和夫 鈴木三郎助の娘禎子の婿養子になり鈴木和夫となる
●正雄 近藤正雄となる
●清子 加藤泰勝子爵夫人
●実  奥村寿子と結婚
●愛子 杉山寅次夫人
●豊  矢野嘉代子と結婚


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◆中島精一
1904-1990


■前妻 岡田栄の娘 万亀子
1906-1980


■後妻 大村得太郎の娘 嘉子
1912-


●前妻の子 満子
●前妻の子 信光
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by oMUGIo | 2005-06-12 00:00 | 勲功華族

寺内正毅伯爵家 政治家

◆寺内正毅 総理大臣
1852-1919 嘉永05-大正08

*寺内内閣は議会の支持なしに組閣された超然内閣だったため、
「非立憲」とルックスが似ていたビリケン像を掛けて「ビリケン宰相」と揶揄された。


■前妻 小田隼見の娘 タニコ
1858-1890


■後妻 長谷川貞雄の娘 タキコ
1862-1920


●寿一
●沢子 児玉秀雄伯爵夫人
●須恵 福羽真城子爵の前妻
●毅雄 中川健蔵の綾子と結婚


立つ左から 吉富庄祐 タキコ夫人の弟長谷川鉄雄 沢子の夫児玉秀雄伯爵 寺内正毅 
毅雄 寿一 寺内の甥宇田川義三 中谷兵之進 タキコ夫人の弟長谷川巌  

座る左から 沢子 児玉源太郎伯爵の娘元子 須恵 寿一の前妻百合 タキコ夫人 
児玉伯爵の叔母 沢子の娘児玉貞子 児玉源太郎伯爵の娘鶴子/木戸幸一侯爵夫人 
児玉源太郎伯爵の娘玉芳子 児玉源太郎伯爵の娘仲子/穂積重遠男爵夫人 
宇佐川スミコ 川村大佐夫人
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『明治大臣の夫人』  明治35年出版

寺内正毅伯爵にはどうしても直らぬ一つの癖がある。
陸軍部内には将軍の七癖というものがあって、寺内伯爵もその一つに加えられてあるのだ。
寺内伯爵は金玉の前でマッチをするのが癖である
いつしかこれが夫人の耳に入ると、ある日寺内伯爵が客に接して意気揚々と話をしていた。
夫人は寺内はどんな事をして煙草を吸うかと部屋の隙間から覗いていた。
さりとは知らぬ寺内伯爵例によってマッチをすり、
夫人もおかしくってたまりかね思わず笑い出すと、
寺内伯爵も何の事かと傍らなる扉を開けたら、
立っていた夫人寺内伯爵の顔を見て笑い続けたが、
肝心の寺内伯爵いっこうに解せない。夫人に向かって「何がおかしいのか」と言った時、
夫人は「あなた陸軍部内に将軍の七癖とやらがある噂を御承知ですか。
してあなたが先程も両股のところでマッチをおすりになったが、
あまりみっともないから御注意なすってはいかが」との諌告。
寺内伯爵もここに初めて合点つき、「罪もない癖だろう」と言いざままたも客間に戻ったとか。

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◆寺内寿一●子供ナシ
1879-1946 明治12-昭和21


■前妻 官僚得能通昌の娘 百合
1890-1911


■後妻 山下覚次郎の娘 順子
1903-1988
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by oMUGIo | 2005-06-11 00:00 | 勲功華族

瓜生外吉男爵 軍人

東京本邸 北豊島郡日暮里村 (現:台東区日暮里)


◆瓜生外吉
1857-1937 安政04-昭和12

*アメリカに留学


■妻 益田繁子 実業家益田孝男爵の妹
1862-1928 文久02-昭和03

*津田梅子らとともに第一回海外女子留学生としてアメリカに留学、
ヴァッサー大学音楽学校卒業、アメリカ生活は10年。

*現地で外吉と恋愛、帰国して結婚。


●千代 山下芳太郎夫人
●武雄 
●剛  次代当主
●忍  実業家峠延吉夫人
●義男
●栄枝 政治家森恪夫人
●勇





◆瓜生剛
明治19-


■妻 布目満造の娘 秀子
明治29-昭和02
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by oMUGIo | 2005-06-10 00:00 | 勲功華族

中村雄次郎男爵家 政治家

東京本邸 四谷区仲町 (現:新宿区若葉)
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◆中村雄次郎
1852-1928 嘉永05-昭和03
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■妻 小浦治助の娘 久仁子
1862-1958
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●トシコ 官僚中川正左夫人
●貫之  
●ミツコ 児玉源太郎男爵の子児玉友雄夫人
●芳樹  平民小出芳樹となる
●マリコ 糸井靖之夫人
●深造  平民山崎深造となる
●スミコ 成瀬正二夫人
●基一  若宮貞夫の娘章子と結婚・死別後章子は義兄貫之の後妻となる
●健児  木下英子と結婚


●マリコ 糸井靖之夫人
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●スミコ 成瀬正二夫人
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◆中村貫之
1888-1983
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■前妻 阪谷芳郎子爵の娘 八重子 死別
1896-1948
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■後妻 弟基一の妻 章子と再婚
1912-1993


●前妻の子 妙子 婿養子を迎え次代当主とする





◆中村久次
1912-2002
もと加納久朗子爵の子 婿養子になる


■妻 先代貫之の娘 妙子
1917-


●雄一
●久美子 総理大臣橋本龍太郎夫人
●真次
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by oMUGIo | 2005-06-09 00:00 | 勲功華族

都筑馨六男爵家 外交官

◆都筑馨六
1861-1923 万延02-大正12

*独ベルリン大学に留学
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■妻 井上馨侯爵の養女 光子 離婚


★妾 静子
1895-1969


●静子の子 忠春


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

井上馨侯爵の女婿で華族になった一人に都筑馨六男爵がある。
3年間の留学を終えてドイツから帰ってくると、
その留守中夫人の品行についてすこぶる面白からぬ噂を耳にし悶々の情に堪えなかったが、
相手は我が女房とはいえ今を時めく内田山の雷公の娘であるから
面と向かってその真偽をただす勇気はなかった。
ある晩親友を花屋に招待しその席上で一友人に向かい世評の真否を尋ねたところ、
友人はむしろ馨六男爵を揶揄した態度で、
「もしそれが事実であるならば貴公はこれを離縁する勇気を持ち合わせているか
おそらくその勇気はあるまい。それならばかようなことは尋ねない方がよかろう」
と言って聞かせた。

馨六男爵は純然たる官僚的の人物で頭の頂から足の先まで吏臭を発散し、
吏務の才能には長じているが民間の味は少しも知らず人情を没却している点で非難されている。
一人の旧友が馨六男爵のその私邸に訪問し、
世間話のついでに話がたまたま旧友のことに及んだ。
すると馨六男爵は言を極めて旧友達の意気地なさを嘲罵し
現在の自分を昔の太閤に比ししきりに高慢ぶるので、
訪問した友人はぐっと癪に障り「貴様が現在の自分を以って太閤に比するならば、
貴様の舅の井上はおそらく帝王を以って自任するであろう。
こんな大馬鹿野郎と知ったらわざわざ訪問するのではなかった」
と痰を吐きかけて怫然として辞し去り、その後この人は重ねて馨六男爵を訪問しなかった。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年04月13日

倉富&弁護士松本重敏の会話

松本◆都筑馨六男爵が妻を娶らんとするが、
その婦人は17,8歳の時【紅葉館】の酌婦となりおりたる事あり。
その婦人との間に7,8歳の男子あり。
その婦人を正妻と成さんと欲するが、宮内省にて許可させらるべきか。
もしこれを許可せられざるならば、本人は「既に60歳以上なるにつき
隠居したるうえ別籍して華族を辞め、その上にて結婚せん」と言い居れり。
倉富◆都筑には妻あるにあらずや。
松本◆不都合の事ありて離婚したり。内縁の妻を正妻と成す事については、
先頃井上勝之助侯爵が都筑の家に来りたる時これを話したるに、
井上は「それは出来がたき事」と言いたる趣なり。


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倉富日記 大正12年04月16日

倉富&松本重敏の会話

松本◆都筑馨六、病篤し。静子は身分賤しく正妻と為す事は宮内省にて承認せず。
都筑としては是非これを正妻と為し、都筑の死後は遺族扶助料を受けしめたき希望なり。
よりて都筑は隠居を為し、その上にて分家を為し、有爵者にあらざる事になれば
宮内大臣の許可を受くる必要なき事になるをもってその手段を取りたいと言いおる。
倉富◆都筑が隠居を為す事は妨げなかるべきが、相続人たる忠春は幼年にあらざるや。
かつ忠春は私生児と為りおるにはあらざるや。
松本◆年齢は11,2歳なるべし。私生児にはあらず嫡出子と為りおれり。
忠春の生まれたる時までは先妻の離婚前なりしをもって妻の所出となりおるなり。


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◆都筑忠春
1915-


■前妻 山縣有道公爵の娘 美枝子 離婚・日笠百勝と再婚
1917-1983 

忠春&美枝子
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■後妻 片岡恒太郎の娘 明
1918-
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by oMUGIo | 2005-06-08 00:00 | 勲功華族

広沢金次郎伯爵家 政治家

東京本邸 麻布区材木町 (現:港区六本木)
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◆広沢真臣
1834-1871 天保04-明治04

*暗殺
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■妻


●万寿子
●金次郎 次代当主




◆広沢金次郎
1871-1928 明治04-昭和03
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■前妻 山尾庸三子爵の娘 千代子
明治09-明治37


■後妻 山尾庸三子爵の娘 亀子 前妻の妹
明治16-
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●前妻の子 寿子  渡辺利二郎夫人
●前妻の子 真吾  次代当主
●前妻の子 温子  会社員大野敬佶夫人
●前妻の子 直子  総理大臣池田勇人夫人
●後妻の子 富士子 官僚玉置善雄夫人
●後妻の子 鋼四郎 平民大島重義の娘加寿子と結婚
●後妻の子 信雄
●後妻の子 大八郎


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●寿子  渡辺利二郎夫人
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●温子  会社員大野敬佶夫人
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左 富士子/官僚玉置善雄夫人   右 直子/総理大臣池田勇人夫人
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◆広沢真吾
明治31-
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■妻 大隈信常侯爵の娘 豊子
明治37-



●純子 
●元子 
●真信
●昭子
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by oMUGIo | 2005-06-07 00:00 | 勲功華族

珍田捨巳伯爵家 外交官

◆珍田捨巳
1856-1929

*米アスベリー大学に留学
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■妻 士族山中逸郎の娘 岩子
1867-1949
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●サダコ 平民山中千之夫人
●千束  次代当主
●垂穂
●秀穂  次々代当主





◆珍田千束
1885-


■妻 カネコ
1914- 


●悦子 珍田伸夫人





◆珍田秀穂
1890-1968
先代千束の弟


■妻 橋本順三の娘 幸
1901-1971


●昌哉
●龍哉
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by oMUGIo | 2005-06-06 00:00 | 勲功華族

武井守正男爵 政治家

東京本邸 本郷区湯島三組町 (現:文京区湯島)
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◆武井守正
1842-1926 天保13-大正15
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■妻 住友喜三郎の娘 フジコ
1858-1951
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●和子  理学者牧野鑑造夫人
●トシコ 実業家箕田長三郎夫人
●瑞枝  官僚小幡酉吉夫人
●守成  次代当主
●守城  会社員
●守知
●守雄  日本画家
●守善
●富子  北畠義郎男爵と離婚・馬杉秀と再婚


●和子 理学者牧野鑑造夫人
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●トシコ 実業家箕田長三郎夫人
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●瑞枝 官僚小幡酉吉夫人
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●富子 北畠義郎男爵と離婚・馬杉秀と再婚
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◆武井守成 作曲家
1890-1949 明治23-昭和24

*イタリアに留学
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■妻 岩倉具定公爵の娘 花子
1897-1971 
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●守久
●昭子
●直子
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by oMUGIo | 2005-06-05 00:00 | 勲功華族

児玉源太郎伯爵家 軍人

◆児玉源太郎
1852-1906 嘉永05-明治39
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■妻 平民岩永秀松の娘 松子
安政03-


●秀雄 次代当主
●貞雄 平民江副廉蔵の娘シツコ
●友雄 中村雄次郎男爵の娘ミツコ
●常雄 木戸幸正の娘八重子
●国雄 中村覚男爵の娘節子
●芳子 官僚立花俊吉夫人
●仲子 穂積重遠男爵夫人
●八郎 平民山根文策の娘寿満子
●九一 大森鍾一男爵の娘幸子
●元子 画家藤田嗣治の兄/法学者藤田嗣雄夫人
●鶴子 木戸幸一侯爵夫人


立つ右端の軍服が児玉源太郎 立つ左から4人目の白い軍服が寺内正毅伯爵 
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●元子 画家藤田嗣治の兄/法学者藤田嗣雄夫人
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明治大臣の夫人 明治36年出版

さる27年事変〔日清戦争〕の時であった。児玉伯爵の当時の痴劇と言ったら、
かの伊藤公爵〔伊藤博文〕が官邸時代もかくやとばかり思うぐらい、
夜に至ると馴染芸者を推参させ、かねて手懐けた小使が案内でシッポリ濡れた露尾花、
阿呆と鳴く烏に驚かされ寝乱れ姿のしどけなく官邸を出る別嬪を見かけたことが少なくなかった。
この時の小使いという親爺はいまなお児玉の家へ養われてあるそうだが、
これは先年の恩義に報いるためとか。
しかしこの話が夫人の耳に入ったならきっとただは済むまいか、とそんじょそこらで噂とりどり。

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◆児玉秀雄
1876-1947 明治09-昭和22
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■妻 寺内正毅伯爵の娘サワコ
1881-1966 
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●貞子 婿養子を迎え次代当主とする


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

児玉源太郎伯爵は子供の教育には周到な用意を払った。
嫁を探すについても非常な関心をもってこれに当たった。
だが当人の心持にまで立ち入って干渉するような愚はせぬ。
誰でも本人の気に入った者を選ぶがよいが、
ただ児玉家は小姑が大勢いるからそれとも折り合いを上手くつける女を探せと言った。
秀雄氏も親父の言葉を承服して親子ともどもその条件に合った女を探したが、
いわゆる帯に短しタスキに長しで思うようなのが見当たらない。

寺内正毅伯爵の屋敷に内輪の祝宴が開かれて児玉父子もこれに招かれた。
寺内家にはサワコと呼ぶ娘があって、
長女ではあるが大勢の兄弟達と義理の母親との間に立って三方四方に心を配り
家庭の円満に努めているので当時評判となっていたが、このサワコが当日のお客の接待に出た。
その姿に目をつけたのが児玉伯爵であった。
寺内家から帰ってから「あの娘はどうか」とさっそく秀雄氏の意見を聞くと、
実は秀雄氏もサワコの淑やかな風姿に心を動かしていたのであったから、
「実は私もあれなら理想の嫁だと思っていたところです」というようなことで、それは面白い、
期せずして親子とも理想の婦人に邂逅したとはよくよくの巡り合わせだということになって、
さっそく先方にも掛け合った上とうとうサワコを秀雄氏の嫁にすることになった。

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◆児玉忠康
1898-1990
もと広幡忠朝侯爵の子 婿養子になる


■妻 先代の娘 貞子
1902-


●健
●進
●実
●博
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by oMUGIo | 2005-06-04 00:00 | 勲功華族


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