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カテゴリ:皇族( 73 )

方子妃

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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正09年12月09日

倉富&宮内官僚南部光臣の会話

南部◆女子学習院の卒業式の時、久しぶりにて方子妃をみたるところ別人の如く肥満せられおりたり。
倉富◆方子妃の肥満は頓着せざれども、李垠王の肥満には困る。
演習にて1貫ばかり減したるも帰京後1貫以上増したる由。
南部◆邸地狭きため運動できず。

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倉富日記 大正10年02月18日 

李垠王付事務官高義敬

独立を望む者は万事に不平なれど真面目な儒者らも、実は方子妃の事を喜びおらず。
先年李垠王が高宗の病気見舞に行かれたる時、高宗より「不思議なる事は汝にも予と同様のこと出来せり」と言われたる事あり。その趣意は、高宗が初め妃と為す事に定められたる婦人あり。その婦人をやめて他人を妃と為されたるが、先に定められたる婦人は終身嫁せずして独居せり。李垠王の為にも高宗が定めおかれたる婦人あり。その婦人が他に嫁せざるゆえ高宗は左の如く言われたる訳なり。
左の如き事情にて、高宗も李垠王が今の妃を迎えられる事はあまり喜ばれず。儒者なども同様なり。
現に昌徳宮に奉職しおる者にてもその考えを有しおる者少なからず。只今来りおる職員韓昌洙ですらも「李垠王は結局日本人とならるべし」と言いおりたるくらいなり。自分は妃は李家に貰いたるものにて李垠王が日本人となられる事なき旨を話して安心せしめおるも、やはり懸念しおる人あり。

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倉富日記 大正13年06月01日

倉富&朝鮮総督府官僚宋秉畯伯爵

宋◆李垠王と方子妃が余り仲が良すぎるゆえ妊娠せられざるならんとの談を為したり。
倉富◆結構なる事なれども極端なり。先日もバザーを催し方子妃の御出を請いたるに、李垠王も同行せられたる由。いつも両殿下同行と定まりおれり。
宋◆高宗も一たび定まれば決して離れざる癖ありたるが、その遺伝ならん。
倉富◆王殿下は遺伝なるべきも、妃殿下も同様なり。王殿下が演習に行く事も嫌い、一旦行きても病気になりて早く帰る様の事ありたるゆえ、母梨本宮伊都子妃に説き、王殿下より妃殿下に説かしめたる事もありたるが、妃殿下も同様なるゆえその効は少なかりし。昨年李垠王が京城に行かれたる時も、医師は妃殿下の健康上同行に懸念したれども、李垠王は「自分一人にて行けば妃がその為に病気になるゆえ是非同行す」と言われついに同行せられたるなり。
宋◆実に結構なる事にて、妃殿下の柔順にて何事も李垠王の指揮を待ちて決定し我意を張らるる様の事無きは実に有り難し。自分は高宗と厳妃との関係を熟知しおるが、厳妃は何事にても高宗の意に従わず必ず反対を主張する性癖あり。

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倉富日記 大正13年08月22日

高義敬

李垠王は性質が細かな事に気がつき過ぎる方なるところ、方子妃はまたその上に細かなる質なり。
両殿下はめいめい嗜好物を食せらるるも、召使などには残物も下されず、鶏卵も両殿下各2個宛4個のほか調理するべからずとの事に定まりおり。
妃殿下が来嫁せらるるにつき李垠王邸にては浴場を2ヶ所に設けたるも、1ヶ所は絶えて使用せらるる事なし。よりて侍女に問いたるところ、実は両殿下同時に浴せられ王殿下の背中洗いその他も世話も妃殿下自らなさるる趣なり。また両殿下同被にて寝ねらるる事は来嫁当初よりの事なる由にて、両殿下ともいまだ世情には通ぜずして、近来自ら処置せらるる事多く、そのため非常識のことも出来、これがため李垠王の面目にも関する趣の事なしとせず。

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倉富日記 大正13年11月03日

朝鮮総督府官僚篠田治策
徳恵姫は只今京城の日の出小学校に通学しおらるるところ、生徒の中には賤しき者もあり感化も面白からざるゆえ女子学習院に入らるる方よろしからんと考え、韓昌洙なども同様の意見を有しおれり。
韓昌洙の話にては京城にては適当なる夫たるべき人なく、朝鮮にては王女を娶る事は莫大な持参金をあてにするものにて、本人の為には決して幸福ならずと言いおれり。
宮内大臣牧野・宮内次官関屋に話したる所もちろん賛成にて、東京に学び内地人に結婚でもする事できれば本人の為に幸なる旨宮内大臣は話しおれり。
倉富◆それはもとより同意なり。また相当の縁もあるらん。既に方子妃の先例もあるにつき、華族には喜んで徳恵姫を娶る人もあるべし。
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by oMUGIo | 2001-12-31 00:00 | 皇族

李堈公

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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正08年02月21日

*倉富は李垠王家の相談役も務めていた。

倉富&宮内官僚石原健三の会話

石原◆今朝山縣伊三郎より「李堈公の品行いよいよ悪しきにつき禁治産の処分をなす必要あり」と言う。
如何せばよろしきや。
倉富◆法律の効が王族公族に及ばずとすれば、差し向き処分の致し方なし。

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倉富日記 大正08年11月24日

倉富&宮内官僚仙石政敬子爵の会話

仙石◆李堈公が上海に行かんとして新義州にて押えられたる。
倉富◆李堈公の事は少しもこれを知らず。これは懲戒問題なるべし。
仙石◆只今は政務総監官邸そばにある小なる家に監禁しある由なり。

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倉富日記 大正08年12月09日

総理大臣原敬より
「李堈公を東京に召い宮内省よりこれに住宅を給し、
この節の脱走事件については本人より謹慎の意を表するだけに止め
別段の制裁を加えざる方よろしかるべし」との意見を述べ、この事に決定す。

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倉富日記 大正09年01月07日

<李垠王家の相談役に任命された件>

自分が先年朝鮮に行きおりたる関係にて宮内大臣は考えたることなるべきも、
果たして任に堪えるや否や懸念なり。
ただし李垠王は李堈公と異なり別段邪路に入らるる懸念はなかるべし。
今後朝鮮の野心家がこれを誘導する事さえなくば、別段の事なかるべし。

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倉富日記 大正09年05月24日

石原健三の台詞

山縣伊三郎は李堈公につき名案を有しおれり。
自分「その名案は斉藤実に話したりや」と言いたるに、山縣「話したり」と言えり。
山縣の名案と言うは、李堈公には充分に酒を飲ましめかつ婦人を侍らせしめ、
早く生命を縮める事が上策なりと言うことなり。

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倉富日記 大正11年02月06日

朝鮮総督府官僚上林敬次郎の台詞

李堈公の東京遊学の事は、李王・李埈公寡婦とも承諾あるも李熹公の寡婦のみ承諾せず。

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倉富日記 大正11年09月01日

倉富&李垠王付事務官高義敬&李鍝公付事務官仁木義家の会話

倉富◆先頃は李堈公の上京には李熹公の寡婦の反対ありたるとのことなるが如何なりしか。
仁木◆此節は李熹公の寡婦には反対なく李埈公の寡婦に反対ありたり。
倉富◆反対者が替りたりや。
仁木◆李埈公妃の反対は上京に反対せられたるにあらず。他に事情ありたる。
高◆李埈公妃は李鍝公付属官寺尾熊之介の非行を暴き、
寺尾と李熹公妃との私事まで言及したる趣にて、
寺尾をそのままにして李鍝公付となしおく訳にはいかず。
倉富◆李埈公妃それまでに言いたるはかえってよろしかりし。
いつまでの寺尾に非行を隠しおく訳にはいかず。

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倉富日記 大正10年04月10日

高義敬の台詞

純宗が李海昇侯爵をして北京へ行かしめ尹沢栄侯爵〔純宗妃の父〕を呼び返す趣なり。
尹は負債はあるに相違なきも私に貯えおる資産はあり。誠に困りたる有様なり。
純宗妃はますます憂鬱となり今日にては実家の事も何も気にする模様なし。
これまでたびたび尹の負債整理を為したるが、いつも債主は作り者にて実際の負債にあらざるものを持ち出して出金せしむる様の事多し。

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倉富日記 大正10年05月19日

尹沢栄は初め北京にありたるも今は天津にあり。
朝鮮総督府より巡査1人を付け置くが、その巡査の報告にても尹は非常に窮しおり、衣食にも困し、わずかに娘の純宗妃より贈る金にて衣食しおるとのことにて、数十万・数百万の金を貯えおるものとは思われず。

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倉富日記 大正11年09月11日

小山善が李鍝公を診察したるに、腺病質にて神経鋭く体質はよろしからず、充分摂養する必要ありと言いおれり。

高◆李鍝公の歳入は不動産純収入5万円・有価証券の収入2万円・他に3万円・計10万円なり。
李堈公は何も無し。1ヶ月の使用金が1000円なる由なるが別邸7,8戸もあり、なかなか1000円にて足るものにあらず。多々借金しおるとの事なり。

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倉富日記 大正12年03月14日

高◆李王職より李堈公に給する歳費は2万5000円の予定なる様に聞きおりたるが、その後4万4000円に増額したる趣なり。
倉富◆予も聞きおれり。李堈公は乱費せらるるゆえ多額を給するはよろしからずとの意見あるも、正当に支出すれば体面を損せずして暮らさるるだけの金を給しおかざるべからず。4万4000円と資産より生ずる利子と漁場より生ずる利益とを合せたらばかれこれ10万円にはなるべく、これだけあらば乱費せられざれば不足はなかるべきにつき増額したるは相当と思う。乱費すべしと言うて始めより相当ならざる待遇を為すは不可なり。

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倉富日記 大正13年05月30日

倉富&朝鮮総督府官僚有吉忠一の会話

倉富◆李堈公が内地人看護婦を妾となしたる事を談したる由。
有吉◆かの事は関係を絶ちたり。
倉富◆予も聞きたり。しかし関係を絶ちたるは最近にて誰も知らずとの事なりし故、君がいまだ知らざる事もあらんかと思いたり。
最近関係を絶ちたる看護婦は李堈公は関係なかりしという事なるが、果たしてしかるや。
有吉◆否、関係ありたり。
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by oMUGIo | 2001-12-28 00:00 | 皇族

朝融王 その4

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倉富日記 大正13年10月03日

入江貫一
仙石政敬の依頼により大木遠吉が武井守正に仙石に面会する紹介を為し、武井は「仙石は如何なる資格にて面会を求るや」を問い、「仙石は久邇宮家の親族の総代の資格なり」と言い、武井も面会する事は承知しおる趣なり。

松平慶民
仙石政敬の依頼にて大木遠吉が酒井家にて、酒井家相談人武井守正・三上参次・古市公威に面会し、
大木は「此節の事は久邇宮家が重々悪し。しかしなにぶん皇室にも関係する事なるゆえ穏便に済む様尽力しくれよ。またこの事につき仙石が諸君に面会したしと言いおるにつき、面会しくれよ」と言い、大木は酒井家の方より辞退しくれよと言う様なる事は一言も言わずして去りたる由。その後酒井家の相談人は「仙石が久邇宮家の名代として来るならば談を進めるべきも、一個の仙石として来るならば談を拒絶すべし」という事に決し、
三上は「京都に旅行する事となりおれり。自分はたとえ久邇宮家の方より解約を申し込まれても約束を遂行すべしとの意見にて今日もこれを変ぜず。しかし自分の不在中決したる事には苦情を言わず。むしろ自分は旅行する方好都合ならん」と言いおりたる由なり。その次第は武井守成よりこれを話し、自分より関屋に告げたり。
関屋ももはや徳川の手にて効を奏ぜざる事は見極めおる模様なり。関屋は「これまでは幾分にても徳川を助くるつもりにて大木らにも話たれども、この上はもはや何事も手を出さず徳川が諦むるを待つ方がよろしからん」と言いおりたり。
牧野や徳川が久邇宮家の面目を損せざる様にと思い、強いて酒井家の方より解約せしめんとするも、もはや内情は一般に知りおるにつき、酒井家より辞退せしむれば、皇族の権力をもって酒井家を圧迫したりと思うだけにて、少しも久邇宮家の面目を保つことを得ざるのみならず、かえって罪を重ねるだけの事なり。
牧野が始めより自らその局に当り、酒井家に対して事情を打ち明け諒解を求め、菊子病気等の事由にて辞退しくれよと言いたらば、あるいは出来たる事ならんと思う。しかるに牧野は表面は婚約遂行の意見を述べ、裏面には徳川を使い、酒井家の方のみに責任を負わしめんとしたるはあまりに勝手なり。

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倉富日記 大正13年10月06日

関屋貞三郎
朝融王問題は徳川の力にては少しも発展せず。先日大木遠吉より「何事に関わらず援助すべし」と言うにつき、徳川に大木の事を話したれども、徳川は「水野に依頼しおるゆえこの上大木を加うるは面白からず」と言えり。
しかるに仙石は久邇宮家の親族なる故をもって大木に依頼し、大木は酒井家の相談人に面会し、大木の意見を述べたるに、相談人は「誰の依頼にて来りたるや」を問い、大木は仙石の依頼なる旨を答えたるところ、相談人らは「しからば直接仙石に面談すべし」と言う。
武井守成より酒井家にて相談会を開き酒井家の方より婚約を辞退する事はせざる旨の決議を為したる旨を聞き、その旨を徳川に告げたるも、徳川は「酒井家にて相談会を開くはずなし」と言い張りたり。先夜は徳川の家職より「いよいよ解決する事と為りたるゆえ安心しくれよ」との電話まで掛けたり。徳川は何によりて解決を信じおるや分からざる。

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倉富日記 大正13年10月07日

西園寺八郎
父西園寺公望は朝融王問題につき非常に強硬なる意見を有し、久邇宮にワガママを言わしむべからずと言いおる

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倉富日記 大正13年10月10日

新聞に『朝融王の婚約問題は、水野・徳川・酒井・仙石が某所に会合し円満に解決したるならんと思う』旨を記載しおれり。

入江貫一
今日の新聞に朝融王の婚約問題解決したるべき旨を掲載しおるとの事なるも、
武井守成の談にては解決しそうには思われず。
今朝宮内大臣が西園寺公望に面会せられたるゆえ、いよいよ宮内大臣が決心する時期となりたる事とならん。

松平慶民
新聞に仙石も会見したる様に書きおれども、仙石は手を引きたるはずにつき、これは事実にあらざるならん。
関屋に徳川より何か報知ありたるやを問いたるに、何も報知なしと言いおりたり。

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倉富日記 大正13年10月13日

松平◆昨日徳川が酒井を訪いたる時、酒井守正が行きたるところ、酒井は『宗秩寮総裁たる徳川より久邇宮の事情を聞き、菊子の婚約を辞退する』旨を書したる書面を出し、これを承認しくれよとの事なりしが、
武井は熟慮すべき旨を告げて帰宅し、今朝守成を酒井家に遣し、「意見を聞くとの事ならば言うべき事あるも、主人が既に決意してこれを承認せよとの事なれば、今さら何も言うべき所なき」旨を告げしめ、すぐに葉山に行きたる趣なり。相談人の内にては星野錫のみが徳川と同時に酒井の家に行きたりとの事なるが、星野は如何なる態度を取りたるやは分からず。酒井は風評の如く菊子と私たる事は絶対に無きも、ずいぶん遊びたる事はあるにつき、徳川は何か酒井の弱点を押えてこれを承諾せしめたる様の事なるべき旨守成は話おりたり。これにて段落は着く様なるも、徳川も牧野もすましておりてよろしきものなるべきや。
倉富◆宮内大臣は表面婚約遂行を主張しおるに、宗秩寮総裁が反対の事を周旋したるは不都合の様松平◆先日拝謁したる時、この事に関する御話ありたるにつき、大略申し上げたるところ、「嫌になりたるものを強いて遂行せしむるは無理なり。もし宮内大臣が側室を置く事を承認するならば婚約を遂行する方がよろしなるも、事実は大臣が依頼しおる事につきそれにてよろしからん。しかるにこの事を貞明皇后に言上したる時、皇后陛下より万一事情を御尋ねありたらば困る事はなかるべきや。
きも、さもなくして遂行するは無理なる事なり」との御話あり。これは案外に考えたる事なり。左の如き御話ありたるにつき、格別面倒なる事の御伺はなからんと思う。

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倉富日記 大正13年10月15日

倉富◆朝融王の事は酒井家より辞退する事になる様に聞きおりたるが、その通りなりたるべきや。
入江◆いまだ運ばざるべし。宮内大臣は「確定はせざれども、大概まとまるならん」と言いおれり。
徳川より両三日待ちくれよと言いたりとの事なり。
倉富◆宮内大臣は酒井より辞退する趣意を書きたる書面に宗秩寮総裁の名義を出す事は困ると言いたる事を聞きおるが、総裁の名義を用いざる事としてはこの話は進まざる事とならん。
入江◆しかり。

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倉富日記 大正13年10月18日

松平◆朝融王問題はその後少しも話を聞かず。徳川の方は今日となりてはもはや久邇宮家または宮内大臣に対する義理というより、自己の面目上何としても目的を達せざればならぬという様の考えにて、言わば徳川家の存亡問題とでも思いおるならん。

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倉富日記 大正13年10月24日

伊東巳代治
朝融王の事件は如何なる事なりや。
倉富◆朝融王が嫌になられたる様なり。
伊東◆しからば酒井家の方に弱点ある訳にはあらざるや。
倉富◆その風評は無きにあらざるも、確かなる事にあらず。久邇宮家にてもその事は言われざる様なり。
伊東◆それならば酒井家の方は気の毒の訳にあらずや。
倉富◆その通りなり。酒井家の方より辞退せしむる事はよほど無理なる事と思う。
伊東◆正式に勅許ありおる事にはあらざるならん。
倉富◆正式の勅許は経ておらず。内伺だけなる趣なり。
伊東◆内伺は済みおるや。いずれにしても物議を醸す事ならん。
良子女王の問題にては邦彦王もよほど苦心せられたるにつき、充分の同情あるべきはずにあらずや。
倉富◆そのはずなるも、しからざる様なり。
伊東◆朝融王は如何なる方なりや。
倉富◆下情には通じおらるる様なり。初めは評判よろしき方なりしが、その後は必ずしもしからざる様なり。
伊東◆しかるか。

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倉富日記 大正13年10月30日

宮内官僚山田益彦
徳川の談にては、酒井は牧野が久邇宮家に伺候して伺いたる近状『朝融王が菊子を嫌いおらるるも久邇宮家の方よりこれを断るる訳にもいかず、さりとて婚約を遂行して結果が悪しく、久邇宮家としてはその処置に困りおらるる事情』を徳川より聞き恐懼に堪えず。
辞退したる旨の書面を久邇宮家に出し、久邇宮家よりもこれに対する書面を出され、その上にて邦彦王より酒井を召され懇篤なる御言葉ある事となりおり、昨日午前中には酒井家の相談人も承諾する順序となりおるにつき、その事がまとまれば徳川は午後より宮内省に出勤する予定なり。

松平
昨日の徳川の談は酒井より本日の相談会にて全会一致にて辞退の事を可決したる旨を明日自分に通知するにつき、明日午後宮内省に出勤し宮内大臣の指揮を受くる事とすべしと言えり。しかるに本日正午を過ぎても音沙汰なきにつき徳川へ電話にて問いたるところ、今日は都合により出勤せざる旨を通知し来れり。
左の次第につき武井守成へ電話をかけ「酒井家の相談会ありたりや」と言いたるところ、「何事もなし」と言い、「相談会を開く通知もなし」と言いたり。
今朝来新聞記者が数人写真機を携帯して来りおり、徳川の出勤を待ちおれり。

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倉富日記 大正13年11月04日

国分三亥
朝融王問題いまだ解決せず、困る
倉富◆実に分からず。もはや疾く解決するはずなるにあらずや。先日徳川は予の宅にも来り、いよいよ解決する旨を告げて去りたり。
国分◆本月01日徳川より自分を召い「酒井家の相談人武井が反対意見を為しおりたるも、これもいよいよ同意したるにつき、この上は形式的な相談会を開き、その上にて酒井より辞退の旨を申し出て、自分より邦彦王にこれを言上する事となる順序なり」と言いたり。
倉富◆武井が承諾したりと言うはなお行き違いある様なること、この事については久邇宮家にて幾分の責任を取らるる方かえって物議を少なくするにはあらざるやと思うこと。
国分◆今後新聞にて菊子の節操問題を書く様の事ありはせざるかと心配しおる。

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倉富日記 大正13年11月08日

倉富&関屋&徳川&酒巻&松平&山田

徳川頼倫の家に行く。徳川より朝融王婚約解除の事につき、これまで徳川が周旋したる概略を説く。
婚約は酒井家より辞退する事と為りおるが、辞退の理由として、酒井は宗秩寮総裁徳川頼倫より久邇宮の近状を聞き、この結婚の将来を慮り、辞退する旨を新聞に公表することを望み、宮内大臣は「酒井家より久邇宮家に提出する覚書にはその旨を記載しても妨なけれども、新聞に公表する事は承知し難し」と言えり。
よって宮内大臣が帰京する前、如何なる形式にて発表するか、その文案を作り置きたしとの事にて、
酒巻、その主意にて酒井家より発表する物・久邇宮家より発表する物・宮内省より発表する物3通を作りこれを修正して成案と為したり。
関屋は宮内省より発表する文案には今少し事実を詳記する方よろしくはなきやと言う。
予、宮内大臣が宗秩寮総裁の周旋を認むるならばもちろんこれを詳記する必要あり。しかれども酒井家は久邇宮家の近状を聞きて婚約を辞退し、久邇宮家はその辞退を承諾して宮内大臣に内伺取消方申し出られたる形式となる以上は、宮内省はこれに関する事実を云々すべき理由なし。故に宮内省はその手続きを了したる旨を発表すればそれにて充分なりと言い、決定せり。

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倉富日記 大正13年12月04日

国分三亥
倉富◆皇太子御使として侍従長入江為守が久邇宮家に行きたる事につき、邦彦王より何か御話はなきや。
国分◆野村礼譲が「入江が来邸したるが」と申し上げたるところ、邦彦王はよほど不機嫌なりしとの事なり。

入江が御使として邦彦王に口上覚書を交わしたる趣意は『せっかく御内意まで伺いて取り結びたる婚約を解くに至りたるは遺憾の事なり。今後は万事一層慎重にする事を望む』とのことなりし由。

国分◆朝融王は皇太子に「牧野は菊子が結婚する前には自分も結婚すべからざる様の事を言いおりて困る」との事を言われ、皇太子は「牧野は何か面倒なる事を言いおりたるも感服できず。牧野の言う様なる訳にはいかず」とのことを御話ありたる趣にて、朝融王は非常に有力なる味方を得たりとの話を野村に話され、
野村より酒巻・松平らに話し、松平より関屋に告げ、関屋が牧野に告げたる趣にて、今日頃牧野が野村に面会する事になりおるはずなり。

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倉富日記 大正13年12月16日

国分三亥
菊子が前田利為侯爵に嫁する事となりたるは好都合なり。

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by oMUGIo | 2001-12-24 00:00 | 皇族

朝融王 その3

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倉富日記 大正13年08月17日

国分三亥
朝融王の婚約解除は徳川頼倫が引き受けおるも少しも運ばず。
邦彦王は非常に急ぎおられ困りおれり。
徳川は水野某に依頼し、水野が周旋しおるが、その手段は菊子の嫁する先を定め、その上にて酒井家より辞退する事と為すつもりの由なるが、これまで堀田正恒伯爵が地震にて妻を喪い子が4人あり。その後妻として菊子を談し込みたる人ありたる趣にて、渡辺暢が来りて事情を問い渡辺は既に朝融王との関係は絶えおる事に思いおりたる様子につき、自分より「その関係はいまだ絶えおらず。解除せらるる都合にはなりおれり」と言いたるに、渡辺は「この縁談は極秘密に為しありたるも、華族会館にても紅葉館あたりにても堀田がたいそう若き後妻をもらうとの談あり。堀田には4人も子があるに若き初縁の人が後妻に来るは、何か欠点あるにあらずやとの懸念もあるが、その辺は如何」と言うにつき、自分は結局「朝融王が嫌になりたりと言わるるにつき、これを解除せんとしたしと言うだけなり」と言い置きたるが、結局堀田の方より断りたる由なり。
また山階宮家に持ち込みたる人あるも、これは一言の下に拒絶せられたる趣なり。左の如き次第にて、婚約が成立したる後にあらざれば進行せざる事にてはいつまでかかるか分からず困りおる。
倉富◆酒井家の方より辞退する様になれば久邇宮家として好都合なるに相違なけれども、それは非常に無理なる事なり。予は久邇宮家より都合により婚約を解きたき旨を申し込まれ、その申し込みに対し異議なく承諾する事と為れば、双方とも格別の不面目なくして済む事と思う。
国分◆自分らもそれが相当の順序と思いおる。

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倉富日記 大正13年09月05日

徳川◆朝融王婚約解除問題も急に運ばずして困る。しかしやや端緒につきたる模様なり。
倉富◆菊子の嫁入先を内定したる後に解約する事に取り計うつもりの様に聞きたるが、果たしてしかるや。
徳川◆しからず。左の如き意見も無きにあらざりしも、自分は初めより絶対に反対しおり。
倉富◆しかるか。しからば嫁入先2ヶ所に交渉したる様に聞きおりたるが、それは何人の為したる事なるべきや。
徳川◆1ヶ所は実に驚きたり。あまり事情に疎き事なり。
倉富◆1ヶ所は予も実に驚きたり。堀田家の方にては種々詮索して見合わす事と為したる様に聞きおれり。
徳川◆山階宮家の事なり。
倉富◆その方はまったく驚きたり。
徳川◆一方が解決しても、第二段に至り新聞などにては必ずやまかしく言うならん。
倉富◆一方が解決したらば当分は第二の方に着手せず、世人が忘れたる頃に着手せらるる方がよろしけれども、左様なる訳にもいかざるべし。
徳川◆その方がよろしけれども、なかなか左様なる訳にはいかざるべし。

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倉富日記 大正13年09月06日

松平慶民が予と談しおる時、酒巻芳男が新聞切抜を持ち来り、徳川頼倫もまた来り。
予切抜き身たるに『かねて久邇宮朝融王と酒井忠正伯爵の妻の妹菊子と婚約ありたるが、この度突然宮家より婚約解除の事を酒井家に申し込まれ、これまで類例も無き事にて宮内省にては、宮内大臣・宮内次官・宗秩寮ら大狼狽を為しおる』旨を記しおれり。
徳川◆朝融王の事が新聞に出る事はかねて懸念しおりたり。婚約がいよいよ解除せらるれば必ず新聞に書くに相違なからんと思いおりたるも、解決前に新聞に出たる事は甚だ困る。この記事を取り消す事は出来ざるか、この後に掲載せざる様手回しするか否か問題なり。
倉富◆新聞に出たる事はいずれにしても解決を困難ならしむべし。予は君は菊子の嫁入先を予定する事を解約の条件とする意見なる様に思いおり、君が反対なる事は昨日初めて知りたり。
君が初めよりその意見ならば、なぜ今日まで解決できざりしや。あまり遅くなりおるにあらずや。
そのためついに新聞に出つる様の事になりたりと思う。
徳川◆酒井忠正が酒井家の相談人の意見をまとむる為に隙取りおるとの事なり。
倉富◆この問題は事実が久邇宮家の方より解約を望まるるにつき、久邇宮家の方より解約を申し込まれ、酒井の方にては異議なくこれを承諾することにて内議を為すが相当にあらざるや。しかるに久邇宮家よりは何とも言われず、酒井家の方より辞退せしむる様の交渉になりおる様に聞きおるが、それは余程無理なる事にはあらざるや。元来久邇宮家の方より婚約を望まれ、酒井家はこれに応じたるものなり。しかして今更これを辞退するには何か理由がなかるべからざるが、その理由はある訳なし。ゆえに久邇宮家の方より都合により婚約を解きたき旨を申し込み、酒井家にては異議なくこれを承諾する事とならば、双方とも格別体面を損せずして済むにはあらずや。酒井家の相談人が折り合わずとの話あるが、相談人は一通り人に対して説明する事のできる筋を立て置かざれば、旧藩士より相談人が詰責せらるる事ある為ならん。
徳川◆久邇宮家の方より表立って解約を申し込まるる事も出来がたし。しかし事実は久邇宮家の方より申し込まるるに相違なきにつき、その事は内緒に充分酒井可の方に通知しおくつもりにて、その事は自分が中に入る事を頼みたる水野より酒井の方に通しくれおる事と信じおりたるに、これまでに至りその趣意が酒井家の方に通じおらざることを聞き、甚だ遺憾に思いおれり。

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倉富日記 大正13年09月08日

倉富◆徳川は今日は出勤せざるや。
酒巻◆朝融王の問題につき奔走しおるならん。
倉富◆徳川が反対したるに関わらず、山階侯爵・堀田伯爵らに話を持ち込みたるは酒井家の方より為したる事なるべきや。
酒巻◆徳川より依頼しおる仲人水野の取り計いならんと思わる。
倉富◆解約前に左の如き事を為すはあまりに非常識なる事なり。堀田家などにては菊子は初婚にて年も若き者が子供まである堀田と結婚する事を望むは必ず何か弱点あるならんとの疑を起し、種々詮議したる趣にて、これはもっともの事なりと思う。予はこの事はまず久邇宮家より解約の希望を酒井家に申し込み、酒井家にてこれを承諾する事が順序なりと思う。しかるに反対に酒井家の方より辞退せしめんとするはあまりに無理なることなり。
酒巻◆その通りなり。

松平◆朝融王の問題解決したらば、朝融王に対し謹慎を命ぜらるる様の事は出来ざるべきや。
倉富◆事実は充分謹慎せられ、当分結婚などせられざる様にする必要あり。しかしこれは命令的にあらず自発的になされるべきものと思う。双方合意にて婚約を解きたる事となれば、表面はさほど重大なる問題と為すにも及ばざるべく、これに対し制裁を加えらるる事となれば、その程度も難しき事ならん。しかし実際にとうてい自発的に謹慎せらるる様の事は望み難きにつき、宮内大臣がこれを強制しても自発的の様にして謹慎せしむる事を要すべし。

徳川◆朝融王の婚約解除問題は、昨日仲人より酒井忠正に申し込み「久邇宮家にて菊子に充分の厚意を有せらるる事、婚約解除後も酒井家との交際を継続せらるべき」旨を告げたるところ、酒井忠正は大いに感激し「それほどの厚意あるならば当方より辞退する考えなり。できるならば明日には徳川まで事態の旨を申し出ずる事とすべし」との事なりし趣なり。
倉富◆しからばやはり酒井家より辞退する事なりや。
徳川◆しかり。
倉富◆予は碌を容れるべき事にあらざれども、予はやはり久邇宮家より解約を申し出し、酒井はこれに応ずるにあらざれば、事実に相違するのみならず、今日においても都合悪しからんと思う。
例えばこの件については既に御内意も伺い済みの事につき、貞明皇后より「なぜに婚約を解除するや」との御問ありたりとするに、宮内大臣はただ酒井の都合と言うのみにては奉答する事を得ざるべし。
徳川◆久邇宮家よりの申込とすれば菊子は嫌われたる事となり面目に関する恐れあり。
倉富◆それは表面酒井家よりの辞退としても、事実は公知の事なり。少しも菊子の面目を保つ利益なし。
のみならずある部分にては朝融王は不良少年とまでの評判あるぐらいにつき、その人より嫌われたりとて不面目となる訳もなからん。
徳川◆朝融王の謹慎を必要とする事は誰も同様に考うるが、如何なる方法を取りたらばよろしかるべきや。
倉富◆その方法も問題なるが、先刻の談に久邇宮家より菊子に充分の厚意を有せらるるとの事なるが、
単に厚意と言うのみにては何の効もなし。その厚意を表現する方法は如何なる事なりや。
徳川◆その方法は別に考えなし。

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倉富日記 大正13年09月09日

宮内次官関屋貞三郎の官舎に行き、朝融王婚約解除の事を議す。
予・関屋貞三郎・入江貫一・西園寺八郎・酒巻芳男・杉琢磨・松平慶民なり。
今後宮内大臣が事に当り、久邇宮家より解約を申し込まれ、
酒井家はこれを承諾する様の方針と為して進行する事と協議し家に帰る。

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倉富日記 大正13年09月10日

松平◆関屋貞三郎より宮内大臣の意見を問いたるところ、牧野は「徳川よりの報告あるまでは自ら手を下さず」との事なり。よりて関屋は今日徳川を訪い手を引かしむるつもりとの事なるが、関屋が負けてくるやも計られず。牧野は自ら事に当ることとなりても、まず久邇宮家に婚約を遂行する事を説き、それが行われざる時に至り久邇宮家より解約の申込を為す手段を取る事の考えなる趣なり。
倉富◆杉浦重剛は生前朝融王の婚約解除に賛成しおりたる様に聞きおる。
松平◆それは驚きたり。

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倉富日記 大正13年09月12日

松平◆弟徳川義親侯爵が先頃軽井沢にて水野・近衛文麿に会いたる時、水野が朝融王の婚約解除の周旋を徳川より依頼を受け、今年春以来08月まではそのまま手を着けず経過したる趣なる事を聞きたり。酒井家にては面目さえ立てば婚約を解くこととなりてもよろしと言い、その面目とは皇族か皇族より臣籍に降下したる人に嫁する事なる由。近衛なども淡白に「皇族に嫁せしむる途はなきや」と言いおりたり。
徳川の使いが関屋の家に来り「婚約解除の事は充分見込あるにつき、今しばらく待ちくれよ」と言い、関屋は種々これを詰問したる趣なり。
牧野はどこまでも婚約遂行説に傾き、一個の朝融王と言う如き問題にあらずと言いおりたり。
倉富◆今日に至り婚約を遂行する事は結局酒井家の方が勝ちたる様の事となるにつき、邦彦王は所詮承諾せられざるべし。牧野は先年の良子女王の関係あるにつき、此節に限り解除する事は矛盾のきらいあり。
それゆえ婚約遂行を主張し、裏面においては徳川の周旋にて解約でき、しかも酒井家の方より解約を申し出ずれば好都合と思いおりたるならん。しかし真実遂行を正当と思うならば、今日までなおざりに付き置きたるは解し難し。
松平◆今日にては遂行しても皇室には傷がつきたり。むしろ解約して朝融王は情願により臣籍に降下せらるるが一番良き解決方なり。

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倉富日記 大正13年09月13日

関屋◆昨日、一昨日徳川を訪い「朝融王婚約解除の事につき徳川の手にて運ばざるならば、その旨を申し出ずる様にせよ。早く解決する必要あり」と言いたるも、徳川は「婚約解除はきっと出来る見込あり。一週間などとは言わず両三日待ちくれよ」と言うにつき、「如何なる手段を講ずるや」と言いたるも、「その手段は言い難し」と言えり。貴官より徳川に談し手を引かしむる様の工夫はなかるべきや。
倉富◆予が談しても効能なかるべき。

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倉富日記 大正13年09月16日

東久邇宮聡子妃
邦彦王の妃は初めは細川侯爵家より行かるるはずになりおりたるところ、久邇宮家より故障を言われ遂に解約となり、その婦人悦子は一条実輝の妻となれり。その後良子女王の問題あり。また此節朝融王の問題あり。今まで3度の紛紜あり。世人が久邇宮家を相手にせざる様になるべし。

松平◆弟徳川義親侯爵が近衛文麿より聞きたる話には水野が徳川を訪い「水野の手にては酒井家の方より解約を申し込ましむる事は出来ざるにつき断る」旨を申し込みたるも、徳川が承知せず。水野は更に往訪してこれを説きようやく徳川も承知し、「しからば今しばらく時日があれば解約も出来るべきも、急なる事にては出来がたしとの条件を付けて宮内大臣に断る」事となりたりと言いたるゆえ、その旨を関屋貞三郎に告げ、関屋は「それは良き事を聞きたり。徳川より宮内大臣に会見の申込あり。辞表でも持ち来るならんと心配しおる所なるゆえ、その事を告げ置くべし」と言いたり。しかるに徳川が宮内大臣を訪いたる上の談は全く異なりたる事にて、解約の見込立ちたる旨を告げたりとの事にて、自分はまったく虚言を言いたる形となれり。

酒巻◆松平の談を聞きたりや。
倉富◆聞きたり。まったく分からず。
酒巻◆まったく分からず。


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倉富日記 大正13年09月25日

松平◆酒井家相談人武井守成の談によれば、父武井守正が酒井忠正に相談会を請求し、昨日相談会を開きたるが、酒井より「婚約解除の事は酒井家より申し出し難き旨を徳川へ明答したる」旨を報告し、久邇宮家または宮内省より公然解約の申込あればこれに応ずる事は一同異存なき事となりたる趣なり。

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倉富日記 大正13年09月27日

入江貫一
牧野は内大臣平田東助にも「この問題は酒井家の方より解約を申し出ざれば絶対に久邇宮家の方より解約する事は為すべきものにあらざる」旨を説き、西園寺公望にも同様の趣旨を説きおるとこことなり。
先日西園寺に会いたる時自分より「酒井家より解約を申し出ず久邇宮家に牧野より婚約遂行を進言しても久邇宮家はとうてい承知せられざるべく、久邇宮家より解約を申し込まるるかまたは宮内省にて解約の取り計いを為さば酒井家の方は承知すべきも、牧野自身はその取り計いを為す訳にはいかず。また久邇宮家より解約の申込を為さしむる様の事を為しては、宮内大臣の職責を違うべくいずれにしても牧野の進退問題となる懸念ある」旨を談したるところ、西園寺は「仕方がなきにあらずや」と言いおりたり。

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倉富日記 大正13年09月30日

酒巻◆入江貫一の談に、久邇宮家より金を出せば久邇宮家のための働くと言いおる者ある趣につき、
野村礼に「充分注意して、左様の者を関係せしめざる様に」談し置けり。
倉富◆またまた壮士を伴い酒井家を脅迫する様の事ありては大変なり。

入江◆久邇宮家より金を出せば云々の事は、前警視総監赤池濃の話に「久邇宮家に壮士が出入りしおり、その壮士は久邇宮家の為に親切を尽くすにあらず金を得る事が目的にて、金を得れば何事も為すべき人物なり」との話を聞き、これを関屋貞三郎に告げ、松平慶民が久邇宮付事務官に問いたるところ、「今日までは何事もなし」と言いたる趣なり。ぜんたい久邇宮家の事は困りたるもおなり。西園寺公望も非常にこれを心配しおりたり。
倉富◆久邇宮家の財政はよほど不足するならん。

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by oMUGIo | 2001-12-23 00:00 | 皇族

朝融王 その2

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倉富日記 大正13年02月15日

松平慶民
昨日宮内大臣久邇宮家に行き、邦彦王に謁し、朝融王婚約解除の不可なる事を説きたるに、
邦彦王はこれに対し種々弁明せられたるが、しどろもどろにて少しも筋の立ちたる事は無かりし由。
邦彦王より「かの如き疑いある婦人を嫡男の妃と為しては先祖に対しても済まず」と言われ、
宮内大臣は「不理なる事を為されては皇室に累を及ぼす事にて、皇室と一個の宮とは比較にならぬ事なり」とまで申し上げたりとの事なり。
邦彦王より「何とか解除のできる様に取り計いくれよ」と宮内大臣に依頼せられたるも、宮内大臣はこれを引き受けざりし趣なり。
倉富◆宮内大臣が左の如く切り出したる以上はこれを貫徹する覚悟なかるべからず。
邦彦王がどこまでも承知せられざる時は実に困りたる事になるべし。しかしここに至りたる上は、宮内大臣より婚約解除の工夫につき相談する時は格別、それまでは宗秩寮にても手を出さざる方よろしからん。
松平◆宮内大臣は前田清子夫人が低層問題を金子に話したるよりこの面倒を起したる事につき、
清子夫人をして速やかにその言を取り消さしむる必要ありと言いおれども、清子夫人は「伝聞したるゆえ伝聞したりと言いたるまでにて、別に自己の意見を加えたるにあらず。これを取り消すべき理由なし」と言うならんと思わる。

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倉富日記 大正13年02月19日

小原駩吉
仙石政敬より「閑院宮載仁親王が婚約解除に反対せらるるは三条家の関係もあり当然なり」と言えり。
よりて三条家の関係を問いたるに、三条家より酒井家に嫁しおると言えり。
倉富◆しからば菊子の母夏子は三条家より嫁したる者ならん。
小原◆しからん。宮内大臣はその関係を知らずして載仁親王に申し上げたるものならん。
倉富◆徳川は宮内大臣より厳しく邦彦王に申し上げたる様に言いおる趣なるも、当てにならず。
徳川が欺かれおる事なるべく、予はこの事の結局はやはり婚約解除の事となるべし。
小原◆必ず解除の事となるべし。

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倉富日記 大正13年02月22日

小原◆野村礼譲の談によれば「何となく菊子を嫌という気が起り、その後解約の口実を求むるため種々の事を探し出したるものにて、節操云々の風評あるため菊子を嫌う様になりたるものにあらず」との事なり。

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倉富日記 大正13年03月06日

酒巻◆宮内大臣はこの問題の紛糾を為したる原因は菊子に節操の疑ありという風説なり。
この風説さえ消滅すれば問題は消滅する訳につき、その取り調べを為す必要ありとて、その風説の出所は前田清子夫人が金子に告げ、金子より分部に告げたるものとのことにつき、まず清子夫人に左の如き事を言いたる事ありやを確かめたるところ、清子婦人は「決して左の如き事を言いたる事なし」と言い、さらに金子に確かめたるところ、金子は「清子夫人が言いたる事なしと言うならば、自分の聞き間違いならん」と言いたる趣なり。只今はこれだけの事になりおれり。邦彦王は「事実の有無に関わらず、その疑いだけでこれを遂行する事を好まず」と言いおられ、既に邦彦王より婚約解除の事を依頼する事につき宮内大臣に書状を送られたりとの事なり。しかれば宮内大臣の考えの如く、清子夫人が言わずと言いたりとて婚約の遂行できるものにあらず。
倉富◆実は結婚を嫌うという事が先に起り、その口実として節操云々の話が生じたる様なり。
さすれば到底これを遂行する事は無益ならん。
松平◆しかるに酒井家の方にては、「この婚約はこちらより求めたるものにあらず。宮の方から求めたるものにつき、こちらより辞するべきものにあらず」と言いおるとの事なり。
しかし宮の方より解約を申し込まるれば、酒井にてはこれに応ぜざる様の事はなからん。
しかれども、皇族として故なく婚約を破る如きワガママを為さしむべきものにあらず。
遂行が出来ずとすれば朝融王は臣籍に降下するより他に方法なし。

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倉富日記 大正13年03月10日

徳川◆先日宮内大臣の代理として久邇宮家に行きたり。
邦彦王に謁する前国分三亥に会いたるところ、国分より「婚約解除については菊子の節操問題は一切これを止め、その疑いありと言われたる事も取り消し、この事は一切話に上らざりし事となす方よろしかるべき旨邦彦王に申し上げおきたり」との話を為せり。
その後邦彦王に謁したるところ、王殿下より「節操云々の事は一切水に流し、これまで話なき事に為しくれよ。しかして朝融王と菊子との結婚は到底円満の結果を得がたかるべしと思う。この如き事になりたるは遺憾なれども、今日にては自分には好工夫なし。宮内大臣・宮内次官・宗秩寮総裁に依頼するにつき、取り計いを頼む」と言われたる。

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倉富日記 大正13年03月13日

国分三亥
先年良子女王の御婚約の事につき云々ありたる時より久邇宮家に出入しおる牧野某は此節も度々来りて謀議に参しおるにつき、自分より「故杉浦重剛は良子女王問題のとき信義論を唱えたりとの事なるが、朝融王の婚約問題を聞きたらば如何言うべきや」と言いたるに、牧野某は「杉浦は疾くこの問題は承知しおり、解約に賛成しおれり。問題が先年の分とは異なりおれり」と言いおりたり。

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倉富日記 大正13年03月25日

国分三亥
宮内大臣は断然宮内省としては婚約解除につき御助力する事は出来ざる旨を答えたるをもって、
その旨を告げたるところ邦彦王は非常に憤慨し「とうてい婚約を遂行する事は出来ず。宮内省が助力せざるならば、直接に処置すべし」と言わるるにつき、宮内大臣にその旨を談したるところ、大臣は「如何なる手段を取るや」と言うにつき、自分より「どこまでも酒井家に謝し、酒井家より手を引く事を求め、それが成就すればこの上もなし。もしこれを諾せざるならば宮より婚約を解きたき旨を申し入れ、酒井家にてこれを諾すれば合意にて解約したる旨の届け出を為し、これをもって終局と為すべし。まさか酒井家にてもその事も諾せざる事はなからんと思う」旨を述べたるところ、宮内大臣は「もしその手段を取るにしても手続が肝要なり。少しく猶予すべし」と言われたり。
倉富◆人民の儀表たるべき皇族が故なく婚約を破るは許すべからずとの論あるをもって困る。
国分◆仮に自分らの事としても解約を希望す。
倉富◆何故なりや。
国分◆節操の風説ある故なり。
倉富◆それは無理なり。こちらを満足するため先方を殺す訳なり。事実確かならずしてこれを理由とする事は
無理なり。
国分◆しかし誰しも結婚は欲せざるならん。

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倉富日記 大正13年03月27日

徳川◆自分は「宮内大臣は既に久邇宮家に対し強硬の態度を取られおるにつき、この上なお一層強硬の態度を取り、臣籍降下のことまで考えしむるくらいになされたし」旨を宮内大臣に説きたるところ、宮内大臣も同意にて「とにかく少し久邇宮を反省せしむる必要あり」と言い、今日国分に対し大臣より「この問題については宮家においても今しばらく手を着けざる様に申し聞けられたる所なり。

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倉富日記 大正13年06月09日

小原駩吉
一つ困りおる事あり。極めて秘密なる事なるが、賀陽宮家の侍女数人ある内一人に対し朝融王が戯れたる事あり。その時その侍女は手をもって朝融王の頬を打ちたる由なり。しかるに他の一人に対して接吻せられたるところ、その方は拒ます、その後賀陽宮好子妃より問われたるところその侍女は「嬉しかりし」と答えたりとの事なり。間もなくその侍女が暇を乞うて帰りたるゆえひとまず安心せり。

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倉富日記 大正13年07月15日

宮内官僚白根松介
朝融王の事は如何なりたるべきや。
倉富◆詳細は知らざるも徳川が引き受け、自分では正面に立たず懇意なる某華族が交渉し、酒井家の方より辞退せしむる事になりおるとの事なり。談は順調に進むとの事なりしが、順調に進むならばもはや今頃は結了しおるはずなるもいまだ結了に至らず。邦彦王はしきりに解決を望みおらるる様に国分より聞きおれり。
白根◆それはよほど無理なる様なり。
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by oMUGIo | 2001-12-22 00:00 | 皇族

朝融王 その1

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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正11年08月03日

松平慶民
松平◆久邇宮朝融王と酒井忠正伯爵の妻の妹菊子との関係は聞きおるならん。
倉富◆聞きたる事なし。
松平◆朝融王は菊子を娶らるる事に内定しおるところ近頃に至り菊子の容色好まずとてこれを嫌いおらるるとの話あり。朝融王が遠洋航海にてフランスに行かれたる時、パリにて故井上勝子爵の子井上勝純子爵が朝融王に会い結婚内定の祝詞を述べたるところ、朝融王より「実は婚約の婦人は気に入らず。これを止むる工夫はなかるべきやと思いおる所なり」との話をなされたる趣あり。また分部資吉が壬生基義の家に到り、「朝融王の婚約ある婦人はその姉の夫即ち忠正と私したる如き風評あり」との談を為したるにつき、壬生は厳しく分部を戒めおきたりとの事なり。思うに分部は朝融王が菊子を好まざる事を知りその歓心を得る為に左の如き事を言いたるものにて、実際左の如き事はなかるべく、少しにても左の如き事あればその噂は必ず漏れるべき筋あれど、すこしもその噂は無し。
倉富◆分部は性質よろしからず。目的の為には如何様なる手段にても取る者なるゆえ、左の如き事を言いたるものならん。分部を罷むる事は極めて必要なれども、邦彦王の承諾を得る事難しかるべし。
松平◆先に罷免されたる武田もなお絶えず出入しおると言うにあらずや。
倉富◆その通りなる趣なり。只今の事は困りたる談なれども、他の事と違い強いて遂行してもその結果よろしからず。さりとて婚約を解けば酒井の方には非常なる打撃なり。
松平◆自分も無理に遂行する事は出来ざるべしと思う。

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倉富日記 大正11年08月10日

松平◆分部は大いに怒り壬生の所に至り「自分は秘密談として君に話したるものなり。一切の始末を明かしたる上にてこれを表面に持ち出すつもりの所すぐに松平などに談したるは不都合なり」とて壬生を詰責し、壬生もちょっと困りたるも「理由なく秘密を漏らしたにあらず。皇族に関係ある松平に話し、松平より宮内大臣牧野に話したるまでの事なり」と言いたり。自分より分部に「婚約問題は既に大奥への内伺も済おる事にて、久邇宮家限りにて処置せらるべき事にあらず。いわんや君らが自己の考えにてこの事につきかれこれするは大いなる誤りなり」との旨を申し聞け、分部も結局「自分が悪かりし」と言いたり。
倉富◆邦久王は近く臣籍に降下せらるるゆえ正式に成年式を行われざる事なるが、邦彦王は邦久王の最終の名誉のため正式に成年式を行いたいとの御希望なるやに言いおる人あり。
また邦久王はこの暑中に東北各県に旅行せらるるはずにて、これも皇族としての最終の旅行なるゆえ邦彦王は万事皇族として旅行せらるる事を望みおられたる所、両三日前の官報にて東北各県に旅行せらるる様を記載しありたる様なり。いよいよ殿下として仰山なる旅行をなさるべきや。

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倉富日記 大正11年09月04日

宮内官僚徳川頼倫
国分三亥の談によれば、朝融王は断然内約の婦人を好まざる旨を明言せられおる趣にて、これは困難なる事なりと言う。
倉富◆予が聞きたる所にては、朝融王の真意はいまだ明らかならず。ともかく結婚は非常に急ぎおらるるとの事なりしが、いよいよ破約を望まるるならが他の事と違いこれを止むるよりほか致し方なかるべし。
しかしこれを止むるには出来るだけ穏当なる手段を取る必要あり。分部の如き事を言い触らすは言語道断なり。
徳川◆御内約問題のとき邦彦王より貞明皇后に書面を呈せられたりと言うにあらずや。
倉富◆予もその事は伝聞しおれり。
徳川◆その書面は皇后宮大夫より邦彦王に返したるやに聞きおれり。

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倉富日記 大正11年09月06日

国分三亥
朝融王は酒井家の娘は柔順ならずと言いて嫌いおらる。その上にも品行もあり、困りたる事なり。
倉富◆朝融王は結婚を急ぎおらるるとの話を聞きおりたるが、当分待つ事は異議なき様の話にあらずや。
酒井の方に肺患の懸念ありや。
国分◆本人にはその懸念なし。親酒井忠興が肺患なりしとの事なり。酒井の方を止むるため3,4年も延ばす事は朝融王は不同意の様なるも、破約して新に見出す為の延引はもちろん承知なるべし。

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倉富日記 大正12年08月26日

有馬頼寧
朝融王の事は如何なりたるや。
倉富◆かの問題は実に困難なる事なり。確約前ならばよろしきも、既に成約となりおり、これを解くには相当の理由なかるべからず。その理由を言う事は一層問題なり。到底まとまらざる物ならば、酒井家より辞退する他に致し方なからん。

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倉富日記 大正13年02月03日

国分三亥

朝融王の婚約問題がいよいよ宮内省に持ち出さるるを得ざる事となれり。
朝融王の意向が酒井家の方に聞こえ、この問題についてはまず第一に朝融王の意を確かむる必要ありと思い、その意思を確かめたるところ「この事は疾く決心し如何なる事あるも結婚する意なし。ただし皇太子の御婚儀の済むまで問題を起こす事を見合わせおりたるなり」
自分より「只今は嫌にても夫婦となれば良くなるものなるゆえ、思い返されては如何」と言いたるも「絶対に承知せず」とのことなるゆえ、この上は父邦彦王の意を伺うよりほか致し方なしと思い、邦彦王に謁し「昨日朝融王の御考えを承りたるに朝融王は絶対に結婚する意なしとの御答えなし。殿下の御考えは如何」と言いたるところ、邦彦王は「この事については疾く考えおりたる事あり。しかし皇太子の御婚儀済むまではそのままに為し置く考えなりしが、もはや御婚儀も済みたるゆえその事も処置すべき時なり。自分は是非取りやめたき考えなり。その訳は婚約の娘には節操に関する疑あり。この疑ある以上は如何なる事ありてもこれを嫡男の妃と成す事を得ず。もっとも節操の事は的確なる事実は知り難きも、疑いだけでも承知し難し。これを妃と成す事は先祖に対しても済まざる事と思う。婚約を取り消すについては先年の良子女王の関係もあり、種々の非難あるべきも、如何なる非難あるも是非ともこれを解約せんと思う。朝融王が婚約遂行を望む様の事あれば非常に困る訳なりしも、朝融王が解約を好むは非常に好都合なり」と言われ、その決心なかなか固く、到底意思を変ぜらるべき模様なし。
自分より「この事は既に御内伺も済おる訳にて、酒井家にても容易に解約を承知すべしとも思われず。解決に至るまでには相当時日も要すべくその間は当方にても婚約を結ばるる訳にはいかず、すいぶん困る事ならんと思う」旨を述べたるも、邦彦王は「如何なる事ありても遂行する訳にいかず」と主張せらるるゆえ、もはや宮内省の詮議を待つより他に致し方ならからんと思い、宗秩寮に話したるところ宗秩寮総裁徳川頼倫は「単に結婚する事を欲せずとか節操の疑いありと言うのみにては不十分なり」とて不満足の議論ありたるも、このうえ誰が何と言うても婚約遂行を諾せらるべき見込なきゆえ何とも致し方なしと思う。
倉富◆とにかく困りたる問題なり。そこまでになりたる以上は宮内大臣が何とか処分するよりほか致し方なからん。
国分◆分部が自己の考えにて前田利定家に出入りの某に婚約解除の希望ある旨を話し、某より利定の妻清子〔酒井忠興の姉〕に話し、その結果酒井家の聞く所となりたるにつき、分部を詰りたるところ、分部は「この婚約を結びたるは当時の宮務監督山田春三にて、その下の手伝いを為したるは自分なり。今日はその事に関係したる者は自分のみなり。よりて解約を周旋するは自分の責任なるやの感ありて某に話したり」と言いたる。

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倉富日記 大正13年02月07日

宗秩寮にて、朝融王婚約破棄問題につき、徳川頼倫・ 松平慶民・入江貫一と協議す。
徳川より問題の経過を報告す。
予「報告の如き事ならばとうてい婚約遂行の望みはなかるべきも、問題の性質として宮内大臣は是非とも一応は邦彦王・朝融王に対し婚約破棄の理由なき事を説かざるべからず。善後手段を講ずる事は第二の事なり。この問題は久邇宮家のみの事にあらず。皇室にも影響すべきことなり」

善後処分については徳川は「中間者を介せず直接に酒井忠興に交渉する方可ならん」と言い、予「忠興は養子にて婚約の婦人は伯爵夫人の妹に当るとなれば、忠興は自己の娘の事を決する様の訳にはいかざるべく、はやり酒井家に信用名望ある人を介する方よろしからん」と思う旨を述ぶ。

結局国分三亥が邦彦王に対し何らの自己の意見を述べずしてすぐに宮内省の処置を求めたるは不十分なり。徳川より宮内大臣に意見を述べ、宮内大臣が邦彦王に意見を述ぶる事を肯んぜざる時は宮内次官をしてこれを述べしむべしという説と、徳川自らこれを述ぶべしとの説あり。
松平は「婚約の通り結婚せしめたらば案外調和すべきにつき、その事にするがよろしからんと思う」と言えり。

婚約に至るまでの手続は、良子女王と酒井伯爵夫人は女子学習院の同期生にて、朝融王より菊子にまず書状を送られ、その取次は良子女王がなされたる趣なり。節操云々の事は金子有道男爵が、秋子夫人の伯母の嫁しおる前田利定の夫人よりこれを聞き、そのことを久邇宮家の分部に談し、分部より邦彦王に告げたるものなる由。国分三亥と久邇宮付事務官野村礼譲の二人より金子男爵に対し、金子が節操云々の事を言い触られたるものなるゆえ、その事実の有無を誠意をもって調査すべき旨を談したる由にて、金子は仙石政敬に対し「最初前田清子夫人より出でたる事にて、元来が婦人の話なり。只今に至り自分に責任を負わせ誠意をもって調査せよと言わるるは迷惑なり」と不平を述べたる趣なり。分部が金子に酒井家より婚姻を辞退する様に話し、その事が酒井家に伝わりたる訳にて、分部は酒井伯爵に対し何事か話す目的にて面会を申し込み、先日会見したるが、その時は分部は会見の目的を変し、自分が軽率に金子に話したるは不都合なりとて、ただ酒井伯爵に謝罪したりと言うことなり。

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倉富日記 大正13年02月08日

小原駩吉の台詞

この問題は伺済になりおる事につき、婚約を破棄するには貞明皇后に言上せざるべからず。
その時皇后は必ず婚約を遂行すべからざる事由を御下問ある事あらん。
この場合宮内大臣は如何なる御答を申し上ぐるべきや。朝融王が結婚を欲せられざる以上は穏に酒井家に談して婚約を破棄するよりほか手段なきが、その事はそれにて済みても、宮内大臣はそれで済ます訳にはいかず。いずれとなりてもこの問題は宮内大臣の進退を決せざるべからざるものなり。

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倉富日記 大正13年02月09日

倉富◆徳川頼倫より聞きたる所にては、宮内大臣より朝融王婚約破棄の事を閑院宮載仁親王に言上したるところ「その話は聞きおるが、もちろん破棄する様の事あるべしとは考えおらず」との御答ありたる由。
載仁親王が婚約破棄に反対ならば、宮内大臣はいっそう困難ならん。
小原◆宮内大臣は味方を得る為に言上したる事なるべきも、それが反対にてはいよいよ困難なり。
田中義一らは必ず故山縣有朋の為に復讐する様の考えにて攻撃するならん。

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倉富日記 大正13年02月13日

小原◆自分は宮内官僚武井守成に対し「この事は酒井家においてもおとなしく承諾し、事を荒立てざるが双方の利益なる」旨話し置きたるも、武井の談にたは「酒井家の相談人らの意見はなかなか強く、先方の処置が穏当なればおとなしく引き下がるも、婦人一人を殺す様の風説を立てこれを解除せんとするは不都合なるゆえ、どこまでも引き下がらざる方針となりたり」と言いおれり。
倉富◆閑院宮載仁親王が「解約の如き事あるべしとは考えおらず」と宮内大臣に御話ありたるも、先年の良子女王の事に牽連いたしおるにはあらざるや。
小原◆もちろんしかるべし。
倉富◆酒井家にては怒るは無理もなき事なり。先年の問題の時は、石原健三らは解約の時の準備の山階宮武彦王と佐紀子女王との婚約を確定せしめず、良子女王を武彦王に配せんとの考えをもって山階宮家宮務監督市来政方に談したる事などもありたり。

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by oMUGIo | 2001-12-21 00:00 | 皇族

良子女王 その6

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倉富日記 大正12年01月20日

倉富&宮内官僚徳川頼倫の会話

徳川◆良子女王の教育掛後閑菊野もよろしからざるやの評あり。
倉富◆あまりに良子女王の事を宣伝するにはあらざるや。近来良子女王の事が新聞に出ずる事が余り多き様なり。潮干狩りに行かれたるとき写真などを出したる事は貞明皇后の御意には合わざりし事ならんと思わる。
徳川◆自分の方の年老いたる女なども大分驚きおりたる様なりしなり。

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倉富日記 大正12年07月13日

宮内官僚酒巻芳男

邦彦王は目下北海道を旅行中なるが、清棲家教伯爵は叔父に当る人なるゆえ
その死を聞かれたらば殿下はすぐに帰京せらるるが当然の事に思う。

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倉富日記 大正12年11月09日

宮内官僚西園寺八郎
御婚儀延期の事も皇太子に言上する前に新聞に出てらるより、殿下は婚儀を延ばす事は予は承知しおらずと言われ、東宮太夫珍田捨巳は殿下は延期の思召なしとて困りおりたるゆえ、予より殿下に謁し、「数万の死者あり、数百万の罹災者ある央に御婚儀を行わせらるるは穏当ならざるゆえ、珍田を召してその旨を御申し聞けなさるる方よろしからん」と言上したる結果、かの運びとなりたるものにて、殿下はたいそう善事を為したるように御考えなされおる様なり。
倉富◆かの事は実に結構なりしが、遺憾は御婚儀を延期せられたるも、その時すぐに挙行の期を予定せられたる事なり。予定せられたる為せっかくの思召が形式のみとなりたる感あり。
西園寺◆その通りなり。

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倉富日記 大正13年03月01日

西園寺八郎
久邇宮妃はあまりに母たる事の威光を振るわるるきらいあり。
他の妃殿下方が避けおらるる時でも、自分だけは皇太子妃のそばにおらるる事あり。
また久邇宮家の親族も皇太子を親族扱いする傾あり。
先日沼津に御一泊なされたる時、徳川頼貞伯爵夫妻〔為子夫人は良子女王の叔母〕が今夜伺いたしと申込たり。心安だちて夜中に伺うと言うはあるまじき事なり。
倉富◆竹田宮昌子妃は時々意地悪き事をなさるる事あり。
西園寺◆その通りなり。先日も皇太子妃〔香淳皇后〕に対し
「東伏見宮周子妃があまり度々参殿せらるるは御困りなるべきにつき、
皇太子妃より母久邇宮俔子妃に書状を送りその事を通知し、
俔子妃より周子妃に話してあまり度々参殿せらず様になされたらばよろしからん」と言われ、
皇太子妃はその言に従いすでに俔子妃に送る書状を作られたるが、
女官長がこれを聞き「それはよろしからず」と言うて止めたる趣なり。
周子妃が皇太子妃の補導を為さる事は貞明皇后も御承知の事にて、
宮内大臣より周子妃に申し上げその事に為りおりたるに、
昌子妃がそばよりこれを妨げらるるは実に怪しからん事なり。

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by oMUGIo | 2001-12-16 00:00 | 皇族

良子女王 その5

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倉富日記 大正10年06月03日

倉富◆波多野敬直は貞明皇后に信ぜられおるも、良子女王の事については皇后の思召と波多野の考えとは異なりおるならん。波多野は御内定の通り遂行する事を望むべく、皇后はしからざるべし。
南部◆大奥にてはなお確定との考えにあらざる模様なり。邦彦王は良子女王を伴いて参内する事を望みおられ催促に類する事ありたる模様なるも、御内儀よりは沙汰あるまで御待ちなさるる様との事にて、今にその沙汰なき趣なり。

仙石◆宮内大臣より「木村の事については自分も何とかする必要ありと思いおりたるところ、杉浦重剛の門人が来り、木村を誹謗し、「彼の如き人を久邇宮家に付けおきてはよろしからざるゆえ、罷免すべし」との趣意を述べたり。これは久邇宮家よりの運動にて来りたるものなるべし。この如き運動ある際に木村を転任せしめては、運動の為に転任せしめたる様になるゆえ、木村は苦しかるべきも今しばらく辛抱せしむる様に致したし」との事を話され、至極もっともなる事ゆえこれに同意せり。

仙石◆宮内大臣は良子女王の事は楽観しおる模様なるも、田内三吉の話にては大奥にてはなお確定したるものとなりおらざる様なり。よりて自分は「田内は毎々大奥に行く機会あるゆえ、かく感じおるとて大臣に話しおいたらば参考になるべし」と言い、田内も「自分の考えを話しおくべし」と言いおりたり。

木村◆田内三吉が良子女王の事につき非常に懸念しおり、このままにては済み難かるべしと考えおる趣を聞きたる。田内は「大奥にてはこのままにて確定しおるものとはなりおらざる様なり。ゆえに邦彦王より御辞退なされ天皇よりそれには及ばずとの御沙汰でもある様にならざれば済み難しと思う」と言う。
倉富◆邦彦王より辞退せられ、天皇よりそれに及ばずとの御沙汰ある事ならば、邦彦王は喜んで辞退せらるべし。昨年この問題の起りたる頃にも久邇宮家の為に運動する人はこの意見を抱き勧めたる人もありたり。
しかれどもそれには及ばずとの御沙汰ある事を予期する事できる場合にあらざれば邦彦王も辞退せられざるゆえなかなか難事なり。
木村◆昨年もその話ありたるも、邦彦王にて承知せられざりしとの事なり。それは杉浦重剛が御止め申し上げたるため辞退せられざる事となりたりとの事なり。
倉富◆その頃は久邇宮は天皇の思召如何に関わらず辞退せらるる都合になりおりたるところ、杉浦が「元来この事は天皇より御沙汰ありたるものにつき、邦彦王より進んで辞退せらるべきものにあらず」とて止めたりとの事なり。その後に至りても邦彦王にては御上より辞退に及ばずとの御沙汰ある事が予期せらるるならばもちろん辞退せらるるべし。

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倉富日記 大正10年06月21日

倉富◆ある方面にては牧野は今年中に皇太子の御結婚を済ますつもりに致しおると言いおれり。
あまり急なる様なり。
小原◆今年中にはできざるべし。先頃自分より牧野に対し「御結婚はいつ頃に為すつもりなりや。前々大臣波多野は何となく来年春頃に為す様に思わるる語気を漏らしたる事あり。前大臣中村は初めより解約の詮議ありし時なりしゆえ一度も御結婚の時期につき話したる事なし。浜尾新は非常なる晩婚の主張者なり。
自分の考えにてはなるべく来年春頃には遂行せらるる方人心を安んずるため利益なるべく、もしそのつもりならば今より委員でも設けて準備に取り掛るにあらざれば間に合ざるべし。もし来年春に遂行する事できざるならば、婚期を定めて公にする必要あるべし」と言いたるに、牧野は「只今すぐに着手する運びに到らず」と言い、関屋は「一応浜尾の考えを聞き見るべし」と言い、その後浜尾に会いたるところ、「浜尾は全然反対の意見にて取り付く術もなく。言質を取らるる恐れあるゆえ浜尾の話のみを聞き来りたり」と言いおりたり。
また大森の考えを問いたるところ「到底来年春などに遂行せらるる事とは思われず」と言いたり。

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倉富日記 大正10年09月14日

小原◆久邇宮家は財政支えべからざる模様なるが、職員などは良子女王の御結婚をもって唯一の救済策と考え何事を置きても達成せしめんと考えおる様なり。
倉富◆邦彦王はなるべく良子女王と皇太子を接近せしめんとなされおる様なるが、貞明皇后の思召は如何あるべきや。一方が迫ればますます面白く思召されざるは普通なり。久邇宮家の事を処置するには先決問題として大奥の方を確かむる必要あるべし。
小原◆しかり。この事はなるべく急にする必要あるが、その運びに至らず。今日にても既に遅れおると思う。
倉富◆邦彦王も財政の乏しき事などは頓着するに及ばずとの意を明言せらるる由。牧野某より武田が5000円を借りて来原に渡し落着したる由なるが、この5000円も牧野某が負担するものにはあらざるべく、久邇宮家より支出せられたるか今後支出せらるるものならん。

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倉富日記 大正10年10月11日

金井四郎
金井◆先日良子女王の事につき反対運動が始まりおらざるやと言いたるは、中山孝麿の未亡人美千代が元侍医鈴木愛之助を訪い良子女王の近状を問いたるところ、鈴木は「女王の参内は延ばされたるままにて今日までも参内なきゆえ、山縣有朋などがさらに反対運動を為しおるにはあらざるべきや」と言いたりとの事なり。
倉富◆今日山縣さらに反対運動を為すとは思われず。

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倉富日記 大正10年11月24日

午前関屋貞三郎より「〔皇太子を大正天皇の摂政とする事について〕皇族会議を開かるる時臣下の中より天皇陛下の御平癒を祈り奉る旨陳述する必要あるべき趣平沼騏一郎より申し出たるにつき、内大臣松方正義がこれを述ぶべしとの事なり。よりて松方の演述すべき案文を作りくれよ」と言う。予、これを諾し、すぐにその案文を作りこれを関屋に交し、関屋より松方に交し、松方も異存なきゆえ、松方がその案文の通り演述する事の一項を加え、皇族会議の議事次第書を改作し、かつ松方の演述すべき案文を浄写して、これを松方に交さしむ。
午後09時頃酒巻芳男よりの電話にて「伏見宮博恭王・久邇宮邦彦王・朝香宮鳩彦王ら異議を唱え、『松方が意見を述ぶるならば、会議の初めに述ぶるならばともかく、会議の終らんとする時述ぶれば松方の意見にて事件が決定する様のきらいあり。この如き事にては松方を皇族に準じて待遇するものなりとの説も出てたる趣にて、その旨を宮内大臣に伝うべし』と言われたる」由にて、予、実に意外の事なる旨を告ぐ。

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倉富日記 大正10年11月25日

牧野は今朝松方正義を訪い、松方が意見を述ぶる事は皇族に反対あるにつき、これを止むる事を相談し、松方もこれを諾したる由なり。牧野は「皇族の心理は常識にては判断し難し」と言えり。

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倉富日記 大正11年02月10日

関屋貞三郎
木村は実際邦彦王に信用なく、栗田直八郎も同様信用なく、
殿下は良子女王の事につき非常に焦慮せられおる。
倉富◆栗田の事は意外なり。

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倉富日記 大正11年02月13日

松平慶民
邦彦王は栗田直八郎を信ぜられざる趣。
倉富◆初め宮内大臣が承知せざるに関わらず邦彦王より強いて栗田を宮務監督とせられたる関係より考うれば、今急に不信用となりたりとは考え難し。しかれば栗田に代りて宮務監督になる人が良子女王の事につき反対意見を有すれば初めより信用せられず。たとえ賛成意見を有しおりてもこれを遂行する技量なければ栗田と同様の事となるべし。いずれにしても非常に困難なる事なり。
良子女王の事に関しては西園寺公望は初めよりよほど強硬なる反対意見を有し、山縣有朋亡き今日にては西園寺が全責任を負う事となり、いっそう意見を変え難かるべし。遂行しても差支なき事実の証明せられざる以上は賛成し難しと言いおるとの事ならん。
松平◆西園寺の意見を変えしむるには他の医者をして新たなる意見書でも作らしむるよりほか方法なかるべし。
倉富◆それは出来がたかるべし。

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倉富日記 大正11年02月26日

邦彦王の台詞
木村は口ばかりにて技量に称わず、まったく無能なり。
栗田も耄碌して様に達せず。しかれども一時に二人を替えては良子女王の結婚問題に関する事ならんとの疑を招くべきにつき、この際は木村のみを替え、栗田は時機を見て替うる事にいたしたし。

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倉富日記 大正11年03月31日

倉富◆久邇宮家にては武田は免職せられたるも、今日にてもやはり宮家に出入りし、先頃朝融王御病気の時も栗田直八郎と同伴して佐世保に行きたりとの事なり。
関屋◆その通りなるべし。武田は多年久邇宮家に奉仕したる者なるゆえ情誼上しからざるを得ざるべし。
邦彦王は「栗田は先年は相当に用立ちたるも、この節は耄碌して用に立たず」と言われたり。
また「昨年の事は言語道断にて、宮内大臣よりは何事も言わずして、自分が九州より帰る時わざわざ木村英俊を国府津まで遣して婚約辞退の事を説かしめたり。辻に不都合なる事なり。もし宮内大臣が誠意を披歴して直接に懇談したるならば、自分の考えも如何になりおりたるやもわからず」と言われおりたり。
倉富◆宮内大臣より直接談を為さざりしは、御婚約の事は既に御内定には相成りおり、天皇皇后両陛下の思召については別に伺い定る事を得る場合にあらず。思召を伺わずして宮内大臣より邦彦王にその事を説く訳にはいかず。
関屋◆邦彦王の只今の唯一の希望は御結婚なるについ、何事においても宮内省の意に従い決して反対せらるる如き事なかるべし

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倉富日記 大正11年09月06日

国分三亥
良子女王の御洋行問題あり。邦彦王はともかく事が決定したる後に申し上ぐる事が御嫌いにて圧迫する様に考えらるる模様なるにつき、全く内談にて宮内省議に上りおりたる訳にはあらざるも、少数者の間に御洋行の内談ある旨を申し上げたるところ殿下は「それはよろしき事ならん。洋行する事に決すれば自分が連れ行く事にすべし。御結婚はしかとは定まらざるべきも当局者は大概いつ頃のつもりに致す考えなるや、これを問いくれよ」との御話ありたり。今日宮内大臣に良子女王御洋行の事を話したるところ、大臣は「自分はその事に賛成しおらず。君より邦彦王に申し上げたるは時機を誤りたり」との事なりし。

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倉富日記 大正11年09月17日

国分三亥
邦彦王は「宮内省の者はこれまで良子女王がたびたび貞明皇后に拝謁しおる事実を知らずして左様の事を言いおるにはあらざるべきや」と言われたるゆえ「宮内大臣・宮内次官はまさかこれを知らざる訳にはあらざるべく、重大問題起りたる以来拝謁も中絶の有様になりおるゆえこれを復活せんとの希望ならんと思う」と言いたるに、殿下は「宮内省にても大臣・次官とも更迭し以前の事実をしらずして左様の事を言いおるやも計られざるゆえ一応これを確かめみるげき」旨を申されたるにつき、今朝関屋を訪いその話を為したるところ、関屋は「もとより以前拝謁ありたる事実はこれを知りおれり。中絶以降の復活を希望しおる所なり」と言えり。

良子女王は邦彦王または俔子妃と共に貞明皇后に謁せられたる事もあり、一人にて謁せられたる事もありたるが、一人にて謁せられたる時は最も皇后陛下の御機嫌よろしく、三笠宮がそばにあらせらたるに対し、
「これはあなたの姉さんなり」と言われ、腕輪を取り出し、「これは昭憲皇太后より賜りたる物なるが、これを贈る」と言いて賜りたるほどなりし由。
倉富◆その時はもちろん問題の起らざりし時なるゆえ、事情が異なるべし。
国分◆今日にてもなお多少わだかまりがあるにはあらざるべきや。
倉富◆邦彦王の御態度についても幾分の御考えはあることなrんと思う。
国分◆直接に書面を差し上げられたる事などはよろしからざりしならん。

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倉富日記 大正11年10月07日

国分三亥
昨日俔子妃および良子女王、天皇皇后に拝謁せられ、皇后陛下は1時間も御話あり。
俔子妃は極めて無口にて平常何とも言われず、宮内大臣はわざわざ一昨日久邇宮家に来り妃殿下に注意せられたる模様なり。昨日は多少話されたることならんと思う。

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倉富日記 大正11年11月07日

小原駩吉
邦彦王にては何事も控え目になさるべき必要あるに関わらず、実際左様に行かざるは困りたるものなり。
倉富◆その事については宮内大臣も常に懸念しおるにつき、殿下にも注意しおるならん。
小原◆先日武田健三が来訪したるにつき「今後は何事も一切宮内大臣を信頼し、自身には手を出されざる様になされざるべからず。しかるに実際その通りになりおらざるは遺憾なり」との話を為したる。

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by oMUGIo | 2001-12-15 00:00 | 皇族

良子女王 その4

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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年03月19日

木村英俊
昨日栗田直八郎より自分に対し「大変なる事ができしたり」と言いすこぶる狼狽しおるゆえ「何事なりや」と言いたる所、昨日来原慶助が久邇宮家に来り武田健三を訪いたる所武田があらざるため分部に面会し、
声高にて武田が約に違いたる事を罵りたるにつきその事情を問いたる所、来原が先日鉄筆版の書類を配布したる事につき武田に対し3万余円の出金を求め武田は1万5000円を出金すべき事を約し、その約を履行せざるため来原はその不都合を詰りたるものなりとの事なり。
しかるに武田は一両日所在をくらまし昨夜帰宅したるゆえ栗田より辞職せしむる事を話し、今朝辞表を出さしむべきはずのところ今朝また家にあらずまだ辞表を出す運びとならず。

牧野伸顕
今朝栗田直八郎来り、来原が久邇宮家に来り武田を罵りたる事を話したりとの旨を告ぐ。
その趣旨は木村から予に話したる所と異なる事なし。
牧野、来原が武田に送りたる書状2通および分部に送りたる書状1通を予に交し、「これを見置きくれ。かつこの書状を警視総監または警保局長に示し、来原が重ねて久邇宮家に到り暴行を為す様の事なき様注意を促しおきくれたし。自分は来原が今日必ず何らかの事を為すならんと思う」

警視総監岡喜七郎
先刻酒巻芳男より聞きたる事は困りたる事なり。来原は実に始末につかぬ男なり。
よりてこれを鎮むるには3000円なり5000円なり武田をして出金せしむる事はできざるべきや。
内務大臣床次竹二郎にも話しみたるところ、これも幾ばくか金を渡して鎮むる他致し方なからんと言えり。
倉富◆それはよほど考えものなり。一度金を渡せば幾度も強請る事となるべし。ことに金を出せば、こちらに弱点ある事を示す様の訳なり。
岡◆久邇宮よりの出金と言うべからざるはもちろん、宮内省よりの出金という訳にもいかず。
武田一己よりの出金と言うの他なし。
倉富◆3000円はおろか1000円にても武田より出金すると思う者はなかるべく、金の出所は他にありと思うは当然なり。幾度も繰り返す様の事となるべきにつき予は良策とは思わず。
岡◆懸念の点は至極同感なり。しかれども他に工夫なし。

牧野伸顕
倉富◆岡より武田をして金を出さしむる必要あるべく、この事については内務大臣にも相談したるところ床次も他に工夫なしと言いたる趣なり。予の考えにては一たび金を出せば幾度もこれを要求して際限なかるべく、
かつこれを出せばこちらに弱点ある事を自認する様のきらいあり。来原らの目的は金を得るにあるにつき、
これを得ざれば如何なる乱暴を為すやも計り難く、岡らの考えも無理からぬ事なれども予は金は出さざる方よろしからんと思う。
牧野◆しかり。如何様なる事ありても金は出し難し。内務大臣らは当座の事を考うるものなるべけれど、久邇宮家に累を及ぼす様の事ありては大変なるゆえその事に同意しがたし。

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倉富日記 大正10年03月20日

宮内官僚大谷正男
牧野は栗田直八郎の話を聞き、来原が無名の書を配布したる事は武田一人が関係し、他には一人も関係したる者なしとの事を信ずる旨栗田に告げたる趣なるも、内心にては幾分の疑いあり。
しかれども牧野自らその事実を探索するは栗田を疑う様のきらいあるにつき、君より木村に対しそれとなく事実を問い見らるる事はできざるや。
また内務大臣・警視総監が武田に対し若干の金を与うる必要あるべしと言いたる事は、はやく邦彦王に言上しおく方よろしからんと思う。
この二事が牧野より君に相談せよと命ぜられたる事なり。

栗田直八郎
先日武田健三の事につき取り調べを命ぜられたる事もありたるところ、突然意外なる事できし自分の監督不行き届きにて恐縮に堪えず。
武田に対してはこの如き事できしたる以上はその責任を負い速やかに辞職すべき旨を申し付けその後はこれに面会もせず。委細の事は分らざるも、武田の親族友人らが心配し武田のために金策をなし、来原の意を緩和する事の計画を為しおるゆえ、今後重ねて来原が乱暴を為す様の事なからんと思う。
来原の事には武田の他決して他に関係したる者なし。
倉富◆昨日岡喜七郎より内務大臣と相談の上、武田の名義にて3000円または5000円ぐらいを来原に渡す様にしたしとの申し出ありたるに、宮内大臣の意にてこれに応ぜざる事となれり。
ぜんたい武田が1万5000円の約束を為したるは如何なるつもりなりしなるべきや。
来原の要求も過大にて、武田の約束も過多なり。また分部も幾分事情を知りおるにはあらざるべきや。
来原が分部に送りたる書状にSの符丁あり。事情を知らざる者には解しがたきことなり。
栗田◆来原が初め武田に対し10万円を求めたる趣なり。来原の書状には3万余円要求しおり、武田は1万5000円を約しおるにつき、左の如く言いたるなり。

木村英俊
倉富◆武田の件は武田の他関係したる者なしとの事にて予もこれを信じ、他に関係者なき事を願いおるも、
実は警視総監・内務大臣らの考えにては幾分か来原に金を遣わしてこれを緩和する方よろしからんとの事なりしも、宮内省にてはこれに反対する事に決したり。もし武田の他にも関係しおる者ある様の事ならば一概に出金を拒み事を荒立つる様になりては不都合につき、君が何か気づきたる事なきやを問う為に来宅を求めたる次第なり。
木村◆先頃栗田よりこれを見たりやとて来原の書面の事を話したり。
その時自分はまだこれを見ずと言いたり。その時来原の書類を4,5通1個の封筒に入れて栗田に送り来り。
封筒の裏には発送者の氏名を記しあるをみたり。自分は何人より送り来る物なるかを見んと思いたるも、
距離ありたるためこれを認める事を得ず。しかして栗田はにわかにこれを隠したるためついにこれを見ることを得ざりしなり。武田が免官せられたるゆえ、武田に同情する様に見せかけて内情を探りみんと思いおる所なり。
倉富◆分部に対する来原の書状にSと書きおれり。分部が全く事情を知らざる者ならば左の如き符丁が分かるはずなし。また武田が1万5000円という多額の約束を為すべきはずなく、武田がこの約束を為すにはこの金を出し得る見込ありたる事ならんと思わるるゆえ、予は多少疑いを抱きおる訳なり。
木村◆自分もその辺については同様の疑いあり。

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倉富日記 大正10年03月28日

木村の報告
武田◆この節の事は恐れ入りたり。
木村◆事実の真相を聞きたし。事実を知らざれば久邇宮家の利益また君の利益を図りてもかえって不利益の結果を生ずる事もあるも計り難し。
武田◆来原とは先年より懇意の間柄なるゆえ度々往来して打ち合せを為したり。
しかるに事の決定したる後に至り来原より金を請求するにつき、これを拒まんと思いたれども結局やむを得ず金を遣すことを約したり。
木村◆その後いかなる状況になりおるや。
武田◆円満に運びおる。この事についてはこれ以上問いくるるな。

木村◆ぜんたい如何様なる事になるや。
栗田◆牧野某〔宮内大臣牧野伸顕とは別人〕が心配しおるにつき、必ず都合良く決定するならん。
木村◆牧野某とは何人なりや。
栗田◆多年久邇宮家に出入し邦彦王も近づけらるる人にて、自分が牧野の長男の嫁に久邇宮付事務官角田敬三郎の娘を媒酌したる関係あり。牧野は自分にも懇意なる者なり。

木村◆来原が乱暴を為したるため久邇宮家の空気は必ず変化してよろしき方に向かう事ならんと思いおりたるところ、案外にも以前より悪しくなり。
倉富◆空気が悪しくなりたりとて、武田は既に去りたれば、誰がかような事を言うや。
木村◆武田の免官を遺憾としおる様なり。「木村が今少し取り成せば免官にならずとも済たる事なり。来原には金さえ遣せば何事もなかりしことなり」とて不平を言いおるなり。

倉富◆栗田の所に来原が配布したる書類5,6通を同封にて送りたる者あり。その発送人の氏名は栗田が封筒を隠したるため木村はこれを認むる事を得ざりし。今日木村より聞く所にては、武田が度々来原に面会して協議したる事実は武田もこれを認めたるもその他の人がこれに関係したる事を認むべき事実なし。
武田の話にては来原との関係は円満に解決する模様との事なり。栗田は牧野某が心配しおるにつき必ず無事に解決するならんと言いおれり。牧野と栗田との関係を問いたるに、年来の懇意にて邦彦王も牧野某を信ぜられおる模様なり。
木村はまた久邇宮家の空気は一変するならんと思いおりたるも、案外に悪化したりと言い、宮家より武部に対し年金でも給せらるべき模様もありと言えり。武田は元来宮内省の職員にて宮に付属したるに過ぎず。宮内省より恩給を受くる上に年金を給せらるる様の事ありては穏当ならずと思う。
仙石◆先日邦彦王に謁し、なるべく速やかに武田を郊外に出し京都にても住居せしめらるる方よろしかるべき旨を言上したるに両三日ぐらいは他に遣しがたしと言われ、武田に充分御同情ある様に思われたり。
牧野◆邦彦王には内務大臣がこの如き意見を抱きおり、事態容易ならざる事を言上しおく方よろしからんと思う。ついては来原の性行等は警視庁にては調査できおるべきにつきその調書を取り寄せおきくれたし。

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倉富日記 大正10月03月31日

倉富◆牧野某は栗田等と懇意にて、この節も牧野某が武田のために金を出しおる趣なり。
その額は確かならざれども5000円とか言う事なり。
牧野◆しからば栗田も武田の事に関しおるとの事なりや。
倉富◆しかるにはあらず。

仙石◆友人より「良子女王の事について初めは山縣の所為は言語道断と思いおりたるが、近日に至り事実を聞きその誠忠に感じおる」旨の話をなしたり。
この頃に至りだいぶ左様の話を聞く様になりたり。

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倉富日記 大正10年04月04日

倉富◆波多野敬直を内大臣に推薦する事は多少形跡ある様に思わる。
もしこれありとすれば、牧野が良子女王の結婚を遂行するにつきその援助を藉る為これを推薦するものならんと思わる。貞明皇后の思召が幾分にても成婚を好ませられざる様の事ありとすれば、宮内大臣は非常なる窮境に陥るべし。
南部◆もし左様な事情ありとすれば、良子女王はいわるゆ推し掛け嫁入となる訳にて苦心多かるべく、万一にも遺伝でもありたれば邦彦王は何となさるべきや。

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倉富日記 大正10年04月08日

岡◆先日話したる事は都合良く解決せり。武田健三と来原の関係なり。
倉富◆武田より来原に金を遣したるならん。
岡◆しかり。

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倉富日記 大正10年04月11日

仙石◆岡を訪い、武田より金を来原に渡し、来原も志士をもって自ら任じおる者につき、後日さらに恐喝する様の事はなからんと思いおるが、来原の下には壮士体の者もいるにつき確かに安心という見込ある訳にあらず。
倉富◆武田が渡したる金額は分からざるや。
仙石◆5000円なり。
倉富◆その金の出所は分からざるや。
仙石◆その事については自分の方より岡らに話しおいたり。牧野某という者が久邇宮家と懇意なりしため、
この金も牧野某が出しおる様なり。しかしその後いずこから牧野某に償いあるや否なは分からずと言い置いたり。

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倉富日記 大正10年04月12日

金井
この件に関し島津より多額の金を出したるは事実なる様なり。

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倉富日記 大正10年04月14日

小原◆先日自分は宮内大臣に「皇太子の御成婚はあまり延引すればまた妨害が起るやも計られざるゆえ相当の時期にこれを挙行せらるる方よろしかるべく、浜尾新は御成婚を急がざる意見にてこれを罷むる方よろしかるべし」と言いたるも、牧野は「浜尾は熟知の人なるが、なかなか執拗な人にて困る」と言いたるのみ。
関屋貞三郎が浜尾にその意見を問い来るべしと言うにつき、浜尾を訪いて話したるに、
浜尾は「御結婚は東宮御所の建築できたる上にあらざれば御挙行できがたし。高輪の仮殿を修繕して御結婚をなさる様の事はもちろんできがたし。また御結婚の遅くなるは生理上にもよろしき事なり」と言いたる由にて、まるで話にならずと言いおりたり。

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倉富日記 大正10年04月15日

仙石◆昨日久邇宮家に行き、武田健三の事も聞き来りたり。
只今は京都に赴きおるが、2,3日内には帰り来りやはり久邇宮の官舎にいる模様にて、急に邸外に移らしむる模様なし。自分は職員に「なるべく早く邸外に移らしむる必要あること、たとえ邦彦王の御意あるとも当分再び採用する様の事は不可なること等」を話したり。
倉富◆牧野某より出したる金を償いあるや否やは分からざるや。
仙石◆それはもちろん償いあるべし。あるいは初めより久邇宮より出だし、牧野某が出したりと言うは栗田直八郎らの策なるかとも思わるる。

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倉富日記 大正10年04月18日

村木雅美
先日師団長会議ありたるが、師団長の多数は良子女王の事はやはり薩長の関係なりとのみ思いおりたるが如し。何とか真相を明らかにする工夫はなきものなるべきや。
倉富◆その事は言いたき所なれどもこれを言う訳にもいかず。実に苦しき所なり。
御内約が解除せられざる事となりたる以上はこれを説明する事はできざるなり。
しかるに近日は山縣の心情を了解する人も出て来る様なり。
村木◆世間には公にできざるまでも、宮内省には事実を明らかにするだけの書類でも残し置く事はできざるや。
倉富◆その事は書類をもって明らかにする事となりおれり。前大臣中村が現大臣牧野に事務の引継を為す時、その始末を書して示しこれを保存する事となりおる様なり。

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倉富日記 大正10年05月19日

倉富◆武田健三は相変わらず久邇宮家に出入しおる趣なり。
仙石◆この事につき、邦彦王の考えは誠に浅はかなり。
倉富◆邦彦王よりこの件につき尽力したる者に紋付カフスを贈られたりとの事なるが、事実ならば面白からざる事なり。
仙石◆まさか左様の事はなかるべし。もし彼らの労を慰められたるものとすれば、かの時の運動も邦彦王の指図にて出てたる事となるゆえ不都合なり。
倉富◆前後の事情より察すれば必無とも思われざる様なり。
仙石◆誰に贈られたりとの事なりや。
倉富◆城南荘の連中なりとの事なり。
仙石◆昨年天皇皇后葉山避寒中、良子女王をして貞明皇后の御機嫌を伺わしめられんとしたる事あり。
皇后宮大夫を経て御都合を伺いたる所、御都合により今しばらく見合せられたしとの答なり。その後さらに自分より伺いたる所なお同様の答なり。その後さらに大夫に「如何なる御都合なるべきや」を問いたるところ、
大夫は「時期のよろしき時御報せすべし。それまでは御待ちなされたし」とのことなりしなり。
倉富◆皇后には先頃物議を醸したる原因の他になお他にも御考えあるにはあらざるやと思う事あり。
仙石◆しかり。何か聞きたることあるべし。
倉富◆予が中村雄次郎に対し「皇后の思召は如何」と問いたる時、中村は「何も伺いたる事なし」と言い、
予より「しからば君の推測は如何」と言いたるに、「格別御好みにあらせられざる様に拝察す。『気難しき舅にては困るならん』と言う様なる御口気なりし」事を漏らしたる事あり。
仙石◆自分も同様の事を聞きたる事あり。

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倉富日記 大正10年05月26日

仙石◆良子女王の事は今後円満に進行するや否や懸念なきあたわず。
東伏見宮付事務官より田内三吉に話したりとかいう趣意は、「邦彦王より辞退せられ、天皇より辞退に及ばずとの思召でも出ずる様にならざれば、この事の結末着き難し」と言いたる由なり。
しかし自分はこの事は容易にできる事にあらず。邦彦王より辞退なされ事態に及ばずとの思召が確かなれば邦彦王の御体面は立派なる事になれども、その思召が確かならざる時に辞退せられ御聴許にでもなる様の事あれば意外の事となるべし。
倉富◆近頃に至り新聞に中村雄次郎の辞職の事情・山縣有朋の心事等をそろそろ掲載する事になりおる様なり。
仙石◆宮内大臣はこの事につき大奥の事情困難なる事は承知しおるべきや。
倉富◆予の見る所にては案外楽観しおる様なり。

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倉富日記 大正10年05月31日

金井四郎

フランスの稔彦王より書状にて「良子女王の事は元老も宮内当局もこれを止むる事に決心しおりながら、民衆運動のため議を変更したる事情わからざる」旨申し越れたり。


稔彦王より金井に送られたる書状を一覧せり。
「良子女王の事については、これまで皇室の事につき民衆運動を為したる事例なかりしに、この節の事はその運動のため前議を翻するに到りたるは如何なる事情なるや解し難く、邦彦王は良子女王の御内定ありたる以来急に御態度が変りその考えも以前と異なり、自分らに対しても親密ならざる様に考えられる。
御内定変更の事は朝香宮鳩彦王の他すべて変更に同意なりし由。邦彦王が邦彦王ならびに良子女王を犠牲として辞退せられたらば皇室はいよいよ安泰にしてこの事に対する民衆運動も起らずして済たるべく、邦彦王が伏見宮貞愛親王の意見に聴従せられざりしは実に遺憾千万なり」

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by oMUGIo | 2001-12-14 00:00 | 皇族

良子女王 その3

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倉富日記 大正10年02月21日

牧野伸顕

牧野◆この節の事は困りたる事になりたり。しかし婚約を変更するを可とするも不可とするも各理由あり。
現今の如き時勢にあらざれば容易く解決できる事なるも、何事に関わらず多衆にて騒ぎ立つるにつき困る。
倉富◆しかり。この節の事も秘密にさえなりおりたらば、いずれになりても容易く解決できたるべきも、世間に広まりたるため困難になりたる。
牧野◆この節の事は意見の相違なるゆえさほど頓着する必要なかるべし。
倉富◆もとより意見の相違なり。しかし予が辞表を出したるは、予はこの事につき初めより解約を可とするの意見なりしなり。しかるに解約せられざる事に決したる以上は予の意見は将来の皇太子妃たる方に対し不敬となり、ひいては皇太子にも不敬となるよう考えるにつき、このまま宮内省に奉職するは適当ならずと思う訳なり。
牧野◆この節の事は公表すべき事にあらずと思う。
倉富◆もとより公表すべき事にあらずと思う。前宮内大臣も辞職の理由は公表しがたき訳なるべし。

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倉富日記 大正10年02月24日

小原
山縣・松方・西園寺とも東宮太夫浜尾新男爵の不適任なることを知り、山縣の如きは小人事を誤るとまで言い、松方も浜尾ぐらい不適任なるものなしと言いながら、これを罷むる事できざるは如何なる訳なるべきや。
解し難し。
倉富◆予もこの事は理由を知るに苦しみおる所なり。重大なる事なれば躊躇する事もあるべきも、
一大夫の罷免ぐらいの事なるに三人にてこれを断行することあたわざるは実に不思議なり。
小原◆西園寺八郎は父西園寺公望に対し、浜尾新を罷むる事を迫り、これを実行せざれば何事を為しても効能なく、皇太子御洋行ありても、還啓後以前浜尾が大夫たる様にては何の効もなし。この事を実行せざる様ならば自分は辞職する他なしと言いたるところ、公望はこの事は平田東助が引き受けおるゆえ平田が処置するならんと言いたる趣なり。

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倉富日記 大正10年02月25日

木村英俊
昨年来良子女王の事につき他の宮付職員と意見を異にしたるためずいぶん困る事多く、
仙石政敬よりも「他に転任する事の周旋もできざる事はなかるべし」との話もありたれども、
自分はその時は御婚約は必ず解除せらるるものと信じおり、御婚約が解除せらるれば邦彦王はじめ良子女王方の御境遇は察せられるにつき仙石に対し「御婚約が変更なき事ならばすぐに転任する事を望むも、
御解約になる事ならばその後の始末は自分の責任と思うにつき今しばらくは如何に苦しきもこのままに勤務すべし」と言いおきたり。しかるに事は意外の結果となりたるにつき、何とか他に転ずる事の配慮を請う。

木村、久邇宮家宮務監督栗田直八郎はじめ属官等の考えの誤りおる事をはなし、その例として「皇太子にカフスボタンを献上する事になりおる」と言うにつき、「邦彦王よりの献上なりや」を問いたるところ、「良子女王よりの献上」と言うにつき、「それは不可なり。献上せらるるならば邦彦王よりの献上ならば可なるべきも、良子女王よりの献上にては断じてよろしからず」とてその理由を説明し属官らはこれを了解したる模様なりしなり。
栗田を訪いこの事を談したるところ意外にも栗田は「良子女王よりの献上にてよろし」と言うにつき大いに議論し「自分は如何なる事ありても同意しがたし。宮務監督が職権にて取計を為すならば致し方なし」と言うて別れたり。新聞に良子女王が03月01日に葉山に伺候せられ皇太子に奉別し貴重品を贈られる旨を記載しおりたるも、栗田より漏らしたるものならんと思わる。
以前は新聞記者には自分の他は面会せざる事に定めおりたるも、近来は誰でも勝手に面会するようになりたり。先日の新聞に良子女王の作文を掲載したるも、後閑菊野の為したる事と思いたり。今日この如き事を為すはよろしからずと思えども致し方なし。

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倉富日記 大正10年02月28日

小原
小原◆先日西園寺八郎が山縣有朋を訪いたる時、山縣の口気にてはこの節の事は薩州の者が長州の勢力を殺く為に計画したるものの様に感じおる様に思われたり。
よりて八郎は「この節は父西園寺公望は薩州にも薩州にも偏せず中立の態度を持ち、他日薩長の争い起りたる時その調停を為す方よろしからんと思うと言いおりたり」と言う。
倉富◆予もこの節の事は山本権兵衛伯爵・大迫尚敏子爵らがだいぶ運動したる様に聞きおれり。
小原◆八郎の話にては松方正義は平生の優柔に似ずこの節宮内大臣に牧野伸顕を推薦したる時は極めて判然として、松方が八郎に嘱し公望に牧野を推薦する事を通知せしめたる時も極めて確乎として、相談にあらず通報の形式を取りたる趣にて八郎も不思議に思いたりと言いおりたり。
倉富◆松方も山縣・西園寺と同様婚約解除の意見なりしも、その程度は初めよりもよほど違いおりたる様なり。
小原◆邦彦王は何とかせられざれば、このままにては済まざるべし。
倉富◆中村雄次郎が引き継ぎをしたる時の演述書にも、婚約の事については貞明皇后は懸念しおりたるとの御詞ありたる様に記載しおれり。もし貞明皇后の思召が解約にある様な事ならば宮内大臣はたちまち行き詰まるべし。
小原◆新大臣が就任するについては、もちろん御婚約はこれを遂行するつもりにて就職したるものならん。
倉富◆それはその通りならん。しかれども政治問題と異なり御気に合わざる事ならば何とも致し方なし。根本が未決にては何事も手を着けがたかるべし。

良子女王が葉山にて皇太子に会見せられカフスボタンを贈らるる計画なる趣を話したるに、
小原も非常に驚きたり。

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倉富日記 大正10年03月04日

石原健三
宮内大臣その他に配りたる印刷物のうち最後の物最も激烈にて、
山縣が大正天皇の聡明を蔽い天皇は言語不能の事なきもこれを不能と言いなしおるとか言う如き趣意に書き、また貞明皇后には山縣の姪に当る女官を付けて皇后の聡明を蔽いおり、大臣大将某が皇后に言上する事あらんとしたる時これを遮りて言上する事を得ざしめたりと言う如き事を書き居れり。
山縣の事は逆賊という如き文字を用いおりたり。大臣大将某と言うは誰を指すや解し難し。
只今大臣大将なるは加藤友三郎なるが加藤にはあらず。あるいは八代六郎男爵を指したるものならんか。
八代は前に海軍大臣たりし事あり。八代は非常に熱する人にて、皇太子の御洋行に非常なる反対にて、
一時は自己の財産を売り払い極端なる運動を為すとの聞あり。
倉富◆良子女王に付きおる後閑菊野という女はしきりに女王の事を話す模様にて新聞に書きおるが困りたる人なり。
石原◆後閑のみならず、すべて困り者ばかりなり。

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倉富日記 大正10年03月05日

牧野伸顕
牧野◆良子女王に色盲の遺伝ある事は如何にしても発表しがたき事なるが、そのため内務大臣床次竹二郎は非常なる窮境に陥り弾劾もせらるる事となりおれり。
しかれどもこれを公表すれば良子女王の身体の欠点を現す事となるゆえ、これを公表する訳にはいかざるべし。
倉富◆この事は絶対に公表しがたし。世間にては既にこれを知りおる者も少なからざるべきも、官府よりこれを公表すれば、これを証明する事となるゆえ、如何に苦しきもこれを発表する事を得ず。
牧野◆一般にはこれを公表する事を得ざるも、地方官にだけは通知するも差支えなかるべきや。
すでに外交官には大略ながらこれを通知しおれり。
倉富◆地方官に通知する事は妨なき事なるが、地方官は通知を受けてもその内容を話す訳にはいかずとすれば、やはり同様にはあらざるや。
牧野◆地方官中にも事実を知らざる者あり。またこれを聞きても疑いおる者もあらん。ゆえに内務大臣よりこれを通知すれば、地方官だけは安心して他に対する事を得べし。
倉富◆この事につき予が最も懸念するは先日内務省および宮内省より発表したるは良子女王の事につき種々の風説ある趣なるも何ら御変更なしとの事に過ぎず。
元来良子女王は皇太子妃に御内定ありたりというだけにて、いまだ御婚約というほどに成りおらず。
先日来の事は大正天皇に奏上しおらずはもちろん貞明皇后にも言上しおらずとの事なり。
しかれば今日は御内定というだけに止まり御確定という訳にあらず。この根元が定まらざれば地方官に通知するにもよほど困難なるべし。
牧野◆理論はその通りなり。しかれども事情より言えば、このまま御遂行あるより他致し方なかるべし。
倉富◆貞明皇后にも言上しおらずとすれば、中間に起りたる紛紜が無くなるだけにて、初め御内定になりたる時と同様の状況にあるものと見るの他なかるべし。
牧野◆その通りなり。しかし貞明皇后は多少御承知あらせらるるに相違なし。
今後さらに変更を思い立てば先頃より以上の物議を醸すはもちろんなるにつき、事情より言えば他に考うる事なかるべし。

小原◆波多野敬直が内大臣となる様の話は聞かざるや。
倉富◆何も聞きたる事なし。
小原◆もし波多野が内大臣となれば、天皇皇后の御親任厚きにつき、宮内大臣は何事もできざるべし。
倉富◆今日は内大臣は宮内大臣が推薦するより他なかるべし。牧野が波多野を推薦するとは思われず。
良子女王御婚約を遂行する事は牧野の一大難事なり。万一貞明皇后に御異議あらば、牧野は進退ともにできざる事となるべし。この場合皇后に説く為には波多野が一番便利なるゆえ、牧野が波多野を奨めるとすれがこの理由より他に考え様なし。

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倉富日記 大正10年03月11日

牧野◆御婚約問題についてはいずれも皇室の御為を思いたるより出でたる事にて、ただその意見が異なりたるに過ぎず。ゆえに自分はこの事について責任を負うて辞任すると言う人ありてもこれを承知せざるつもりなり。今後摂政問題その他種々なる重大問題あり。これまで出合いたる事なきほどの大切なる時節が来るならんと思うに、こう人物が乏しくしては如何にも心細き事なるゆえ、ぜひ留任を希望する次第なり。
久邇宮付事務官木村英俊が婚約の事につき強硬なる意見を吐きたるため久邇宮家に勤続しがたしとの事なるが、これもそのままに奥ことはできざるや。
倉富◆昨年11月伏見宮貞愛親王より木村を召され、良子女王御眼に関する医案を示し、これを熟覧せよとの御申し聞きあり。木村がこれを見たる後殿下より「このことにつき近日中に予が邦彦王に面談するゆえ、その旨を伝えおくべき」旨を命ぜられたる趣なり。その頃は邦彦王は九州御旅行中につき木村は他に聞く人なき汽車中にて言上する方しかるべしと考え、国府津まで出迎え汽車中にて貞愛親王の言を言上し、「もはやかくなる上は速やかに御辞退なさる方よろしかるべき」旨を言上したりとの事なり。
しかるにその後宮務監督栗田直八郎と属官武部・分部との間に挟まれ、邦彦王よりも格別御用も命ぜられず、よほど困りおる趣につき木村は到底このまま勤続せしむる事はできがたきものと考える。

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倉富日記 大正10年03月12日

倉富◆昨日牧野より留任を勧められ留任する旨を答えたり。牧野の話にては、この問題については何人も辞職を諾せざるつもりなり。この方針は予らの如き下僚の為に定めたるものにあらず。
山縣・松方をして留任せしむる為に定めたるならんと思う。
小原◆多分その通りならん。

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by oMUGIo | 2001-12-13 00:00 | 皇族


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