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カテゴリ:皇族( 73 )

山階侯爵家 山階宮系

◆山階芳麿●子供ナシ
1900-1989 明治33-平成01 89歳没
もと山階宮菊麿王の子 芳麿王 臣籍降下して山階侯爵家を創設
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■妻 酒井忠道伯爵の娘 寿賀子
1904-1966 明治37-昭和41 62歳没
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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正09年07月08日 

枢密院官僚二上兵治&宮内官僚南部光臣の会話

※当時の総理大臣の年給は1万2000円

二上◆枢密顧問官中には芳麿王降下後の待遇を懸念しおる人あり。如何なる内儀なりや。
南部◆宮内省にて下調べをなしおる所にては、爵位は侯爵とし、
一家創立費35万円、世襲財産100万円を下賜せらるる様のことなるべき。
二上◆如何なる計算にて100万円と定むるや。
先年小松輝久侯爵に賜りたる金額は非常に少なかりし趣なるがいかが。
南部◆小松侯爵に賜りたる金額は13万円ぐらいにて少なかりしも、
小松家の資産は少なかりしにあらず。故小松宮彰仁親王の遺産を相続したるため、
これにより生ずる収入年に4万6000円ぐらいあり。
これに13万円より生ずる収入を加え侯爵の対面を保つを得べき実況なるゆえ、
この節も100万円より年5万円の収益ありたらば一家の維持できるならんとの見込みなり


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倉富日記 大正10年04月07日

宮内大臣牧野伸顕伯爵の台詞

芳麿王降下の時、資金100万円・建築費30万円を賜りたりとの事なるが、
その理由を問えば年に5万円の生計費は必要ならんとの見込より出でたりとの事なり。
10人降下せらるれば1300万円を出さざるべからず。とうてい支出できる事にあらず。
皇族に皇室資産の詳細を開陳しその実情を承知せられたるうえ、
無理なる希望を起さずして皇室の維持を図られる様にいたすほかなからんと思う。


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倉富日記 大正11年07月20日

倉富&有馬頼寧伯爵の会話

頼寧◆山階宮家宮務監督市来政方より自分の長女静子を山階芳麿侯爵に嫁せしむるよう
女子学習院の某に相談し、某より自分に相談したり。
静子は軍人は好まずと言いおるも勧め方によりては承諾せざる事もなかるべく思わるるも、
自分らの懸念は山階侯爵の体質なり。君は承知せざるや。
倉富◆詳知はせず。ただ身長は非常に高く肉は少なき方なり
頼寧◆その通りなり。身長は5尺7寸とかにて体重は13貫何百目という事なり。
単に本人が強壮ならずという事だけならばさほど懸念せざるも、
父親は肺患なりしとの事なるゆえ懸念しおれり。
倉富◆邦久王よりもよろしからんと思えども、
健康の程度がわからざるゆえ充分の調査を必要とすべし。


*結局この縁談は成立しなかった。

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◆山階芳正
1927- 昭和02-
先代芳麿の甥/浅野長武侯爵&山階宮安子女王夫妻の子


■妻 天笠嘉衛の娘 芳枝
1935- 昭和10-


●茂正
●展正
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by oMUGIo | 2001-11-05 00:00 | 皇族

伏見伯爵家 伏見宮系 

◆伏見博英
1912-1943 大正01-昭和18 31歳没 戦死
もと伏見宮博恭王の子 博英王 臣籍降下して伏見伯爵家を創設
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■前妻 柳沢保承伯爵の娘 豊子 死別
1916-1939 大正05-昭和14 23歳没
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■後妻 黒田長和男爵の娘 定子


●前妻の子 博孝 次代当主 
●前妻の子 元子 堂本泰三夫人
●前妻の子 和子 京都得浄明院住職誓寬
●後妻の子 佳子 婿養子を迎え次々代当主とする


●和子 京都得浄明院誓寬
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◆伏見博孝●子供ナシ
1932-1991 昭和07-平成03 59歳没
もと華頂博信侯爵の子





◆伏見和夫
1941-
もと猪野和夫 婿養子になる


■妻 先々代博英の娘 佳子
1943-


●仁志
●文孝
●裕子
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by oMUGIo | 2001-11-04 00:00 | 皇族

清棲伯爵家 伏見宮系 

◆清棲家教
1862-1923 文久02-大正12 61歳没
もと伏見宮邦家親王の子

*臣籍降下して仏光寺の養子になり渋谷家教となる。
後に還俗していったん皇籍復帰したのち再度臣籍降下して清棲家教伯爵家を創設した。


■妻 倉橋泰顕子爵の娘 満子
1861-1917 文久01-大正06 56歳没


●庶子 隆教 仏光寺渋谷隆教男爵となる
●庶子 文子


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正12年07月04日

宮内官僚関屋貞三郎の台詞

清棲家教は私生の娘文子を養女名義にて入籍し、
これに娶あわすつもりにて真田幸民伯爵の子幸保を養子と為しおるとの事なり。

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◆清棲幸保
1901-1975 明治34-昭和50 74歳没
もと真田幸民伯爵の子


■前妻 伏見宮博恭王の娘 敦子女王 死別
1907-1936 明治40-昭和11 29歳没
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■後妻 不明


●前妻の子 貞子 小笠原光泰夫人
●前妻の子 家隆 次代当主
●前妻の子 慶子 成瀬照正夫人
●前妻の子 家治
●後妻の子 保弘
●後妻の子 幸子 大塚喜一郎夫人
●後妻の子 保之
●後妻の子 保良


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幸保は前妻の死後、キャバレーのダンサーと交際。
戦後、後妻として家に入れた頃から長男が家に寄り付かなくなり、
無銭飲食や詐欺などを働いたため20歳の時に逮捕されるという事件を起こした。
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◆清棲家隆
1929- 昭和04-


■妻 阪田淑子
1940- 昭和15-


●家康
●家寿
●香代子
●佐智子
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by oMUGIo | 2001-11-03 00:00 | 皇族

上野伯爵家 北白川宮系 

◆上野正雄
1890-1965 明治23-昭和40 75歳没
もと北白川能久親王の子 

*生母前波栄 能久親王死亡後に認知され上野伯爵家を創設
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■前妻 伊達宗基伯爵の娘 恵以子 死別
1894-1945 明治27-昭和20 51歳没
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■後妻 慶光院利敬の娘 敏子
1904- 明治37-


●順子
●正泰 次代当主
●龍雄
●忠雄
●悦子
●久雄





◆上野正泰●子供ナシ
1918-
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■妻 小笠原恒子爵の娘 幸子
1925-




◆上野秀治
1949-
もと松平圀秀子爵の子


■妻 李鍵公の娘 桃山久美
1957-


●彩子
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by oMUGIo | 2001-11-02 00:00 | 皇族

二荒伯爵家 北白川宮系 

◆二荒芳之●妻子ナシ
1889-1909
もと北白川宮能久親王の子 

*生母申橋カネ 能久親王死亡後に認知され二荒伯爵家を創設





◆二荒芳徳
1886-1967 明治19-昭和42 81歳没
もと伊達宗徳侯爵の子
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■妻 北白川能久親王の娘 拡子女王
1895-1990 明治28-平成02 95歳没
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●富士子 荒尾博正夫人
●明子  歴史学者井上光貞夫人
●治子  石坂一義夫人
●芳忠 ハワイアン評論家 ハワイアン歌手エセル中田/嶋岡緋佐子と結婚
●芳彦
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by oMUGIo | 2001-11-01 00:00 | 皇族

華頂宮家

東京本邸 港区三田

鎌倉別邸

※鎌倉市にある通称旧華頂宮邸は、正確には華頂博信侯爵邸である
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◆華頂宮博経親王
1851-1876 嘉永04-明治09 26歳没
もと伏見宮邦家親王の子 華頂宮を創設

*アメリカ留学中に病死

アメリカにて
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■妻 南部利剛伯爵の娘 郁子
1853-1908 嘉永06-明治41 55歳没
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●博厚親王 次代当主 





◆華頂宮博厚親王
1875-1883 明治08-明治16 8歳没





◆華頂宮博恭王=伏見宮博恭王
伏見宮貞愛親王の子博恭王が華頂宮を継承するが、
実家に復帰して華頂宮から離れ伏見宮博恭王となる





◆華頂宮博忠王
1902-1924 明治35-大正13 22歳没
先代博恭の弟

*未婚であったため華頂宮家は廃絶
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by oMUGIo | 2001-05-02 00:00 | 皇族

有栖川宮家

東京本邸 移転前 麹町区霞ヶ関 (現:千代田区霞が関) 設計ジョサイア・コンドル
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東京本邸 移転後 麹町区三年町 (現:千代田区永田町)

福島別邸
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舞子別邸
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葉山別邸


◆有栖川宮幟仁親王
1812-1886 文化09-明治01 74歳没
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■妻 公家二条斉信の娘 広子
1819-1875 文政02-明治08年 55歳没


●庶子 熾仁王  次代当主
●庶子 幟子女王 水戸徳川慶篤の前妻・本人死別
●庶子 宜子女王 井伊直憲伯爵夫人
●庶子 利子女王 伏見宮貞愛親王妃
●庶子 威仁王  次々代当主





◆有栖川宮熾仁親王●子供ナシ
1835-1895 天保06-明治02 60歳没

*皇女和宮と婚約していたが、和宮は公武合体政策のために将軍徳川家茂に嫁がされる。
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■前妻 水戸藩主徳川斉昭の娘 貞子 死別
1850-1872 嘉永03-明治05 22歳没
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■後妻 越後新発田藩主溝口直溥の娘 董子
1855-1923 安政01-大正12 68歳没
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◆有栖川宮威仁親王
1862-1913 文久02-大正02 52歳没
先代熾仁親王の弟

*嫡男が早逝したため有栖川宮は断絶
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■妻 金沢藩主前田慶寧の娘 慰子
1864-1923 文久04-大正12 59歳没


*何かと口をはさみたがる、やかまし屋の宮妃の一人であった。

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明治天皇紀 明治22年02月14日

有栖川宮威仁親王その宿願を聴され再び欧州差遣の命を蒙るや、
妃慰子かねてより視察の希望あるをもって同行せんことを欲す。
天皇すぐにこれを斥け「婦女の洋行はいたずらに西欧の物質文化に眩惑せられ、
娯楽または奢侈の悪風を助長するに過ぎず」と為して敢えて聴したまうの意なし。
先年小松宮彰仁親王、妃を伴いて欧州に抵しが、
いたずらに宝石・衣類等を購いしが如き結果にかんがみたまうなり。
父有栖川熾仁親王さらにこれを請えどもついに肯じたまわず。
よりて親王、自費をもって同行せしめんことを請うに及び、
天皇はじめて「そは勝手たるべし」との仰せあり。
これにおいておいて威仁親王の願意ようやく達し、
この年01月10日慰子の徴行して侯爵前田利嗣夫婦と共に洋行するを許したまう。
利嗣は慰子の兄なるをもって、慰子これと同行しその費は利嗣をして支弁せしむることとせるなり


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<威仁親王の不倫問題>

枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正11年08月16日

宮内官僚小原駩吉の台詞

先年東伏見宮依仁親王が婦人を愛せられ
周子妃が大いに困り処置方を自分に相談せられたる時、
「有栖川宮慰子妃の如く実子ありかつ性質も剛き方ですら、
その問題につき云々せられたる結果は面白からず。
ことに周子妃殿下には実子なく性質も弱き方につき、
この際は何事も言わず全く無頓着になされおる方がよろしからん」
と言いたる事ありたるが、幸いに間もなく婦人の関係は止みたり。


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●栽仁王    早逝
●実枝子女王 徳川慶久公爵夫人→子は高松宮喜久子妃


●栽仁王
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●実枝子女王
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明治天皇紀 明治39年01月09日

昌子内親王をもって恒久王に、允子内親王をもって栽仁王に配せんとし、
内旨を侍従長侯爵徳大寺実則に伝えたまう。
これより先有栖川宮威仁親王、内親王中一人を得てその嗣栽仁王の妃と為さんと欲し、
侯爵伊藤博文を介して内請する所あり。
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by oMUGIo | 2001-05-01 00:00 | 皇族

小松宮家 その2

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頼子妃の甥 有馬頼寧伯爵

その頃宮家というものは生活は豊かではありませんでした。
例えばその頃の宮家の妃となる方は、多く金のある大名から迎えられていました。
それは生活が豊かでなかったからで、
私の家でも小松宮へ妃殿下を差し上げたため相当多くの費用を使った事は事実で、
妃殿下のお里で面倒を見なければ宮殿下の御洋行の費用など出所がなかったのです。


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宮内官僚 長崎省吾

聖上の御厳格に反し皇族方はとかく御品行よろしからず、恐れ入るなり。
なかんずく小松宮彰仁親王はわけてのことなり
過日も高崎正風小松宮別当来り言うは、とても御補佐はできず閉口なりと。


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宮内大臣 土方久元伯爵

小松宮彰仁親王は一体嫉妬深く、その頃より今日に至るまで大不平にて、
伏見家のことは何にてもとかく御妨げあり、少しも円満ならず。

〔彰仁親王は〕伊勢神宮の祭主を御懇望あらせられ候らえども、
なにぶん御不行跡の御事なれば、(明治天皇は)祭主はしかるべからざるとの事より、
賀陽宮邦憲王に仰せつけられ候。


「その頃より今日に至るまで大不平にて」というのは、
父伏見宮邦家親王が隠居した時、自分ではなく弟の貞愛親王が当主となったことである。
邦家親王は子沢山で、男女合わせて50人以上の子供がいた。
しかし彰仁親王は側室の生んだ庶子で、
弟の貞愛親王は正妻が生んだ嫡子であるから仕方のないことなのである。
事実彰仁親王より年上の庶子の兄たちも伏見宮の当主となれず別宮を創設している。
しかし当たり前のことを辛抱できないのが彰仁親王なので、
伏見宮家はその後も何かと彰仁親王に絡まれることになる。

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明治天皇紀 明治22年02月14日

有栖川宮威仁親王その宿願を聴され再び欧州差遣の命を蒙るや、
妃慰子かねてより視察の希望あるをもって同行せんことを欲す。
天皇すぐにこれを斥け「婦女の洋行はいたずらに西欧の物質文化に眩惑せられ、
娯楽または奢侈の悪風を助長するに過ぎず」と為して敢えて聴したまうの意なし。
先年小松宮彰仁親王、妃を伴いて欧州に抵しが、
いたずらに宝石・衣類等を購いしが如き結果にかんがみたまうなり。
父有栖川熾仁親王さらにこれを請えどもついに肯じたまわず。
よりて親王、自費をもって同行せしめんことを請うに及び、
天皇はじめて「そは勝手たるべし」との仰せあり。
これにおいておいて威仁親王の願意ようやく達し、
この年01月10日慰子の徴行して侯爵前田利嗣夫婦と共に洋行するを許したまう。
利嗣は慰子の兄なるをもって、慰子これと同行しその費は利嗣をして支弁せしむることとせるなり。


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明治天皇紀 明治36年01月31日

小松宮彰仁親王の請を充し依仁親王をして彰仁親王の継嗣たる事を止め、
別に一戸を立てて東伏見宮と称せしめたまう。
彰仁親王男子なきをもって故北白川能久親王の第四子輝久王を養うこと子の如くす。
依仁親王は既に継嗣と為れりといえども彰仁親王はこれに遺産を伝うるの意なく
ついに自ら臣籍に下り別に養子を納れてその跡を継がしめんと欲し、
去年04月まさにイギリスに航せんとするに臨み宮内大臣田中光顕子爵に告げ詮議するに、
「もし輝久王をして遺産を継がしめ、これを臣籍に列して侯爵を授け、
小松氏を称するを得しめば、自ら臣籍に下るの一事を断念すべく、
依仁親王には別に家号を賜りて一戸を立てしめんと欲する」の旨をもってす。
こと宸聴に達す。天皇、その情を憐みてこれを充し、ついにこの恩命を下したまえるなり。


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明治天皇紀 明治40年02月26日

北白川宮能久王の寡妃富子および小松宮彰仁親王の寡妃頼子相議し、
能久親王の子輝久王をもって彰仁親王の遺跡を継がしめんがため、
皇族の身位を改むることなくその嗣子と為さんと欲し上書してこれを請う。
天皇、侍従長侯爵徳大寺実則をして伊藤博文の意見を徴せしめたまう。
伊藤以為らく「皇族の養子を許さざるは皇室典範に明文あり。
ゆえに皇族の身位を改めずしてその嗣子と為すことは則ち不可なり。
ただし勅旨または情願をもってこれを臣籍に降し、授くるに公侯爵中の一をもってし、
なお適当の資産を下賜し、もってその嗣と為さば則ち可ならん」と。
天皇、伊藤の意見に基づき翌日徳大寺をして命を宮内大臣子爵田中光顕に伝え、
富子・頼子二妃の情願を斥け、輝久王を臣籍に降ろして公侯爵中の一を授け、
小松の家号を賜い、彰仁親王の遺跡を継がしむべき旨懇諭せしめたまう。


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彰仁親王は子供が無かったため異腹の弟依仁親王を養子に迎えていた。
当然小松宮家は依仁親王によって継がれるはずであったが、
突然彰仁親王は自分の臣籍降下と北白川宮輝久王を養子にすることを主張する。
輝久王は彰仁親王と同腹の弟北白川能久親王が側室に生ませた子である。

当然宮内大臣はこれをしりぞける。
すると今度は輝久王だけでも臣籍降下させて侯爵にして自分の遺産を相続させてくれたら、
自分の臣籍降下はあきらめると主張する。
根負けした政府はこれを認め、依仁親王には東伏見宮を創設した。

ところが東伏見宮が創設された直後に彰仁親王が死亡、小松宮家の当主の座が空白となった。
そこで今度は彰仁親王の妻頼子妃と北白川宮能久親王の妻富子妃の二人が、
輝久王を臣籍降下させず皇族のまま小松宮家を相続させたいと主張した。
明治天皇はこれを一蹴、当初の予定通り輝久王は臣籍降下して小松輝久侯爵となった。

彰仁親王がそこまで依仁親王に相続させることを嫌がった理由ははっきりしていないが、
彰仁親王と依仁親王は別々の側室の子、彰仁親王と能久親王は同じ側室の子、
異腹の弟ではなく同腹の弟の子に遺産を遺したかったのかもしれない。

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by oMUGIo | 2001-04-12 00:00 | 皇族

小松宮家 その1

東京本邸 赤坂区葵町 (現:港区虎ノ門)

浅草別邸 浅草区橋場 (現:台東区橋場)

三島別邸
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◆小松宮彰仁親王●子供ナシ
1846-1903 弘化30-明治36 57歳没
もと伏見宮邦家親王の子 小松宮家を創設するが子供がなかったため廃絶

*イギリスに留学

*わがままな言動が多く、お騒がせ宮様の一人であった。
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横顔・後姿などの写真が多く、かなりのナルシストと見た。
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■妻 久留米藩主有馬頼咸の娘 頼子
1852-1914 嘉永05-大正03 61歳没

*夫妻でヨーロッパに外遊した際に宝石・ドレスを買いあさり、
帰国後明治天皇に激怒された。
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by oMUGIo | 2001-04-11 00:00 | 皇族

多嘉王家 その2

●恭仁子女王 二条弼基公爵夫人
●家彦王    宇治家彦伯爵となる 鷹司信輔公爵の娘量子と結婚
●徳彦王    龍田徳彦伯爵となる →後に梨本宮家を相続して梨本徳彦となる
久邇宮朝融王の娘正子女王と結婚・熟年離婚


●恭仁子女王 二条弼基公爵夫人
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●徳彦王    龍田徳彦伯爵となる → 後に梨本宮家を相続して梨本徳彦となる
久邇宮朝融王の娘正子女王と結婚・熟年離婚
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多嘉王&静子妃
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by oMUGIo | 2001-04-10 00:00 | 皇族


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