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カテゴリ:皇族( 73 )

多嘉王家 その1

◆多嘉王
1875-1937 明治08-昭和12 62歳没
久邇宮朝彦親王の子
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久邇宮家側では西久邇宮を創設させたかったようだが、かえって臣籍降下の話も出てしまった。
結局多嘉王一代のみ久邇宮家の部屋住み皇族のままで終わった。
(子供たちは皇族ではないため華族となった)

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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正11年09月17日

倉富&久邇宮家宮務監督国分三亥の会話

国分◆多嘉王が臣籍降下せらるれば、他の皇族の降下と同様の取扱になるべきや。
倉富◆だいたいにおいて同様ならん。
国分◆先年多嘉王の降下問題ありたるも、その時は下賜金は5,6万円ぐらいにつき
久邇宮付職員においてとうてい話にならずとてお勧めもせざりしとの話をなしおれり。
今日にては100万円も賜れば現在2万6000円の歳費よりも利息だけにて多額なるゆえ、
その方が利益なるようなりとの話をなせり。


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■妻 水無瀬忠輔子爵の娘 静子
1884-1959 明治17-昭和34 75歳没
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●恭仁子女王 二条弼基公爵夫人
●家彦王    宇治家彦伯爵となる 鷹司信輔公爵の娘量子と結婚
●徳彦王    龍田徳彦伯爵となる →後に梨本宮家を相続して梨本徳彦となる
久邇宮朝融王の娘正子女王と結婚・熟年離婚
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by oMUGIo | 2001-04-09 00:00 | 皇族

梨本宮家 その2

●方子女王 李垠王妃 昭和天皇のお妃候補の一人であった
●規子女王 山階宮武彦王の後妻として婚約解消・広橋真光伯爵と結婚


●方子女王 李垠王と結婚 昭和天皇のお妃候補の一人であった
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●規子女王 山階宮武彦王の後妻として婚約解消・広橋真光伯爵と結婚

*前妻を亡くした山階宮武彦王と婚約したが武彦王の発狂により破談、広橋真光伯爵と結婚
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左から 方子女王 守正王 伊都子妃 規子女王
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左から 規子女王 伊都子妃 広橋真光伯爵 守正王 方子女王 李垠王
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by oMUGIo | 2001-04-08 00:00 | 皇族

梨本宮家 その1

東京本邸 豊多摩郡渋谷町 (現:渋谷区渋谷)
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大磯別邸
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河口湖別邸
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熱海別邸


◆梨本宮守脩親王
1819-1881 文政02-明治14 62歳没
もと伏見宮貞敬親王の子 梨本宮を創設する
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◆梨本宮菊麿王
もと山階宮山階宮晃親王の子 梨本宮を継承するが、後に山階宮に復帰した。





◆梨本宮守正王
1874-1951 明治07-昭和26 78歳没
もと久邇宮朝彦親王の子

*フランスに留学
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■妻 鍋島直大侯爵の娘 伊都子
1882-1976 明治15-昭和51 94歳没
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ロシアにて
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ドイツにて
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伊都子が梨本宮に嫁いだ際は婚礼行列が行われた。
洋服箪笥・黒塗紋付箪笥一対・桐紋付金物一対・箪笥一対・中箪笥一対・小箪笥一対
・黒塗長棹一対・白木長棹一対・道具入り長棹6個などなど、行列は2日間続いた。
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●方子女王 李垠王妃 昭和天皇のお妃候補の一人であった
●規子女王 山階宮武彦王の後妻として婚約解消・広橋真光伯爵と結婚





◆梨本儀光
1939- 昭和14-
先代の孫/規子女王の二男広橋儀光を養子に迎えるが離縁
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◆梨本徳彦●子供ナシ
1922-2007 大正11-平成19 84歳没
もと多嘉王の子徳彦王/龍田徳彦伯爵
夫婦で梨本家の養子となる
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■妻 久邇宮朝融王の娘 正子女王 熟年離婚
1926- 大正15-


●徳久
●豊子
●鑑代子
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by oMUGIo | 2001-04-07 00:00 | 皇族

竹田宮家 その2

●恒徳王  次代当主
●礼子女王 佐野常光伯爵夫人


左から 恒徳王 光子妃 礼子女王
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by oMUGIo | 2001-04-06 00:00 | 皇族

竹田宮家 その1

東京本邸 芝区高輪南 (現:港区高輪)
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軽井沢別邸


◆竹田宮恒久王
1882-1919 明治15-大正08 36歳没 
もと北白川宮能久親王の子 竹田宮を創設

*大流行したスペイン風邪で死去
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■妻 明治天皇の娘 昌子内親王
1888-1940 明治21-昭和15 51歳没

*何かと口をはさみたがる、やかまし屋の宮妃の一人であった。

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●恒徳王  次代当主
●礼子女王 佐野常光伯爵夫人


左から 礼子女王 昌子妃 恒徳王
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<不成績な恒徳王>

枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年01月17日

学習院院長一戸兵衛の台詞

先例にてもこれまで〔皇族の〕落第の例なく、
竹田宮恒久王のごときはよほど不成績なりしも進級せしめあり。
陸海軍の学校にてもかつて落第の例なし。


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倉富日記 大正13年03月01日

倉富&宮内官僚西園寺八郎の会話

倉富◆竹田宮昌子妃は時々意地悪き事をなさるる事あり。
西園寺◆その通りなり。先日も皇太子妃〔香淳皇后〕に対し
「東伏見宮周子妃があまり度々参殿せらるるは御困りなるべきにつき、
皇太子妃より母久邇宮俔子妃に書状を送りその事を通知し、
俔子妃より周子妃に話してあまり度々参殿せらず様になされたらばよろしからん」と言われ、
皇太子妃はその言に従いすでに俔子妃に送る書状を作られたるが、
女官長がこれを聞き「それはよろしからず」と言うて止めたる趣なり。
周子妃が皇太子妃の輔導を為さる事は貞明皇后も御承知の事にて、
宮内大臣より周子妃に申し上げその事に為りおりたるに、
昌子妃がそばよりこれを妨げらるるは実に怪しからん事なり。


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倉富日記 大正13年04月22日

西園寺八郎の台詞

昌子妃は皇太子妃の御輔導の如き意味にて時々参殿せらるるが、その結果甚だ懸念なり。
昌子妃はかねて貞明皇后は臣籍より入りおらるるとの考えにて御感よろしからず。
また大奥にて東宮妃の事を御息所と称しおれり。
「御息所は臣籍より上りたる者の称にて、皇族より上りたる者はぜひ妃殿下と言わざるべからず」
と皇太子に御話ありたる趣にて、皇太子よりその後話ありたる。
先日も皇太子妃が私室にて縞の着物を召したしとの事なりしが、
せめて紋服を召す様申し上げたるに、
昌子妃より平常縞の着物を服するは少しも差支えなしとの御話ありたる由。
左の如き事にて甚だ困る。昌子妃は単独にては御参宮なさらざる様に致したき事に考えおれり。
妹北白川房子妃は温順なる方なるにつき、同妃と御一緒に御参宮せらるる様になりたしと思う。


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有馬頼寧伯爵

恒久王殿下の御生涯は決して御幸福ではなかった。
私からみれば、むしろ御不幸な御生涯というべきである。
それにもかかわらず特に不平をもらせらるる様な事もなく、
むしろ周囲の人が御同情申し上ぐるくらいであった。
何事にもよらず御遠慮がちで、御心に思はせられた事でも御口に出さるる事はなく、
一人御苦しみ遊ばされた事も少なくなかった様だ。
私はこのたび御重体の時より御臨終の時に亘って、
昌子妃殿下の取られた処置に対しては敬服に堪えなかった。
ただ惜しむらくは、あまりに剛毅にして女としての御柔みを欠かせられた事は、
御家庭をして幾分御不幸ならしめた原因である。


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◆竹田宮恒徳王
1909-1992 明治42-平成04 83歳没
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■妻 三条公輝公爵の娘 光子
1915-2013 大正04-平成25 98歳没
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●恒正王  次代当主
●素子女王 佐野博夫人 
●紀子女王 渡辺宣彦夫人
●恒治王
●恒和王


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正12年01月08日

宮内官僚小原駩吉の台詞

竹田宮家の自動車がついに人を負傷せしめたる
本月03日司法省の前にて侍女を乗せたる自動車が3人を負傷せしめ、
1人は足を敷き1人は撥ね飛ばされて頭部を打ち1人は擦過傷を負い、
2人は築地の林病院に入りおり、その自動車には竹田宮の御紋章を付けおり、
大阪の新聞にはちょっとこの事を書きたるも東京にては禁じおる由なり。

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◆竹田宮恒正王
1940- 昭和15-
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■妻 財閥根津嘉一郎の娘 恭子
1948- 昭和23-


●浩子
●恒貫
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by oMUGIo | 2001-04-05 00:00 | 皇族

山階宮家 その2

●前妻の子 武彦王 次代当主
●前妻の子 芳麿王 山階芳麿侯爵となる 酒井忠道伯爵の娘寿賀子と結婚
●前妻の子 安子女王 浅野長武侯爵の後妻となる
●後妻の子 藤麿王 筑波藤麿侯爵となる
毛利高範子爵の娘喜代子と死別・肥田和三郎の娘貞子と再婚
●後妻の子 萩麿王 鹿島萩麿伯爵となる 早逝
●後妻の子 茂麿王 葛城茂麿伯爵となる 細川護立侯爵の娘敏子の前夫・本人死別


左 藤麿王  右 荻麿王
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●芳麿王 山階芳麿侯爵となる 酒井忠道伯爵の娘寿賀子と結婚 
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●安子女王 浅野長武侯爵の後妻となる
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●藤麿王 筑波藤麿侯爵となる
毛利高範子爵の娘喜代子と死別・肥田和三郎の娘貞子と再婚
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●萩麿王 鹿島萩麿伯爵となる 早逝
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●茂麿王 葛城茂麿伯爵となる 細川護立侯爵の娘敏子の前夫・本人死別
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<不成績な萩麿王&茂麿王>

枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年01月17日

倉富&宮内大臣牧野伸顕伯爵の会話

牧野◆学習院の福原鐐二郎が「茂麿王の学業はなはだ不成績にて、
教員の意見も同一の中等科3年を修めしむる方相当なりと言う者と
成績は悪しくとも皇族なるゆえ進級せしむべしという者と相半する」旨を告げたる。
茂麿王の兄萩麿王は学業劣等なるに関わらず
中学4年より5年を飛びてすぐに高等科に進めたる事ある由にて、
比較上茂麿王の落第を躊躇する模様なり。
倉富◆予もその事は院長一戸兵衛より聞きたり。
「茂麿王は数学と英学とは全く不合格にて、
今後1年間修業なされても果たして進歩あるや否や見込立たず。
先例にてもこれまで落第の例なく、
竹田宮恒久王のごときはよほど不成績なりしも進級せしめあり。
陸海軍の学校にてもかつて落第の例なし。いずれにするか惑いおる」様に談しおり。

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by oMUGIo | 2001-04-04 00:00 | 皇族

山階宮家 その1

東京本邸 麹町区富士見町 (現:千代田区富士見町) 敷地5,500坪
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鎌倉別邸


◆山階宮晃親王
1816-1898 文化13-明治31 81歳没
もと伏見宮邦家親王の子
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■妻帯せず


★側室 中条千枝子
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●千枝子の子 菊麿王 次代当主


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2歳年下の叔母にあたる伏見宮貞敬親王の第11王女幾佐宮隆子女王と駆け落ちして
伏見宮から除籍される。後に許されて山階宮を創設する。

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曾孫 筑波常治

女の道にかけては大家だったということです。門跡の身でありながら駆け落ちをやらかす。
高野山目指して登って行ったらしい。途中で捕まったんですね。
時あたかも天皇だかその身内だかの御不例の最中で、東寺に謹慎になっちゃった。
でも少しもジッとしていない。
天下の情勢について抱負経綸を持っていたらしくて、志士が盛んに出入りした。
新左翼を煽っている造反教官というところですな。


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◆山階宮菊麿王
1873-1908 明治06-明治41 35歳没
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■前妻 九条道孝公爵の娘 範子 妹は貞明皇后
1878-1901 明治11-明治34 22歳没
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■後妻 島津忠義公爵の娘 常子 妹は久邇宮俔子妃
1874-1938 明治07-昭和13 64歳没
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●前妻の子 武彦王 次代当主
●前妻の子 芳麿王 山階芳麿侯爵となる 酒井忠道伯爵の娘寿賀子と結婚
●前妻の子 安子女王 浅野長武侯爵の後妻となる
●後妻の子 藤麿王 筑波藤麿侯爵となる
毛利高範子爵の娘喜代子と死別・肥田和三郎の娘貞子と再婚
●後妻の子 萩麿王 鹿島萩麿伯爵となる 早逝
●後妻の子 茂麿王 葛城茂麿伯爵となる 細川護立侯爵の娘敏子の前夫・本人死別





◆山階宮武彦王●子供ナシ
1898-1987 明治31-昭和62 89歳没

*妻と死別した頃から武彦王は精神を病み、亡くなるまで入退院を繰り返した。
後妻として梨本宮規子女王と婚約したが、発狂を理由に破談となる。

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■妻 賀陽宮邦憲王の娘 佐紀子女王 死別
1903-1923 明治36-大正12 20歳没

*佐紀子妃は初めての子供を妊娠中に鎌倉の別邸で関東大震災に遭い圧死。

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<武彦王と梨本宮規子妃との縁談>

枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正13年04月08日

賀陽宮好子妃の台詞 (佐紀子妃の母親、佐紀子妃死亡後の台詞)

皇族の内情には面白からざること多し。
武彦王より梨本宮規子女王の書状を受け取りたる事を話されたる事あり。
これは山階宮常子妃より規子女王との結婚を促進する事を望まれたるものに相違なし。
規子女王の書状を届くる事を梨本宮伊都子妃より依頼せられたる事もあり。
外国にてはこの如き事あるやも知らざれども、実に極端なる事なり。
武彦王は自分に「規子女王が意ある様なり」と言わるるにつき、
「なぜ初めより規子女王と婚せざりしや」と言いたるに、
「初めは意ある事を知らざりし」と言いたり。実に驚きたる事なり。


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<武彦王と梨本宮規子妃との縁談>

倉富日記 大正13年09月16日

賀陽宮好子妃の台詞

武彦王は規子女王を娶りたき旨、
梨本宮家に申し込まれず宮内大臣に申し込まれたる趣。


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<武彦王と梨本宮規子妃との縁談>

倉富日記 大正13年10月01日

山階宮家宮務監督大石正吉&宮内次官関屋貞三郎の会話

大石◆武彦王は規子女王を娶らるる意あり。宮内大臣牧野伸顕は
「規子女王の性質につき懸念あるにつき、更に他の人を詮索してみるべき」旨を大石に申し聞け、
大石は賀陽宮好子妃の意向を伺いたるところ、
好子妃は「規子女王にてよろしからん」と言われたり。
しかし牧野よりの談あるにつき、これより第二の候補者を探してみるべし。
ただし武彦王が考えを変えらるるほどの候補者を得る事は難しからんと思う。
関屋◆第二候補者を探すにしても、梨本宮家に分からざる様に為す必要あり。


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倉富日記 大正13年12月12日

東久邇宮付事務官金井四郎の台詞

賀陽宮好子妃は武彦王についてはよほど不満なる様にてその口気を漏らされたり。
「規子女王が嫁せらるるが都合良く行くべきや」と言わるるにつき、
自分は「都合良く行くならん」と言いたるに、「何故なるや」と言わるるにつき、
「佐紀子女王は極めて温順なる方なりしが規子女王は言わばお転婆の方なり。
性行の等しき方ならば前妃と比較して見劣りのする事あれども、
性行があまり異なりおるゆえ比較する所なくかえってよろしからん」と言いたるに、
好子妃は「しかるべきか」と言われたり。
武彦王は結婚後1年ばかりは非常に親密なりしも、
その後に既に佐紀子女王にも飽きが生じおりたる趣なり。


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by oMUGIo | 2001-04-03 00:00 | 皇族

東伏見宮家 その2

依仁親王&周子妃
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by oMUGIo | 2001-04-02 00:00 | 皇族

東伏見宮家 その1

東京本邸 豊多摩郡渋谷町 (現:渋谷区東)
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葉山別邸
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蓼科別邸

逗子別邸

箱根別邸


◆東伏見宮依仁親王●子供ナシ
1867-1922 慶応03-大正11 54歳没
もと伏見宮邦家親王の子 東伏見宮を創設するが子供がなかったため廃絶

*ハワイのカイウラニ王女との縁談話が持ち上がったこともある
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■先妻 土佐藩主山内豊信の娘八重子 離婚・秋元興朝子爵の後妻となる
1869- 明治02-
姉は北白川宮能久親王の前妻光子
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■後妻 岩倉具定公爵の娘 周子 岩倉具視の孫
1876-1955 明治09-昭和30 78歳没
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明治天皇紀 明治36年01月31日

小松宮彰仁親王の請を充し依仁親王をして彰仁親王の継嗣たる事を止め、
別に一戸を立てて東伏見宮と称せしめたまう。
彰仁親王男子なきをもって故北白川能久親王の第四子輝久王を養うこと子の如くす。
依仁親王は既に継嗣と為れりといえども彰仁親王はこれに遺産を伝うるの意なく
ついに自ら臣籍に下り別に養子を納れてその跡を継がしめんと欲し、
去年04月まさにイギリスに航せんとするに臨み宮内大臣田中光顕子爵に告げ詮議するに、
「もし輝久王をして遺産を継がしめ、これを臣籍に列して侯爵を授け、
小松氏を称するを得しめば、自ら臣籍に下るの一事を断念すべく、
依仁親王には別に家号を賜りて一戸を立てしめんと欲する」の旨をもってす。
こと宸聴に達す。天皇、その情を憐みてこれを充し、ついにこの恩命を下したまえるなり。


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明治天皇紀 明治40年02月26日

北白川宮能久王の寡妃富子および小松宮彰仁親王の寡妃頼子相議し、
能久親王の子輝久王をもって彰仁親王の遺跡を継がしめんがため、
皇族の身位を改むることなくその嗣子と為さんと欲し上書してこれを請う。
天皇、侍従長侯爵徳大寺実則をして伊藤博文の意見を徴せしめたまう。
伊藤以為らく「皇族の養子を許さざるは皇室典範に明文あり。
ゆえに皇族の身位を改めずしてその嗣子と為すことは則ち不可なり。
ただし勅旨または情願をもってこれを臣籍に降し、授くるに公侯爵中の一をもってし、
なお適当の資産を下賜し、もってその嗣と為さば則ち可ならん」と。
天皇、伊藤の意見に基づき翌日徳大寺をして命を宮内大臣子爵田中光顕に伝え、
富子・頼子二妃の情願を斥け、輝久王を臣籍に降ろして公侯爵中の一を授け、
小松の家号を賜い、彰仁親王の遺跡を継がしむべき旨懇諭せしめたまう。


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小松宮彰仁親王は子供が無かったため異腹の弟依仁親王を養子に迎えていた。
当然小松宮家は依仁親王によって継がれるはずであったが、
突然彰仁親王は自分の臣籍降下と北白川宮輝久王を養子にすることを主張する。
輝久王は彰仁親王と同腹の弟北白川能久親王が側室に生ませた子である。

当然宮内大臣はこれをしりぞける。
すると今度は輝久王だけでも臣籍降下させて侯爵にして自分の遺産を相続させてくれたら、
自分の臣籍降下はあきらめると主張する。
根負けした政府はこれを認め、依仁親王には東伏見宮を創設した。

ところが東伏見宮が創設された直後に彰仁親王が死亡、小松宮家の当主の座が空白となった。
そこで今度は彰仁親王の妻頼子妃と北白川宮能久親王の妻富子妃の二人が、
輝久王を臣籍降下させず皇族のまま小松宮家を相続させたいと主張した。
明治天皇はこれを一蹴、当初の予定通り輝久王は臣籍降下して小松輝久侯爵となった。

彰仁親王がそこまで依仁親王に相続させることを嫌がった理由ははっきりしていないが、
彰仁親王と依仁親王は別々の側室の子、彰仁親王と能久親王は同じ側室の子、
異腹の弟ではなく同腹の弟の子に遺産を遺したかったのかもしれない。

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<依仁親王の不倫問題>

枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正11年08月16日

宮内官僚小原駩吉の台詞

先年依仁親王が婦人を愛せられ周子妃が大いに困り処置方を自分に相談せられたる時、
「有栖川宮威仁親王の妻慰子妃の如く実子ありかつ性質も剛き方ですら、
その問題につき云々せられたる結果は面白からず。
ことに周子妃殿下には実子なく性質も弱き方につき、
この際は何事も言わず全く無頓着になされおる方がよろしからん」
と言いたる事ありたるが、幸いに間もなく婦人の関係は止みたり。


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by oMUGIo | 2001-04-01 00:00 | 皇族

東久邇宮家 その5

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倉富日記 大正12年11月08日

松平慶民
山辺知春より電信で「稔彦王が帰朝の事に種々面倒の事を言わるる原因の主たるものは、随員の選択よろしきを得ざりしによるものならんと思う」旨を通知し来りおりたり。
倉富◆随員と言うは池田の事ならん。
松平◆自分も池田の事と思う。池田は独身にて長々フランスにおる方が利益なるゆえ、稔彦王の帰朝を延ばす傾あり。鳩彦王がフランスに来らるるまでは稔彦王は妃殿下を来年召い来々年までには帰朝する旨約せられおりたるも、鳩彦王が兄貴風を吹かせ余りすねてはよろしからずとか、此節の宮内省は前の宮内省と違うとか、東京では稔彦王の事を悪く言いおるとか言われたるため、非常に感情を害し来々年に帰朝するとの約束を取消されたり。
倉富◆稔彦王の婦人関係を問う。
松平◆なかなか巧みにせられおり、誰も正確なる事を知りおる者なし。
ある事は相違なし。また朝香宮妃渡仏の時は稔彦王は迎えにもいかず名代も出さずと言わるるにつき、
自分より礼儀に違う旨を説きたるに、稔彦王は朝香宮妃はお互いに嫌いなるゆえ迎えに行かずと言われたる。
また朝香宮妃がフランスに来られたるも、妃殿下が強くて鳩彦王が弱きゆえ、別に争いは起らざりしが、
王殿下お気に入りの看護婦ある事は妃殿下も承知せられおり。晩方よりその看護婦が交代に来る様になりおり、その時刻に病室に行かんとする者あれば、妃殿下は「邪魔になるよ」と言わるるぐらいなり。
やはり妃殿下はすぐには帰朝せられざるならん。

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倉富日記 大正12年11月10日

金井四郎
妃殿下「この事は既に稔彦王にも貞明皇后にも皇太子にも告げたり。自分がフランス行きを止めたらば、稔彦王の帰朝が幾分早くならんと思う。殿下の渡欧期限には自分と共に諸国を巡遊する期間も含みおるをもってなり。震災のため皇室にも非常なる影響ある際に自分が洋行する事は謂れなき事と思う」と言われたり。

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倉富日記 大正13年02月13日

金井四郎
聡子妃は風邪にて此節は神戸へは行かれざりしが、自分より「御風邪にあらざれば神戸まで御出を願うべきも云々」と申し上げたるに、妃殿下は「自分が神戸に行きても邪魔になる」と言われたり。
これは昌子妃と房子妃との間に種々の御談あるべく、その邪魔になるとの御趣意なり。
倉富◆聡子妃は房子妃とは御仲よろしきにあらずや。
金井◆昌子妃と房子妃とのほどにはいかず。
故北白川成久王御在世中は、稔彦王と鳩彦王との御間を種々御斡旋なされおりたる由なり。
宮内官僚海江田幸吉子爵の談には「鳩彦王の御言葉にはとかく針を含まれおり、かの模様にては円満には行かざるならん」と言う。
倉富◆御遭難については稔彦王はよほど親切を尽くしなされたる模様なり。
金井◆その模様なるが、朝香宮妃はとかく避けらるる模様ありとの事なり。

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倉富日記 大正13年03月29日

牧野◆稔彦王滞仏期間非常に長くなりなお帰朝期を定められず、皇族内にも心配さられおる方もあり。
またこのままに経過しては皇族一般に対する天皇陛下の御監督にも関する事につき、何とか処置せざるべからず。近き所ならば宮内大臣より意見を言上するが当然なるも、遠隔の所にてその事も出来ず。
さりとて突然勅命にて帰朝を命ぜらるるも不穏当なるべし。よりて誰かフランスに派遣し、充分に殿下に帰朝を勧説しなお承知せられざるならばその次には勅命を奏請する事もやむを得ずならんと思うが如何考える。
倉富◆先頃1年の延期を勅許せられたる時も、1年の期限を定めたる事が殿下の意に反する様の事を申し来りおれり。無期限に勅許を願う様の事の出来ざることは明白なる事なるに、なお左様の事を申し来るは勅許の性質も知らざる様に思わる。予は第一着手としては属官池田亀雄の行動が甚だ不都合につき、これを除く工夫なかるべきやと種々考えもし、山辺知春の意見も問いみたれども、同人も工夫なしとの事にてその事もできず、池田を免職する事は容易なる事なるも、免職しても殿下が池田を近づけらるれば一層始末悪しき事となるなり。池田は始終殿下の所におり、今日にては大分蓄財も出来おる模様にて、免職しても帰朝する様の事はなかるべく、しからば池田の処分も結局できざる訳なり。
しからば相当の人を派して殿下の帰朝を勧説する事は順序上やむを得ざる事と思う。ただしその人選は非常に困難なるべし。相当威望ある人にあらざれば不可なるべし。
牧野◆その通りなり。しかし古手軍人でも派遣したれば、殿下はすぐに自分を威圧するとて不平を言わるべし。池田の家族は如何様なる人があるべきや。家族より急に帰朝する様申し遣す事は出来ざるべきや。

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倉富日記 大正13年05月30日

金井四郎
自分は昨年震災以来稔彦王には愛想を尽かしたるも、聡子妃は実に御気の毒なり。
妃殿下の事を思えば東久邇宮家を去る気にもなれず、もし宮務監督も事務官も新たなる人にては尚更妃殿下が御困りなさるべきにつき、自分は東久邇宮家に留まりて差支えなし。

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倉富日記 大正13年06月03日

仙石◆稔彦王を説くには倉富君を措いて他に適当なる人なし。是非発奮しくれよ。
倉富◆予は不適任なり。宮内大臣も決して予を遣わさざるならん。
仙石◆自分は君に限ると思う。皇族一人を有用の人と為すか無用の人と為すか極めて重要なる事件なり。
徳川◆稔彦王のことだけを考うれば倉富君は適当なるに相違なし。しかし他に重要なる問題多し。
仙石◆他に洋行せられ難き事あるならばやむを得ざれども、長年月を要する事にあらざるゆえ差支えなかるべし。
倉富◆宮内大臣は必ず予を遣わさざるならん。
仙石◆徳川君も熟考しくれよ。自分より宮内大臣にも話す事にすべし。

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倉富日記 大正13年06月04日

倉富◆仙石の談は予をしてフランスに行き稔彦王を迎えしめんとする事なり。予と徳川とに対してこれを土岐たるが、予はもちろん反対せり。
金井◆徳川は何と言いたりや。
倉富◆徳川も賛成はせざりし。
金井◆仙石はこの事につき宮内次官に話すつもりなりしが、関屋は賛成せざりしならんと思わる。

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倉富日記 大正13年06月21日

フランス大使館付武官渋谷伊之彦の台詞

自分が帰朝する前稔彦王から「予は皇族なり。決してその本分を忘るる様の事なし」との言を聞きおれり。
王殿下は軍人として熱心に軍事を研究しおらるるとは言い難し。フランスの知名の人と交際せらるる様の事は少し。フランス在留の日本人とも接せらるる事は極めて少なし。
しかし昨年04月の北白川宮の御遭難の時の稔彦王の御処置は実に見事にて、何人も感心せり。
またローマに御出なされたる時の御態度も極めて立派なりしなり。
王殿下が近く御帰朝なされざる様ならば、池田亀雄の他に誰ぞ適当なる人を付くる方がよろしからん。
王殿下は余程池田を信用しおらるる模様にて、蒲などはほとんど何事にも与からず。先年溝口が辞めたる時も、王殿下は御付武官は必要なしと言われたるも、強いてこれを付けたるぐらいなり。

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倉富日記 大正13年08月02日

在ベルギー大使館職員武者小路公共子爵

稔彦王はこれまで宮内省に対し種々ワガママなる事を言われおるが、内心にては非常に苦悶しおられ、
何かこのワガママの罪を消す機会はなきやと思いおられおりたる所に皇太子よりローマ御差遣の御命ありたる事は非常に感激せられ、ローマに御出前よりその使命に関する準備は残る所なくこれを為され、ローマにおける御態度・御動作実に立派なるものにて一点の遺憾もなし。ローマ御出発後国境を出たる後、自分に対し「予の成績は如何」との御問ありしにつき、自分は「100点以上を差し上ぐる」と申し上げたるくらいなり。
倉富◆ただ困る事は稔彦王の御滞仏に関する名義の立たざる事なり。妃殿下の御渡仏は王殿下御帰朝の前提なる事は申すまでもなきが、王殿下の御承諾なくしては妃殿下が御渡仏なさるる訳にはいかず。王殿下よりの通知を待てば際限なきゆえ、結局手の着け様なき訳なり。

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倉富日記 大正13年09月22日

牧野◆聡子妃の性質温順にて、鳩彦王妃とは性質相違する。
倉富◆先年東久邇宮家の事務官と御用取扱との間に確執を生じ、結局双方とも官を退く事となりたり。
その原因は御用取扱の方にては「妃とはなられたるも内親王なるゆえ稔彦王もそれだけの斟酌はかなるべからず」との考えを有し、事務官の方では「内親王たりとも妃となられたる上は普通の妃と区別すべき訳なし」との考えを有し、稔彦王も鳩彦王妃が鳩彦王に反抗的な態度を取られたる事あるため左様の事なからしむるため幾分圧迫的な行動もありたる模様にて左様の争いを生じたる訳なり。

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倉富日記 大正13年11月07日

金井四郎
昨日園祥子東久邇宮家に来り、その次第は竹田宮妃が貞明皇后に謁せられたる時、皇后より「稔彦王の滞欧あまり長くなり、聡子妃にも気の毒な事なり。しかし自分より口を出す訳にもいかず、聡子妃より御依頼でもあれば何とか考えもあらん」との旨の御話あり。昌子妃はその事を度々聡子妃に話されたるも、聡子妃より明瞭なる答なきにつき、昌子妃は更に園を召い、園よりその事を聡子妃に話さしめられたりとの事なり。しかるに今日昌子妃より聡子妃の参殿を求められ、今日は武者小路公共夫妻参邸の約あるにつき聡子妃は断られたるも、ぜひ参殿せられたしかつ午餐を共にすべしとの事なり。よって今日聡子妃より昌子妃に依頼せられ、昌子妃より貞明皇后に御願でも為さる様の事に為りては重大の関係を生ずる事なり。
園は「聡子妃は話が下手なるにつき、皇后に直接に口頭をもって御願いなさる事はでき難かるべく、自身に御願なさるならば覚書を作りて皇后の御覧を願うか、昌子妃に依頼して御願なさるがよろしからん」と言えり。
自分は聡子妃に対し「今日昌子妃より如何様なる御話あるも、決して御即答ありてはよろしからず」と申し上げ置きたり。万一皇后より親簡でも送りたまい、稔彦王がそれに関わらず帰朝せられざる様の事ありてはいよいよ面倒なる事となるにつき、如何致したらよろしからん。
倉富◆昌子妃より皇后に願われても、宮内大臣にも御話なくすぐに親簡でも送らるる様の事はなかるべしと思う。

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倉富日記 大正13年12月03日

北白川房子妃

帰朝前稔彦王に対し、何か聡子妃に伝言せらるる事はなきかと言いたるところ、
「現在の皇族は多きに過ぐ。閑院宮を始め従来の皇族はすべて臣籍に降下したる後にあらざれば自分は帰朝せず。また妃も迎えざる旨を告げくれよ」との事なりしも、「それはあまり極端なる事なるにつき伝言しがたし」と言い置きたり。

金井四郎
池田亀雄がパリにて内地人画家の妻と通じたる事ある趣にて、この事は稔彦王も承知せられおり、また北白川房子妃も承知の事なり。房子妃より稔彦王の婦人関係の話あり。自分は「まったくその関係なき事を信じおる」旨を申し上げたるところ、房子妃は「果たしてこれを信じおるや」と言われたり。
房子妃は何か確証を有しおらるるならんと思う。

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倉富日記 大正13年12月12日

金井四郎
賀陽宮好子妃に「稔彦王は閑院宮始め従来の皇族がすべて臣籍に降下せられるまでは帰朝せずとの御考えなる趣なるが、好子妃は御承知なるや」と申し上げたるところ、「それは稔彦王の理想にて、差し向き自分一人の降下を望みおらる」との事を言われたり。
「園祥子がその事につき聡子妃に皇后に御願いなさるや否やを伺い、その返答はいまだ為されおらず。
園は昌子妃の御意を承けて来りたるものにつき、何とか園に御返事をなさる必要あらんと申し上げたれども、
返答に及ばずと言われたるにつき、しからばその内園が来りたる時妃殿下の面前にてかの事は当分何事もなさらざる事になりおるにつき承知する旨金井より園に話す事に致すべきが、それにてよろしきや」と申し上げたるに、好子妃はそれにてよろしと言われたり。好子妃は「聡子妃はどこかしっかりした所があるならん」との事を話しおられたり。

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倉富日記 大正13年12月16日

大森◆全体稔彦王が帰朝せられざるは何の為なりや。
倉富◆種々の説あれども確かなる事は無き様なり。初めは婦人関係ならんとの説もありたれども、これも確かならず。
大森◆結局パリが面白くて帰る気が無しと言うだけの事にはあらざるや。
倉富◆内地にては束縛ありて思う様の行動は出来ず。パリならば出来る。しかして長くなりたるため談話も自由に出来る様になり面白くなりたる事が主なる原因ならん。

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倉富日記 大正13年12月20日

金井四郎
房子妃に対し「先日稔彦王にはパリにて婦人の関係ある事を御承知遊ばさるる様に承りたるが、
その関係は非常に面倒にて閑院宮載仁親王の如きものなりや、または金さえあれば訳なく解決できる様のものなりや、相手の画家の娘と言うは如何なる者なるべきや」と申し上げたるに、房子妃は「自分の帰朝する頃の関係は、金さえあれば訳なく解決できるものと思いおりたり」との御話あり。
自分より「稔彦王よりも池田亀雄の方がよほど熱度が高き様に聞きおる」旨を申し上げ置きたり。

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倉富日記 大正13年12月25日

倉富◆稔彦王が帰朝を肯んぜられざる原因がどこにあるや明らかならず。医師が病症を探り得ざると同様にて、治療の工夫つき難し。
牧野◆畢竟殿下方は親族の情義薄き様なり。
倉富◆この事は各殿下に共通なる様なり。稔彦王は洋行前には予らに対し「子供の為ならば何事にも犠牲にする事は辞せざる」旨を話されたる事あるが、昨年の震災にて師正王が薨去せられたるについては必ず稔彦王の考えもこれまでと変り帰朝の念も起るならんと思いたるも、やはりその事無きは普通の人情と異なる所ある様なり。

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by oMUGIo | 2001-03-05 00:00 | 皇族


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