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カテゴリ:皇族( 73 )

東久邇宮家 その4

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倉富日記 大正12年01月26日

牧野◆自分も磊落な方と思いいたるも、フランスより帰りたる陸軍将官某の談によれば、稔彦王は研究心もなく薄っぺらに軽率な議論を為され甚だよろしからず。日本の新聞の請け売りを為さる様にて、やれ軍閥がどうとか老人が固陋とか民主主義がどうとか言う様なる論なるゆえ、長時間に渡りて忌憚なく極論し、殿下の地位にありて軽率に左の如き事を口外なさるは言語道断なりと忠告したるに、確かに神経衰弱に罹れおりと言いおりたり。陸軍将官某は陸軍学校にて稔彦王に教授したる事ありとの事なり。
殿下が妃殿下の洋行の事を決せざるは困りたる事なり。御親族の方はしきりに御心配遊ばされおれり。
妃殿下は非常におとなしき方なり。
倉富◆しかり。妃殿下の御洋行が遅るる事につきても、妃殿下自身は少しも頓着せらるる風なし。
妃殿下があまりに温順なるため御用取扱有馬英子は「殿下が妃殿下を内親王として待遇せられず」と言いて事務官有馬純文と軋轢し、結局二人とも罷むる事となれり。
殿下は結婚当初は幾分高圧的に妃殿下に対せられたる模様もありたりとの事なり。
稔彦王が時々極端なる事を言わるる事あり。殿下がイギリスに行くことを拒む理由として、イギリス皇室ももやは時日の問題にてこれを研究するも格別効能なし。むしろロシア・ドイツの皇室は何故に滅びたるかその原因でも探究する方利益ならんなどと言われたる事もあり。
牧野◆左の如き考えを有しおられては大変なる事なり。

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倉富日記 大正12年03月06日

金井四郎
稔彦王の滞仏期限は3年とすれば04月某日までなるゆえ延期願書を出さざるべからざるところ殿下の意向わからざるゆえ願書出し難く、このままにする事も出来がたし。
倉富◆さりとて殿下の意向を問いたるうえ2年とか3年とか言われても困るにつき、松平慶民に電信を発し殿下の意向は如何なるや様子を報知すべき旨を照会したらば如何と思う。これとても松平より殿下に交渉したるうえ、殿下が御帰朝を決められざればやはり困るにつき、予より宮内大臣へ相談いたしみる方よろしからんと思う。

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倉富日記 大正12年03月16日

鳩彦王が邦彦王に送った手紙を牧野から見せられる

鳩彦王より邦彦王に送られたる書状には、
稔彦王は最初2年の期限にて洋行したるが、当時の宮内大臣は2年過ぐればまた2年を延期しいつまで滞在なされてもよろしと言いたる趣、稔彦王より鳩彦王に話されたる趣を記載しあり。
稔彦王はパリにては日本人に接せられるる事少なく、日本人も殿下の事を知りおる者少なき事、
稔彦王の行動については陸軍大臣・宮内大臣は非常に心配しおる事、稔彦王は勅命にて帰朝を命ぜらるるもこれに従わず皇族を辞むる旨を語りおらるる事、邦彦王より稔彦王に速やかに帰朝せらるる様申し遣わされたき事、松平慶民も稔彦王の帰朝を勧むる為に来りたるも御承知なきため心配しおる事等を記載しあり。

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倉富日記 大正12年03月18日

松平慶民の電信
滞在期限の事は、稔彦王は来年までと主張せられ、自分は今年中を主張し、意見一致しおらざりしところ、
鳩彦王着仏後懇々帰朝の事を勧告しられ、また貞明皇后の思召を伝えられたるよりかえって反対の事となり。先月07日自分が謁見を請いたるも拒まれ、強いて謁見を請いたるうえ「殿下の滞在期限は今月までにて尽きるにつきさらに勅許を願われざるべからず勅許を願うには余り期限の切迫せざる内に願わるるは礼儀なる」旨を説きたるに、「昨年の1年の延期願いの時も金井より勅許の事は何とも申し来らざりしゆえ今節も特に勅許を願うには及ばず」と言われ、「自分は適当なりと思う時に至らざれば帰朝せず」と言わるるゆえ、この上争うも無益なりと思いそのままに退出せり。

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倉富日記 大正12年03月19日

関屋・徳川・酒巻と共に陸軍省の小磯国昭大佐の談を聞く。
稔彦王は鳩彦王より一日遅れて生まれられたるも、稔彦王の生母が鳩彦王の生母より賤しく、特に一日違いの誕生を世間体を繕う必要もありたるべきも、1ヶ月ばかり遅れたる事と為し、稔彦王に対する待遇も鳩彦王に比すれば差別あり。父朝彦親王は維新の頃は朝譴までも受けられたることあり、後年に至りても不平を漏らされたる事もあり。稔彦王もその不平談を聞かれたる様の事よりして殿下の性質は自然猜疑心を生ずる様になられたる事と思わるとの談を聞きたる事あり。
稔彦王は宮内省または陸軍省等の人が殿下の為に心配する事をかえって悪意に御取りなされおる事少なからず。これはその御性質より来る事なるべし。自分は殿下に対し「本国の人が殿下の事につきかれこれ致すは殿下の御為を思う為なるゆえ、これを悪意に解釈せらるるはよろしからず。感謝せらるべきはずなり」との進言を為したる事もありたり。松平君なども「もはやどうしても駄目なり。この上は勅命をもって呼び返さるるよりほか致し方なし」と言いたることもありたるが、自分はこれを賛成せざりし。殿下はどうもすれば人に反抗なさるる癖あり。殿下は絵の研究を為されおり、よほど上達せられ自作の絵を掲げおらるれども、もとより絵をもって名を成さるるほどにはあらざること、殿下は語学も上達し土地にも慣れられたる為この節にてはパリ滞在が非常に愉快に為られおれり。ゆえに少しにても長く滞在したしとの御希望なるべき事、殿下は人に強いられて帰朝を決する事が御嫌いなる様なり。
自分の察する所にては、今年の秋頃までに妃殿下の洋行期を決し、来年の6,7月頃までに帰朝せらるる様になる事にはあるまじきや。もっとも殿下は少しも口外せられざるゆえ、自分の憶測だけの事の談を為したり。

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倉富日記 大正12年04月14日

町尻量基
稔彦王は思想悪化しおれり婦人に溺れおらる等の風評ある趣なるも、これは事実にあらず。
殿下が陸軍省・宮内省等に不平を抱きおらるるは事実なり。
殿下は非常に勉強しおられ、決して本国にて想像しおる如き事実にあらず。
殿下は陸軍の課業を卒われたる後は、経済・文芸等の事を研究しおらる所にて、妃殿下の渡欧期を定められざるは妃殿下が渡欧せられても社交界に出てらるる如き事はできず。妃殿下が渡欧せられたら殿下と共に各国を巡遊して帰朝せらるる様に為されたき考えなるため、殿下の帰朝期を定めらるるまでは妃殿下の渡欧を望まれざる様なりとの趣意の談を為せり。

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倉富日記 大正12年04月18日

フランスの朝香宮付武官藤岡万蔵からの電信
『鳩彦王は允子妃の御渡仏を望ませられず。ただし妃殿下の熱心なる御希望ならば強いて御差止は為されざる様伺い奉る』
フランスの松平慶民からの電信
『允子妃の御渡欧は鳩彦王の御希望にあらざるのみならず、鳩彦王と故成久王との間にも懸念すべき事情あり。その次第は鳩彦王が自動車遠乗は好まざりしも成久王の勧に因り遠乗を為したるため遭難せりとの不平を御漏らし為さるる事ある為なり。ゆえに妃殿下の御渡欧は御止め相成りたし』

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倉富日記 大正12年04月22日

関屋貞三郎
今朝竹田宮昌子妃は允子妃の渡仏を熱心に主張せられ、10時頃より12時まで渡仏の必要を説かれ、
允子妃も竹田宮家に来られ、共に渡仏を主張せられ、昌子妃は「鳩彦王は稔彦王と異なり洋行前に『自分が外国にて屋病に罹りたる時は妃はすぐに来りくれよ』と言いて行かれたり。
鳩彦王夫妻の間柄は、初めは円満を欠きたる事なきにもあらざりしも、近年は非常に円満になり妃殿下が洋行せられても感情を害する事は絶対になき」旨を主張せられ、允子妃も「自分が洋行して鳩彦王の感情を害する事は絶対になく、万一感情面白からざる事ありてもこれを和くる事は必ずできる」と言われおり。

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倉富日記 大正12年04月28日

金井四郎
明後日允子妃出発し来月02日門司より乗せらるるにつき、聡子妃送りて門司に行かるるが相当なるも、
允子妃より昌子妃が門司まで行かるる事を望まれたる旨を話しおきたるところ、朝香宮家宮務監督栗田直八郎は「允子妃より昌子妃が門司まで送らるる事を望まれたる事は決してなく、允子妃はむしろ聡子妃の方が心置きなく話すこともできるにつき聡子妃が送らるる事を望みおられたるも、昌子妃が是非とも自分が送り行くと言わるるにつきその事に決したる次第なり」と言う。

東久邇宮家にては朝香宮洋行の時も北白川宮洋行の時も送別宴を開き、この節もそのつもりに致しおりたるところ、昌子妃より聡子妃に対し「允子妃の出発前には日数も少なく格別に送別宴を開く時日なきにつき、両宮共同にて送別会を催すべし」との事なりしにつき、共同のつもりなりしところ、竹田宮家のみにて催し、聡子妃は客として招かるる事となりたり。
この事情を栗田に話したるところ栗田も驚き「鳩彦王御出発の時も、東久邇宮家にては他と異なり御丁寧なる送別宴ありたるにつき、此節も必ず御催しある事ならんと思い、日程を定むる都合もあるゆえ東久邇宮家よりの御案内は無きやと問いいたるくらいなりし」と言えり。

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倉富日記 大正12年04月30日

フランスの松平慶民からの電信
允子妃渡仏決したる事を稔彦王に告げたるところ、殿下は鳩彦王が意識不明の如き場合ならともかく、鳩彦王が談話しうる今日鳩彦王の意見を問わずして允子妃の渡仏を決したるは不可なり。たとえ鳩彦王の兄なる邦彦王、妃の姉なる昌子妃たりとも、いわんや允子妃が熱心に渡仏を主張せられたりとも、鳩彦王の意見を問わずして決したるは甚だ遺憾なり。此節の事は宮内職員の意にあらず、皇族の主張に因り余儀なく此の如き事と為りたるはこれまでの電信により明瞭なるにつき、殿下の意見は皇族に通知せられたらばよろしからんと言いたるも、宮内大臣へは自分の意見を通知しおくべき旨を命ぜられたり。

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倉富日記 大正12年05月15日

金井四郎
昌子妃より聡子妃に対し、夫などは当てにせず自分だけにて何事も処置する考えを持ちおらざるべからざる旨御話ありたり。
倉富◆昌子妃は只今は〔未亡人なので〕妃殿下にて万事を処理せられてよろしく、また処置せられざるべからざる時なるゆえ、昌子妃と聡子妃と同様にする事は出来がたし。

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倉富日記 大正12年06月02日

金井四郎
聡子妃はなるべく〔留守中の〕朝香宮家に行かれ御子様方に御注意なさるる事よろしからんと思い、
その旨を申し上げ妃殿下もその御考えなるも、昌子妃がその事を御好みなされざる様にてとかく御止めなさる様なり。
倉富◆昌子妃は何故に聡子妃が允子妃の所へ行かるる事を嫌わるる訳なるべきや。
金井◆両宮の接近を喜ばれざる訳ならん。朝香宮両殿下の御不在中聡子妃が朝香宮の御子様方の御世話をなされたらば朝香宮両殿下の御感情もよろしくなる事ならん。

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by oMUGIo | 2001-03-04 00:00 | 皇族

東久邇宮家 その3

≪東久邇宮稔彦王フランス留学から帰国しない事件≫


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正08年01月07日

*倉富は東久邇宮家の宮務監督も務めていた。

陸軍大将仁田原重行子爵&宮内大臣波多野敬直の会話

仁田原◆東久邇宮稔彦王殿下外遊の御希望あり。
波多野◆外国の都合さえよろしくば、
いつにても御外遊なされてよろしかるべき旨申し上げおきたり。
ただしアメリカは華族の遊学にても好ましからざる事情あるにつき、
殿下もアメリカに御外遊なさるる事はよろしかるまじき旨を述ぶ。

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倉富日記 大正08年05月09日

稔彦王&宮内大臣波多野敬直子爵の会話

稔彦王◆フランスに留学し、
一年ばかり経過したる後イギリスに赴き同国宮廷の模様等を視察したい。
波多野◆さすれば3年ぐらいを費やすことになりしにつきよろしからん。
稔彦王◆それならばその趣を陛下に奏しおきくれよ。
波多野◆宮内省として希望するところは、イギリスの皇族などが
いかに皇室と人民との間に立ちて力を尽くしおるや等を研究してこられたきことなり。
軍事などはもはや外国に御学成さるる必要はなきにあらざるや。

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倉富日記 大正08年05月11日

稔彦王の台詞

一年半ばかりフランスに遊行し陸軍大学に入り軍事を研究し、それよりイギリスに遊行し皇族等の上流人が如何様にして力を国事に尽くしおるかを究め国交上にも幾分の裨益をなさんと欲しおるが、
イギリスとフランスは敵対の間柄なるにつき、予がフランスに学びたる後イギリスに遊行し、イギリスにて予を歓迎するや否なの懸念ありたるゆえ、井上勝之助を召いて意見を問いたるところ、井上は大いに予の意見に賛成し「フランスに御遊行ありてイギリスに御出でなくしてはかえってイギリスの感情を害することになるべし」と言いたるゆえ、さらに宮内大臣を召いて意見を問いたるところ、これも大賛成にて「軍事はもはや特に外国に御学びなさるる必要なかるべく、主として第二の目的の方を御研究なさるることを望む」ようの話をなせり。
左様の次第にて予の方針も決したるゆえ、早ければ来年冬頃、遅ければ再来年春頃に出発するつもりなり。

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倉富日記 大正08年09月16日

倉富&東久邇宮付事務官金井四郎の会話

金井◆東伏見宮の御洋行は宮内省より26万円を支出したる由。
倉富◆東伏見宮の洋行は公式の使命を帯びられたるもににて東久邇宮の留学とは全然異なるゆえ、
左のごとき事と同様の支出を望むは不当なり。先年来皇族留学の例は幾らぐらいの費用を出しあるや。
金井◆1年2万5000円ぐらいならん。
倉富◆大体はその方が標準なるべし。

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倉富日記 大正09年03月23日

金井四郎の台詞

稔彦王の洋行に関する費用は随行者の分を合わせ29万円を要求しおきたるが、
内蔵寮そのうち7万円を削減する意見を立て、7万円の削減はあまりに多きに過ぎる様なり。
今後の都合にてはあるいは援助を求むる事もあるべきにつき含みおきくれよ。

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倉富日記 大正10年02月17日

金井四郎

金井◆稔彦王洋行の期限は3年の希望なりしところ前大臣が「まず2年と致しおき2年過ぎたる後1年の延期を願われたらば必ず勅許あるよう取計べく自分の在職は必し難きもその時は後任者に申し継ぎおくべし」と言い、この事については君も保証人となり、石原健三も同様なるところ、3人とも職を去る様の事ありては誰もこれを知る者なく他日困るべきにつき書面にてこれを証しくれる事はできざるや。
倉富◆その事は確かにこれを聞きおれり。もし予が職を去る様の事あらば後任の大臣にもこれを話しおくべく、また書面も作りおくべし。

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倉富日記 大正10年08月05日

金井四郎
金井◆フランスの稔彦王より留学の期間を4年に延ばしたき旨の書状を送り越されたり。
倉富◆稔彦王御留学は表面は2年にて後1年の延期は波多野が確約したる事なるが、
実は3年の留学も懸念しおる所なり。北白川宮成久王・朝香宮鳩彦王の留学問題もあり、
稔彦王のみ4年ということは宮内大臣として取計がたかるべし。
実際より見ても3年にてよろしくはなきや。聡子妃の御考えは如何。
金井◆聡子妃には自分より伺いたるところ、4年にてもよろしとの事なりし。

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倉富日記 大正10年09月21日

東久邇宮家宮務監督村木雅美
村木◆フランスの稔彦王より書状にて「フランス留学は4年の予定にて、その事は波多野敬直がこれを承知しおり。倉富もその証人なり」との趣を申し越されたるが、自分が聞きおる所にては3年の予定なる様なるが如何。
倉富◆しかり。4年という事はなし。
村木◆殿下は初めは3年間のうち終りの1年間ぐらいはイギリスに行きて帝室と人民との関係などを研究せらるるつもりの様なりしが、近来の御書状にてはその事も模様替えとなり終りまでフランスにおらるるつもりの様なり。
倉富◆殿下は今も絵画を研究せられおるや。
村木◆しかり。
倉富◆それは良き事なるも、あまり吹聴する訳にはいかざるべし。
ともかく軍事研究が目的なるゆえその目的を忘れられたる様の評判なき様にする必要なるべし。
村木◆しかり。

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倉富日記 大正10年09月26日

金井四郎
金井◆フランスより稔彦王が送られたる書状あり。
倉富◆先日村木よりその話を聞きたり。村木も4年の事はこれまで聞きたる事なし。
金井◆4年説は殿下が熱心なるゆえ出来る事ならば4年と為したし。
従来は外国人には陸軍大学校後隊付となる事は許さざるる事となりおるも、
稔彦王には特にこれを許す事とすべき旨を話したる由なり。
しかれば来年10月に卒業しその後隊付となり1年間を費すとすれば、3年にては不足なり。
倉富◆その事は宮内省にては言い難し。
陸軍よりその事を理由として4年説を主張せば、あるいは行われざる事もなかるべし。
金井◆4年説が如何にしても行われざるならば、終り1年間私費にて滞在せらるる事はできましきや。
倉富◆宮内省が4年を承知せざる事とならば、その理由は費用の為とは言わざるべし。
費用の為に許否する事はできざるべし。

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倉富日記 大正10年10月07日

西園寺八郎
八郎◆朝香宮鳩彦王は真直ならず。北白川成久王は時として軽々しき事あり。
倉富◆稔彦王がパリにて皇太子に対して為されたる事を伝聞したるが、これは実に意外の事なりし。
八郎◆畢竟稔彦王の誤解より出でたるものなるべし。幸いに皇太子の御話にて誤解も解けたる模様なるゆえ、帰朝の上は必ずよろしからん。溝口某よりの来書にても、殿下もかの時の事を悔いおらるる旨を申し来りおれり。

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倉富日記 大正11年01月11日

金井四郎
フランスの溝口より電報にて、稔彦王の滞仏期間・聡子妃の渡仏期間等を殿下に謀らずして定めたりは不都合なりとて殿下が怒りおらるる旨申し来りたり。
自分よりは予算の事については意見を述べたるも左の事については何事も言わざる旨返電を発しおきたり。
殿下は本年10月陸軍大学を卒業せられたらばその後2,3ヶ月ぐらいフランスに滞在せられ、イギリスにて相当の期間を送られ、各国を巡遊して帰られたらばよろしからんと思う。
それにつき宮内省よりは3年間以上の費用を出さざるべきにつき、先年皇室より下賜されたる50万円の内10万円ぐらい支出する事を許されまじくや。
倉富◆稔彦王がイギリスの事情を視察する様の気にならるるならばそのぐらいの詮議はできるならんと思わるるも、殿下出発前の予定を変しフランスにのみ滞在しイギリスに行かずと言わるる様にてはいよいよ速やかに帰国せらるべしとの事になるならんと思う。
金井◆稔彦王は7,8ヶ月間はイギリスに滞在せらるるつもりにて出発せられおるゆえ、イギリスに行かざれば済まざる訳なり。ぜひとも予定の通りになさる様になす必要ありと思う。
倉富◆稔彦王は陸軍大学を卒業したるうえ参謀本部付とならるるつもりとの事なるも、予は左様の必要なしと思う。
金井◆参謀本部付は上原勇作も不同意なり。上原は「北白川成久王・朝香宮鳩彦王の様なる方が外国に行かれて何になるものか」と言いおりたり。

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倉富日記 大正11年02月23日

金井四郎来り、フランスの稔彦王より金井に送られたる書状を示す。書状は『宮内大臣が自分に謀らず勝手に聡子妃渡仏の事およびその期日を定め予算を立てたるは不都合なり。自分は如何なる事ありても不合理の事には服する事あたわず。ゆえに妃の渡仏は断然これを止め、たとえ御沙汰がありても承諾せざる』旨を記しありたり。
倉富◆これは稔彦王の誤解なり。聡子妃洋行費の予算の事は君らは少しも関係せざりしや。
金井◆妃殿下の予算には少しも関係しおらず。
倉富◆殿下の滞在は3年間にして、御帰朝前には妃殿下も御洋行なさる事が決しおる以上は宮内省としては今年の予算にこれを計上するは当然の事にあらずや。
金井◆その通りなり。この事は殿下も了解せらるべく、格別の事にはあらずと思う。
この書状と同時に、妃殿下にも村木雅美にも来書あり。大意はこれと同様なり。

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倉富日記 大正11年03月08日

山辺知春
倉富◆北白川宮成久王御着後、稔彦王へ御面会の事について何も御通知なきや。
山辺◆何も通知なし。御付武官よりの書状にては、稔彦王付武官に相談しても何の相談にも応ぜざるゆえこの頃は相談せずと申し来り、よほど不平の模様なり。


金井四郎
金井◆もはや宮付も嫌になれり。辞めたし。
倉富◆稔彦王より帰朝までは勤続する事を希望せられたにあらずや。
金井◆殿下先日の書状の如く妃殿下の洋行を止めらるる様ならば、自分は辞めるよりほか致し方なし。
倉富◆その事にならば、それよりほか致し方ならん。
金井◆宮内省にて妃殿下洋行の予算を作りたる説明は自分より書状にて通知しおけり。それにて釈然とならるるや否やは分からず。
倉富◆殿下は妃殿下の洋行は一家の私事なるに宮内省が無理に洋行せしむる様に申し越されるも、
妃殿下の洋行は決しおる事にて、溝口よりの書状にも準備費として50万円も必要なるべき旨申し来りおるにあらずや。洋行の事は既に決定し、殿下の滞在は3年と定まりたれば、今年の予算に妃殿下の洋行費を計上するは必然の事なり。ただしその金額は溝口の考えと非常に差があるゆえ宮内省にて見込を立てたる模様なり。

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倉富日記 大正11年06月23日

フランスの稔彦王が、宮内大臣が聡子妃の洋行費用を勝手に予算に計上したりとて怒り、宮務監督村木雅美・事務官金井四郎らより度々弁明の書状を出すもその怒り解けざるにつき、村木らよりその事情を宮内大臣牧野に報告する事を申し出し、村木より牧野に稔彦王と往復したる書簡・電信を示しその事情を説明す。
結局今日に至りては書状の往復等にて殿下を諒解せしむる見込なし。誰か適当なる人をして充分に説明せしめみるよりほか致し方なし。しかし殿下の真意はなるべく長くヨーロッパにある事を望まるるよりの事なるべく、
全体はさほど悪しき事にはあらずとの考えになりたる様なり。

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倉富日記 大正11年07月05日

西園寺八郎
西園寺◆稔彦王が聡子妃の同行を肯んぜられざるため宮内省より松平慶民を遣し説得せしむるつもりなる趣なるが、これはよほど困難にて承諾を得る事はでき難からんと思う。
倉富◆予も同様の考えなり。何人が稔彦王に説きたりとも所詮承諾を得る見込なし。ゆえに予は3年の留学期限を1年延ばす事は初めよりこれを覚悟し、この際は何事も言わず殿下が物寂しく思い幾分か考えの動きたる時機を待ちて説く方よろしくはなきやと思う。もっともこれも予の見込だけにて、いつまで待ちても殿下の考え変わらざるやも計り難けれども、只今すぐにかれこれ手を着けてはなおさら反抗心を挑発するならんと思い当分放任する意見を関屋に談したるも、関屋は談しさえすれば了解を得べしと言い、しきりに着手を急ぎおる模様なり。ことに内親王の関係もある事につき、予はこの際譲るだけは譲りても円満に結了せしむる必要あると思う。
西園寺◆まったく同感なり。松平にもそれだけの覚悟を為さしめおく必要ありと思う。もし初めより喧嘩する様の事ありては致し方なし。自分は皇族中にて四内親王の関係ある四宮だけはぜひとも宮内省と一致の行動を取らるる様に致しおく必要ありと思う。これまでの如く各皇族とも不平ありては何事も為し難し。

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倉富日記 大正11年08月10日

松平慶民
自分の弟のドイツにいる者〔徳川義親侯爵〕より山辺知春に送りたる書状あり。
その書状に北白川成久王の近状を報じ来れり。書状には御付武官太田和三郎がよろしからざる事を報じ来り。太田は婦人関係あり。成久王だけは町尻量基および北白川宮付属官水戸部孚の尽力にてその関係だけは止めおる旨を申し来りおれり。

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倉富日記 大正11年08月16日

松平慶民より貸したる書状の内の、徳川義親より二荒芳徳に送りたる物を見る。
『成久王付武官太田和三郎品行よろしからず。ことに婦人に関する不品行あり。この如き者を御付武官に為しおきては少しも益する所なくかえって有害なり。幸いに町尻量基・水戸部孚とありれ親切に成久王を保護しおるにつき今日までは安心なり。なるべく早く太田を取り替ゆる事の工夫をなされたし。房子妃の渡欧前に更迭する必要あり』
次に徳川義親より山辺知春に送りたる物を見る。
『成久王が来年4月頃よりイギリスに行かるる予定なる趣なるも、自分はこれに賛成せず。成久王はフランスにおらるるもフランス語は不十分なり。来年4月頃までフランスにおられても決して自由にフランス語を話さるる様にはならず。イギリスに行かれるればさらにABCより学ばれざるべからず。それはいわゆるアブハチ取らずに終わるるは必然なり』
2通とも稔彦王のことをちょっと書き加え、二荒に送る物には『成久王が稔彦王の如くなられては困る』との趣意を書し、山辺に送る物には『稔彦王はだいぶ深入りせられおる模様なり。留学生などの評判にてはその処置が困難なるべしとの事なる様なり』と言う事を申し越しおれり。

倉富◆この書状によれば、稔彦王には婦人の関係ある様なり。こちらの関係ならばその解決はかえって容易ならんと思わる。
松平◆あるいはしからん。自分がフランスに行きたらば様子分かるならん。

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倉富日記 大正11年08月25日

松平◆宮内次官関屋貞三郎より「君がフランスに行きたるうえ稔彦王に対する態度を書記して宮内大臣に示すべし」と言うにつきこれを書きたり。一覧しくれよ。
『松平は公務を帯びて来りたるにはあらざるも宗秩寮勤務の者なるゆえ稔彦王に対しても事実を問い意見を述ぶという趣旨にて話す事、殿下が婦人関係のため滞仏を望まるるならば進んでこれを解決し、妃殿下の御渡欧を急ぎなるべく速やかに帰朝なさるる様にする事、婦人の関係なく単に研究のため滞仏を希望せらるるならば延期の請願に賛成すること』
倉富◆だいたい予は賛成なり。これまでの行き掛りもあるゆえ強く言い張らるる事もあらん。それに閉口して沈黙する様にては効なかるべし。もし婦人問題が原因ならばたとえ殿下の意に反してもその関係を解く必要あるべく、とにかく充分打ち解けて事実の真相を得たる上にあらざれば処置しがたし。

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倉富日記 大正11年09月08日

金井四郎
フランスより陸軍中将金谷範三が帰りその話を聞きたるところ「稔彦王には実に落胆せり」と言えり。
稔彦王は孤独生活をなされほとんど誰にも面会せられず。金谷は度々面会して殿下の御話を聞きたるに、
まったく新聞等の受け売りにて少しも根拠もなきゆえ厳しく忠告し、皇族たる方が軽率に意見を発表なされてはよろしからざる旨を申し上げおきたりとのことなり。
殿下は落涙しおられたりとの事なり。
倉富◆殿下は剛胆の方なりと思いおりたるが見誤りなりしか。孤独生活のため神経的になりおらるればもやは病気なり。

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倉富日記 大正11年11月02日

金井四郎
北白川宮成久王はフランスにて何事も為されず御暮しなされおりあまり評判もよろしからず。

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倉富日記 大正11年11月17日

西園寺八郎
稔彦王の事を聞きたりや。
倉富◆聞かず。
西園寺◆東久邇宮付武官蒲穆より陸軍大臣に対し「稔彦王は婦人関係にて健康すぐれざるゆえ早々帰朝せらるる様取り計いたらばよろしからん」と申し来り。
倉富◆婦人関係にて健康を害すと言うは解し難し。如何なる病状なりや。精神病でも起りたる訳なるや。
西園寺◆しかるにはあらず。詳かなる事は分からず。
倉富◆これは大切な事なり。帰朝せらるるにしても殿下自ら進みて帰朝せらるる様にせざるべからず。
処置を誤れば殿下の終生を誤る事となる。言わば殿下を殺すか生かすかの界なり。

関屋◆宮内大臣より松平慶民に対し、稔彦王の状況および処置に関する見込を通知すべき旨申し遣すべき旨申し来りたり。
倉富◆婦人関係にて健康すぐれずとは如何なる事なるべきや。
関屋◆分からず。花柳病ぐらいならば何も騒ぐほどの事もなかるべし。

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倉富日記 大正11年11月27日

松平慶民の電信
『稔彦王に面談したるところ殿下は宮内大臣および宮内省に対する反感強し。それは殿下の滞仏費用大正11年度分は12万円なりとの倉富よりの電報通知ありたるのみにて、金井より詳細に説明せざりしより、前年は14万円のものを12万円に減したるものと思われたるよりの事にて無理もなき所もあり。自分より詳しく説明して御諒解ありたり。婦人の関係は心配すべきほどの事はなし。殿下の御帰朝の期および妃殿下の渡欧の期はこの節までは申し上げず』

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倉富日記 大正11年12月07日

倉富◆金井にはせっかく稔彦王が事情の行き違いを理由として心機を転ぜんとなしおらるる所なるゆえ、
この際事実をもって殿下に弁明し殿下を窮地に陥れる事を為してはよろしからず。
予と君とが不行届きなりしぐらいに非難は甘んじてこれを受けおらざるべからざる旨を告げ置きたる。
酒巻◆それは至極よろしかりし。

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倉富日記 大正11年12月22日

金井◆稔彦王付武官溝口直亮に対し「稔彦王はなぜに三井某を御用取扱に為す事を御嫌いなさるや」を問いたるに、溝口は「三井某が御用取扱として妃殿下に随いフランスに来る事を御嫌いなさるる模様にて、フランスへ来らざれば強いて御嫌いなさるる事はなからん」と言いおりたり。
また稔彦王の滞欧期限は3年なるが、今1年延ばす事は出来ざるべきや。
倉富◆左様に延ばす必要なからん。殿下は妃殿下が渡欧なされ社交界に御出なさる事ができざるゆえ、妃殿下は御帰朝前に御召いなされたき御考えの様なる趣。よりて来年3,4月頃妃殿下御渡欧なされ来年末頃までに御帰朝なされたらばよろしき事ならん
金井◆3年にてはそれほどの猶予なし。

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by oMUGIo | 2001-03-03 00:00 | 皇族

東久邇宮家 その2

●盛厚王 次代当主
●師正王 関東大震災で死亡
●彰常王 粟田彰常侯爵となる 稲葉典子と離婚・畠中久江と再婚
●俊彦王 ブラジルに移民して多羅間氏の養子となり、花城勝子と結婚 


左から 彰常王 聡子妃 盛厚王 俊彦王 稔彦王
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●彰常王 粟田彰常侯爵となる
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by oMUGIo | 2001-03-02 00:00 | 皇族

東久邇宮家 その1

東京本邸 芝区高輪南 (現:港区高輪)
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熱海別邸


◆東久邇宮稔彦王 総理大臣
1887-1990 明治20-平成02 102歳没
もと久邇宮朝彦親王の子 東久邇宮を創設

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結婚後フランスに留学したが、再三の帰国命令を無視して7年も帰らなかった。
お騒がせ宮様の一人である。
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■妻 明治天皇の娘 聡子内親王
1896-1978 明治29-昭和53 81歳没
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●盛厚王 次代当主
●師正王 関東大震災で死亡
●彰常王 粟田彰常侯爵となる 稲葉典子と離婚・畠中久江と再婚
●俊彦王 ブラジルに移民して多羅間氏の養子となり、花城勝子と結婚 


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正12年03月18日

久邇宮付属官も昨年08月自動車を運転し、その自動車に電車が突き当りたるため、
老婆を倒しその衣類を破り賠償を為したる事あり。


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<稔彦王の戦後の騒動>

昭和22年3月、戦後収入を絶たれた稔彦は新宿駅西口に古物商の店を持つ。
家宝を売りに出したが慣れぬ皇族商売でいっこうに儲からなかった。

昭和22年11月、稔彦は不渡り手形をふりだして告訴される。

昭和25年には
<ウルトラ・ニュー・コスモポリタン・プシュスム>(超新国際的仏教)という発想を発表する。
稔彦はこれをもとに<ひがしくに教>という新興宗教の教祖となる。
曹洞宗住職の小原竜海が得度式を行ったが、
もともと小原は詐欺で逮捕されたこともある怪しげな僧侶だったため、
たった2ヶ月で<ひがしくに教>は違法として終わりを迎える。

昭和27年2月には、東久邇家が依頼した人夫十数人が他人の住居を破壊したとして告訴される。

昭和37年には、「天皇陛下から御下賜のお許しがあった」と主張して、
皇室に属する国有地3万8800平米の土地を要求して国を相手に裁判を起こす。
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◆盛厚王
1917-1969 大正06-昭和44 51歳没


■前妻 昭和天皇の娘 成子内親王 死別
1925-1961 大正14-昭和36 35歳没
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■後妻 寺尾孝吉の娘 佳子
1927- 昭和02-


●前妻の子 信彦王  次代当主
●前妻の子 文子女王 大村和敏夫人・高木代々吉夫人
●前妻の子 秀彦王  壬生基博となる  
●前妻の子 真彦王   
●前妻の子 優子女王 東作興夫人
●後妻の子 厚彦    寺尾厚彦となる
●後妻の子 盛彦





◆東久邇宮信彦王
1945- 昭和20-
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■妻 島田二郎の娘 吉子
1943- 昭和18-


●征彦
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by oMUGIo | 2001-03-01 00:00 | 皇族

北白川宮家 その3

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<能久王の婚約騒動>

明治天皇紀 明治10年04月21日

ドイツ留学の北白川宮能久王に帰朝を命じたまう。
能久王は明治03年ドイツ留学を命ぜられ4年来ベルリンに在りて、
学費年額7000円にては支え難く1年2万円を要せんとす。
他の各親王家1年の用度もなお能久王の学資に及ばざるが如き状態なるをもって、
能久王の請求に応ぜらるべくもあらず、
明治09年04月に至り既に学業も進歩せる趣なれば本年中に帰朝すべしと命じたまう。
しかるに能久王は私費をもってなお滞留せんとの志あり、
さらに留学の延期を懇請す、聴したまわず、今年の01月さらに帰朝すべしと命じたまう。
能久王はドイツ貴族ブリタアの娘と結婚の内約あり。
これが勅許を得んと欲して徳大寺実則に内願の書を発し、また書を岩倉具視に寄せて曰く
「帰朝の命ありといえども学業半途にして帰朝せば数年間の勉学水泡に帰せんとす。
ゆえになお2,3年の留学を切望す。また文明の源流は婦人に発すという欧州の通論により
ドイツ貴族の娘を娶りて皇家を助け国家に尽くさんと欲す。よりてこれが勅許を得んことを願う」と。
さらに家令をして委曲の内情を岩倉具視に告げしむ。
三条実美・岩倉具視・徳大寺実則ら、能久王の書を見て意外なるに驚く。
徳大寺これを木戸孝允に商る。木戸また愕然として
「こと皇室の尊厳に関し、その影響甚大なり」と決して聴許せらるべからざるを説く。
三条もとより同意なるをもってすぐに天裁を仰ぎ、
徳大寺をして能久王に電報を発せしめて曰く「皇族の外国人と婚嫁するを得るの規定なし。
かつこと重大に属す。突然申請せらるるは軽率の至りなり。決して聴許あらせられず。
かつ既に帰朝の勅命あり。すぐに発程せるべし」と。
岩倉また寺島宗則をしてドイツ公使青木周蔵に電命し、
速やかに帰朝せらるべき旨を能久王に伝達せしむ。
この日、天皇さらに徳大寺をして本年中に帰朝すべき旨を能久王に伝えしめたまう。


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<能久王の婚約騒動>

明治天皇紀 明治10年07月03日

北白川宮能久王留学延期を請願せしが許されざるをもって、
04月12日ベルリンを発して帰朝の途に就く。
能久王留学中にドイツ貴族の娘と私に婚約を結び帰朝せんとするに臨み、
これを同地の新聞に広告せり。
その解決の方法および能久王の処分につきて内議する所あり。
これを岩倉具視に一任することに決す。岩倉、外務卿輔らと協議し能久王に説く所あり。
能久王その婦人に破約を通告し、また謹慎の意を表せんとす。
ただし東京の邸に在りては外人の訪問する者多くして籠居に適せず京都に赴かんとす。
天皇これを聴したまう。能久王この月26日をもって京都に入り、
爾来京都に在りしがこと漸く解け11月06日京都を発して帰邸す。


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フランスにて カラー写真 左から 房子妃 フランス人御用掛エリザベート・ソビー 成久王
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by oMUGIo | 2001-02-18 00:00 | 皇族

北白川宮家 その2

●側室の子 恒久王 竹田宮恒久王となる
●後妻の子 成久王 次代当主
●側室の子 輝久王 小松輝久侯爵となる 島津忠済公爵の娘薫子と結婚 
●愛人の子 芳之  能久親王死後認知 二荒芳之伯爵となる 早逝
●愛人の子 正雄  能久親王死後認知 上野正雄伯爵となる 伊達宗基伯爵の娘恵以子と結婚




●側室の子 満子女王 甘露寺受長伯爵夫人
●側室の子 貞子女王 有馬賴寧伯爵夫人
●側室の子 武子女王 藤堂高紹伯爵と婚約解消・保科正昭子爵と結婚
●側室の子 拡子女王 二荒芳徳伯爵夫人


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武子女王は藤堂高紹伯爵と婚約していたが、
藤堂は留学中に密かにイギリス人女性と結婚しており、
帰国後その事実が発覚し、大問題となり破談となった。

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貞子女王の息子 有馬頼義

母が父の所へ嫁いだあと岩波稲子〔貞子女王の生母〕は、私の家に長いこといた。
私はこの人にしつけられた。
子供心にも、気の遠くなるような美しさと怖さがあったのを私は今でも覚えている
母が父のところへ嫁いだ後、稲子は私の家に長いこといた。

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貞子女王の息子頼義の嫁 有馬千代子

お母様〔姑貞子〕を産んだ人がすごい美人だった。
実践女学校の総代に出たぐらいの出来のいい人だったんです。
ここの卒業式には必ず宮様が臨席したそうで、
たまたまその年北白川宮能久王が見えてその人を見初めてしまった
日本橋の薬問屋の二人娘の一人で、もうお婿さんも決まっていたんだそうです。
才色兼備というのを絵に描いたようなきれいな娘さんで、
北白川さんが「近う寄れ」ということになっちゃったのね。
昔は校長先生でも卒業生が宮家に入るというのは
学校にとっても大変名誉なことだったらしく、結局うちのお母様が生まれたわけです。
うちのお母様とそのお母さんがあまりにきれいなもので、相当いじめられたらしい。
お母様は16歳で華族女学校を出てお父様のところに来たんですけど、
そのお母さんもお付きで一緒に来たんです。
娘が嫁いでしまえば、北白川にいる場所はないんです。
才色兼備で何でもできる人だったから、
お父様〔貞子の夫〕はその人がおっかなくてしようがなかったらしいんです。
だから【おいねさん】はいる場所がなくてほんとに可哀想だった。
最後は宗教に凝って、朝から晩まで拝んでいたそうです。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵日記 大正09年07月25日

倉富&有馬伯爵家職員橋爪慎吾の会話

倉富◆岩波稲子の事は如何なりたるや。
橋爪◆故能久親王遺書を作り置かれ薨去後にこれを開封したるに、
稲子を扶持する事の遺言ありたるも富子妃の事については何らの遺言なかりしため、
富子妃これを怒り遺言書を取り上げこれを実行せず

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男子左から 成久王 恒久王 輝久王
女子左から 貞子女王 満子女王 武子女王
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左から 貞子女王 満子女王 拡子女王 武子女王
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●恒久王 竹田宮恒久王となる
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●輝久王 小松輝久侯爵となる 島津忠済公爵の娘薫子と結婚
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●正雄 上野正雄伯爵となる
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●満子女王 甘露寺受長伯爵夫人
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●貞子女王 有馬賴寧伯爵夫人
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●武子女王 藤堂高紹伯爵と婚約解消・保科正昭子爵と結婚
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●拡子女王 二荒芳德伯爵夫人
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●永久王    次代当主
●美年子女王 蜂須賀正氏侯爵と婚約解消・立花種勝子爵と結婚
●佐和子女王 東園基文子爵夫人
●多惠子女王 水戸徳川圀順公爵の子徳川圀禎の1/3番目の妻・本人死別


●美年子女王 蜂須賀正氏侯爵と婚約解消・立花種勝子爵と結婚

*蜂須賀正氏侯爵と婚約していたが、破談となった。
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●佐和子女王 東園基文子爵夫人
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●多惠子女王 徳川圀順公爵の子徳川圀禎の1/3番目の妻・本人死別
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by oMUGIo | 2001-02-17 00:00 | 皇族

北白川宮家 その1

東京本邸 芝区高輪南 (現:港区高輪)
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東京豊島別邸

横須賀別邸

日光別邸

軽井沢別邸

葉山別邸


◆北白川宮智成親王
1856-1872 安政03-明治05 15歳没
もと伏見宮邦家親王の子 北白川宮を創設





◆北白川宮能久親王
1847-1895 弘化04-明治28 48歳没
もと伏見宮邦家親王の子 初代智成親王の兄

*ドイツに留学

*日清戦争中、台湾に出征しマラリアのため現地で死亡。

*お騒がせ宮様の一人である。側室も多く、庶子も多い。
死後にも認知されていなかった庶子が現れ大問題となった。
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■前妻 土佐藩主山内容堂の娘 光子 離婚 妹は東伏見宮依仁親王の前妻八重子
1859- 安政06-
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後の梨本宮守正王と
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■後妻 伊達宗徳侯爵の娘 富子
1887-1923 文久02-昭和11 74歳没

*何かと口をはさみたがる、やかまし屋の宮妃の一人であった。

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●側室の子 恒久王 竹田宮恒久王となる
●後妻の子 成久王 次代当主
●側室の子 輝久王 小松輝久侯爵となる 島津忠済公爵の娘薫子と結婚 
●愛人の子 芳之  能久親王死後認知 二荒芳之伯爵となる 早逝
●愛人の子 正雄  能久親王死後認知 上野正雄伯爵となる 伊達宗基伯爵の娘恵以子と結婚


●側室の子 満子女王 甘露寺受長伯爵夫人
●側室の子 貞子女王 有馬賴寧伯爵夫人
●側室の子 武子女王 藤堂高紹伯爵と婚約解消・保科正昭子爵と結婚
●側室の子 拡子女王 二荒芳徳伯爵夫人


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島津忠重公爵

富子妃殿下は伊達家の出で、かつては私の父の弟に内約のあった方であったが
正式に決定する前にその叔父が亡くなったので、
一応久光の養女として北白川宮家に嫁せられた方である。


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正12年06月16日

宮内官僚小原駩吉の台詞

北白川富子妃は種々の愚痴も言われたるが、此節は平常に似ず非常におとなしく致しおる。
これは成久王の過失のため上下に対して不面目との御考えがある為ならん。
「成久王の過失のため天皇陛下・皇太子殿下方に御心配を掛け奉り少なからざる費用を要し、
それも公務の為にても死したる事なればまだしも此節の如き事にては実に申し訳なし」
と言われ、何とも挨拶の致し方もなかりし。


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貞子女王の夫 有馬頼寧伯爵の日記 昭和11年03月21日

<富子妃の葬儀について>

午後7時、御舟入。御近親の方ばかりでなさるので順序が明らかでなく、
誰からよく聞いておいて御指図すればよいと思う。


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有馬日記 昭和11年03月25日

今日は霊代祭。指揮をする人もなく多数の御親族連がガヤガヤ・マゴマゴするばかり。
なんという無統制な事だろう。


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◆北白川宮成久王
1887-1923 明治20-大正12 35歳没

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夫妻でフランスに留学中に交通事故を起こして成久王は死亡、
同乗していた房子妃と朝香宮鳩彦王が重傷を負った。
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■妻 明治天皇の娘 房子内親王
1890-1974 明治23-昭和49 84歳没
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フランスへ向かう船上にて
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フランスにて
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当時珍しいカラー写真
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左から 成久王 お世話係エリザベート・ソビー 房子妃 朝香宮鳩彦王
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事故現場
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●永久王    次代当主
●美年子女王 蜂須賀正氏侯爵と婚約解消・立花種勝子爵と結婚
●佐和子女王 東園基文子爵夫人
●多恵子女王 水戸徳川圀順公爵の子徳川圀禎の1/3番目の妻・本人死別


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年04月07日

宮内官僚石原健三の台詞

陸軍にては東久邇宮稔彦王には充分に期待を有しおるも、
北白川宮成久王に対してはさほど期待しおらず。
よりて一通り外遊さられたそれにて気が済むべしと言うぐらいにて、
1年の期限も陸軍で定めたる様にて言いおりたり。


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倉富日記 大正10年05月23日

倉富&北白川宮付事務官山辺知春の会話

山辺◆成久王洋行の事は大概殿下の御希望の如く決定したる。
倉富◆年限は2年ぐらいに決したりや。
山辺◆しかり。フランスに1年、イギリスに半年ぐらいの予定なり。
倉富◆房子妃はいつ頃御渡欧の予定なりや。
山辺◆成久王フランス滞在の半ば頃なるべし。
倉富◆成久王はいつ頃御出発のおつもりなりや。
山辺◆宮内大臣は皇太子御帰朝後の方よろしき様の話なるも、
成久王は一日も早き方を望まれおれり。


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◆北白川宮永久王
1910-1940 明治43-昭和15 30歳没

*陸軍大学校卒業後に赴任した蒙古で飛行機のプロペラに巻き込まれて死亡


■妻 尾張系徳川義恕男爵の娘 祥子
1916- 大正5-

*24歳で未亡人となる。 女官長となり長く香淳皇后に仕えた。
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●道久王  次代当主
●肇子女王 島津忠広公爵夫人





◆北白川道久王
1937- 昭和12-


■妻 島津忠承公爵の娘 慶子
1943- 昭和18-


●尚子
●宣子
●明子
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by oMUGIo | 2001-02-16 00:00 | 皇族

賀陽宮家 その3

恒憲王&敏子妃 アメリカにて
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ベーブ・ルースと
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by oMUGIo | 2001-02-15 00:00 | 皇族

賀陽宮家 その2

●由紀子女王 町尻量弘子爵の子町尻量基夫人
●恒憲王   次代当主
●佐紀子女王 山階宮武彦王妃 関東大震災で死亡


●由紀子女王 町尻量弘子爵の子町尻量基夫人
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●佐紀子女王 山階宮武彦王と結婚 関東大震災で死亡
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立つ左から 治憲王 不明 不明 文憲王 健憲王 不明 章憲王 宗憲王 
座る左から 不明 敏子妃 不明 美智子女王
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by oMUGIo | 2001-02-14 00:00 | 皇族

賀陽宮家 その1

東京本邸 麹町区一番町 (現:千代田区三番町)
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京都別邸
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◆賀陽宮邦憲王
1867-1989 慶応03-明治42 58歳没
もと久邇宮朝彦親王の子 賀陽宮を創設する
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■妻 醍醐忠順侯爵の娘 好子
1865-1941 慶応01-昭和16 76歳没
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●由紀子女王 町尻量弘子爵の子町尻量基夫人
●恒憲王   次代当主
●佐紀子女王 山階宮武彦王妃 関東大震災で死亡


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正09年05月14日

宮内官僚小原駩吉の台詞

好子妃は邦憲王の無能なりしに懲り
その娘は財産なきも相当の材幹ある人に嫁さしめたいとの希望にて
由紀子女王は町尻量基に嫁さしめられ、
町尻は家計豊かならず由紀子夫人は子を負いて電車に乗るというぐらいにて、
自分らの妻よりも苦労しおれども少しも不平なく好子妃もこれに満足しおられ、
佐紀子女王も相当の人に嫁さしめたいと言いおらる。

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◆賀陽宮恒憲王
1900-1978 明治33-昭和53 77歳没
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■妻 九条道実公爵の娘 敏子
1903-1995 明治36-平成07 91歳没
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●邦寿王    次代当主
●美智子女王 徳大寺実厚公爵の子徳大寺斉定と離婚
●治憲王
●章憲王
●文憲王
●宗憲王
●健憲王


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年05月20日

宮内官僚井上勝之助侯爵の部屋へ行き、
恒憲王の自動車が京都にて小児を轢き殺したる事の状を問う。
井上「1人は即死し、1人は軽傷なる趣。
明後日は結婚披露のため園遊会を開かるる予定なりしも延期せらるる事に決したり」と言う。


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倉富日記 大正10年10月07日

宮内官僚小原駩吉の台詞

敏子妃が九条家より従い行きたる老女がおりたるが、
恒憲王がこれを嫌い敏子妃に迫りてこれを返さしむる事となりとて、
賀陽宮家宮務監督工藤一記もその不可なる事を述べ、
賀陽宮家御用取扱大森鍾一もこれを説きたるも、恒憲王が承知せられざるゆえ、
大森が早朝自分の家に来り「何とか処置しくれよ」と言うにつき、
恒憲王に面し種々これを説きたれども承知せられず。


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倉富日記 大正11年07月08日

倉富&賀陽宮家宮務監督工藤一記の会話

工藤◆恒憲王先頃より脳の具合悪しとて学校も休み
夫婦にて田健治郎男爵の別荘に転地せられおり。
陸軍軍医総監平井政遒は「別段の容態を見出さず」と言うも、
恒憲王は頭痛がするとか何とか苦情多し。もし単なる懶惰ならばこれを矯正せざるべからざるも、
平井がかつて「恒憲王の体格は左の方が小さき所あり」と言いたる事もあり。
しかして母好子妃はむしろ愛に溺れおらるる方なるにつき、無理にこれを督励する訳にはいかず。
倉富◆もし診断を拒まれる様ならば、虚病と認めて諌争しざるべからざる。


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<恒憲王の不倫問題>

倉富日記 大正13年06月09日

小原駩吉の台詞

恒憲王が侍女に戯れらるる事あり。困りおりたる所その侍女が暇を乞うて帰りたるゆえ、
ひとまず安心せり。しかるにその後も御殿に来る事あり。
御付武官が恒憲王の反古紙を調べたるに、タイプライターにて打ちたる反古あり。
王殿下よりその侍女に送らるる案文にて
「避妊法を用いれば大丈夫なるゆえ応諾せよ」との事を書きありたる趣。


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<恒憲王の不倫問題>

倉富日記 大正13年09月22日

小原駩吉との約に違い恒憲王が二宮に行きおらるる時、
賀陽宮家より解雇したる婦人を呼び寄せられ、小原は恒憲王にこれを詰責したるところ、
恒憲王は「宮務監督中島正武が承諾せり」と言わるるにつき、
自分はその事についてはもはや何も言わず、
小原との約束に違背せらる事だけはこれを明言すと言い置きたり。


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◆賀陽宮邦寿王
1922-1986 大正11-昭和61 63歳没
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■妻 政治家津雲国利の娘 龍子 離婚
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by oMUGIo | 2001-02-13 00:00 | 皇族


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