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東久邇宮家 その5

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倉富日記 大正12年11月08日

松平慶民
山辺知春より電信で「稔彦王が帰朝の事に種々面倒の事を言わるる原因の主たるものは、随員の選択よろしきを得ざりしによるものならんと思う」旨を通知し来りおりたり。
倉富◆随員と言うは池田の事ならん。
松平◆自分も池田の事と思う。池田は独身にて長々フランスにおる方が利益なるゆえ、稔彦王の帰朝を延ばす傾あり。鳩彦王がフランスに来らるるまでは稔彦王は妃殿下を来年召い来々年までには帰朝する旨約せられおりたるも、鳩彦王が兄貴風を吹かせ余りすねてはよろしからずとか、此節の宮内省は前の宮内省と違うとか、東京では稔彦王の事を悪く言いおるとか言われたるため、非常に感情を害し来々年に帰朝するとの約束を取消されたり。
倉富◆稔彦王の婦人関係を問う。
松平◆なかなか巧みにせられおり、誰も正確なる事を知りおる者なし。
ある事は相違なし。また朝香宮妃渡仏の時は稔彦王は迎えにもいかず名代も出さずと言わるるにつき、
自分より礼儀に違う旨を説きたるに、稔彦王は朝香宮妃はお互いに嫌いなるゆえ迎えに行かずと言われたる。
また朝香宮妃がフランスに来られたるも、妃殿下が強くて鳩彦王が弱きゆえ、別に争いは起らざりしが、
王殿下お気に入りの看護婦ある事は妃殿下も承知せられおり。晩方よりその看護婦が交代に来る様になりおり、その時刻に病室に行かんとする者あれば、妃殿下は「邪魔になるよ」と言わるるぐらいなり。
やはり妃殿下はすぐには帰朝せられざるならん。

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倉富日記 大正12年11月10日

金井四郎
妃殿下「この事は既に稔彦王にも貞明皇后にも皇太子にも告げたり。自分がフランス行きを止めたらば、稔彦王の帰朝が幾分早くならんと思う。殿下の渡欧期限には自分と共に諸国を巡遊する期間も含みおるをもってなり。震災のため皇室にも非常なる影響ある際に自分が洋行する事は謂れなき事と思う」と言われたり。

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倉富日記 大正13年02月13日

金井四郎
聡子妃は風邪にて此節は神戸へは行かれざりしが、自分より「御風邪にあらざれば神戸まで御出を願うべきも云々」と申し上げたるに、妃殿下は「自分が神戸に行きても邪魔になる」と言われたり。
これは昌子妃と房子妃との間に種々の御談あるべく、その邪魔になるとの御趣意なり。
倉富◆聡子妃は房子妃とは御仲よろしきにあらずや。
金井◆昌子妃と房子妃とのほどにはいかず。
故北白川成久王御在世中は、稔彦王と鳩彦王との御間を種々御斡旋なされおりたる由なり。
宮内官僚海江田幸吉子爵の談には「鳩彦王の御言葉にはとかく針を含まれおり、かの模様にては円満には行かざるならん」と言う。
倉富◆御遭難については稔彦王はよほど親切を尽くしなされたる模様なり。
金井◆その模様なるが、朝香宮妃はとかく避けらるる模様ありとの事なり。

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倉富日記 大正13年03月29日

牧野◆稔彦王滞仏期間非常に長くなりなお帰朝期を定められず、皇族内にも心配さられおる方もあり。
またこのままに経過しては皇族一般に対する天皇陛下の御監督にも関する事につき、何とか処置せざるべからず。近き所ならば宮内大臣より意見を言上するが当然なるも、遠隔の所にてその事も出来ず。
さりとて突然勅命にて帰朝を命ぜらるるも不穏当なるべし。よりて誰かフランスに派遣し、充分に殿下に帰朝を勧説しなお承知せられざるならばその次には勅命を奏請する事もやむを得ずならんと思うが如何考える。
倉富◆先頃1年の延期を勅許せられたる時も、1年の期限を定めたる事が殿下の意に反する様の事を申し来りおれり。無期限に勅許を願う様の事の出来ざることは明白なる事なるに、なお左様の事を申し来るは勅許の性質も知らざる様に思わる。予は第一着手としては属官池田亀雄の行動が甚だ不都合につき、これを除く工夫なかるべきやと種々考えもし、山辺知春の意見も問いみたれども、同人も工夫なしとの事にてその事もできず、池田を免職する事は容易なる事なるも、免職しても殿下が池田を近づけらるれば一層始末悪しき事となるなり。池田は始終殿下の所におり、今日にては大分蓄財も出来おる模様にて、免職しても帰朝する様の事はなかるべく、しからば池田の処分も結局できざる訳なり。
しからば相当の人を派して殿下の帰朝を勧説する事は順序上やむを得ざる事と思う。ただしその人選は非常に困難なるべし。相当威望ある人にあらざれば不可なるべし。
牧野◆その通りなり。しかし古手軍人でも派遣したれば、殿下はすぐに自分を威圧するとて不平を言わるべし。池田の家族は如何様なる人があるべきや。家族より急に帰朝する様申し遣す事は出来ざるべきや。

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倉富日記 大正13年05月30日

金井四郎
自分は昨年震災以来稔彦王には愛想を尽かしたるも、聡子妃は実に御気の毒なり。
妃殿下の事を思えば東久邇宮家を去る気にもなれず、もし宮務監督も事務官も新たなる人にては尚更妃殿下が御困りなさるべきにつき、自分は東久邇宮家に留まりて差支えなし。

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倉富日記 大正13年06月03日

仙石◆稔彦王を説くには倉富君を措いて他に適当なる人なし。是非発奮しくれよ。
倉富◆予は不適任なり。宮内大臣も決して予を遣わさざるならん。
仙石◆自分は君に限ると思う。皇族一人を有用の人と為すか無用の人と為すか極めて重要なる事件なり。
徳川◆稔彦王のことだけを考うれば倉富君は適当なるに相違なし。しかし他に重要なる問題多し。
仙石◆他に洋行せられ難き事あるならばやむを得ざれども、長年月を要する事にあらざるゆえ差支えなかるべし。
倉富◆宮内大臣は必ず予を遣わさざるならん。
仙石◆徳川君も熟考しくれよ。自分より宮内大臣にも話す事にすべし。

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倉富日記 大正13年06月04日

倉富◆仙石の談は予をしてフランスに行き稔彦王を迎えしめんとする事なり。予と徳川とに対してこれを土岐たるが、予はもちろん反対せり。
金井◆徳川は何と言いたりや。
倉富◆徳川も賛成はせざりし。
金井◆仙石はこの事につき宮内次官に話すつもりなりしが、関屋は賛成せざりしならんと思わる。

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倉富日記 大正13年06月21日

フランス大使館付武官渋谷伊之彦の台詞

自分が帰朝する前稔彦王から「予は皇族なり。決してその本分を忘るる様の事なし」との言を聞きおれり。
王殿下は軍人として熱心に軍事を研究しおらるるとは言い難し。フランスの知名の人と交際せらるる様の事は少し。フランス在留の日本人とも接せらるる事は極めて少なし。
しかし昨年04月の北白川宮の御遭難の時の稔彦王の御処置は実に見事にて、何人も感心せり。
またローマに御出なされたる時の御態度も極めて立派なりしなり。
王殿下が近く御帰朝なされざる様ならば、池田亀雄の他に誰ぞ適当なる人を付くる方がよろしからん。
王殿下は余程池田を信用しおらるる模様にて、蒲などはほとんど何事にも与からず。先年溝口が辞めたる時も、王殿下は御付武官は必要なしと言われたるも、強いてこれを付けたるぐらいなり。

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倉富日記 大正13年08月02日

在ベルギー大使館職員武者小路公共子爵

稔彦王はこれまで宮内省に対し種々ワガママなる事を言われおるが、内心にては非常に苦悶しおられ、
何かこのワガママの罪を消す機会はなきやと思いおられおりたる所に皇太子よりローマ御差遣の御命ありたる事は非常に感激せられ、ローマに御出前よりその使命に関する準備は残る所なくこれを為され、ローマにおける御態度・御動作実に立派なるものにて一点の遺憾もなし。ローマ御出発後国境を出たる後、自分に対し「予の成績は如何」との御問ありしにつき、自分は「100点以上を差し上ぐる」と申し上げたるくらいなり。
倉富◆ただ困る事は稔彦王の御滞仏に関する名義の立たざる事なり。妃殿下の御渡仏は王殿下御帰朝の前提なる事は申すまでもなきが、王殿下の御承諾なくしては妃殿下が御渡仏なさるる訳にはいかず。王殿下よりの通知を待てば際限なきゆえ、結局手の着け様なき訳なり。

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倉富日記 大正13年09月22日

牧野◆聡子妃の性質温順にて、鳩彦王妃とは性質相違する。
倉富◆先年東久邇宮家の事務官と御用取扱との間に確執を生じ、結局双方とも官を退く事となりたり。
その原因は御用取扱の方にては「妃とはなられたるも内親王なるゆえ稔彦王もそれだけの斟酌はかなるべからず」との考えを有し、事務官の方では「内親王たりとも妃となられたる上は普通の妃と区別すべき訳なし」との考えを有し、稔彦王も鳩彦王妃が鳩彦王に反抗的な態度を取られたる事あるため左様の事なからしむるため幾分圧迫的な行動もありたる模様にて左様の争いを生じたる訳なり。

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倉富日記 大正13年11月07日

金井四郎
昨日園祥子東久邇宮家に来り、その次第は竹田宮妃が貞明皇后に謁せられたる時、皇后より「稔彦王の滞欧あまり長くなり、聡子妃にも気の毒な事なり。しかし自分より口を出す訳にもいかず、聡子妃より御依頼でもあれば何とか考えもあらん」との旨の御話あり。昌子妃はその事を度々聡子妃に話されたるも、聡子妃より明瞭なる答なきにつき、昌子妃は更に園を召い、園よりその事を聡子妃に話さしめられたりとの事なり。しかるに今日昌子妃より聡子妃の参殿を求められ、今日は武者小路公共夫妻参邸の約あるにつき聡子妃は断られたるも、ぜひ参殿せられたしかつ午餐を共にすべしとの事なり。よって今日聡子妃より昌子妃に依頼せられ、昌子妃より貞明皇后に御願でも為さる様の事に為りては重大の関係を生ずる事なり。
園は「聡子妃は話が下手なるにつき、皇后に直接に口頭をもって御願いなさる事はでき難かるべく、自身に御願なさるならば覚書を作りて皇后の御覧を願うか、昌子妃に依頼して御願なさるがよろしからん」と言えり。
自分は聡子妃に対し「今日昌子妃より如何様なる御話あるも、決して御即答ありてはよろしからず」と申し上げ置きたり。万一皇后より親簡でも送りたまい、稔彦王がそれに関わらず帰朝せられざる様の事ありてはいよいよ面倒なる事となるにつき、如何致したらよろしからん。
倉富◆昌子妃より皇后に願われても、宮内大臣にも御話なくすぐに親簡でも送らるる様の事はなかるべしと思う。

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倉富日記 大正13年12月03日

北白川房子妃

帰朝前稔彦王に対し、何か聡子妃に伝言せらるる事はなきかと言いたるところ、
「現在の皇族は多きに過ぐ。閑院宮を始め従来の皇族はすべて臣籍に降下したる後にあらざれば自分は帰朝せず。また妃も迎えざる旨を告げくれよ」との事なりしも、「それはあまり極端なる事なるにつき伝言しがたし」と言い置きたり。

金井四郎
池田亀雄がパリにて内地人画家の妻と通じたる事ある趣にて、この事は稔彦王も承知せられおり、また北白川房子妃も承知の事なり。房子妃より稔彦王の婦人関係の話あり。自分は「まったくその関係なき事を信じおる」旨を申し上げたるところ、房子妃は「果たしてこれを信じおるや」と言われたり。
房子妃は何か確証を有しおらるるならんと思う。

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倉富日記 大正13年12月12日

金井四郎
賀陽宮好子妃に「稔彦王は閑院宮始め従来の皇族がすべて臣籍に降下せられるまでは帰朝せずとの御考えなる趣なるが、好子妃は御承知なるや」と申し上げたるところ、「それは稔彦王の理想にて、差し向き自分一人の降下を望みおらる」との事を言われたり。
「園祥子がその事につき聡子妃に皇后に御願いなさるや否やを伺い、その返答はいまだ為されおらず。
園は昌子妃の御意を承けて来りたるものにつき、何とか園に御返事をなさる必要あらんと申し上げたれども、
返答に及ばずと言われたるにつき、しからばその内園が来りたる時妃殿下の面前にてかの事は当分何事もなさらざる事になりおるにつき承知する旨金井より園に話す事に致すべきが、それにてよろしきや」と申し上げたるに、好子妃はそれにてよろしと言われたり。好子妃は「聡子妃はどこかしっかりした所があるならん」との事を話しおられたり。

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倉富日記 大正13年12月16日

大森◆全体稔彦王が帰朝せられざるは何の為なりや。
倉富◆種々の説あれども確かなる事は無き様なり。初めは婦人関係ならんとの説もありたれども、これも確かならず。
大森◆結局パリが面白くて帰る気が無しと言うだけの事にはあらざるや。
倉富◆内地にては束縛ありて思う様の行動は出来ず。パリならば出来る。しかして長くなりたるため談話も自由に出来る様になり面白くなりたる事が主なる原因ならん。

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倉富日記 大正13年12月20日

金井四郎
房子妃に対し「先日稔彦王にはパリにて婦人の関係ある事を御承知遊ばさるる様に承りたるが、
その関係は非常に面倒にて閑院宮載仁親王の如きものなりや、または金さえあれば訳なく解決できる様のものなりや、相手の画家の娘と言うは如何なる者なるべきや」と申し上げたるに、房子妃は「自分の帰朝する頃の関係は、金さえあれば訳なく解決できるものと思いおりたり」との御話あり。
自分より「稔彦王よりも池田亀雄の方がよほど熱度が高き様に聞きおる」旨を申し上げ置きたり。

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倉富日記 大正13年12月25日

倉富◆稔彦王が帰朝を肯んぜられざる原因がどこにあるや明らかならず。医師が病症を探り得ざると同様にて、治療の工夫つき難し。
牧野◆畢竟殿下方は親族の情義薄き様なり。
倉富◆この事は各殿下に共通なる様なり。稔彦王は洋行前には予らに対し「子供の為ならば何事にも犠牲にする事は辞せざる」旨を話されたる事あるが、昨年の震災にて師正王が薨去せられたるについては必ず稔彦王の考えもこれまでと変り帰朝の念も起るならんと思いたるも、やはりその事無きは普通の人情と異なる所ある様なり。

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by oMUGIo | 2001-03-05 00:00 | 皇族

東久邇宮家 その4

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倉富日記 大正12年01月26日

牧野◆自分も磊落な方と思いいたるも、フランスより帰りたる陸軍将官某の談によれば、稔彦王は研究心もなく薄っぺらに軽率な議論を為され甚だよろしからず。日本の新聞の請け売りを為さる様にて、やれ軍閥がどうとか老人が固陋とか民主主義がどうとか言う様なる論なるゆえ、長時間に渡りて忌憚なく極論し、殿下の地位にありて軽率に左の如き事を口外なさるは言語道断なりと忠告したるに、確かに神経衰弱に罹れおりと言いおりたり。陸軍将官某は陸軍学校にて稔彦王に教授したる事ありとの事なり。
殿下が妃殿下の洋行の事を決せざるは困りたる事なり。御親族の方はしきりに御心配遊ばされおれり。
妃殿下は非常におとなしき方なり。
倉富◆しかり。妃殿下の御洋行が遅るる事につきても、妃殿下自身は少しも頓着せらるる風なし。
妃殿下があまりに温順なるため御用取扱有馬英子は「殿下が妃殿下を内親王として待遇せられず」と言いて事務官有馬純文と軋轢し、結局二人とも罷むる事となれり。
殿下は結婚当初は幾分高圧的に妃殿下に対せられたる模様もありたりとの事なり。
稔彦王が時々極端なる事を言わるる事あり。殿下がイギリスに行くことを拒む理由として、イギリス皇室ももやは時日の問題にてこれを研究するも格別効能なし。むしろロシア・ドイツの皇室は何故に滅びたるかその原因でも探究する方利益ならんなどと言われたる事もあり。
牧野◆左の如き考えを有しおられては大変なる事なり。

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倉富日記 大正12年03月06日

金井四郎
稔彦王の滞仏期限は3年とすれば04月某日までなるゆえ延期願書を出さざるべからざるところ殿下の意向わからざるゆえ願書出し難く、このままにする事も出来がたし。
倉富◆さりとて殿下の意向を問いたるうえ2年とか3年とか言われても困るにつき、松平慶民に電信を発し殿下の意向は如何なるや様子を報知すべき旨を照会したらば如何と思う。これとても松平より殿下に交渉したるうえ、殿下が御帰朝を決められざればやはり困るにつき、予より宮内大臣へ相談いたしみる方よろしからんと思う。

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倉富日記 大正12年03月16日

鳩彦王が邦彦王に送った手紙を牧野から見せられる

鳩彦王より邦彦王に送られたる書状には、
稔彦王は最初2年の期限にて洋行したるが、当時の宮内大臣は2年過ぐればまた2年を延期しいつまで滞在なされてもよろしと言いたる趣、稔彦王より鳩彦王に話されたる趣を記載しあり。
稔彦王はパリにては日本人に接せられるる事少なく、日本人も殿下の事を知りおる者少なき事、
稔彦王の行動については陸軍大臣・宮内大臣は非常に心配しおる事、稔彦王は勅命にて帰朝を命ぜらるるもこれに従わず皇族を辞むる旨を語りおらるる事、邦彦王より稔彦王に速やかに帰朝せらるる様申し遣わされたき事、松平慶民も稔彦王の帰朝を勧むる為に来りたるも御承知なきため心配しおる事等を記載しあり。

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倉富日記 大正12年03月18日

松平慶民の電信
滞在期限の事は、稔彦王は来年までと主張せられ、自分は今年中を主張し、意見一致しおらざりしところ、
鳩彦王着仏後懇々帰朝の事を勧告しられ、また貞明皇后の思召を伝えられたるよりかえって反対の事となり。先月07日自分が謁見を請いたるも拒まれ、強いて謁見を請いたるうえ「殿下の滞在期限は今月までにて尽きるにつきさらに勅許を願われざるべからず勅許を願うには余り期限の切迫せざる内に願わるるは礼儀なる」旨を説きたるに、「昨年の1年の延期願いの時も金井より勅許の事は何とも申し来らざりしゆえ今節も特に勅許を願うには及ばず」と言われ、「自分は適当なりと思う時に至らざれば帰朝せず」と言わるるゆえ、この上争うも無益なりと思いそのままに退出せり。

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倉富日記 大正12年03月19日

関屋・徳川・酒巻と共に陸軍省の小磯国昭大佐の談を聞く。
稔彦王は鳩彦王より一日遅れて生まれられたるも、稔彦王の生母が鳩彦王の生母より賤しく、特に一日違いの誕生を世間体を繕う必要もありたるべきも、1ヶ月ばかり遅れたる事と為し、稔彦王に対する待遇も鳩彦王に比すれば差別あり。父朝彦親王は維新の頃は朝譴までも受けられたることあり、後年に至りても不平を漏らされたる事もあり。稔彦王もその不平談を聞かれたる様の事よりして殿下の性質は自然猜疑心を生ずる様になられたる事と思わるとの談を聞きたる事あり。
稔彦王は宮内省または陸軍省等の人が殿下の為に心配する事をかえって悪意に御取りなされおる事少なからず。これはその御性質より来る事なるべし。自分は殿下に対し「本国の人が殿下の事につきかれこれ致すは殿下の御為を思う為なるゆえ、これを悪意に解釈せらるるはよろしからず。感謝せらるべきはずなり」との進言を為したる事もありたり。松平君なども「もはやどうしても駄目なり。この上は勅命をもって呼び返さるるよりほか致し方なし」と言いたることもありたるが、自分はこれを賛成せざりし。殿下はどうもすれば人に反抗なさるる癖あり。殿下は絵の研究を為されおり、よほど上達せられ自作の絵を掲げおらるれども、もとより絵をもって名を成さるるほどにはあらざること、殿下は語学も上達し土地にも慣れられたる為この節にてはパリ滞在が非常に愉快に為られおれり。ゆえに少しにても長く滞在したしとの御希望なるべき事、殿下は人に強いられて帰朝を決する事が御嫌いなる様なり。
自分の察する所にては、今年の秋頃までに妃殿下の洋行期を決し、来年の6,7月頃までに帰朝せらるる様になる事にはあるまじきや。もっとも殿下は少しも口外せられざるゆえ、自分の憶測だけの事の談を為したり。

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倉富日記 大正12年04月14日

町尻量基
稔彦王は思想悪化しおれり婦人に溺れおらる等の風評ある趣なるも、これは事実にあらず。
殿下が陸軍省・宮内省等に不平を抱きおらるるは事実なり。
殿下は非常に勉強しおられ、決して本国にて想像しおる如き事実にあらず。
殿下は陸軍の課業を卒われたる後は、経済・文芸等の事を研究しおらる所にて、妃殿下の渡欧期を定められざるは妃殿下が渡欧せられても社交界に出てらるる如き事はできず。妃殿下が渡欧せられたら殿下と共に各国を巡遊して帰朝せらるる様に為されたき考えなるため、殿下の帰朝期を定めらるるまでは妃殿下の渡欧を望まれざる様なりとの趣意の談を為せり。

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倉富日記 大正12年04月18日

フランスの朝香宮付武官藤岡万蔵からの電信
『鳩彦王は允子妃の御渡仏を望ませられず。ただし妃殿下の熱心なる御希望ならば強いて御差止は為されざる様伺い奉る』
フランスの松平慶民からの電信
『允子妃の御渡欧は鳩彦王の御希望にあらざるのみならず、鳩彦王と故成久王との間にも懸念すべき事情あり。その次第は鳩彦王が自動車遠乗は好まざりしも成久王の勧に因り遠乗を為したるため遭難せりとの不平を御漏らし為さるる事ある為なり。ゆえに妃殿下の御渡欧は御止め相成りたし』

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倉富日記 大正12年04月22日

関屋貞三郎
今朝竹田宮昌子妃は允子妃の渡仏を熱心に主張せられ、10時頃より12時まで渡仏の必要を説かれ、
允子妃も竹田宮家に来られ、共に渡仏を主張せられ、昌子妃は「鳩彦王は稔彦王と異なり洋行前に『自分が外国にて屋病に罹りたる時は妃はすぐに来りくれよ』と言いて行かれたり。
鳩彦王夫妻の間柄は、初めは円満を欠きたる事なきにもあらざりしも、近年は非常に円満になり妃殿下が洋行せられても感情を害する事は絶対になき」旨を主張せられ、允子妃も「自分が洋行して鳩彦王の感情を害する事は絶対になく、万一感情面白からざる事ありてもこれを和くる事は必ずできる」と言われおり。

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倉富日記 大正12年04月28日

金井四郎
明後日允子妃出発し来月02日門司より乗せらるるにつき、聡子妃送りて門司に行かるるが相当なるも、
允子妃より昌子妃が門司まで行かるる事を望まれたる旨を話しおきたるところ、朝香宮家宮務監督栗田直八郎は「允子妃より昌子妃が門司まで送らるる事を望まれたる事は決してなく、允子妃はむしろ聡子妃の方が心置きなく話すこともできるにつき聡子妃が送らるる事を望みおられたるも、昌子妃が是非とも自分が送り行くと言わるるにつきその事に決したる次第なり」と言う。

東久邇宮家にては朝香宮洋行の時も北白川宮洋行の時も送別宴を開き、この節もそのつもりに致しおりたるところ、昌子妃より聡子妃に対し「允子妃の出発前には日数も少なく格別に送別宴を開く時日なきにつき、両宮共同にて送別会を催すべし」との事なりしにつき、共同のつもりなりしところ、竹田宮家のみにて催し、聡子妃は客として招かるる事となりたり。
この事情を栗田に話したるところ栗田も驚き「鳩彦王御出発の時も、東久邇宮家にては他と異なり御丁寧なる送別宴ありたるにつき、此節も必ず御催しある事ならんと思い、日程を定むる都合もあるゆえ東久邇宮家よりの御案内は無きやと問いいたるくらいなりし」と言えり。

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倉富日記 大正12年04月30日

フランスの松平慶民からの電信
允子妃渡仏決したる事を稔彦王に告げたるところ、殿下は鳩彦王が意識不明の如き場合ならともかく、鳩彦王が談話しうる今日鳩彦王の意見を問わずして允子妃の渡仏を決したるは不可なり。たとえ鳩彦王の兄なる邦彦王、妃の姉なる昌子妃たりとも、いわんや允子妃が熱心に渡仏を主張せられたりとも、鳩彦王の意見を問わずして決したるは甚だ遺憾なり。此節の事は宮内職員の意にあらず、皇族の主張に因り余儀なく此の如き事と為りたるはこれまでの電信により明瞭なるにつき、殿下の意見は皇族に通知せられたらばよろしからんと言いたるも、宮内大臣へは自分の意見を通知しおくべき旨を命ぜられたり。

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倉富日記 大正12年05月15日

金井四郎
昌子妃より聡子妃に対し、夫などは当てにせず自分だけにて何事も処置する考えを持ちおらざるべからざる旨御話ありたり。
倉富◆昌子妃は只今は〔未亡人なので〕妃殿下にて万事を処理せられてよろしく、また処置せられざるべからざる時なるゆえ、昌子妃と聡子妃と同様にする事は出来がたし。

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倉富日記 大正12年06月02日

金井四郎
聡子妃はなるべく〔留守中の〕朝香宮家に行かれ御子様方に御注意なさるる事よろしからんと思い、
その旨を申し上げ妃殿下もその御考えなるも、昌子妃がその事を御好みなされざる様にてとかく御止めなさる様なり。
倉富◆昌子妃は何故に聡子妃が允子妃の所へ行かるる事を嫌わるる訳なるべきや。
金井◆両宮の接近を喜ばれざる訳ならん。朝香宮両殿下の御不在中聡子妃が朝香宮の御子様方の御世話をなされたらば朝香宮両殿下の御感情もよろしくなる事ならん。

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by oMUGIo | 2001-03-04 00:00 | 皇族

東久邇宮家 その3

≪東久邇宮稔彦王フランス留学から帰国しない事件≫


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正08年01月07日

*倉富は東久邇宮家の宮務監督も務めていた。

陸軍大将仁田原重行子爵&宮内大臣波多野敬直の会話

仁田原◆東久邇宮稔彦王殿下外遊の御希望あり。
波多野◆外国の都合さえよろしくば、
いつにても御外遊なされてよろしかるべき旨申し上げおきたり。
ただしアメリカは華族の遊学にても好ましからざる事情あるにつき、
殿下もアメリカに御外遊なさるる事はよろしかるまじき旨を述ぶ。

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倉富日記 大正08年05月09日

稔彦王&宮内大臣波多野敬直子爵の会話

稔彦王◆フランスに留学し、
一年ばかり経過したる後イギリスに赴き同国宮廷の模様等を視察したい。
波多野◆さすれば3年ぐらいを費やすことになりしにつきよろしからん。
稔彦王◆それならばその趣を陛下に奏しおきくれよ。
波多野◆宮内省として希望するところは、イギリスの皇族などが
いかに皇室と人民との間に立ちて力を尽くしおるや等を研究してこられたきことなり。
軍事などはもはや外国に御学成さるる必要はなきにあらざるや。

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倉富日記 大正08年05月11日

稔彦王の台詞

一年半ばかりフランスに遊行し陸軍大学に入り軍事を研究し、それよりイギリスに遊行し皇族等の上流人が如何様にして力を国事に尽くしおるかを究め国交上にも幾分の裨益をなさんと欲しおるが、
イギリスとフランスは敵対の間柄なるにつき、予がフランスに学びたる後イギリスに遊行し、イギリスにて予を歓迎するや否なの懸念ありたるゆえ、井上勝之助を召いて意見を問いたるところ、井上は大いに予の意見に賛成し「フランスに御遊行ありてイギリスに御出でなくしてはかえってイギリスの感情を害することになるべし」と言いたるゆえ、さらに宮内大臣を召いて意見を問いたるところ、これも大賛成にて「軍事はもはや特に外国に御学びなさるる必要なかるべく、主として第二の目的の方を御研究なさるることを望む」ようの話をなせり。
左様の次第にて予の方針も決したるゆえ、早ければ来年冬頃、遅ければ再来年春頃に出発するつもりなり。

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倉富日記 大正08年09月16日

倉富&東久邇宮付事務官金井四郎の会話

金井◆東伏見宮の御洋行は宮内省より26万円を支出したる由。
倉富◆東伏見宮の洋行は公式の使命を帯びられたるもににて東久邇宮の留学とは全然異なるゆえ、
左のごとき事と同様の支出を望むは不当なり。先年来皇族留学の例は幾らぐらいの費用を出しあるや。
金井◆1年2万5000円ぐらいならん。
倉富◆大体はその方が標準なるべし。

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倉富日記 大正09年03月23日

金井四郎の台詞

稔彦王の洋行に関する費用は随行者の分を合わせ29万円を要求しおきたるが、
内蔵寮そのうち7万円を削減する意見を立て、7万円の削減はあまりに多きに過ぎる様なり。
今後の都合にてはあるいは援助を求むる事もあるべきにつき含みおきくれよ。

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倉富日記 大正10年02月17日

金井四郎

金井◆稔彦王洋行の期限は3年の希望なりしところ前大臣が「まず2年と致しおき2年過ぎたる後1年の延期を願われたらば必ず勅許あるよう取計べく自分の在職は必し難きもその時は後任者に申し継ぎおくべし」と言い、この事については君も保証人となり、石原健三も同様なるところ、3人とも職を去る様の事ありては誰もこれを知る者なく他日困るべきにつき書面にてこれを証しくれる事はできざるや。
倉富◆その事は確かにこれを聞きおれり。もし予が職を去る様の事あらば後任の大臣にもこれを話しおくべく、また書面も作りおくべし。

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倉富日記 大正10年08月05日

金井四郎
金井◆フランスの稔彦王より留学の期間を4年に延ばしたき旨の書状を送り越されたり。
倉富◆稔彦王御留学は表面は2年にて後1年の延期は波多野が確約したる事なるが、
実は3年の留学も懸念しおる所なり。北白川宮成久王・朝香宮鳩彦王の留学問題もあり、
稔彦王のみ4年ということは宮内大臣として取計がたかるべし。
実際より見ても3年にてよろしくはなきや。聡子妃の御考えは如何。
金井◆聡子妃には自分より伺いたるところ、4年にてもよろしとの事なりし。

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倉富日記 大正10年09月21日

東久邇宮家宮務監督村木雅美
村木◆フランスの稔彦王より書状にて「フランス留学は4年の予定にて、その事は波多野敬直がこれを承知しおり。倉富もその証人なり」との趣を申し越されたるが、自分が聞きおる所にては3年の予定なる様なるが如何。
倉富◆しかり。4年という事はなし。
村木◆殿下は初めは3年間のうち終りの1年間ぐらいはイギリスに行きて帝室と人民との関係などを研究せらるるつもりの様なりしが、近来の御書状にてはその事も模様替えとなり終りまでフランスにおらるるつもりの様なり。
倉富◆殿下は今も絵画を研究せられおるや。
村木◆しかり。
倉富◆それは良き事なるも、あまり吹聴する訳にはいかざるべし。
ともかく軍事研究が目的なるゆえその目的を忘れられたる様の評判なき様にする必要なるべし。
村木◆しかり。

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倉富日記 大正10年09月26日

金井四郎
金井◆フランスより稔彦王が送られたる書状あり。
倉富◆先日村木よりその話を聞きたり。村木も4年の事はこれまで聞きたる事なし。
金井◆4年説は殿下が熱心なるゆえ出来る事ならば4年と為したし。
従来は外国人には陸軍大学校後隊付となる事は許さざるる事となりおるも、
稔彦王には特にこれを許す事とすべき旨を話したる由なり。
しかれば来年10月に卒業しその後隊付となり1年間を費すとすれば、3年にては不足なり。
倉富◆その事は宮内省にては言い難し。
陸軍よりその事を理由として4年説を主張せば、あるいは行われざる事もなかるべし。
金井◆4年説が如何にしても行われざるならば、終り1年間私費にて滞在せらるる事はできましきや。
倉富◆宮内省が4年を承知せざる事とならば、その理由は費用の為とは言わざるべし。
費用の為に許否する事はできざるべし。

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倉富日記 大正10年10月07日

西園寺八郎
八郎◆朝香宮鳩彦王は真直ならず。北白川成久王は時として軽々しき事あり。
倉富◆稔彦王がパリにて皇太子に対して為されたる事を伝聞したるが、これは実に意外の事なりし。
八郎◆畢竟稔彦王の誤解より出でたるものなるべし。幸いに皇太子の御話にて誤解も解けたる模様なるゆえ、帰朝の上は必ずよろしからん。溝口某よりの来書にても、殿下もかの時の事を悔いおらるる旨を申し来りおれり。

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倉富日記 大正11年01月11日

金井四郎
フランスの溝口より電報にて、稔彦王の滞仏期間・聡子妃の渡仏期間等を殿下に謀らずして定めたりは不都合なりとて殿下が怒りおらるる旨申し来りたり。
自分よりは予算の事については意見を述べたるも左の事については何事も言わざる旨返電を発しおきたり。
殿下は本年10月陸軍大学を卒業せられたらばその後2,3ヶ月ぐらいフランスに滞在せられ、イギリスにて相当の期間を送られ、各国を巡遊して帰られたらばよろしからんと思う。
それにつき宮内省よりは3年間以上の費用を出さざるべきにつき、先年皇室より下賜されたる50万円の内10万円ぐらい支出する事を許されまじくや。
倉富◆稔彦王がイギリスの事情を視察する様の気にならるるならばそのぐらいの詮議はできるならんと思わるるも、殿下出発前の予定を変しフランスにのみ滞在しイギリスに行かずと言わるる様にてはいよいよ速やかに帰国せらるべしとの事になるならんと思う。
金井◆稔彦王は7,8ヶ月間はイギリスに滞在せらるるつもりにて出発せられおるゆえ、イギリスに行かざれば済まざる訳なり。ぜひとも予定の通りになさる様になす必要ありと思う。
倉富◆稔彦王は陸軍大学を卒業したるうえ参謀本部付とならるるつもりとの事なるも、予は左様の必要なしと思う。
金井◆参謀本部付は上原勇作も不同意なり。上原は「北白川成久王・朝香宮鳩彦王の様なる方が外国に行かれて何になるものか」と言いおりたり。

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倉富日記 大正11年02月23日

金井四郎来り、フランスの稔彦王より金井に送られたる書状を示す。書状は『宮内大臣が自分に謀らず勝手に聡子妃渡仏の事およびその期日を定め予算を立てたるは不都合なり。自分は如何なる事ありても不合理の事には服する事あたわず。ゆえに妃の渡仏は断然これを止め、たとえ御沙汰がありても承諾せざる』旨を記しありたり。
倉富◆これは稔彦王の誤解なり。聡子妃洋行費の予算の事は君らは少しも関係せざりしや。
金井◆妃殿下の予算には少しも関係しおらず。
倉富◆殿下の滞在は3年間にして、御帰朝前には妃殿下も御洋行なさる事が決しおる以上は宮内省としては今年の予算にこれを計上するは当然の事にあらずや。
金井◆その通りなり。この事は殿下も了解せらるべく、格別の事にはあらずと思う。
この書状と同時に、妃殿下にも村木雅美にも来書あり。大意はこれと同様なり。

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倉富日記 大正11年03月08日

山辺知春
倉富◆北白川宮成久王御着後、稔彦王へ御面会の事について何も御通知なきや。
山辺◆何も通知なし。御付武官よりの書状にては、稔彦王付武官に相談しても何の相談にも応ぜざるゆえこの頃は相談せずと申し来り、よほど不平の模様なり。


金井四郎
金井◆もはや宮付も嫌になれり。辞めたし。
倉富◆稔彦王より帰朝までは勤続する事を希望せられたにあらずや。
金井◆殿下先日の書状の如く妃殿下の洋行を止めらるる様ならば、自分は辞めるよりほか致し方なし。
倉富◆その事にならば、それよりほか致し方ならん。
金井◆宮内省にて妃殿下洋行の予算を作りたる説明は自分より書状にて通知しおけり。それにて釈然とならるるや否やは分からず。
倉富◆殿下は妃殿下の洋行は一家の私事なるに宮内省が無理に洋行せしむる様に申し越されるも、
妃殿下の洋行は決しおる事にて、溝口よりの書状にも準備費として50万円も必要なるべき旨申し来りおるにあらずや。洋行の事は既に決定し、殿下の滞在は3年と定まりたれば、今年の予算に妃殿下の洋行費を計上するは必然の事なり。ただしその金額は溝口の考えと非常に差があるゆえ宮内省にて見込を立てたる模様なり。

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倉富日記 大正11年06月23日

フランスの稔彦王が、宮内大臣が聡子妃の洋行費用を勝手に予算に計上したりとて怒り、宮務監督村木雅美・事務官金井四郎らより度々弁明の書状を出すもその怒り解けざるにつき、村木らよりその事情を宮内大臣牧野に報告する事を申し出し、村木より牧野に稔彦王と往復したる書簡・電信を示しその事情を説明す。
結局今日に至りては書状の往復等にて殿下を諒解せしむる見込なし。誰か適当なる人をして充分に説明せしめみるよりほか致し方なし。しかし殿下の真意はなるべく長くヨーロッパにある事を望まるるよりの事なるべく、
全体はさほど悪しき事にはあらずとの考えになりたる様なり。

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倉富日記 大正11年07月05日

西園寺八郎
西園寺◆稔彦王が聡子妃の同行を肯んぜられざるため宮内省より松平慶民を遣し説得せしむるつもりなる趣なるが、これはよほど困難にて承諾を得る事はでき難からんと思う。
倉富◆予も同様の考えなり。何人が稔彦王に説きたりとも所詮承諾を得る見込なし。ゆえに予は3年の留学期限を1年延ばす事は初めよりこれを覚悟し、この際は何事も言わず殿下が物寂しく思い幾分か考えの動きたる時機を待ちて説く方よろしくはなきやと思う。もっともこれも予の見込だけにて、いつまで待ちても殿下の考え変わらざるやも計り難けれども、只今すぐにかれこれ手を着けてはなおさら反抗心を挑発するならんと思い当分放任する意見を関屋に談したるも、関屋は談しさえすれば了解を得べしと言い、しきりに着手を急ぎおる模様なり。ことに内親王の関係もある事につき、予はこの際譲るだけは譲りても円満に結了せしむる必要あると思う。
西園寺◆まったく同感なり。松平にもそれだけの覚悟を為さしめおく必要ありと思う。もし初めより喧嘩する様の事ありては致し方なし。自分は皇族中にて四内親王の関係ある四宮だけはぜひとも宮内省と一致の行動を取らるる様に致しおく必要ありと思う。これまでの如く各皇族とも不平ありては何事も為し難し。

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倉富日記 大正11年08月10日

松平慶民
自分の弟のドイツにいる者〔徳川義親侯爵〕より山辺知春に送りたる書状あり。
その書状に北白川成久王の近状を報じ来れり。書状には御付武官太田和三郎がよろしからざる事を報じ来り。太田は婦人関係あり。成久王だけは町尻量基および北白川宮付属官水戸部孚の尽力にてその関係だけは止めおる旨を申し来りおれり。

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倉富日記 大正11年08月16日

松平慶民より貸したる書状の内の、徳川義親より二荒芳徳に送りたる物を見る。
『成久王付武官太田和三郎品行よろしからず。ことに婦人に関する不品行あり。この如き者を御付武官に為しおきては少しも益する所なくかえって有害なり。幸いに町尻量基・水戸部孚とありれ親切に成久王を保護しおるにつき今日までは安心なり。なるべく早く太田を取り替ゆる事の工夫をなされたし。房子妃の渡欧前に更迭する必要あり』
次に徳川義親より山辺知春に送りたる物を見る。
『成久王が来年4月頃よりイギリスに行かるる予定なる趣なるも、自分はこれに賛成せず。成久王はフランスにおらるるもフランス語は不十分なり。来年4月頃までフランスにおられても決して自由にフランス語を話さるる様にはならず。イギリスに行かれるればさらにABCより学ばれざるべからず。それはいわゆるアブハチ取らずに終わるるは必然なり』
2通とも稔彦王のことをちょっと書き加え、二荒に送る物には『成久王が稔彦王の如くなられては困る』との趣意を書し、山辺に送る物には『稔彦王はだいぶ深入りせられおる模様なり。留学生などの評判にてはその処置が困難なるべしとの事なる様なり』と言う事を申し越しおれり。

倉富◆この書状によれば、稔彦王には婦人の関係ある様なり。こちらの関係ならばその解決はかえって容易ならんと思わる。
松平◆あるいはしからん。自分がフランスに行きたらば様子分かるならん。

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倉富日記 大正11年08月25日

松平◆宮内次官関屋貞三郎より「君がフランスに行きたるうえ稔彦王に対する態度を書記して宮内大臣に示すべし」と言うにつきこれを書きたり。一覧しくれよ。
『松平は公務を帯びて来りたるにはあらざるも宗秩寮勤務の者なるゆえ稔彦王に対しても事実を問い意見を述ぶという趣旨にて話す事、殿下が婦人関係のため滞仏を望まるるならば進んでこれを解決し、妃殿下の御渡欧を急ぎなるべく速やかに帰朝なさるる様にする事、婦人の関係なく単に研究のため滞仏を希望せらるるならば延期の請願に賛成すること』
倉富◆だいたい予は賛成なり。これまでの行き掛りもあるゆえ強く言い張らるる事もあらん。それに閉口して沈黙する様にては効なかるべし。もし婦人問題が原因ならばたとえ殿下の意に反してもその関係を解く必要あるべく、とにかく充分打ち解けて事実の真相を得たる上にあらざれば処置しがたし。

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倉富日記 大正11年09月08日

金井四郎
フランスより陸軍中将金谷範三が帰りその話を聞きたるところ「稔彦王には実に落胆せり」と言えり。
稔彦王は孤独生活をなされほとんど誰にも面会せられず。金谷は度々面会して殿下の御話を聞きたるに、
まったく新聞等の受け売りにて少しも根拠もなきゆえ厳しく忠告し、皇族たる方が軽率に意見を発表なされてはよろしからざる旨を申し上げおきたりとのことなり。
殿下は落涙しおられたりとの事なり。
倉富◆殿下は剛胆の方なりと思いおりたるが見誤りなりしか。孤独生活のため神経的になりおらるればもやは病気なり。

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倉富日記 大正11年11月02日

金井四郎
北白川宮成久王はフランスにて何事も為されず御暮しなされおりあまり評判もよろしからず。

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倉富日記 大正11年11月17日

西園寺八郎
稔彦王の事を聞きたりや。
倉富◆聞かず。
西園寺◆東久邇宮付武官蒲穆より陸軍大臣に対し「稔彦王は婦人関係にて健康すぐれざるゆえ早々帰朝せらるる様取り計いたらばよろしからん」と申し来り。
倉富◆婦人関係にて健康を害すと言うは解し難し。如何なる病状なりや。精神病でも起りたる訳なるや。
西園寺◆しかるにはあらず。詳かなる事は分からず。
倉富◆これは大切な事なり。帰朝せらるるにしても殿下自ら進みて帰朝せらるる様にせざるべからず。
処置を誤れば殿下の終生を誤る事となる。言わば殿下を殺すか生かすかの界なり。

関屋◆宮内大臣より松平慶民に対し、稔彦王の状況および処置に関する見込を通知すべき旨申し遣すべき旨申し来りたり。
倉富◆婦人関係にて健康すぐれずとは如何なる事なるべきや。
関屋◆分からず。花柳病ぐらいならば何も騒ぐほどの事もなかるべし。

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倉富日記 大正11年11月27日

松平慶民の電信
『稔彦王に面談したるところ殿下は宮内大臣および宮内省に対する反感強し。それは殿下の滞仏費用大正11年度分は12万円なりとの倉富よりの電報通知ありたるのみにて、金井より詳細に説明せざりしより、前年は14万円のものを12万円に減したるものと思われたるよりの事にて無理もなき所もあり。自分より詳しく説明して御諒解ありたり。婦人の関係は心配すべきほどの事はなし。殿下の御帰朝の期および妃殿下の渡欧の期はこの節までは申し上げず』

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倉富日記 大正11年12月07日

倉富◆金井にはせっかく稔彦王が事情の行き違いを理由として心機を転ぜんとなしおらるる所なるゆえ、
この際事実をもって殿下に弁明し殿下を窮地に陥れる事を為してはよろしからず。
予と君とが不行届きなりしぐらいに非難は甘んじてこれを受けおらざるべからざる旨を告げ置きたる。
酒巻◆それは至極よろしかりし。

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倉富日記 大正11年12月22日

金井◆稔彦王付武官溝口直亮に対し「稔彦王はなぜに三井某を御用取扱に為す事を御嫌いなさるや」を問いたるに、溝口は「三井某が御用取扱として妃殿下に随いフランスに来る事を御嫌いなさるる模様にて、フランスへ来らざれば強いて御嫌いなさるる事はなからん」と言いおりたり。
また稔彦王の滞欧期限は3年なるが、今1年延ばす事は出来ざるべきや。
倉富◆左様に延ばす必要なからん。殿下は妃殿下が渡欧なされ社交界に御出なさる事ができざるゆえ、妃殿下は御帰朝前に御召いなされたき御考えの様なる趣。よりて来年3,4月頃妃殿下御渡欧なされ来年末頃までに御帰朝なされたらばよろしき事ならん
金井◆3年にてはそれほどの猶予なし。

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by oMUGIo | 2001-03-03 00:00 | 皇族

東久邇宮家 その2

●盛厚王 次代当主
●師正王 関東大震災で死亡
●彰常王 粟田彰常侯爵となる 稲葉典子と離婚・畠中久江と再婚
●俊彦王 ブラジルに移民して多羅間氏の養子となり、花城勝子と結婚 


左から 彰常王 聡子妃 盛厚王 俊彦王 稔彦王
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●彰常王 粟田彰常侯爵となる
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by oMUGIo | 2001-03-02 00:00 | 皇族

東久邇宮家 その1

東京本邸 芝区高輪南 (現:港区高輪)
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熱海別邸


◆東久邇宮稔彦王 総理大臣
1887-1990 明治20-平成02 102歳没
もと久邇宮朝彦親王の子 東久邇宮を創設

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結婚後フランスに留学したが、再三の帰国命令を無視して7年も帰らなかった。
お騒がせ宮様の一人である。
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■妻 明治天皇の娘 聡子内親王
1896-1978 明治29-昭和53 81歳没
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●盛厚王 次代当主
●師正王 関東大震災で死亡
●彰常王 粟田彰常侯爵となる 稲葉典子と離婚・畠中久江と再婚
●俊彦王 ブラジルに移民して多羅間氏の養子となり、花城勝子と結婚 


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正12年03月18日

久邇宮付属官も昨年08月自動車を運転し、その自動車に電車が突き当りたるため、
老婆を倒しその衣類を破り賠償を為したる事あり。


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<稔彦王の戦後の騒動>

昭和22年3月、戦後収入を絶たれた稔彦は新宿駅西口に古物商の店を持つ。
家宝を売りに出したが慣れぬ皇族商売でいっこうに儲からなかった。

昭和22年11月、稔彦は不渡り手形をふりだして告訴される。

昭和25年には
<ウルトラ・ニュー・コスモポリタン・プシュスム>(超新国際的仏教)という発想を発表する。
稔彦はこれをもとに<ひがしくに教>という新興宗教の教祖となる。
曹洞宗住職の小原竜海が得度式を行ったが、
もともと小原は詐欺で逮捕されたこともある怪しげな僧侶だったため、
たった2ヶ月で<ひがしくに教>は違法として終わりを迎える。

昭和27年2月には、東久邇家が依頼した人夫十数人が他人の住居を破壊したとして告訴される。

昭和37年には、「天皇陛下から御下賜のお許しがあった」と主張して、
皇室に属する国有地3万8800平米の土地を要求して国を相手に裁判を起こす。
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◆盛厚王
1917-1969 大正06-昭和44 51歳没


■前妻 昭和天皇の娘 成子内親王 死別
1925-1961 大正14-昭和36 35歳没
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■後妻 寺尾孝吉の娘 佳子
1927- 昭和02-


●前妻の子 信彦王  次代当主
●前妻の子 文子女王 大村和敏夫人・高木代々吉夫人
●前妻の子 秀彦王  壬生基博となる  
●前妻の子 真彦王   
●前妻の子 優子女王 東作興夫人
●後妻の子 厚彦    寺尾厚彦となる
●後妻の子 盛彦





◆東久邇宮信彦王
1945- 昭和20-
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■妻 島田二郎の娘 吉子
1943- 昭和18-


●征彦
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by oMUGIo | 2001-03-01 00:00 | 皇族


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