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東伏見宮家 その2

依仁親王&周子妃
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by oMUGIo | 2001-04-02 00:00 | 皇族

東伏見宮家 その1

東京本邸 豊多摩郡渋谷町 (現:渋谷区東)
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葉山別邸
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蓼科別邸

逗子別邸

箱根別邸


◆東伏見宮依仁親王●子供ナシ
1867-1922 慶応03-大正11 54歳没
もと伏見宮邦家親王の子 東伏見宮を創設するが子供がなかったため廃絶

*ハワイのカイウラニ王女との縁談話が持ち上がったこともある
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■先妻 土佐藩主山内豊信の娘八重子 離婚・秋元興朝子爵の後妻となる
1869- 明治02-
姉は北白川宮能久親王の前妻光子
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■後妻 岩倉具定公爵の娘 周子 岩倉具視の孫
1876-1955 明治09-昭和30 78歳没
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明治天皇紀 明治36年01月31日

小松宮彰仁親王の請を充し依仁親王をして彰仁親王の継嗣たる事を止め、
別に一戸を立てて東伏見宮と称せしめたまう。
彰仁親王男子なきをもって故北白川能久親王の第四子輝久王を養うこと子の如くす。
依仁親王は既に継嗣と為れりといえども彰仁親王はこれに遺産を伝うるの意なく
ついに自ら臣籍に下り別に養子を納れてその跡を継がしめんと欲し、
去年04月まさにイギリスに航せんとするに臨み宮内大臣田中光顕子爵に告げ詮議するに、
「もし輝久王をして遺産を継がしめ、これを臣籍に列して侯爵を授け、
小松氏を称するを得しめば、自ら臣籍に下るの一事を断念すべく、
依仁親王には別に家号を賜りて一戸を立てしめんと欲する」の旨をもってす。
こと宸聴に達す。天皇、その情を憐みてこれを充し、ついにこの恩命を下したまえるなり。


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明治天皇紀 明治40年02月26日

北白川宮能久王の寡妃富子および小松宮彰仁親王の寡妃頼子相議し、
能久親王の子輝久王をもって彰仁親王の遺跡を継がしめんがため、
皇族の身位を改むることなくその嗣子と為さんと欲し上書してこれを請う。
天皇、侍従長侯爵徳大寺実則をして伊藤博文の意見を徴せしめたまう。
伊藤以為らく「皇族の養子を許さざるは皇室典範に明文あり。
ゆえに皇族の身位を改めずしてその嗣子と為すことは則ち不可なり。
ただし勅旨または情願をもってこれを臣籍に降し、授くるに公侯爵中の一をもってし、
なお適当の資産を下賜し、もってその嗣と為さば則ち可ならん」と。
天皇、伊藤の意見に基づき翌日徳大寺をして命を宮内大臣子爵田中光顕に伝え、
富子・頼子二妃の情願を斥け、輝久王を臣籍に降ろして公侯爵中の一を授け、
小松の家号を賜い、彰仁親王の遺跡を継がしむべき旨懇諭せしめたまう。


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小松宮彰仁親王は子供が無かったため異腹の弟依仁親王を養子に迎えていた。
当然小松宮家は依仁親王によって継がれるはずであったが、
突然彰仁親王は自分の臣籍降下と北白川宮輝久王を養子にすることを主張する。
輝久王は彰仁親王と同腹の弟北白川能久親王が側室に生ませた子である。

当然宮内大臣はこれをしりぞける。
すると今度は輝久王だけでも臣籍降下させて侯爵にして自分の遺産を相続させてくれたら、
自分の臣籍降下はあきらめると主張する。
根負けした政府はこれを認め、依仁親王には東伏見宮を創設した。

ところが東伏見宮が創設された直後に彰仁親王が死亡、小松宮家の当主の座が空白となった。
そこで今度は彰仁親王の妻頼子妃と北白川宮能久親王の妻富子妃の二人が、
輝久王を臣籍降下させず皇族のまま小松宮家を相続させたいと主張した。
明治天皇はこれを一蹴、当初の予定通り輝久王は臣籍降下して小松輝久侯爵となった。

彰仁親王がそこまで依仁親王に相続させることを嫌がった理由ははっきりしていないが、
彰仁親王と依仁親王は別々の側室の子、彰仁親王と能久親王は同じ側室の子、
異腹の弟ではなく同腹の弟の子に遺産を遺したかったのかもしれない。

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<依仁親王の不倫問題>

枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正11年08月16日

宮内官僚小原駩吉の台詞

先年依仁親王が婦人を愛せられ周子妃が大いに困り処置方を自分に相談せられたる時、
「有栖川宮威仁親王の妻慰子妃の如く実子ありかつ性質も剛き方ですら、
その問題につき云々せられたる結果は面白からず。
ことに周子妃殿下には実子なく性質も弱き方につき、
この際は何事も言わず全く無頓着になされおる方がよろしからん」
と言いたる事ありたるが、幸いに間もなく婦人の関係は止みたり。


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by oMUGIo | 2001-04-01 00:00 | 皇族


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