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東伏見伯爵 東伏見宮系 

◆東伏見邦英
1910-2014 明治43-平成26 104歳没
もと久邇宮邦彦王の子 邦英王 臣籍降下して東伏見伯爵家を創設
後に僧侶となり東伏見慈洽と改名


東伏見宮周子妃と
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■妻 亀井茲常伯爵の娘 保子


●邦子
●韶俶
●慈晃
●睿俶
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by oMUGIo | 2001-11-12 00:00 | 皇族

久邇侯爵家 久邇宮系 

◆久邇邦久●子供ナシ
1902-1935 明治35-昭和10 33歳没
もと久邇宮邦彦王の子 邦久王 臣籍降下して久邇侯爵家を創設


■前妻 島津忠済公爵の娘 量子 離婚
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■後妻 松浦靖子爵の娘 董子 相手死別・政治家山本猛夫と再婚離婚
1907-1989 明治40-平成01 82歳没
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by oMUGIo | 2001-11-11 00:00 | 皇族

小松侯爵家 小松宮系

◆小松輝久
1888-1970 明治21-昭和45 82歳没
もと北白川宮能久王の子 輝久王 臣籍降下して小松侯爵家を創設
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■妻 島津忠済公爵の娘 薫子
1896-1984 明治29-昭和59 88歳没
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●彰久 次代当主
●豊久 林規容子と結婚
●舒子 木戸孝澄夫人


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明治天皇紀 明治36年01月31日

小松宮彰仁親王の請を充し依仁親王をして彰仁親王の継嗣たる事を止め、
別に一戸を立てて東伏見宮と称せしめたまう。
彰仁親王男子なきをもって故北白川能久親王の第四子輝久王を養うこと子の如くす。
依仁親王は既に継嗣と為れりといえども彰仁親王はこれに遺産を伝うるの意なく
ついに自ら臣籍に下り別に養子を納れてその跡を継がしめんと欲し、
去年04月まさにイギリスに航せんとするに臨み宮内大臣田中光顕子爵に告げ詮議するに、
「もし輝久王をして遺産を継がしめ、これを臣籍に列して侯爵を授け、
小松氏を称するを得しめば、自ら臣籍に下るの一事を断念すべく、
依仁親王には別に家号を賜りて一戸を立てしめんと欲する」の旨をもってす。
こと宸聴に達す。天皇、その情を憐みてこれを充し、ついにこの恩命を下したまえるなり。


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明治天皇紀 明治40年02月26日

北白川宮能久王の寡妃富子および小松宮彰仁親王の寡妃頼子相議し、
能久親王の子輝久王をもって彰仁親王の遺跡を継がしめんがため、
皇族の身位を改むることなくその嗣子と為さんと欲し上書してこれを請う。
天皇、侍従長侯爵徳大寺実則をして伊藤博文の意見を徴せしめたまう。
伊藤以為らく「皇族の養子を許さざるは皇室典範に明文あり。
ゆえに皇族の身位を改めずしてその嗣子と為すことは則ち不可なり。
ただし勅旨または情願をもってこれを臣籍に降し、授くるに公侯爵中の一をもってし、
なお適当の資産を下賜し、もってその嗣と為さば則ち可ならん」と。
天皇、伊藤の意見に基づき翌日徳大寺をして命を宮内大臣子爵田中光顕に伝え、
富子・頼子二妃の情願を斥け、輝久王を臣籍に降ろして公侯爵中の一を授け、
小松の家号を賜い、彰仁親王の遺跡を継がしむべき旨懇諭せしめたまう。


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小松宮彰仁親王は子供が無かったため異腹の弟依仁親王を養子に迎えていた。
当然小松宮家は依仁親王によって継がれるはずであったが、
突然彰仁親王は自分の臣籍降下と北白川宮輝久王を養子にすることを主張する。
輝久王は彰仁親王と同腹の弟北白川能久親王が側室に生ませた子である。

当然宮内大臣はこれをしりぞける。
すると今度は輝久王だけでも臣籍降下させて侯爵にして自分の遺産を相続させてくれたら、
自分の臣籍降下はあきらめると主張する。
根負けした政府はこれを認め、依仁親王には東伏見宮を創設した。

ところが東伏見宮が創設された直後に彰仁親王が死亡、小松宮家の当主の座が空白となった。
そこで今度は彰仁親王の妻頼子妃と北白川宮能久親王の妻富子妃の二人が、
輝久王を臣籍降下させず皇族のまま小松宮家を相続させたいと主張した。
明治天皇はこれを一蹴、当初の予定通り輝久王は臣籍降下して小松輝久侯爵となった。

彰仁親王がそこまで依仁親王に相続させることを嫌がった理由ははっきりしていないが、
彰仁親王と依仁親王は別々の側室の子、彰仁親王と能久親王は同じ側室の子、
異腹の弟ではなく同腹の弟の子に遺産を遺したかったのかもしれない。

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◆小松彰久
1919-1990 大正08-平成02 71歳没


■妻 西竹一男爵の娘 淑子
1925- 大正14-


●揮世久
●友子
●佐智子
●久美子
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by oMUGIo | 2001-11-10 00:00 | 皇族

華頂侯爵家 華頂宮系 

※鎌倉市にある通称旧華頂宮邸は、正確には華頂博信侯爵邸である
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◆華頂博信
1905-1970 明治38-昭和45 65歳没
もと伏見宮博恭王の子 博信王 臣籍降下して華頂宮侯爵家を創設
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■前妻 閑院宮載仁親王の娘 華子女王 熟年離婚・戸田豊太郎と再婚
1909-2003 明治42-平成15 94歳没
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■後妻 早川又市の娘 寿美子


●前妻の子 博道 次代当主
●前妻の子 博孝 伏見博孝伯爵となる
●前妻の子 治子 松岡震三夫人
●後妻の子 幸子





◆華頂博道
1930- 昭和05-


■妻 村松明治の娘 隆江
1931- 昭和06-


●尚隆
●博俊
●博行





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<華子妃の不倫問題>

終戦後、収入の道を絶たれた博信は2000坪の庭を利用して養鶏業を始めた。
いっぽう華子は邸宅を利用してダンス教師を始めた。
昭和26年、結婚24年を迎えた博信&華子夫妻に離婚スキャンダルがもちあがる。
関係者がこぞって手記を発表し、手記合戦となる。

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華頂博信

それは7月18日も深夜であった。
その日、夕方から来邸して華子と用談中の戸田氏がなかなか辞去する気配がない。
もうだいぶ遅いようだからと、それとなく帰宅を促そうと客間に行ってみた。
二人の姿は見えなかった。私は付属のクロークルームをなにげなく開けてみた。
そして、私はそこに見てはならない戸田氏と華子との姿を発見したのだ。

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戸田豊太郎の元妻 徳川喜和子

華頂様の離婚を新聞で見た時、
私はすぐ別れた夫の戸田が一役買っているに違いないと思いました。
戸田は最近、ほうぼうのダンスパーティーなどに華子夫人を連れて歩いているようでした。

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戸田豊太郎

華頂家の離婚問題について、私は責任を感じない。
私は華子夫人に愛情はあった。
しかし、結婚するという前提でおつきあいしたわけではなく、もちろん今も結婚する意思はない。
これは恐らく華子夫人も同じ気持ちだろうと思う。

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結局、華子と戸田が再婚、博信は渡米して再婚する。
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by oMUGIo | 2001-11-09 00:00 | 皇族

葛城伯爵家 山階宮系

◆葛城茂麿
1908-1947 明治41-昭和22 39歳没
もと山階宮菊麿王の子 茂麿王 臣籍降下して葛城伯爵家を創設 
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■妻 細川護立侯爵の娘敏子 相手死別・中島昭吉と再婚
1913-1993 大正02-平成05 80歳没
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●茂久 次代当主
●茂敬 次々代当主
●伸子 志甫徹夫人





◆葛城茂久
1934- 昭和09-





◆葛城茂敬
1936- 昭和11-
先代茂久の弟


■妻 伊達宗彰侯爵の娘 素子
1941- 昭和16-


●宏彦
●郁子
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by oMUGIo | 2001-11-08 00:00 | 皇族

鹿島伯爵家 山階宮系 

◆鹿島萩麿●未婚
1906-1932 明治39-昭和07 26歳没
もと山階宮菊麿王の子 萩麿王 臣籍降下して鹿島伯爵家を創設
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◆鹿島晃久
1914- 大正03-
先代萩麿のイトコ/もと島津忠重公爵の子


■妻 福井松平慶民子爵の娘 英子
1918- 大正07-


●昌子
●弘久
●始子
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by oMUGIo | 2001-11-07 00:00 | 皇族

筑波侯爵家 山階宮系

◆筑波藤麿
1905-1978 明治38-昭和53 73歳没
もと山階宮菊麿王の子 藤麿王 臣籍降下して筑波侯爵家を創設
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■前妻 毛利高範子爵の娘 喜代子 死別
1909-1946 明治42-昭和21 37歳没
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■後妻 肥田和三郎の娘 貞子 バツイチ・子持ち
1907-1973 明治40-昭和48 66歳没


●前妻の子 常治
●前妻の子 幸子
●前妻の子 登喜枝
●前妻の子 常秀
●後妻の子 和俊
●後妻の連れ子 幸子
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by oMUGIo | 2001-11-06 00:00 | 皇族

山階侯爵家 山階宮系

◆山階芳麿●子供ナシ
1900-1989 明治33-平成01 89歳没
もと山階宮菊麿王の子 芳麿王 臣籍降下して山階侯爵家を創設
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■妻 酒井忠道伯爵の娘 寿賀子
1904-1966 明治37-昭和41 62歳没
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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正09年07月08日 

枢密院官僚二上兵治&宮内官僚南部光臣の会話

※当時の総理大臣の年給は1万2000円

二上◆枢密顧問官中には芳麿王降下後の待遇を懸念しおる人あり。如何なる内儀なりや。
南部◆宮内省にて下調べをなしおる所にては、爵位は侯爵とし、
一家創立費35万円、世襲財産100万円を下賜せらるる様のことなるべき。
二上◆如何なる計算にて100万円と定むるや。
先年小松輝久侯爵に賜りたる金額は非常に少なかりし趣なるがいかが。
南部◆小松侯爵に賜りたる金額は13万円ぐらいにて少なかりしも、
小松家の資産は少なかりしにあらず。故小松宮彰仁親王の遺産を相続したるため、
これにより生ずる収入年に4万6000円ぐらいあり。
これに13万円より生ずる収入を加え侯爵の対面を保つを得べき実況なるゆえ、
この節も100万円より年5万円の収益ありたらば一家の維持できるならんとの見込みなり


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倉富日記 大正10年04月07日

宮内大臣牧野伸顕伯爵の台詞

芳麿王降下の時、資金100万円・建築費30万円を賜りたりとの事なるが、
その理由を問えば年に5万円の生計費は必要ならんとの見込より出でたりとの事なり。
10人降下せらるれば1300万円を出さざるべからず。とうてい支出できる事にあらず。
皇族に皇室資産の詳細を開陳しその実情を承知せられたるうえ、
無理なる希望を起さずして皇室の維持を図られる様にいたすほかなからんと思う。


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倉富日記 大正11年07月20日

倉富&有馬頼寧伯爵の会話

頼寧◆山階宮家宮務監督市来政方より自分の長女静子を山階芳麿侯爵に嫁せしむるよう
女子学習院の某に相談し、某より自分に相談したり。
静子は軍人は好まずと言いおるも勧め方によりては承諾せざる事もなかるべく思わるるも、
自分らの懸念は山階侯爵の体質なり。君は承知せざるや。
倉富◆詳知はせず。ただ身長は非常に高く肉は少なき方なり
頼寧◆その通りなり。身長は5尺7寸とかにて体重は13貫何百目という事なり。
単に本人が強壮ならずという事だけならばさほど懸念せざるも、
父親は肺患なりしとの事なるゆえ懸念しおれり。
倉富◆邦久王よりもよろしからんと思えども、
健康の程度がわからざるゆえ充分の調査を必要とすべし。


*結局この縁談は成立しなかった。

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◆山階芳正
1927- 昭和02-
先代芳麿の甥/浅野長武侯爵&山階宮安子女王夫妻の子


■妻 天笠嘉衛の娘 芳枝
1935- 昭和10-


●茂正
●展正
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by oMUGIo | 2001-11-05 00:00 | 皇族

伏見伯爵家 伏見宮系 

◆伏見博英
1912-1943 大正01-昭和18 31歳没 戦死
もと伏見宮博恭王の子 博英王 臣籍降下して伏見伯爵家を創設
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■前妻 柳沢保承伯爵の娘 豊子 死別
1916-1939 大正05-昭和14 23歳没
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■後妻 黒田長和男爵の娘 定子


●前妻の子 博孝 次代当主 
●前妻の子 元子 堂本泰三夫人
●前妻の子 和子 京都得浄明院住職誓寬
●後妻の子 佳子 婿養子を迎え次々代当主とする


●和子 京都得浄明院誓寬
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◆伏見博孝●子供ナシ
1932-1991 昭和07-平成03 59歳没
もと華頂博信侯爵の子





◆伏見和夫
1941-
もと猪野和夫 婿養子になる


■妻 先々代博英の娘 佳子
1943-


●仁志
●文孝
●裕子
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by oMUGIo | 2001-11-04 00:00 | 皇族

清棲伯爵家 伏見宮系 

◆清棲家教
1862-1923 文久02-大正12 61歳没
もと伏見宮邦家親王の子

*臣籍降下して仏光寺の養子になり渋谷家教となる。
後に還俗していったん皇籍復帰したのち再度臣籍降下して清棲家教伯爵家を創設した。


■妻 倉橋泰顕子爵の娘 満子
1861-1917 文久01-大正06 56歳没


●庶子 隆教 仏光寺渋谷隆教男爵となる
●庶子 文子


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正12年07月04日

宮内官僚関屋貞三郎の台詞

清棲家教は私生の娘文子を養女名義にて入籍し、
これに娶あわすつもりにて真田幸民伯爵の子幸保を養子と為しおるとの事なり。

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◆清棲幸保
1901-1975 明治34-昭和50 74歳没
もと真田幸民伯爵の子


■前妻 伏見宮博恭王の娘 敦子女王 死別
1907-1936 明治40-昭和11 29歳没
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■後妻 不明


●前妻の子 貞子 小笠原光泰夫人
●前妻の子 家隆 次代当主
●前妻の子 慶子 成瀬照正夫人
●前妻の子 家治
●後妻の子 保弘
●後妻の子 幸子 大塚喜一郎夫人
●後妻の子 保之
●後妻の子 保良


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幸保は前妻の死後、キャバレーのダンサーと交際。
戦後、後妻として家に入れた頃から長男が家に寄り付かなくなり、
無銭飲食や詐欺などを働いたため20歳の時に逮捕されるという事件を起こした。
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◆清棲家隆
1929- 昭和04-


■妻 阪田淑子
1940- 昭和15-


●家康
●家寿
●香代子
●佐智子
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by oMUGIo | 2001-11-03 00:00 | 皇族


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