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良子女王 その2

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有馬頼寧伯爵の日記 大正10年01月07日

午後2時過ぎに北白川成久王殿下が永様〔永久王〕を連れてお見えになり6時過ぎに御帰りになった。
先日の問題、東宮妃殿下の問題について御話があった。
それは先日の話の通り久邇宮家に色盲の血統があり、良子女王にも多少あり、久松家の男子にもその他にも現れているとのことで大体は御中止に至っているとのこと。ただ久邇宮殿下が御辞退にならぬのだそうだ。
山縣公が長州系をもってこれを代へんとするの意思があるといふのだそうだ。
しかしそれはあまりうがち過ぎてはいないだろうか。
ともかく今日では大体中止という事に決まっているとのこと。
朝香・北白川両殿下の御意見のように、この事は皇后陛下と皇太子殿下の自由意思に御任せするというのが最も現代的である。恐らくはその説が少なくも将来に日本国民となるべき人々の共鳴を得られるだろう。

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倉富日記 大正10年02月08日

倉富&石原健三&宮内大臣中村雄次郎

中村◆学習院長一戸兵衛は学習院の用務にて来りたるかと思いたるに、知人より御結婚問題につき聞きたる事ありとてその事を報ずるために来りたるなり。
「『解約は元老等の陰謀にて、皇太子の御外遊も御成婚を延ばす手段に他ならず』左様の事を言い触らしおり。『皇太子の御外遊は是非とも御見合せを願い、もしそれが行われざれば御出発の際自動車の通路に横臥しこれを妨げんとの事も協議しおり』」
倉富◆予はたとえ多数が解約に反対するも必ず解約せざるべからざるものと信じたるゆえ初めは枢密院に諮詢せらるる事には反対したれども、事ここに至り宮内大臣として解約の手段を執る事あたわざる事となりたる以上は、枢密院に諮詢せらるる事を奏請し枢密院の決定に従い処置するより他方法なかるべし。
中村◆しからばその事に決すべし。
倉富◆枢密院の決議はいずれになるや逆賭しがたし。諮詢せらるる上はいずれになりてもその通りに決行する決心なかるべからず。枢密院にて解約に決したりとて世間の反対は鎮まる訳にあらず。
その時は反対ありてもすぐ決行する決心なかるべからず。
中村◆大事を起すやも計り難きも、やむを得ずこれを決行するより他なし。
倉富◆枢密院にて反対に決したら如何にするや。
中村◆自分は官を辞して後任者の処置に任すべし。自分官を辞したる上はこれまでの始末を発表して自分の所信を明らかにすべし。
石原◆カルテを徴し「色盲は精神ならびに視力に関係なき」事を確かめざれば、後日において無責任のそしりを免れざるべし。
中村◆精神等に異常なきも、自分はこれを皇統に入るる事に反対なり。
倉富◆枢密院諮詢の奏請の結果は予期しがたきにつき、あらかじめ皇族にもこれを言上しかつ元老にも通知し置く必要あり。
(中村より陸軍大臣田中義一が中村へ送りたる書状を示す。書状は『枢密院にでも諮詢して解決すべく、うやむやに処置しては三元老〔山縣・松方・西園寺〕の信用は地に落ち、今後政治上はもちろん皇室の事にも容喙できざる様なるべき事』を告げたるものにて、解約断行を勧めたるものなり)
石原◆中村が色盲の事を公表し自己の立場を明らかにする事となれば瑕疵ある妃を納むる事を公表する事となり穏当ならざるべき。

倉富の記述
結局中村は官を辞するまでにて、始末を公表せざる方しかるべしとの事となり、
またその手段も枢密院への諮詢を奏請せず、単に大事を引き起す恐れありとの事と決し、
まずこれを元老に謀り、その上にて皇族の承諾を求め、しかるうえ貞明皇后に申し上ぐる事と決して散会せり。

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倉富日記 大正10年02月10日

倉富の記述
内務省よりの報告にて明日の紀元節を期し、玄洋社・黒龍会・城南荘・労働者・社会主義者・学生等が明治神宮に集まりて、大正天皇の御不例の回復・皇太子の御婚儀御遂行・皇太子の御洋行御止めを祈願する計画あり。また良子女王に色盲の御系統ある事は眼科医保利真直が第一に言い出したる事なるをもって、
内田良平の子分が保利を殺す計画ある事を報じ来る趣なり。

午前10時 倉富&宮内官僚石原健三の会話

石原◆御結婚問題につき明日は如何なる騒擾を見るやも計り難きにつき、今すぐに宮内大臣が辞表を出したる事を発表しかつ皇太子御帰朝後御成婚ある事を公表して人心を鎮定する方よろしかるべき旨宮内官僚二荒芳徳より注意せり。
倉富◆宮内大臣はなお熱海より帰らざるべし。宮内大臣が帰るまでは待つ方よろしからん。
かつ御成婚の事は今日これを発表するは早計なるべし。
石原◆御成婚の事は今日これを公表する事は出来ざるべし。

午前11時 倉富&小原駩吉の会話

小原◆大臣がいよいよ辞する事になりたる由なるが、後は如何にする事になるや。
倉富◆大臣は今日にても解約を可なりと信じおるも、四囲の事情これを断行しがたきにつき、
責を負うて辞する訳なるべし。
小原◆しからば元老等はもちろん責任者にて、少なくとも内大臣は職にあることあたわざるべし。
今後元老は何事もできざる事となるべし。
倉富◆予もその通りに思う。宮内大臣は元老に相談に行きたる訳なるべく、元老が宮内大臣の意見に賛成すれば元老に及ぼす結果は当然知り得べき事なるゆえ、なんとか決心するならんと思う。
小原◆現大臣が辞めても後任大臣は如何に処置するや。
倉富◆現大臣が解約を断行する事を得ずして辞むる以上は、後任者も多分同様なるべし。
小原◆後任大臣の処置としては、邦彦王より辞退せられ大正天皇より辞退に及ばずとの勅旨を下さるる様にしては如何。
倉富◆邦彦王より辞退あれば宮内大臣は意見を定めて奏請する必要あるべきも、宮内省より邦彦王の事態を願いこれに対して辞退に及ばざる旨の勅旨を奏請する事は一層責任を加うる様に思わる。


午後02時 倉富&仙石政敬の会話

倉富◆宮内大臣は小田原〔山縣有朋〕・熱海〔松方正義〕に相談に行きたるならん。
明日の騒擾が懸念なるゆえ早く宮内大臣辞職の事を発表したしとの話あるも、
大臣の不在中に発表する訳にはいかざるべし。
予は久邇宮家宮務監督栗田直八郎に対して明瞭に〔婚約解消の〕意見を述べおきたるにつき、
解約できざる事となれば宮内官として留まる訳にはいかず。これを辞するつもりなり。
仙石◆自分も久邇宮の属官にはしかと所信を述べおきたるゆえ当然官を辞するつもりなり。
ただ時期はいつが可なるや。
倉富◆宮内大臣の免官が発表せられたる後がよろしからんと思いおれり。
仙石◆その時期は通知しくれよ。

午後03時 倉富&小原駩吉

小原◆二荒芳徳の知人にて労資協調会の役員たる某来り。
「明日は必ず騒擾あるならん。これを緩和するには御婚約は変更なき旨を公表する必要あり」と言いおれり。
宮内大臣は只今熱海より帰り来り、これより君を呼びて相談する事となるべし。
騒擾が起りたる後にては何の効もなし。
倉富◆宮内大臣の辞職は発表できざる事もあらざるべきも、御婚約については皇族の御意向も解約の方なること分かりおるゆえ、一応宮内大臣より事情を言上し承認を得たる上にあらざれば発表する訳にいかざるべし。
明日は不穏の行動あるべしと言うも、如何なる事なるやも明らかならず。仮にその情が分かりおるとするも、何事も多衆の運動の為に動かるる様になりては非常なる弊害を醸すべし。
騒擾の方は政府にて防御する工夫ある事ならんと思う。

倉富の記述

石原に内務省警保局長川村竹治が来り、石原これに面す。
石原が「川村が物情不穏たる有様にて御婚約問題につき何とか発表せざればこれを緩和する途なし」と言いたる事を報ず。よりてさらに協議し、予は「宮内省よりこれを発表する訳にはいかず。内務省より伝聞の旨をもって発表したらよろしかるべし。かつその発表は宮内大臣の辞職に止め御婚約の事には及ばざる様にしたし」と言いたるも、石原が川村に話したるうえ辞職の事のみにては効なかるべしと言う趣なるゆえ、やむを得ず政府の人より大竹貫一らに御婚約は変更なき事を話してもよろしかるべしという事に決せり。


中村◆山縣を小田原に訪いたる。自分より「皇太子の御婚約の事は当初久邇宮より辞退せらるる事を希望したるに辞退せられざる事となりたるをもって、このうえ解約を遂行せんとすれば宮内大臣は天皇陛下に奏請し思召により解約せざるべからず。しかるに思召により解約する事は皇室の御信義にも関する事なりとの意見あるのみならず、世上に不穏の行動を為す者を生ずる様にては恐れ多き事ゆえ解約を奏請する事は躊躇しおる所なり。よりて御婚約は変更なき事に致したき」旨を述べたるところ、山縣は黙然たりしが少時の後「致し方なかるべし。君の進退に関する事はあらざるならん」と言いたるゆえ、自分は「進退に関すべし」と答えおきたり。

それより松方正義を熱海に訪い山縣に話したる趣旨を告げたるところ、
松方は「しかれば皇太子御洋行の事も決定し御婚約の事も決定したるゆえ宮内大臣も安心なるべし」と言えり。自分はこの言を聞き意外の事に思いたれども、何事も言わずして別れたり。

倉富◆元老の考えは左の如きものなるや。予は実に驚きたり。

午後05時 倉富の記述

結局中村が総理大臣原敬を訪いて自ら辞職の決心を為したる事および御婚約は変更なき事を告げ、
石原は閑院宮載仁親王に伺候し同様の事を言上して御承認を願う事に決したる趣にて、
中村は既に出て行きおりたり。石原も閑院宮に行きたるゆえ予も家に帰りたり。


午後08時 倉富の記述
宮内省より電話にて「今日午後06時頃宮内省担当の新聞記者に対し宮内大臣は辞職の決心を為したる事、御婚約については世上種々の風説ある趣なるも変更なき旨を発表したる」事を報ず。

午後10時 倉富の記述
中村雄次郎より電話にて「石原より閑院宮に先刻評議の模様を言上したるところ、親王殿下『左の如き事情ならばやむを得ざる事につき言上の通りにてよろしかるべし』と言われたる由。一方内務省にては『新聞記者に対し御婚約変更なきこと及び自分の辞職の事を新聞に掲載して差支なき』旨を申し聞けたる趣なり。
ついてはなるべく速やかにこの事を伏見宮貞愛親王に言上する必要あり。よりて御苦労ながら銚子まで行きくれる事はできざるや」と言う。予明日行くべき事を答え、かつ伏見宮に予が行く事を電信にて通知しおくべき事を告ぐ。

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倉富日記 大正10年02月11日

伏見宮貞愛親王

倉富◆昨年宮内大臣より良子女王の事に関して言上した事ある趣なるが、その時は宮内大臣は邦彦王より御婚約御辞退あることを願いおりたるなり。しかるに邦彦王は御辞退なく、宮内省にては絶対にこの事を秘しおりたるも、ついに世上に漏れ種々に揣摩憶測を為し流言も行われたり。初めは流言に止りたるがその後に至りては文書をもって種々の事を告ぐる者あるに到り、予期の如く御婚約を解かんとすれば、宮内大臣はその旨を上奏し思召によりてこれを解かざるべからず。しかるに辞退によらず皇室より婚約を解かるる事は御信義にも関すとの意見あるのみならず、御解約の為この事につき物議を起す様にてはなおさら恐れ多き事につき、宮内大臣はついに御婚約は御変更なく自己は職を辞するの決意を為せり。
しかるにこの事については各殿下に言上し、御承認を得たる上にあらざれば為し難き事なるをもってその手続きを為さんとする際、昨日10日に至り物情は一層険悪となり今日の紀元節を期し不穏の行動を取る計画を為しおる事の風評あり。現に昨日は文書数十万枚を配布し、その他にも不穏の文書を配布せんとする者あり、警察にてこれを差し止めたる趣なり。左の如き形勢となりたるため政府より宮内省に対しなんとか人心を緩和する手段を取りくれたし旨の交渉を受く。宮内省にてはやむを得ず宮内大臣が辞職の決意を為したる事を政府に伝え、政府よりこれを扇動者に伝えてこれを鎮静せしめんとしたるも、政府にてはその効なかるべしと言い、ついに御婚約の事に言及するのやむを得ざる事情となりたるをもって、まず閑院宮載仁親王にこの事情を言上したるに、殿下もその事情ならばやむを得ずとの御言葉ありたる趣。よりて親王殿下に言上する前なりしも、やむを得ず昨夜政府の人を経て御婚約は変更なき事、宮内大臣は辞職の決心を為したる事を漏らしたり。右の次第にて順序を失したるも、親王殿下の御承認を願うため宮内大臣は今日倉富を遣したる儀につき、よろしく御聴入を願う。
貞愛◆よく了解せり。左の如き事情ならばやむを得ざる事なり。
言うても益なき事ならが、予が邦彦王ならば、この事は躊躇なく御辞退申し上ぐるなり。
少しにても欠点ある者を妃として差し上げて、如何にして心に安んずる事を得るや。
御辞退申し上げてこそ心が安まる訳にはあらずや。意外の結果になりたるものなり。
倉富◆宮内省にては充分に秘密を守り、倉富の本務はこの如き事に関ぜざるため初めは少しもこの如き問題ある事を知らず。昨年末宗秩寮総裁代理を命ぜられたる時に至り初めてこの問題を聞きたるぐらいなるに関わらず、一方にては早くより世間に流布してついに今日の如き事となれり。もしこの事が秘密になりおりたらば、その処置が解約になるも変更なき事になるも内緒の事にて相済み何事もなく済みたるべきも、残念の事になりたり。

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倉富日記 大正10年02月16日

酒巻◆先刻井上勝之助より電報来り、面談したき事あるゆえ興津に来りくれる様申し来れり。察する井上の辞職の事なるべし。御婚約に関する大体の事は承知しおるも、なお知らざる事あり。井上より問わるべきにつき、一通り話しくれよ。
倉富◆この問題は最初学習院の眼科医が心配して陸軍軍医総監平井政遒に話し、平井が山縣有朋に話したる事より始まりたる事の様に聞きおれり。
酒巻◆学習院の眼科医は陸軍軍医村上其一という人なる由なり。
倉富◆それより宮内省にて保利に医案を作らしめたる事、宮内大臣がこれを伏見宮貞愛親王に示したる事、貞愛親王が進んで邦彦王に辞退を勧告せられたる事、邦彦王は辞退を拒まれたる事より、
宮内大臣が辞職の決意を為し、予が貞愛親王に伺候するに至る。

山階宮家宮務監督市来政方
武彦王の妃として佐紀子女王を納るる事を大臣・次官に謀りたるところ、
しばらく延ばしおくべしと言われ、その事わからざりし。

小原
市来政方は佐紀子女王を山階宮武彦王の妃にもらわんと思い、
宮内大臣・宮内次官に相談したるところ、大臣・次官とも少し都合あるゆえその話はしばらく延ばしおくべき旨を告げ、その事情は話さざりし由なり。
宮内次官は良子女王の婚約を解きたる上は良子女王を武彦王の妃と為さんと欲するため市来に左の如く話したる訳なるも、その理由を告げざりしゆえ市来は佐紀子女王を皇太子妃と為すの計画と思いたる。


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倉富日記 大正10年02月17日

金井四郎
金井◆邦彦王が「色盲の事は自分は疾くこれを知りおり、当時の宮内大臣もこれを知りおりて婚約できたる事につき今更これを辞退する理由なし」と言われたる。宮内大臣が色盲の事実を知りおりたならば邦彦王が辞退せられざるももっともなり。
倉富◆その事は誤りにて、波多野がこの事を聞き邦彦王にこれを詰り、
邦彦王は「波多野はこれを知らざりし」と言明せられたる。

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倉富日記 大正10年02月18日

井上勝之助
御婚約問題は昨年09月頃仙石政敬よりこれを聞き、宮内大臣の処置は適当と思いたり。
しかるに病気のため引き籠り、かかる重要時期に出勤せず。
大臣が責を負うて辞職する場合に安んじて職に在る訳にはいかざるゆえ職を辞する。

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倉富日記 大正10年02月19日

12時前総務課より電話にて、宮内大臣の更迭あり、牧野伸顕が宮内大臣となりたる事を報ず。

中村雄次郎
予、中村が今日宮内大臣の職を免ぜられたる事につき挨拶し、中村、在職中の援助につき謝を述ぶ。
中村◆全体この節の事は自分一人の責任にて他に及ぶべき訳なしと思うも、各自思うところありて辞表を出したるにつきこれを交す旨を牧野に伝えおけり。
倉富◆就職以来苦心の事のみ多かりしも、本心を曲げて在職するよりも所信に従うて退く方心安かるべし。
中村◆しかり。自分は責任を引きて辞職はするも今日にても職務上過失ありたりとは考えおらず。
倉富◆予もその通りなり。先日の考えは誤りにて前非を悔ゆる様の考えならば他が許さざるも自らが許す事を得るも、しからざるゆえ職を辞する考えとなる。先日原敬は君に対し「世論やかましきにつき、宮内省にて速やかに決定することを望む。その決定はいずれになりてもよろし」と言いたる趣これはもっともなる事と思いいたるに、本月10日に至りては内務省警保局長よりしきりに決定を促し、しかもその決定は御婚約変更なき様に決する旨申し来り。宮内大臣・宮内次官・予と協議しおる時、警保局長が幾度か来りて発表を促したるはあまりに狼狽したる様に思う。
中村◆自分も政府の方針なりと思いいたるに、11日に警保局長に会いたる時、局長は「総理大臣より叱られたり」と言いおれり。局長しばしば宮内省に来り、御婚約の事・宮内大臣辞職の発表を急ぎたるは局長の考えなりしと思わる。局長が宮内省に行き「この如く話を決め来りたり」という風に総理大臣に報告したる様に思わる。
倉富◆10日の夜、君は総理に面会したるにあらずや。
中村◆面会せり。その時は「大臣辞職の事等はいずれにてもよろし。御婚約変更なき事はぜひ宮内省より発表せられたし」と言えり。しかし警保局長が言うほどには言わざりし。

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by oMUGIo | 2001-12-12 00:00 | 皇族

良子女王 その1

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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正08年06月19日

宮内官僚小原駩吉男爵の台詞

波多野は天皇陛下にはもちろん皇后陛下にも御信用あり。
皇后陛下にしても隔意なく御話あるは皇后大夫よりもむしろ波多野なるべし。
ゆえに何人か宮内大臣代りても、この点については波多野に及ぶ者なし。

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倉富日記 大正09年06月20日

*波多野、宮内大臣辞職

波多野の台詞

皇后陛下は涙を流して「辞職せざるを得ざりしや」と言われたり。後には「汝の性質としてはやむを得ざりしならん」と言われたり。

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倉富日記 大正09年11月24日

倉富&東久邇宮付事務官金井四郎の会話

金井◆良子女王の事につき難しき問題起りおるにあらずや。
倉富◆予、聞かず。
金井◆只今の問題は初めより分かりおる事にて今更云々すべき事にあらざるべし。
倉富◆かの問題は今更変更する事を得るものにあらずと思う。
ただし問題の出所が根強き模様なるゆえ困るべし。
金井◆陸軍部内にはよほど議論ある模様なり。

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倉富日記 大正09年12月23日

*倉富が宮内省宗秩寮総裁代理となった初日

倉富&宮内官僚石原健三の会話

石原◆種々の難事あり。
宮内大臣より「久邇宮の宮務監督に栗田直八郎を採用する事は宗秩寮の反対ある」旨を言上したところ、
「宗秩寮の意見と言うも総裁は引き籠り中にて宗秩寮の意見はなきはずなり」と言われたり。
良子女王の事も栗田より「果たして真の原因あらばやむを得ざる事なるも、
単に医師の見込みというだけには不十分なる」旨の意見書を出しおれり。
倉富◆良子女王につき何か話ある事は聞きおれども、その詳細を聞かず。不妊症とでもいうことなるや。
石原◆しからず。色盲の懸念なり。
倉富◆その事ならば医師の診断にてすぐに分かるべき事にはあらずや。
石原◆本人に色盲ありというにあらず。色盲の系統にてその子孫に遺伝する懸念ありということにて、
通説には遺伝する事確実なり。

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倉富日記 大正09年12月24日

石原健三の台詞

色盲問題は医者よりい平井政遒〔陸軍軍医〕に告げ平井より山縣有朋に告げたる。
山縣より伏見宮に告げ伏見宮より久邇宮に告げ、久邇宮は九州行前書面に書したる。

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倉富日記 大正09年12月25日

石原健三、医案・久邇宮の内奏書・元老に送りたる書を示す。
予これを持ち帰りこれを閲す。

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倉富日記 大正09年12月27日

石原健三の台詞

松岡均平がドイツ留学中の懇意なるべし。非常に親密なる趣にて、大臣より松岡をして久邇宮に説かしめ、
最終の医案を示したる結果ついに断念せられ自らこれを辞する事となりたる模様なり。
しかるに久邇宮より元来双方の合意なるにつき一方よりこれを解くは不合理なるべしとの話あり。
大臣は合意には相違なきも媒酌によりて決しおるゆえこれを解くにも媒酌によるが当然なるべく、
媒酌は即ち大臣なるゆえ大臣が申込みあるが相当なるべしとの答えをなしたる趣にて、
この事も了解を得たる模様なり。
よりて只今は先方の申し込みを待つ順序となりおる所なり。
倉富◆それは好都合なり。それになりても善後は困難なるべきも、その困難は大体ほどの困難にあらず。

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有馬頼寧伯爵の日記 大正10年01月07日

北白川成久王がお見えになり、東宮妃殿下の問題についてお話があった。
先日の話の通り久邇宮家に色盲の血統があり良子女王にも多少あり久松家の男子にもその他にも現れているとの事で、大体は御中止に至っているとの事。
ただ邦彦王殿下が御辞退にならぬのだそうだ。
それには種々理由もあって、山縣有朋が長州系をもってこれに替えんとするの意思があると言うのだそうだ。
しかしそれはあまりに穿ち過ぎてはいないだろうか。
ともかく、今日では大体中止という事に決まっているとの事。
朝香・北白川両殿下の御意見の様に、この事は皇后陛下と皇太子陛下の自由意思にお任せするというのが最も近代的である。

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by oMUGIo | 2001-12-11 00:00 | 皇族

禎子女王

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明治天皇紀 明治32年03月22日

土方久元伯爵を内使として第十師団長伏見宮貞愛親王の寓居に遣し、禎子女王をもって皇太子の妃と為すの内約を解かしめたまう。
そもそも皇太子妃選定の事はつとに叡慮を労したまう所にして、まずこれを皇族中に求め、もし得るあたわざるば則ち旧摂家中に求め、なお得るあたわずばこれを旧清華家中に求め、しかしてなお得るあたわずば自余の公侯爵の間に求るの方針を定め、明治24年頃初めて内旨を侍従長徳大寺実則に下し、月中数回日を定めて皇族および公爵の女児の適する年齢の者を高輪御殿に会し、昌子内親王・房子内親王の遊嬉の侶伴たらしめ、御養育主任佐々木高行伯爵をしてこれらの女児の容姿性行を審察せしめたまう。
高行、その妻貞子および娘加賀美繁子らと共に久しきに渉りてこれを見るに、禎子女王一人群を抜き、華族女学校学監下田歌子また甚だこれを推奨す。時に久元宮内大臣たり、親しくこの事を奏し、内旨を得る所あり。次いで天皇皇后、親王の第に臨みて親しく女王を見たまう。これ実に明治29年12月なり。
今年01月に至りて皇太子妃決定の事しきりに議に上り、02月06日この事を初めて宮中に会議す。
徳大寺・土方および宮内大臣田中光顕・皇后宮大夫香川敬三子爵・宮内次官川口武定男爵ら5人議に預かる。
時に議あり。禎子女王は一昨年盲腸炎を患い爾来全癒せりといえども、宮中顧問官陸軍軍医橋本綱常男爵・侍医局長岡玄卿・東京帝大医学大学雇教師ドクトル・ベルツら上る所の容体書に、右胸部に水泡音聞こえ、その健康なお憂慮すべきものあり。皇統継続の上より果たして如何と。
これにおいてこの日土方にこの命あり、しかれども宸意惻然、貞子女王を竹田宮恒久王に許嫁せしめんとし、
土方の意としてこの事をも併せて貞愛親王に伝えしめたまう。
土方すなわち姫路に向かい、旨を貞愛親王に伝う。貞愛親王命を奉ず。
しかるに恒久王許嫁の事たる、北白川能久親王の寡妃富子のこれを小松宮彰仁親王に謀るに及び、
彰仁親王は近親の婚姻は忌まざるべからずと為し、異論を挟みしをもって遂に成らず。
あるいは曰く、彰仁親王、貞愛親王と相良からず。往に禎子女王が皇太子妃に擬せらるるや、心中この婚約を喜ばず、情を知る者みな苦顰すと。しかして禎子女王頃日の健康たるや、諸医みななお望みを絶ちたるにあらず、両3年の後を待ちてその適否を決すべしと為すも、岡一人肺疾あり、皇太子と同症なりとして、これを嫌うこと甚し。天皇既に衆説に聴きて事を決したまえりと言えども、宸衷なお慊焉たるものあり。
後年皇太子妃定まり、第二皇子雍仁親王生まれて後、岡、天威に咫尺し皇統の万歳を賀し奉るの次をもって奏して曰く、もし曩に内約を履みて禎子女王を冊立したまはんか、恐らくは今日の慶なかりしならんと。
天皇これを遮りて宣はく、禎子嫁して歳余、なお身むこと無きも、安んぞこれを禎子一人の事に帰するを得んや。汝の言うところ甚だ不稽なりと。天顔すこぶる喜びたまわざるの色あり。
けだし岡かくの如く奏上せしは、禎子女王が明治34年山内豊景侯爵に帰嫁し、1年余を経るも、いまだ身むこと無きをもってなり。

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明治天皇紀 明治32年08月21日

九条道孝の第四女節子を皇太子嘉仁親王の妃に内定あらせらる。
よりて侍従長徳大寺実則公爵をして道孝の邸に臨みその旨を伝えしめたまう。
道孝参内、恩命を奉承す。

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明治天皇紀 明治33年02月11日

九条道孝の第四女節子を皇太子の妃と為すをもって侍従岩倉具定公爵を勅使として葉山御用邸に遣し、
勅書を避寒中の皇太子に伝えしめたまう。
皇太子即日東宮大夫中山孝麿を納采使として道孝の第に遣し、節子を妃と為す事の勅許を得たるをもって結婚成約の事を宣べしめ、道孝これを節子に伝えさらに節子と共に中山に面して令旨を奉ずべき旨を答う。
この日宮内省告示を発して皇太子結婚成約の事を公示。

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by oMUGIo | 2001-12-06 00:00 | 皇族


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