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大谷伯爵家 西本願寺 その2

●松原藤子の子 光瑞 次代当主
●松原藤子の子 文子 常磐井堯猷男爵の1/3番目の妻・本人死別
●松原藤子の子 孝慈 木辺孝慈男爵となる 醍醐忠敬侯爵の娘静子と結婚
●松原藤子の子 光明 九条道孝公爵の娘紝子と結婚
●松原藤子の子 尊由 小出英尚子爵の娘泰子と結婚
●松原藤子の子 武子 九条良致男爵夫人→歌人九条武子
●本妻の子   義子 壬生泰弘男爵夫人・広瀬千秋夫人


●光明 九条道孝公爵の娘紝子と結婚
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●尊由 小出英尚子爵の娘泰子と結婚

夫妻と子供たち
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★尊由の娘 益子 朝香宮正彦王/音羽正彦侯爵と結婚
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九条武子●子供ナシ
1887-1928 明治20-昭和03 41歳没
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兄たちに囲まれて育った武子はお転婆で、
人形遊びよりも兄たちとチャンバラ遊びをすることを好んだ。
乗馬や木登りも得意で、
手が長くスルスルと木に登る武子に兄たちは「手長猿」というあだ名をつけた。
また物真似が得意で、冗談が上手く、家族兄弟はいつも笑い転げていたという。

兄光瑞は武子の結婚相手に東本願寺の二男大谷瑩誠を考えていた。
この二人が結婚すれば、三百年も対立してきた東西本願寺の関係が好転するとの考えである。
ところが妻寿子が弟良致を推薦する。
九条公爵家は禅宗で良致は男爵、
宗旨が浄土真宗で子爵以上の相手を探していた幹部陣は難色を示したが、
次期法主夫人の寿子の意見は無視できず、良致が武子の夫に決まる。
良致は一条公爵家に婿養子の予定で養子に入ったが、
結婚相手の経子から嫌われ実家に戻されていた。
寿子はさらに光瑞の弟光明と自分の妹紝子を結婚させており、
大谷家と九条家との間に3組の夫婦を作り上げた。

東京麹町三番町の男爵邸で新婚生活を始めたが、
黙って酒ばかり飲んでいる何を考えているかわからない夫との仲はしっくり行かなかった。
良致はイギリスのケンブリッジ大学に3年間の予定で留学することになっていた。
良致の渡航費用・留学費用・生活費はすべて大谷家の負担である。
09月にまず兄夫婦が出発、追って12月に武子夫妻が神戸を出発。
香港・シンガポール・コロンボを経てマルセイユに到着し、01月兄夫婦と合流する。
武子は船客たちと親しく交わったが、良致は船室に閉じこもって甲板に出ることもなかった。

光瑞は「仕事がたまっているので自分はすぐにロンドンに行かなければならない。
地中海旅行は君たち3人で楽しむといい、良致君二人の面倒を頼みます」と言ったが、
良致は地中海旅行には参加せず、光瑞と一緒にロンドンに行くと言い出す。
結局男性陣はロンドン直行、女性陣は地中海旅行に回ることになる。
03月にロンドンで男性陣と女性陣が合流するが、また良致は自分だけが出て行くと言う。
それまで光瑞とロンドンに住んでいた良致は、一人郊外の下宿に移ってしまう。
良致とともにロンドンで暮らす予定であった武子は、結局08月兄夫婦とともに帰国することになった。

良致は留学予定の3年が過ぎても帰国せず、イギリス滞在は10年に及んだ。
すでに外国人女性との間に一男一女ももうけていた。
しかし、武子も悲嘆にくれて暮らしたわけではなかった。
何よりも武子は一生涯西本願寺の娘であった。
ヨーロッパから帰国して3ヶ月後、兄嫁寿子が子宮炎で急死した。
兄光瑞は再婚しなかったので、武子は光瑞の片腕のような存在であった。
光瑞が「口八丁、手八丁」と称したように、武子は機転がきき独創性があり手早い。
西本願寺の広告塔として、巡教のため日本全国を飛び回った。

良致が帰国する気になった理由は不明だが、
10年に至って大谷家が良致への生活費の仕送りを打ち切ったのかもしれない。
ともかく大正09年12月06日午前06時、良致を乗せた船が神戸港に着いた。
12月12日、住まいとなる東京の西本願寺築地別院へ引っ越した。
帰国した良致はまた深酒を続けた。
銀行の勤めには一応出かけていくが、帰宅時間は一定しない。
酔っ払ってフラフラで帰ってくる日もあるが、帰ってこない日もあった。
ある夜、良致は泥酔して玄関で伸びていた。
武子は足を持ち上げて靴を脱がせようとした。
良致は武子に気づくと、武子を振り払い、靴のまま武子のアゴを蹴り上げた。
大正11年には良致は不渡り手形による詐欺事件で起訴されている。

大正12年の関東大震災以降、武子は巡教の他に慈善活動も始める。
昭和02年、例年通り医師らとともに貧民窟の歳末巡回診察をした際に風邪を引く。
正月02日の深夜、酔っぱらった良致が風呂に入りたいと言い始めた。
このとき井戸ポンプが故障していた。
そこで使用人が隣の家から水をもらってくる、
晴れ着にタスキをかけた武子がそれを風呂場の窓から受け取り風呂桶に移すという作業をした。
これが原因で武子は風邪をこじらせて敗血症となり、02月07日死亡。
良致は晩年ホテル住まいをしていた。
昭和15年08月、良致はホテルで倒れ脳出血で死亡、56歳だった。
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イギリスにて
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by oMUGIo | 2002-01-20 00:00 | 公家華族

大谷伯爵家 西本願寺 その1

◆大谷光尊/明如
1850-1903 嘉永03-明治36 53歳没
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*5代目尾上菊五郎と並び称されるほどの美男だった。


■妻 大谷光威/徳如の娘 枝子


★側室 松原有積の娘 藤子
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●藤子の子 光瑞 次代当主
●藤子の子 文子 常磐井堯猷男爵の1/3番目の妻・本人死別
●藤子の子 孝慈 木辺孝慈男爵となる 醍醐忠敬侯爵の娘静子と結婚
●藤子の子 光明 九条道孝公爵の娘紝子と結婚
●藤子の子 尊由 小出英尚子爵の娘泰子と結婚
●藤子の子 武子 九条良致男爵夫人→歌人九条武子
●本妻の子 義子 壬生泰弘男爵夫人・広瀬千秋夫人


座る左から 武子 スウェーデン人探検家スヴェン・ヘディン 光瑞の妻寿子 光瑞 光明の妻紝子
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◆大谷光瑞/鏡如●子供ナシ
1876-1948 明治09-昭和23 72歳没
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*当時としては珍しい180センチ超、80キロと大柄であった。


■妻 九条道孝公爵の娘 寿子 妹は貞明皇后
1882-1911 明治15-明治44 29歳没
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左から 武子 寿子 九条良致 光瑞
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左 寿子   右 武子
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光瑞には嫌いなものが6つあった。蛇と雷、これは単に苦手なもの。
囲碁と将棋、これは時間を浪費するから。
そして、女と老人。女は愚痴を言い、老人は過去を語るから。
光瑞は特に女のおしゃべりを毛嫌いした。女々した旧式の女を好まなかった。
光瑞の眼鏡に適ったのは妹の武子だけであった。
美しく、好奇心が強く、ユーモアがあり、自分の意見を持っている人物だったからである。

女嫌いであった光瑞は妻の死後再婚せず、六甲山に二楽荘を造って移り住んだ。
総面積は24万6000坪、ケーブルカーを3本備えていた。
建坪は500坪。イギリスの沈没船を引き揚げて解体して作られた建物で、
アラビア室・インド室・中国室・イギリス室・エジプト室など各国の部屋が設けられ、
各部屋には金にまかせて世界各地から買い集められた物が飾られていた。
住み込みの仕立屋と中国人のコックがおり、食堂には2人のイギリス人少年がいた。
すべてに豪華好みの光瑞であったが食事だけは粗食であり、主食は麦飯であった。
しかし食事の作法は外国式で、食堂での言葉は英語である。
「ワンモア・ミソシル」「ワンカップオブ・メシ」と光瑞が言うと、
礼服を着たイギリス人のボーイは優雅に命じられたことを行った。

光瑞が目指したものは単なる別荘ではなく、
学校も造って教育事業も併せて行うという壮大な理想郷の設立であった。
二楽荘の近くに2階建ての校舎を建設し武庫仏教中学を設けた。
生徒は日本全国から選んだ450人。
光瑞は耳の形のいい者にしか立派な人間はいないと信じていたから、
生徒の選考基準は、まず耳の形のいい少年。次が容姿の美しい少年であった。
学校の生徒一人一人にロンドンから純毛の毛布を取り寄せ、
1人に3枚ずつ支給して鉄製のベッドで眠らせた。
洋服や靴も、ヨーロッパの貴族の子弟並みの物を与えた。
美少年が揃った学校の中でも光瑞が選びに選んだ美少年が、
光瑞の身辺にはべり世話をした。

しかし別荘と学校さらに大谷探検隊により負債が膨らんで、
光瑞は爵位を返上して法主の座も去った。
武庫仏教中学と二楽荘は手放したが、その後は世界中を飛び回り、
旅順に策進書院・大連に浴日荘・上海に無憂園・台湾に逍遥園・
インドネシアに環翠山荘と耕雲山荘などを持った。
戦後は京都に戻り、別府で最期を迎えた。
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◆大谷光照/勝如
1911-2002 明治44-平成14 91歳没
先代光瑞の甥/もと大谷光明の子


■妻 徳大寺実厚公爵の娘 嬉子
1918- 大正07-


●光真
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by oMUGIo | 2002-01-19 00:00 | 公家華族

一条公爵家 摂家 その2

●前妻の子 経子 婿養子を迎え次代当主とする
●後妻の子 実基 一条実基男爵となる イギリス人テス・スネアと結婚
●後妻の子 朝子 伏見宮博義王妃 昭和天皇のお妃候補の一人であった
●後妻の子 実光 佐野常光伯爵となる 竹田宮恒久王の娘礼子女王と結婚
●後妻の子 実英 南部利淳伯爵の娘瑞子の婿養子になり南部利英伯爵となる
●後妻の子 直子 閑院宮春仁王妃・熟年離婚
●後妻の子 圭子 鍋島直和子爵の子鍋島直方夫人
●後妻の子 生子 伊達宗克男爵夫人


左から 実光 悦子夫人 実基 実英 朝子
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本邸にて 左から 生子 直子 圭子 朝子
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●朝子 伏見宮博義王妃 昭和天皇のお妃候補の一人であった
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●実光 佐野常光伯爵となる 竹田宮恒久王の娘礼子女王と結婚
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●実英 南部利淳伯爵の娘瑞子の婿養子になり南部利英伯爵となる
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●直子 閑院宮春仁王妃
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by oMUGIo | 2002-01-18 00:00 | 公家華族

一条公爵家 摂家 その1

東京本邸 赤坂区福吉町 (現:港区赤坂)
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◆一条忠香
1812-1863 文化09-文久03 51歳没


■妻 伏見宮邦家親王の娘 順子女王
1827-1908 文政10-明治41 81歳没


●本妻の子 実良 次代当主
●生母不明 明子 柳沢保申伯爵夫人
●側室の子 美子 明治皇后/昭憲皇太后





◆一条実良
1835-1868 天保06-慶応04 33歳没


■妻 公家近衛忠煕の娘 総子
 -1887  -明治20 


●生母不明 良子 婿養子を迎え次代・次々代当主とする





◆一条忠貞
1862-1882 文久02- 20歳没
もと公家醍醐忠順の子 婿養子になるが本人死別


■妻 先代実良の娘 良子 死別後再度婿養子を迎える





◆一条実輝
1866-1924 慶応02-大正13 58歳没
もと四条隆謌侯爵の義理の子 婿養子になる

*フランスに駐在
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■前妻 先々代実良の娘 良子 死別
1868-1899 明治01-明治32 31歳没


■後妻 細川護久侯爵の娘 悦子
1877-1945 明治10-昭和20 68歳没
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フランスにて
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外国人乳母と 椅子が悦子夫人 床が経子
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●前妻の子 経子 婿養子を迎え次代当主とする
●後妻の子 実基 一条実基男爵となる イギリス人テス・スネアと結婚
●後妻の子 朝子 伏見宮博義王妃 昭和天皇のお妃候補の一人であった
●後妻の子 実光 佐野常光伯爵となる 竹田宮恒久王の娘礼子女王と結婚
●後妻の子 実英 南部利淳伯爵の娘瑞子の婿養子になり南部利英伯爵となる
●後妻の子 直子 閑院宮春仁王妃・熟年離婚
●後妻の子 圭子 鍋島直和子爵の子鍋島直方夫人
●後妻の子 生子 伊達宗克男爵夫人


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四条隆謌侯爵の孫 阪谷寿子 三島弥太郎子爵令嬢/阪谷希一子爵夫人

一条の伯父様〔一条実輝〕は本当は祖父上〔四条隆謌〕さんのお子さんではなく、
弟の隆平さんが部屋住み時代にある女の人に産ませたお子さんなのですが、
祖父上が自分の子とされ成人してから一条家へ養子にやられたのです。

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◆一条実孝
1880-1959 明治13-昭和34 79歳没
もと公家大炊御門師前の子 婿養子になる
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■妻 先代実輝の娘 経子
1885-1956 明治18-昭和31 71歳没
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実孝&経子夫妻
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●正子 財閥三井高陽男爵夫人
●重子 鍋島直庸子爵の子鍋島直浩と離婚・正田文右衛門と再婚
●実文 次代当主





◆一条実文
1917-1985 大正06-昭和60 68歳没


■妻 松平頼庸子爵の娘 好子
1922-1976 大正11-昭和51 54歳没


●実昭
●頼実
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by oMUGIo | 2002-01-17 00:00 | 公家華族

嵯峨侯爵家 大臣家 その2

●実勝  次代当主
●淑子  軍人石井三郎夫人
●幾久子 財閥三井高昌と結婚・町田徳之助と再婚
●次郎  牧野康熙となる 大村彦太郎の娘当子と結婚
●実英  浅井実英となる
●賢子  川崎武之助夫人
●公愛  相楽公愛男爵となる 梅渓通魯子爵の娘淳子と結婚
●厚子  小倉義季子爵と離婚・七条光明子爵と再婚
●実元  中根実元男爵となる
●愛子  雨宮鉄郎夫人
●公明  石田屋公明となる


左から 公愛 愛子 幾久子 厚子 賢子 実元
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●厚子 小倉義季子爵と離婚・七条光明子爵と再婚
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●浩  愛新覚羅溥傑夫人
●啓子 医師池見猛夫人
●泰子 福永正造夫人
●幹子 いとこの町田勉と結婚
●公元 次代当主


●浩 愛新覚羅溥傑夫人
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by oMUGIo | 2002-01-16 00:00 | 公家華族

嵯峨侯爵家 大臣家 その1

◆嵯峨実愛
1820-1909 文政03-明治42 89歳没
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■前妻 鶴子


■後妻 公家今城定章の娘 登茂


●後妻の子 眉延子 冷泉為柔子爵夫人
●後妻の子 保子  毛利元敏子爵夫人
●後妻の子 餘年子 野宮定穀子爵の後妻
●後妻の子 公勝  次代当主





◆嵯峨公勝
1863-1941 文久03-昭和16 78歳没
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■妻 公家中山忠光の娘 南加


●実勝  次代当主
●淑子  軍人石井三郎夫人
●幾久子 財閥三井高昌と結婚・町田徳之助と再婚
●次郎  牧野康熙となる 大村彦太郎の娘当子と結婚
●実英  浅井実英となる
●賢子  川崎武之助夫人
●公愛  相楽公愛男爵となる 梅渓通魯子爵の娘淳子と結婚
●厚子  小倉義季子爵と離婚・七条光明子爵と再婚
●実元  中根実元男爵となる
●愛子  雨宮鉄郎夫人
●公明  石田屋公明となる


後列3人左から 次郎 厚子 幾久子
中列6人左から 実英 淑子 美勝の妻南加 公勝 実勝 賢子
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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

嵯峨公勝侯爵はとてもガッチリしているそうで、華族仲間では誰に尋ねても
「あの老侯はなかなか一筋縄ではいかぬ」と言っている。
もう70を出た年輩だが釣りの名人で、鵠沼へ引っ込んで朝夕釣竿に親しむかたわら、
小鳥なんかを飼って安くない値で仲間へ売りつけている。

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◆嵯峨実勝
1887-1966 明治20-昭和41 79歳没
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■妻 実業家浜口容所の娘 尚子
1896-1977
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●浩  愛新覚羅溥傑夫人
●啓子 医師池見猛夫人
●泰子 福永正造夫人
●幹子 イトコの町田勉と結婚
●公元 次代当主


後列左から 娘たち3人
中列左から4人目実勝 尚子夫人 公元 濱口吉右衛門
前列左から 郭布羅潤麒 不明 本庄繁 溥傑 浩 本庄夫人 公勝 南加夫人
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左から 実勝 尚子夫人 孫の愛新覚羅慧生
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◆嵯峨公元
1922-1998 大正11-平成10 76歳没
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■妻 和田利彦の娘 篤子
1929-


●実充
●節子
●敬子
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by oMUGIo | 2002-01-15 00:00 | 公家華族

東久世伯爵家 羽林家 その2

●通敏  次代当主
●孝人  黒岩実子と結婚
●秀雄  東久世秀雄男爵となる 浜口儀兵衛の娘小六と結婚
●三千子 矢吹省三男爵と離婚・伊藤某と再婚
●正文  竹腰正文男爵となる 浜口儀兵衛の娘文子と結婚・阿部市三郎の娘満寿子と再婚
●昌枝  某氏君子と結婚


●三千子 矢吹省三男爵と離婚・伊藤某と再婚
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●秀雄 東久世秀雄男爵となる 浜口儀兵衛の娘小六と結婚
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by oMUGIo | 2002-01-14 00:00 | 公家華族

東久世伯爵家 羽林家 その1

◆東久世通禧
1834-1912 78歳没
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■妻 黒川盛貞の娘 貞子
1853-1936 83歳没


●通敏  次代当主
●孝人  黒岩実子と結婚
●秀雄  東久世秀雄男爵となる 浜口儀兵衛の娘小六と結婚
●三千子 矢吹省三男爵と離婚・伊藤某と再婚
●正文  竹腰正文男爵となる 浜口儀兵衛の娘文子と結婚・阿部市三郎の娘満寿子と再婚
●昌枝  某氏君子と結婚





◆東久世通敏
1869-1944 75歳没
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■妻 土方久用伯爵の娘 玉子 離婚
1878-


●通忠 次代当主
●信保
●喜子 小口新弥夫人


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<玉子夫人の不倫>

※当時の総理大臣の年給は1万2000円

東久世道敏&玉子夫妻はは大正元年4月、
農大生森田潔22歳を住み込みの家庭教師として雇う。
ところが玉子と森田は不倫関係になる。

夫の留守中玉子は森田を連れて、逗子・葉山・銚子・塩原など保養地を遊び回った。
3年後不倫が発覚した時には、
玉子が遊興のために3万円もの借金を作っていることも判明した。

道敏は玉子と離婚したが、
3万円の借金については東久世家も玉子の実家土方家も支払える金額ではなかった。
そこで道敏は玉子が借金をする際に道敏の実印を使用していたため、
私文書偽造で刑事告訴するに至った。

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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正08年09月12日

宮内官僚石原健三の台詞

東久世秀雄男爵の兄の妻は土方久元伯爵の娘にして離婚となれり。
なんでも、東久世の兄に対する民事訴訟なりしようなり。
東京地方裁判所で審理の結果、東久世の弟〔秀雄〕がその兄嫁と私しおること発覚し
司法省よりその事を宮内省に通知し来れり。
しかるに東久世は皇后職に奉仕し内情も充分に承知しおる者にてこれを罷むるに便ならず。
山崎四男六〔大蔵官僚〕もこれを使うてよろしと言うにつき、
これを内蔵寮に入れ相当に用立ておれり。


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倉富日記 大正08年09月19日

宮内官僚小原駩吉の台詞

今朝より山辺知春と共に松根豊次郎を招き山尾三郎妻に私通したることを責め
この上は社会より存在をなくすることを務むるよりほか致し方なき旨を懇ろに説諭し、
ようやく辞表を書かしめ自分より取り次ぎて君に提出せん。
なるべく早く免官し、原因が他へ聞こえざることを望む。
山尾の話を聞き、その忍耐には実に同情せり。5年ばかり前よりの事なるべし。
松根は山尾の妻が離婚となりたることは、自分が話をなすまで知らざりし模様なり。


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『名士文士貴婦人すっぱぬき』  大正06年出版

伯爵東久世通敏氏の夫人玉子に隠れた道楽がある
だいぶ変わった道楽でちょっと類がなかろう。
午後の1時より3時までの間が夫人の道楽時間で、雨の日も風の日も欠かさないから道楽である。
それは他でもない散歩である。雨の日は蛇の目に下駄で付近を一巡して帰る。
天気となると東京市内どこというあてもなく気の向き次第足の向き次第ブラブラと散歩する。
道楽ということを知らぬ人は、
「おや奥様、どうしてこんなところに」ととんだ所であったビックリする者がある。
決して芝居や人混みの場所には足踏みもせぬ。多くはただブラブラブラブラと歩く。
夫人は極めて質素ないでたちだから往来の人もさまで注目せぬ。
これまで多年の間危険な目に遭わぬのも質素な身なりをし時間に制限があるからである。
だから夫人の知人は夜の道楽でなくて幸いだと言うておる。


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◆東久世通忠
1899-


■妻 杉浦六右衛門の娘 八重子
1907-1983 76歳没


●博子 柴田勝一夫人
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by oMUGIo | 2002-01-13 00:00 | 公家華族

徳大寺公爵家 清華家 その2

●実則 次代当主
●美麿 西園寺公望公爵となる
●福子 大洲藩主加藤泰秋夫人
●永子 人吉藩主相良頼基夫人
●通規 中院通規伯爵となる 藤田万蔵の娘アキコと結婚
●中子 相良頼紹子爵夫人
●威麿 末松威麿となる
●照子 阿部正功子爵夫人
●隆麿 財閥住友友親の娘満寿子の婿養子になり住友友純男爵となる


●美麿 西園寺公望公爵となる
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●福子 大洲藩主加藤泰秋夫人
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●通規 中院通規伯爵となる 藤田万蔵の娘アキコと結婚
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●隆麿 財閥住友友親の娘満寿子の婿養子になり住友友純男爵となる
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●公弘  次代当主
●宣麿  高千穂宣麿男爵となる 公家四辻公賀の娘芳子と結婚
●順子  鷹司熙通公爵夫人
●祚子  佐竹義生侯爵夫人
●蓁子  財閥三井高縦夫人
●則麿  徳大寺則麿男爵となる 毛利元敏子爵の娘亮子と結婚
●治子  府中松平頼孝子爵夫人
●彬麿  北条氏恭子爵の娘穎子と結婚
●伊楚子 島津忠重公爵夫人


●順子 鷹司熙通公爵夫人
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●作子 佐竹義生侯爵夫人
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●則麿 徳大寺則麿男爵となる 毛利元敏子爵の娘亮子と結婚
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●治子 府中松平頼孝子爵夫人
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●彬麿 北条氏恭子爵の娘穎子と結婚 
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●伊楚子 島津忠重公爵夫人
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by oMUGIo | 2002-01-12 00:00 | 公家華族

徳大寺公爵家 清華家 その1

東京本邸 豊多摩郡千駄ヶ谷町 (現:渋谷区千駄ヶ谷)


◆徳大寺公純
1821-1883 文政04-明治16 62歳没
もと公家鷹司政通の子


■妻帯せず


●実則 次代当主
●美麿 西園寺公望公爵となる
●福子 大洲藩主加藤泰秋夫人
●永子 人吉藩主相良頼基夫人
●通規 中院通規伯爵となる 藤田万蔵の娘アキコと結婚
●中子 相良頼紹子爵夫人
●威麿 末松威麿となる
●照子 阿部正功子爵夫人
●隆麿 財閥住友友親の娘満寿子の婿養子になり住友友純男爵となる





◆徳大寺実則
1840-1919 天保10-大正08 79歳没
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■妻 高知藩主山内豊資の娘 嘉年子
1844-1879 天保15-明治12 35歳没 


●公弘  次代当主
●宣麿  高千穂宣麿男爵となる 公家四辻公賀の娘芳子と結婚
●順子  鷹司熙通公爵夫人
●祚子  佐竹義生侯爵夫人
●蓁子  財閥三井高縦夫人
●則麿  徳大寺則麿男爵となる 毛利元敏子爵の娘亮子と結婚
●治子  松平頼孝子爵夫人
●彬麿  北条氏恭子爵の娘穎子と結婚
●伊楚子 島津忠重公爵夫人





◆徳大寺公弘
1866-1937 慶応02-昭和12 71歳没

椅子中央が公弘
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■妻 川越藩主松平典則の娘 久子
1866-1945 79歳没
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●実厚 次代当主


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

先代実則公爵は長い間明治天皇の侍従長として側近に奉持し、
日夜頭をかしこみ続けていたため
他の場所でも頭をまっすぐにして歩くことができなかったほど謹厳な人物であったが、
公弘公爵の代になってから世事に疎いため取巻連に翻弄せられ、
由緒の深い千駄ヶ谷の邸宅までとうの昔に人手に渡ったのみか、
たちの良くない神経痛に悩まされて今では相州の茅ヶ崎に煙のような生活をしている。

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◆徳大寺実厚
1889-1970 明治22-昭和45 81歳没
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■妻 前橋松平直之伯爵の娘 米子
1899-1994 95歳没
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右が米子夫人
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●公英
●嬉子 西本願寺大谷光照夫人
●斉定 次代当主
●純明





◆徳大寺斉定
 -1946   -昭和21年


■妻 賀陽宮恒憲王の娘 美智子女王 離婚
1923- 大正12-
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by oMUGIo | 2002-01-11 00:00 | 公家華族


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