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九条公爵家 摂家 その2

●後妻の子 夙子 孝明天皇皇后/英照皇太后
●後妻の子 道孝 次代当主
●側室の子 尚嘉 松園尚嘉男爵となる 石野基佑子爵の娘満子と結婚
●側室の子 忠善 鶴殿忠善男爵となる 醍醐忠順侯爵の娘親子と結婚
●側室の子 熙通 鷹司熙通公爵となる 徳大寺実則公爵の娘順子と結婚
●側室の子 基弘 二条基弘公爵となる 金沢藩主前田斉泰の娘洽子と結婚


●夙子 孝明天皇皇后/英照皇太后
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●基弘 二条基弘公爵となる 金沢藩主前田斉泰の娘洽子と結婚
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●実子 道実 次代当主
●実子 範子 山階宮菊麿王前妻 本人死別
●実子 良政 九条良政男爵となる 鍋島直大侯爵の娘茂子と離婚・庭田重文伯爵の娘姈子と再婚
●実子 寿子 西本願寺大谷光瑞伯爵夫人
●庶子 節子 大正皇后/貞明皇后
●庶子 良致 九条良致男爵となる 西本願寺大谷光尊伯爵の娘武子と結婚←歌人九条武子
●庶子 良叙
●庶子 篷子 仏光寺渋谷隆教男爵夫人
●庶子 紝子 西本願寺大谷光明夫人


●範子 山階宮菊麿王の前妻、本人死別
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●良政 九条良政男爵となる 鍋島直大侯爵の娘茂子と離婚・庭田重文の娘姈子と再婚
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●寿子 西本願寺大谷光瑞伯爵夫人
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●節子 大正皇后/貞明皇后
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●良致 九条良致男爵となる 西本願寺大谷光尊伯爵の娘武子と結婚←歌人九条武子
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●篷子 仏光寺渋谷隆教男爵夫人
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●紝子 西本願寺大谷光明夫人
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●兼子 佐竹義春侯爵夫人
●道秀 次代当主
●豊子 中山輔親侯爵夫人
●充子 村瀬光三郎夫人
●敏子 賀陽宮恒憲王妃
●敞子 大久保忠言子爵夫人


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左から 敞子 充子 道秀 豊子 敏子
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●兼子 佐竹義春侯爵夫人
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●豊子 中山輔親侯爵夫人
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●充子 村瀬光三郎夫人
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●敏子 賀陽宮恒憲王妃
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●敞子 大久保忠言子爵夫人
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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年03月16日

倉富&宮内官僚酒巻芳男の会話

倉富◆賀陽宮の妃となられる九条公爵の娘は、一度岡山の池田家に嫁する事となりおり
夫となる人〔池田禎政〕が死去したるためそのままになりおる人なりや。
酒巻◆しからず。その豊子の妹敏子なり。
豊子は堂上華族の中山輔親侯爵に嫁する事となりたるやと聞きおれり。


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倉富日記 大正13年03月06日

倉富&酒巻芳男&宮内官僚徳川頼倫の会話

酒巻◆九条充子の分家の事につき入婿となる村瀬光三郎の家系調書を示し、
九条にては不都合なる事なからんと言いおれり。
倉富◆こちらは結局許可せらるるより他に致し方なからんと思う。しかし一旦分家して入婿を迎え、
後日九条家へ復帰して夫婦とも華族となる様の考えを有しおりては不可なり。
九条家の取計いは幾分かその様の事を為すにはあらざるやの疑いあり。
この事だけは予防しおく必要ありと思う。
徳川◆此節の事は九条の取計い軽率なりしなり。
只今の注意の点もいささか疑うべき点無きにあらず。


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倉富日記 大正13年03月11日

倉富&宮内官僚小原駩吉の会話

小原◆媒酌を為したる中山輔親侯爵の談にては
「充子は病身なるゆえ医者も気楽なる所に嫁せしむる事を勧め、
始めは華族中にて求めたるも適当なる人なし。
村瀬は家柄も良く人物も良く、自分は少しも悪しき事はなしと思う」と言いおれり。
倉富◆予もその話は聞きたるが、
九条が初めに宮内大臣などの了解を求めおかざりしは手落ちなりしなるべしも、
この事は結局遂行するより他に致し方なしと思う。


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倉富日記 大正13年03月29日

九条は充子を大岡忠量子爵の養女と為ししかる後分家せしめ
その上にて村瀬を入婿とする事に決したる趣なり。
大岡は九条の親族にて家計上でも九条の世話になりおる人なり。
始め充子は大岡の妻と為すつもりなりしも、
家計があまり窮しおるゆえやめたるものなりとのこと。


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by oMUGIo | 2002-01-10 00:00 | 公家華族

九条公爵家 摂家 その1

東京本邸 赤坂区福吉町 (現:港区赤坂) 


◆九条尚忠
1798-1871 寛政10-明治04 73歳没
もと公家二条治孝の子


■前妻 対馬藩主宗義功の娘 千鶴子
-文政12 -1828


■後妻 公家南大路壽尹の娘 姪子
1796-1881 寛政08-明治14 85歳没


●後妻の子 夙子 孝明天皇皇后/英照皇太后
●後妻の子 道孝 次々代当主
●側室の子 尚嘉 松園尚嘉男爵となる 石野基佑子爵の娘満子と結婚
●側室の子 忠善 鶴殿忠善男爵となる 醍醐忠順侯爵の娘親子と結婚
●側室の子 熙通 鷹司熙通公爵となる 徳大寺実則公爵の娘順子と結婚
●側室の子 基弘 二条基弘公爵となる 金沢藩主前田斉泰の娘洽子と結婚





◆九条幸経●子供ナシ
1823-1859 文政06-安政06 36歳没
もと公家鷹司政通の子


■妻 姫路藩主酒井忠学の娘 肫子
1826-1871 文政09-明治04 45歳没 





◆九条道孝
1839-1906 天保10-明治39 67歳没
先々代尚忠の子
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■妻 対馬藩主宗義和の娘 和子
1866-1920 慶応02-大正09 54歳没


●実子 道実 次代当主
●実子 範子 山階宮菊麿王前妻 本人死別
●実子 良政 九条良政男爵となる 鍋島直大侯爵の娘茂子と離婚・庭田重文伯爵の娘姈子と再婚
●実子 寿子 西本願寺大谷光瑞伯爵夫人
●庶子 節子 大正皇后/貞明皇后
●庶子 良致 九条良致男爵となる 西本願寺大谷光尊伯爵の娘武子と結婚←歌人九条武子
●庶子 良叙
●庶子 篷子 仏光寺渋谷隆教男爵夫人
●庶子 紝子 西本願寺大谷光明夫人


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萬朝報 明治31年07月17日

*貞明皇后は野間イクの子である。

公爵九条道孝が赤坂福吉の自邸に置く妾は、
神田区錦町 光彦姉 野間イク(50)と
京都上京区室町 勝貞姉 田村ヤス(33)の二人なり。

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◆九条道実
1869-1933 明治02-昭和08 64歳没
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■妻 東本願寺大谷光瑩伯爵の娘 恵子
1876-1956 明治09-昭和31 80歳没
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●兼子 佐竹義春侯爵夫人
●道秀 次代当主
●豊子 中山輔親侯爵夫人
●充子 大岡忠量子爵の養女となる
●敏子 賀陽宮恒憲王妃
●敞子 大久保忠言子爵夫人





◆九条道秀
1895-1961 明治28-昭和36 66歳没


■前妻 島津忠麿伯爵の娘 文子
1901-1942 明治34-昭和17 41歳没
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■後妻 土山尊弘の娘 成子
1899-1991 明治32-平成03 92歳没


●後妻の子 賢子
●後妻の子 淳子
●後妻の子 道弘


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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正10年05月29日

有馬伯爵家職員有馬秀雄の台詞 (有馬秀雄は有馬家の家族ではなく単なる職員)

九条家より有馬頼寧の娘静子を貰いに来りたるも頼寧がすげなくこれを拒絶し、
頼寧夫人貞子も「道秀は技量なく、せいぜい掌典ぐらいより進むことを得ざるべし」と言いたる。

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by oMUGIo | 2002-01-09 00:00 | 公家華族

鷹司公爵家 摂家 その2

●房子 上杉憲章伯爵夫人
●信輔 次代当主
●信熙 鷹司信熙男爵となる 財閥三井高棟男爵の娘裕子と結婚
●信淳 松園信淳男爵となる 四条隆英の娘英子と結婚
●信敬 水野忠亮子爵の娘敦子と結婚


左から 信輔 信淳 信熙 
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後列左から 信敬 信淳 信輔 信熙
前列左から 信輔夫人綏子 順子夫人 信熙夫人裕子
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●幸子 清閑寺良貞伯爵の子清閑寺経泰夫人
●平通 次代当主
●章子 松平乗長子爵の子松平乗武夫人
●量子 宇治家彦伯爵夫人
●庸子 浅野長武侯爵の子浅野長愛夫人
●光子 財閥住友融夫人


立つ左から 庸子 平通 光子 章子 量子
座る左から 綏子夫人 信輔 幸子
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立つ左から 
光子 庸子 量子 幸子 平通 不明 不明
座る左から 
綏子夫人 信輔 酒井夫人秋子 章子 松平乗武 酒井忠正伯爵 松平乗文子爵 不明 不明 
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立つ左から 信輔 章子 平通 庸子 量子 幸子 量子の夫宇治家彦伯爵
座る左から 綏子夫人 光子
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by oMUGIo | 2002-01-08 00:00 | 公家華族

鷹司公爵家 摂家 その1

東京本邸 麹町区上二番町 (現:千代田区二番町)


◆鷹司熙通
1855-1918 安政2-大正7 63歳没
もと公家九条尚忠の子

*ドイツに留学
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■妻 徳大寺実則公爵の娘 順子
1871-1943 明治04-昭和18 72歳没
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後列左から 熙通 信輔
前列左から 信熙 信敬 順子夫人 房子 信淳
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立つ左から 信熙 信輔 信淳
座る左から 熙通 順子夫人 房子 信敬
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●房子 上杉憲章伯爵の前妻・本人死別
●信輔 次代当主
●信熙 鷹司信熙男爵となる 財閥三井高棟男爵の娘裕子と結婚
●信淳 松園信淳男爵となる 四条隆英の娘英子と結婚
●信敬 水野忠亮子爵の娘敦子と結婚 





◆鷹司信輔
1890-1959 明治23-昭和34 69歳没
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■妻 本家徳川家達公爵の娘 綏子
1897-1976 明治30-昭和51 79歳没
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左から 綏子夫人 信輔 順子夫人
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●幸子 清閑寺良貞伯爵の子清閑寺経泰夫人
●平通 次代当主
●章子 松平乗長子爵の子松平乗武夫人
●量子 宇治家彦伯爵夫人
●庸子 浅野長武侯爵の子浅野長愛夫人
●光子 財閥住友融夫人


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

堂上華族と一口に言っても、中には玄人はだしの商売気があってたんまり儲けている殿様もある。
鷹司信輔公爵邸に行くと、十幾棟というモダンな小鳥小舎がずらりと並んでいる。
信輔公爵が大枚4万円余を投じてこしらえた物だが、
十姉妹やセキセイインコの全盛時代には外国からいろいろな種鳥を取り寄せて
変わり種をしこたま製造しそれを次から次へと手際よくさばいて
15万円は儲けたと華族仲間でもっぱらの評判であった。
公爵自身はむきになってこの噂を打ち消しているし、禽舎に働いている者が
一度に3000円の取引があったことをうっかり口外したとかでこっぴどく叱られたという話もあるが、
インコだけでも変り種70種300羽を買ったのは間違いのない事実だとのことだ。
もっとも信輔公爵は理科大学出の本物の動物学者であるから
小鳥を種に金儲けをするに何の不思議はなく、
いずれそのうちには白い烏でも飼い始めてまた儲けるだろうと口の良くない人々は噂をしている。

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◆鷹司平通●子供ナシ
1923-1966 大正12-昭和41 42歳没


■妻 昭和天皇の娘 和子内親王
1929-1989 昭和04-平成01 59歳没


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二人の結婚は終戦から5年経った昭和25年。
5年前までは天上の世界に存在した皇女がサラリーマンの妻となったとして話題となった。
平通は新婚当時の取材に
「和子はおとなしく恥ずかしがり屋。
その反面正しいと思ったことはやり通す強い面を持った女性。
貴族的な束縛のない、平凡で科学的な家庭を築きたい」と語っていた。

ところが昭和41年、平通は銀座のバーのママ(39)の自宅マンションで
ストーブによる一酸化炭素中毒で二人とも遺体で発見された。
二人とも裸にガウンを着ただけの姿であった。心中説もある。
和子は夫と死別後、赤坂御用地内に住まった。
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by oMUGIo | 2002-01-07 00:00 | 公家華族

三条公爵家 清華家 その2

●智恵子 閑院宮載仁親王妃
●美佐子 毛利元昭公爵の後妻
●公美  次代当主
●章子  東本願寺大谷光演伯爵夫人
●高子  平松時陽子爵夫人
●篤子  高倉篤麿子爵夫人
●公輝  次々々代当主
●夏子  酒井忠興伯爵夫人
●末子  本人の不倫発覚により山尾三郎子爵と離婚・松永安衛と再婚
●実英  河鰭実英子爵となる 亀井茲明伯爵の娘祥子と結婚


左から 章子 高子
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●智恵子 閑院宮載仁親王妃
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●美佐子 公爵毛利元昭の後妻
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●章子 東本願寺大谷光演伯爵夫人
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●高子 平松時陽子爵夫人
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●篤子 高倉篤麿子爵夫人
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●末子 本人の不倫発覚により山尾三郎子爵と離婚・松永安衛と再婚
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●実英 河鰭実英子爵となる 亀井茲明伯爵の娘祥子と結婚
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枢密院議長 倉富勇三郎男爵の日記 大正08年09月10日

*末子は俳人松根東洋城/松根豊次郎との不倫が発覚して山尾三郎子爵と離婚、
松根も務めていた宮内省をクビとなった。

宮内官僚石原健三との会話

石原◆山尾三郎、その妻を去りたり。妻は三条実美公爵の娘なり。
これを去りたる原因は、松根と私したりとのことなり。
山尾より松根に対し「君は実に不都合なり。この上は君と絶交するより致し方なし」と言いたるに、
松根は「君より絶交せらるるも少しも頓着なし。ただしその原因は今始まりたることにあらず」
倉富◆しからば、山尾が結婚する前よりの事なりや。
石原◆しからざるべし。松根は初より山尾と懇意になるにあらず。
松根が山尾の家に出入りするようになりたるは、小原駩吉が同伴して行きたるよりの事なる由。
倉富◆山尾の妻は閑院宮妃殿下の妹なるべし。
石原◆しかり。ゆえに余程の事なき以上は離婚せざるはずなり。

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倉富日記 大正12年02月16日

*離婚後末子と上杉憲章伯爵の再婚話が決まり、
両家が宮内省に結婚を申請したが認可が下りなかった。

倉富&宮内官僚西園寺八郎の会話

西園寺◆山尾三郎と離婚したる三条末子と上杉憲章伯爵との結婚問題は、
山尾との離婚の原因は内実はともかく表面は協議離婚なるゆえ、
宮内大臣が裏面にまで立ち入り結婚を許可せざる理由なしと思う。
倉富◆末子が姦通が離婚の原因となりおるならばこれを認可するは穏当ならざるべきも、
協議離婚なるゆえ、
これを娶る方が満足して娶るならば大臣としてこれを認可せざる理由なしと思う。


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倉富日記 大正12年07月27日

宮内官僚酒巻芳男の台詞

三条末子を静岡県の松永安衛に嫁せしむる事は、宮内次官関屋貞三郎は
「末子を別家せしめ華族籍を除きたるうえ結婚せしめたらばよろしからん」との意見なりしも、
貴官は「山尾との離婚は協議離婚にて、
松根豊次郎との関係を表面に出さざりしは山尾の面目を傷つけざる為なりしなり。
しかるに宮内省より『末子を別家せしめたる上にあらざれば結婚すべからず』
と言うは不都合なり」と言われたるにつき、その趣を宮内次官に告げたるところ、
宮内次官は「しからば宮内省としては別段条件をつけず
三条家にて別家せしむると否とを決する様に談したらばよろしからん」との事になりたり。


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●実憲  次代当主
●喜美子 仙石久英子爵夫人
●艶子  永井直邦子爵夫人 
●泰子  島津忠承公爵夫人


●喜美子 仙石久英子爵夫人
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●艶子  永井直邦子爵夫人 
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●実春 次代当主
●博子 徳川義寛男爵夫人
●光子 竹田宮恒徳王妃
●修子 浅野忠充男爵夫人


●光子 竹田宮恒徳王妃
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by oMUGIo | 2002-01-06 00:00 | 公家華族

三条公爵家 清華家 その1

東京本邸 麻布区鳥居坂町 (現:港区六本木)
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◆三条実美
1837-1891 天保08-明治24 53歳没
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■妻 公家鷹司輔熙の娘 治子
1848-1924 嘉永01-大正13 76歳没
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●智恵子 閑院宮載仁親王妃
●美佐子 公爵毛利元昭の後妻
●公美  次代当主
●章子  東本願寺大谷光演伯爵夫人
●高子  平松時陽子爵夫人
●篤子  高倉篤麿子爵夫人
●公輝  次々々代当主
●夏子  酒井忠興伯爵夫人
●末子  本人の不倫発覚により山尾三郎子爵と離婚・松永安衛と再婚
●実英  河鰭実英子爵となる 亀井茲明伯爵の娘祥子と結婚





◆三条公美
1875-1914 明治08-大正03 39歳没
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■妻 福井藩主松平春嶽の娘 千代子
1881-1952 明治14-昭和27 71歳没 
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●実憲  次代当主
●喜美子 仙石久英子爵夫人
●艶子  永井直邦子爵夫人 
●泰子  島津忠承公爵夫人





◆三条実憲
1902-1924 明治35-大正13 22歳没
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◆三条公輝
1882-1945 明治15-昭和20 64歳没
先代実憲の叔父/先々々代実美の子
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■前妻 毛利元敏子爵の娘 多栄子 死別
1891-1918 明治24-大正07 27歳没
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■後妻 正親町実正伯爵の娘 静子
1884-1965 明治17-昭和40 81歳没
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手前が公輝
左から 修子 実春 光子 静子夫人
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●実春 次代当主
●博子 徳川義寛男爵夫人
●光子 竹田宮恒徳王妃
●修子 浅野忠充男爵夫人


左から 実春 修子 博子 叔母泰子 光子
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◆三条実春
1913-1990 大正02-平成02 77歳没
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■最初の妻 亀井茲常伯爵の娘 鈴子
1920-1945 大正09-昭和20 25歳没


■2番目の妻 池尻基房子爵の娘 千賀子
1916-1971 大正05-昭和46 55歳没


■3番目の妻 斉藤武市の娘 初江
1920- 大正09-


●純子
●公隆
●公誠
●公順
●真利子
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by oMUGIo | 2002-01-05 00:00 | 公家華族

近衛公爵家 摂家 その2

●実子   篤麿 次代当主
●実子   泰子 本家徳川家達公爵夫人
●庶子   英麿 津軽英麿伯爵となる 小笠原忠忱伯爵の娘照子と結婚
●生母不明 堯猷 常磐井堯猷男爵となる 結婚3回
西本願寺大谷光尊伯爵の娘文子→藤堂高潔伯爵の娘鋀子→久世広業子爵の娘貞子


●泰子 本家徳川家達公爵夫人
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●英麿 津軽英麿伯爵となる 小笠原忠忱伯爵の娘照子と結婚
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●前妻の子 文麿 次代当主
●後妻の子 武子 大山柏公爵夫人
●後妻の子 秀麿 指揮者 近衛秀麿子爵となる 毛利高範子爵の娘泰子と結婚
●後妻の子 直麿 作曲家 女給川島ミネと結婚
●後妻の子 忠麿 水谷川忠麿男爵となる 士族兵藤正通の娘正子と結婚


左から 文麿 武子 忠麿 直麿 秀麿
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大人左から 秀麿の妻泰子 文麿の妻千代子 文麿 千代子と泰子は姉妹 
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●秀麿 指揮者 近衛秀麿子爵となる 毛利高範子爵の娘泰子と離婚・長井和子と再婚

*秀麿は愛人・庶子多数。結婚直後に芸者を身請けするなど
秀麿の放蕩に疲れた泰子は父の開発した毛利式速記を修得して速記者となる。
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●直麿 作曲家 女給川島ミネと結婚
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●文隆  次代当主
●昭子 島津忠秀公爵と結婚・整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚
●温子 細川護貞夫人→子忠輝は近衛家31代当主
●通隆 加藤四郎の娘節子と結婚
●芸者山本ヌイと間に庶子 斐子


左から 温子 文隆 通隆 昭子
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左から 文麿 温子 千代子夫人 昭子 通隆
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●昭子 島津忠秀公爵と結婚・整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚
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昭子&野口晴哉夫妻
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●温子 細川護貞夫人→息子忠輝が近衛家当主となる

結婚披露宴にて 左から 
細川護立侯爵 護立夫人博子 木戸幸一侯爵 細川護貞 温子 木戸夫人鶴子 文麿 千代子夫人  
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●通隆 加藤四郎の娘節子と結婚
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昭子のクラスメイトの証言

うらやましいくらいきれいな御弁当を、さもまずそうにノロノロ食べて、
そのうち鐘が鳴ってしまうので残す。近衛さんの【お残し】は有名だった。


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大村光子 四条隆英子爵令嬢/大村泰敏子爵夫人 
上田和子 水野勝邦子爵令嬢/上田駿策夫人

大村◆私のクラスには近衛昭子さんがいらしたの。
こちらはお姫様で御自分で御飯を召し上がっていないの
みんなお次〔使用人〕が食べさせていました。
上田◆お昼時になると供待ち部屋からお次がいらっしゃるの?
大村◆だから自分では食べないの。驚いちゃうわね。
【おこぶ】という厳格なおばあさんが年中付いて、
お髪をこうやって梳かしたりしていました。大変なものだったわよ。
だから本人は御自分でできないのです。
やはり近衛家御出身でおつむがいいから、勉強はよくお出来になりましたね。
それから伝統的なもので御字がすごくきれいでした。
お転婆でいらしたけど【おこぶ】というのが付いてかえって反発しちゃったのね。
上田◆でも昭子様はどこかでそれをお外れになるのね。
大村◆そうそう、正反対なのね。構っちゃいない方でした。
上田◆でも昭子さんはおきれいな方ね。
大村◆お性質も良い方でした。


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寺島雅子 細川護立侯爵令嬢/寺島宗従伯爵夫人
勝田美智子 原田熊雄男爵令嬢/勝田龍夫夫人

勝田◆近衛昭子さんの事は「へめさん」と言ってましたね(笑)
寺島◆お付きなど周りが「姫様、姫様」と呼ぶのだけれど、
またお小さくてそれが言えなくて、自分の事を「へめ、へめ」とおっしゃるのです。
それであだ名になって今でもみんな「へめさん」と言っております(笑)
勝田◆80歳を過ぎても「へめさん」なのよ(笑)

寺島◆【鬼婆ごっこ】というのもしましたね。
勝田◆佐竹三恵子さん〔佐竹義立男爵令嬢〕が張り切っていらっしゃいました。
佐竹さんは必ず鬼婆で、近衛さんがお姫様。
寺島◆「おへめさん」が必ずお姫様でしたね。
佐竹さんは御自分が鬼婆がお好きなので、どうしてもなりたいのです(笑)

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by oMUGIo | 2002-01-04 00:00 | 公家華族

近衛公爵家 摂家 その1

◆近衛忠熙
1808-1898 文化05-明治31 90歳没
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■妻 薩摩藩主島津斉宣の娘 興子
1807-1850 文化04-嘉永03 43歳没 


●総子 一条実良夫人
●忠房 次代当主
●堯熙 常磐井円禧の娘敬子の婿養子になり常磐井堯熙男爵となる
●忠起 水谷川忠起男爵となる 東本願寺大谷光勝伯爵の娘堯子と結婚 
●尹子 津軽承昭伯爵の後妻





◆近衛忠房
1838-1873 天保09-明治06 34歳没
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■妻 島津久長の娘 貞子/光子
1845-1920 弘化03-嘉永06 75歳没 

前列左端が光子 島津公爵家の女性たちと
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●実子   篤麿 次代当主
●実子   泰子 本家徳川家達公爵夫人
●庶子   英麿 津軽英麿伯爵となる 小笠原忠忱伯爵の娘照子と結婚
●生母不明 堯猷 常磐井堯猷男爵となる 結婚3回
大谷光尊伯爵の娘文子→藤堂高潔伯爵の娘鋀子→久世広業子爵の娘貞子





◆近衛篤麿
1863-1904 文久03-明治37 40歳没

*ドイツに留学

*落馬事故で死亡

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ドイツにて
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■前妻 加賀藩主前田慶寧の娘 衍子 有栖川宮威仁親王妃慰子の妹
1869-1891 明治02-明治24 22歳没
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■後妻 加賀藩主前田慶寧の娘 貞子 前妻の妹
1871-1945 明治04-昭和20 74歳没


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※当時の総理大臣の年給は1万2000円

衍子の嫁入り道具は、箪笥17棹分の着物だけで3万5000円。
東京の呉服店にないものは、京都の織元まで行って希望通りの品物を誂えさせた。
しかし嫁いでわずか1年後に亡くなったため、3棹の着物を着ただけだった。
残りの14棹の衣装は形見分けとして嫁ぎ先近衛家の女中に分配された。
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●前妻の子 文麿 次代当主
●後妻の子 武子 大山柏公爵夫人
●後妻の子 秀麿 指揮者 近衛秀麿子爵となる 毛利高範子爵の娘泰子と離婚・長井和子と再婚
●後妻の子 直麿 作曲家 女給川島ミネと結婚
●後妻の子 忠麿 水谷川忠麿男爵となる 士族兵藤正通の娘正子と結婚





◆近衛文麿 総理大臣
1891-1945 明治24-昭和20 54歳没

*青酸カリで自殺
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■妻 毛利高範子爵の娘 千代子
1896-1980 明治29-昭和55 84歳没

*夫妻は当時珍しい恋愛結婚であったが、ともに華族であったため問題にはならなかった。

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実父毛利高範子爵と
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●文隆 次代当主
●昭子 島津忠秀公爵と結婚・整体師野口晴哉と駆け落ちして再婚
●温子 細川護貞夫人→子忠輝は近衛家31代当主
●通隆 加藤四郎の娘節子と結婚
●芸者山本ヌイと間に庶子 斐子


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『横から見た華族物語』  昭和07年出版

新人張りの文麿公爵にして迷信家であることは矛盾しているが、
あれで相当かつぐ方だから不思議である。
文麿公爵の身長は5尺9寸5分あるが、自身では5尺9寸だと言って5分だけ切り捨てる。
これは9寸5分という寸法が政治家には縁起の悪い短刀の寸法と同じだから、
それを嫌って端数だけ抹殺するのだそうだ。

また文麿公爵は常識を超越した衛生家で、
ちょっと風邪をひいても咳一つ出なくなるまでは外出は無論のこと来客にも一切面会しない。
それでいつでももう良くなると言ってから、2週間ぐらいは人に顔を見せない。
それほどだから苺ひとつ食べるにしても、水道の水を沸騰させ
それを0度以下に冷やしたもので充分洗ってからでなくては口にせぬということだ。


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近衛文麿の娘 野口昭子

若い時の母の写真を見ると、娘の私でもハッとするような美人である。
電車の中で父に見初められて18歳で結婚したというが、なんだかわかるような気がする。
それなのに、子供の頃の記憶の中に母の面影が浮かんで来ない。
おそらく私たち兄妹は<御方>と称する廊下づたいの離れに住んでいて、
タッチという老女格の人に育てられたからかもしれない。

戦前の母の華やかさは、ゴルフで三井夫人と女子選手権を争ったり
母がモデルになった<赤い日傘>が帝展に入選したりして話題をまいたが、
本来は家庭的なことが好きで、料理・刺繍・縫い物・編み物・染物など、
セーターなどは2,3日で編み上げてしまうし、自分の和服は全部自分で縫っていたし、
刺繍は衝立・クッションなど今も残っている。

母は豪放磊落な気性の兄を最も愛し、父よりも気が合うらしかった。
また家庭的で明朗な性格の妹をいつも褒めていたが、私のことは父兄会に行っても
「本ばかり読んでいて女らしいことは何もできない困った子でございます」と言っていたという。
手先が器用で何でもできる母にとって、私はまったく価値のない駄目女であった。
私が劣等感に陥らなかったのは、何を言われても馬耳東風、
学校から帰ると広い芝生に寝転んで青い空を眺めたり、
兄の遊び相手としてチャンバラなどしていたからかもしれない。
それに別邸の祖母が私を特に可愛がってくれて、
いつも「この子はいい子やね」と褒めてくれた。

首相夫人になって荻窪に移っても、でしゃばらず気さくで気取らない母の評判は良かった。
『庶民的で三等車に乗る公爵夫人』などと雑誌に書かれたりした。

母は父の死は覚悟していたが最愛の兄の死だけはどうにも信じられないらしく、
兄のことを話すといつも涙ぐんだ。
そして湯河原に移るとだんだん私を頼るようになった。
クラス会や旅行に何を着て行ったらいいかまで、私に相談するようになった。
湯河原での一人住まいの生活でも、四季の野菜作りや花作りをしながら、
人にあげたり御馳走して喜ばれることを何よりの楽しみにしていた。


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近衛文麿の娘 野口昭子

昭和20年12月14日雪深い新潟の善性寺で、
A級戦犯の中に父の名が確かにラジオで放送されていたと村の人から聞かされた時、
私はまさかと思った。あれほど戦争に反対した父がなぜ、と。
切符を取るさえ困難なのをやっと手に入れ、ともかく荻外荘に着いた時は夕方近かった。
荻外荘はもろもろの訪問客でごった返していた。
客と客との切れ目にドアの陰から顔を出すと、父の視線とバッタリ合った。
その思いつめたような眼を見た瞬間、私は父は巣鴨に行かないと直感した。

荻外荘はもう慌ただしさもなく、ごく親しい身内の者だけになっていた。
父の寝室に行くと、父はいつものように布団に横たわっていた。
父は昔から何か重大なことを考える時、頭を休める時、いつも昼寝と称して寝る癖があった。
母と弟がいて、「新潟からよく出て来られらね」と言った。
その時 父の凝視するような視線を感じて、父の傍らに行きいつものように寝転んだ。
「昭子、お前は長生きするだろうな」
「そんなノンキに見える?」
切迫している何かを感じながら、それには触れまいとしてみんな何気ない雑談を交わしていた。
私は父といつまでもこうしていたかった。しかし、父は言った。
「もうお休み。明日は早いんだ」
「おやすみなさい」
素直に立って隣の部屋の真っ暗な布団の中にもぐり込むと、明日の朝はもういないと思った。
涙が冷たく枕を濡らした。

翌朝、父は死んでいた。枕元に、いつか見た小瓶が空になっていた。
その安らかな死に顔は、生前のままの気品さえ漂っていた。

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◆近衛文隆
1915-1956 大正4-昭和13 41歳没

*米のハイスクールからプリンストン大学に留学

*陸軍軍人となりソ連軍に拘束され、シベリアの収容所で病死した

アメリカにて ハイスクールの卒業式で文麿と
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■妻 西本願寺大谷光明の娘 正子
1924- 昭和13-
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嫁と姑
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シベリアの夫の墓前で
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●芸者東千代子との間に庶子 東隆明





◆近衛忠輝
1939- 昭和14-
もと細川護貞&文麿の娘温子の子 護煇


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近衛忠輝

上流人が下流人と同じテレビ番組を観たり、
農民の子と競って東大に入るなどの現状では、上流階級が育つ素地はありません。
だから、昔の上流階級がよい意味での指導性を発揮せざるを得ないのです。
私はね、社会が安定するためには、恵まれた人が高い見識を持ち、
しっかりとした階級を構成することが絶対に必要だと思うのです。


*しかし一人息子の忠大はNHKに入りディレクターとなった。
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■妻 三笠宮崇仁親王の娘 庸子女王
1944- 昭和19-
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●忠大
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by oMUGIo | 2002-01-03 00:00 | 公家華族

岩倉公爵家 羽林家 その2

●具義 南岩倉具義男爵となる 広橋胤保の娘栄子と結婚・本人死別、栄子は鍋島直大侯爵と再婚
●増子 婿養子を迎え次代当主とする
●具定 次々代当主
●具経 岩倉具経男爵となる 東本願寺大谷光勝の娘梭子と結婚
●極子 戸田氏共伯爵夫人
●静子 久世通章子爵と結婚・吉田良義子爵と再婚
●寛子 有馬頼万伯爵と離婚・森有礼と再婚
●道倶 岩倉道倶男爵となる 青山寛の娘裕子と結婚


●具経 岩倉具経男爵となる 東本願寺大谷光勝の娘梭子と結婚
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●極子 戸田氏共伯爵と結婚
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●寛子 有馬頼万伯爵と離婚・森有礼子爵と再婚
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●道倶 岩倉道倶男爵となる 青山寛の娘裕子と結婚
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●恭子  中御門経隆男爵夫人
●昭子  広幡忠朝侯爵夫人
●亥尾子 南岩倉具威男爵夫人
●具徳  岩倉具徳男爵となる 戸沢正実子爵の娘敬子と結婚


●恭子  中御門経隆男爵夫人
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●亥尾子 南岩倉具威男爵夫人
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●周子 東伏見宮依仁親王妃
●具張 次代当主
●具幸
●豊子 西郷従徳侯爵夫人
●米子 水野忠美夫人
●具高
●具顕 妻は女優青木しのぶ 子は女優小桜葉子 孫は俳優加山雄三
●花子 武井守成夫人
●季子 島津忠弘男爵夫人
●良具


●周子 東伏見宮依仁親王と結婚
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●豊子 西郷従徳侯爵と結婚
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●米子 水野忠美夫人
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●花子 武井守成と結婚
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●季子 島津忠弘男爵と結婚
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◆岩倉具顕
1894- 


■妻 江間光括/女優 青木しのぶ
1899-1973


●具子 女優小桜葉子 夫は俳優上原謙 子は加山雄三
●具賢 詐欺事件を起こす
●具憲 詐欺事件を起こす


*具賢は上原謙・加山雄三親子とともに経営していた茅ヶ崎のホテルを乱脈経営でつぶし、
すでに人手に渡っていた新潟県のスキー場を売却しようとして起訴された。

*具憲は籠抜け詐欺で逮捕された。
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●具栄 次代当主
●具実 藤堂高紹伯爵の娘本子と結婚
●具方
●初子 松平直頴子爵夫人
●雅子 田中徳蔵夫人
●靖子 赤化事件で逮捕、釈放後自殺
●熙子 辻彪胤夫人


●女子
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●具実 藤堂高紹伯爵の娘本子と結婚
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by oMUGIo | 2002-01-02 00:00 | 公家華族

岩倉公爵家 羽林家 その1

東京本邸 麹町区裏霞ヶ関 (現:千代田区霞が関) 


◆岩倉具視
1825-1883 文政08-明治16 57歳没
もと公家堀河康親の子 婿養子になる
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■前妻 先代具慶の娘 誠子
1833-1874 天保04-明治07 41歳没


■後妻 士族野口為五郎の娘 槙子
1827-1903 文政10-明治36 76歳没
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●具義 南岩倉具義男爵となる 広橋胤保の娘栄子と結婚・本人死別、栄子は鍋島直大侯爵と再婚
●増子 婿養子を迎え次代当主とする
●具定 次々代当主
●具経 岩倉具経男爵となる 東本願寺大谷光勝の娘梭子と結婚
●極子 戸田氏共伯爵夫人
●静子 久世通章子爵と結婚・吉田良義子爵と再婚
●恒子/寛子 有馬頼万伯爵と離婚・森有礼子爵と再婚
●道倶 岩倉道倶男爵となる 青山寛の娘裕子と結婚





◆岩倉具綱
1841-1923 天保12-大正12 82歳没
もと公家富小路政直の子 婿養子になる


■妻 先代具視の娘 増子
1849-  嘉永2-


●恭子  中御門経隆男爵夫人
●昭子  広幡忠朝侯爵夫人
●亥尾子 南岩倉具威男爵夫人
●具徳  岩倉具徳男爵となる 戸沢正実子爵の娘敬子と結婚





◆岩倉具定
1852-1910 嘉永04-明治43 58歳没
先代の義弟

*アメリカに留学
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■妻 沢為量子爵の娘 久子
1862-1943 文久2-昭和18 81歳没
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左から 豊子 久子夫人 豊子の夫西郷従徳侯爵
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●生母不明 周子 東伏見宮依仁親王妃
●生母不明 具張 次代当主
●生母不明 具幸
●生母不明 豊子 西郷従徳侯爵夫人
●生母不明 米子 水野忠美子爵夫人
●生母不明 具高
●生母不明 具顕 妻は女優青木しのぶ 子は女優小桜葉子 孫は俳優加山雄三
●愛人の子 花子 武井守成男爵夫人
●生母不明 季子 島津忠弘男爵夫人
●生母不明 良具


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萬朝報 明治31年07月19日

公爵岩倉具定は京橋区築地に竹下久子(24)なる妾を畜う。
同人は仙台東 源太郎長女なるが、本年01月花子という女児を挙く。
近頃公爵の来たらるるははなはだ稀にて、月一回くらいなり。

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◆岩倉具張
1878-1951 明治11-昭和26 73歳没
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*日本初美男子コンテストに応募したことがある。


■妻 西郷従道侯爵の娘 桜子
1886-1985 明治19-昭和60 99歳没
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●具栄 次代当主
●具実 藤堂高紹伯爵の娘本子と結婚
●具方
●初子 松平直頴子爵夫人
●雅子 田中徳蔵夫人
●靖子 赤化事件で逮捕、釈放後自殺
●熙子 辻彪胤夫人


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
<岩倉具張の放蕩>

※当時の総理大臣の年給は1万2000円

岩倉具張は北海道の鉄道にまつわる怪しげな儲け話に乗って巨額の負債を抱えてしまう。
さらに同時期に芸者桃吉に入れあげ、
麹町に<桃吉御殿>と呼ばれる屋敷を作ってやったり、
有楽橋に岩倉家の家紋から取った<ささや>という洋食店を持たせてやったり、
8万円のダイヤのネックレスを買ってやったりして、
負債は300万円にふくれあがる。

華族の立場を利用して騙したり騙されたりしているうちに訴えられ、
霞ヶ関の屋敷が差し押さえられてしまう。
屋敷は競売にかけられ、妻子は妻の実家西郷侯爵家に引き取られる。
そのあいだ具張は行方不明となり、福島県飯坂温泉に隠れていたところを見つかる。

大正03年、岩倉家は具張を隠居させて息子具栄を当主とする。
具栄が資産家の藤堂高紹伯爵の娘と縁組したことで岩倉家は息を吹き返した。
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◆岩倉具栄
1904-1978 明治37-昭和53 74歳没

*大学教授を退官後マンション会社の役員となり、不正販売に関わり送検される。


■妻 藤堂高紹伯爵の娘 良子
1911- 明治44-
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●具忠
●具房
●公子
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by oMUGIo | 2002-01-01 00:00 | 公家華族


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